インテリ…それは大衆を侮蔑し、それから距離を起きつつ「彼らは何一つ正しい判断が出来ない」と決めつけつつ勝手にその「善導役」を買って出る迷惑な方々。本当に一体歴史の何処から湧いて出たのか…
インテリ又は、その原語であるインテリゲンチャ/インテリゲンツィヤ(露:интеллигенция,英:Intelligentsia, Intelligentzia)とは、知識階級を指す概念であり、そのような立場にある人を知識人、有識者ともいう。
- 知識階級とも表現されるこの社会的な階層は、主に大学院などで高等な学問を修め、多くの現象を広い見識をもって理解して、様々な問題を解決する知恵を提供したり、その知識によって発見・発明された成果物を提供することによって、社会から対価を得て生活する。
- 具体的には、作家や経営者として社会や経済を知識によって先導し、また芸術家やクリエイターとして、文化的な創作活動によって、社会に新しい価値観を育んだり、学者として各々の分野を深く探求したり、または教師として教育の場で他を指導する立場を担い、その一方で評論家として道徳やモラルに関する警告を発して社会を律したりする者たちである。
- その一方で単にインテリと略されている場合は、単に高学歴であるというだけで人生経験が浅く自律性に欠けるといった意味に使われるケースもある。
アルフレート・ヴェーバーが造語し知識社会学者カール・マンハイムが積極的に論じた「自由に浮動するインテリゲンチャ」といった言葉があり、社会学など学問の世界で術語として用いられている。
アルフレート・ヴェーバー…誰かと思ったらマックス・ウェーバーの弟さん?
今回の投稿の発端はこのTweet
個人的メモ。最近思いついた「実証主義的(反形而上学的)神秘主義」なる奇妙な用語の内容検証を試みました。そいいえば誰かがロシア・ウクライナ戦争について「ウェストフェリア条約(1648年)で定まった国際協調体制のパラダイムが侵犯されている」とTweetしてましたが…https://t.co/toLLVdbzeV
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
歴史のその時点ではまだ帝政ロシア(1721年~1917年)は存在しておらず、というより「ウェストフェリア条約勝ち組」のスウェーデンを大北方戦争(1700年~1721年)で下してバルト海進出を果たした「ツァーリ」ピョートルが西洋風に「皇帝(インペラートル)」としても即位したのがこの国の始まり。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
こうして多くの西洋諸国の国体が「絶対王政」だった時代に「脱亜入欧」を果たしたものの、当時は直前まで「もう一つのウェストフェリア条約勝ち組」フランス自らが「ウェストフェリア体制=国際協調体制」を脅かしていた有様だったのです。そう「太陽王」ルイ14世(在位1643年~1715年)の時代…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
ぎょぼ!! そうだ忘れてた。「アゾフ」なる地名、全く別の文脈で耳にした記憶があったんだけど、そうかピョートル大帝がオスマン帝国と戦って最初に獲得した黒海への出口じゃないですか(そしてこの時の苦戦がロシア海軍創設の契機となる)。https://t.co/fN2JWdKfc4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
そもそも有名な「ピョートル大帝の欧州への大使節団派遣」自体が、以降のオスマン帝国との戦いで味方を増やしたかったからだったものの、当時の欧州は大トルコ戦争(1683年~1699年)を終えたばかりで黙殺。そして「一人で出来るもん!!」からの大北方戦争における大勝利。https://t.co/wMsoCmQ8g1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
そういえば「(国家首長込みの)欧州への大使節団派遣」自体は大日本帝国もやってますね。そして記憶が正しければ末期清朝における近代化上申書にも「明治天皇の魂とピョートル大抵の意志を」みたいな文言が。そう当時の帝政ロシアは、なんかこう「文明開花に成功した先進国」として輝いていたのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
ただし「帝政ロシアの文明開花」はあくまで「絶対王政」としてのそれであり「(18世紀後半から次第に欧米から聞こえ始めた)自由主義の概念」は、その疎外要因としか認識されていなかったのでした。実際、19世紀欧州ではまだまだ「(ナポレオン時代の反動としての)復古王政」要素時代が強かったので…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
ちなみに当時の欧州における「復古王政要素の根強さ」は先述の岩倉使節団(1871年~1873年)が残した「特命全権大使米欧回覧実記(1878年)」に克明に残されています。当時の欧州人の認識は「各国の王族間の血縁関係が戦争を防いでいる」という無邪気なもの。https://t.co/je2SLWMeEJ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
ここで乱入
王家間の婚姻、継承権を巡る戦争の火種にしかならなかったような… https://t.co/jem5B0o9PK
— ぺんぶろーく (@ttee000800ttt) 2022年4月18日
私もそれは思ったんですが、原典であちこちにその話が出てくるので「その頃はもうそういう認識になってた」と思う事に。ちなみに岩倉使節団の帰国が1873年で大不況開始が同年なので、その景色年内続いたとも限らないタイミング…(外国商品流入を防ぐ為の関税掛け合い合戦が始まって各国の関係が悪化)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
切ない…
そんな有様だから19世紀後半になっても帝政ロシアはまだまだ無邪気に信じていたのです。「そのうちヨーロッパも自由主義の迷妄から覚めて清く正しい絶対主義側に戻ってくる」と。https://t.co/0UsB9RWiPn
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
ならば何がロシアとそれ以外の欧州諸国を決定的に切り離してしまったのでしょうか。当時あった最大の事件、すなわち1873年から1896年にかけて欧州全土を見舞った大不況の影響としか思えないのです。https://t.co/sMc0KzairP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
まず起こったのが下級貴族(英国やフランスの場合。日本では士族)の没落。日本の自由民権運動も暴力も辞さない没落士族によって始められ、鎮圧された残党が生活保守の立場からこれに参加した富農や富商に併呑される形で市民運動の体裁が整いましたが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
欧州でも没落貴族を併呑する形で「大衆」の文化レベルが恐ろしく引き上げられたのです。そして当時欧州全土を見舞った長期不況の原因、それは産業革命浸透による生産力向上を内需が吸収仕切れなかったかった事による構造不況だったのですが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
消費の主体が王侯貴族や聖職者の様な伝統的インテリ/ブルジョワ/政治的エリート階層から前述の「消費意識が高まった大衆」に推移する事で乗り越えたのが1890年代。そう新大陸から流入する安価な農産物や畜産物も「贅沢を覚えた」彼らがペロリと平らげてしまったのです。https://t.co/q817zAtXvP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
一方「再版農奴制」の残滓が色濃い東欧やロシアはこの流れに上手く乗るどころか、経営負担を領主が領民に安易に押し付ける事でかえって貧富の格差が広がり傷を深くしていきます。19世紀後半にこれらの地域でポグロム(ユダヤ人虐殺)が流行したのも、恐らくガス抜きとしてそうした措置が必要だったから。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
レーニンは「帝国主義論(1916年執筆,1917年初版刊行)」の中で「欧州は獲得した植民地に本国の生産物を押し付ける事で当時の不況を乗り切った。こんな無理は長くは続かずやがて破綻する」と予言しています。要するにロシアはこの時自由諸国側を救った「消費改革」を歴史のこの時点で認められず…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
というか恐らく現在なお認めていないのです。ちなみに佐藤優によれば、一旦共産主義を受容しながら放棄した東欧諸国には「瘡蓋(かさぶた)論」なるものが存在し「確かに共産主義は(再版農奴制の様な)前近代的遺習を一掃する役割を果たしたが、その後いらない子になった」と考える様です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
これですね。
「こちら側」へようこそ。同じ共産圏でもベトナムや中国は、かかる「消費革命」の重要を認めている様に見えます。でないと鄧小平の「金持ちになれる人間からなれ(そして消費せよ)」発言は出てこないでしょう。上層部がどこまでちゃんと意識してるか不明ですが、まぁそれはそれ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
「そういえば、ロシアは?」。今回のロシア・ウクライナ戦争で改めて思ったのがそれ。こういう部分まで「価値観の共有」が出来ないとすれば本当に恐ろしい文化戦争が始まってしまったのでは?そしてついでに考えてしまう訳です。「インテリゲンツィア」は何故ロシア語起源なんだろうかと。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
「インテリゲンツィアは何故ロシア語起源なんだろう?」これ昔から調べてるのですが、全然詳細が掴めません。助けてインターネット!!
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月18日
そんな感じで以下続報…