諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「日本は出島文化圏」?

ちょっとネットを検索してみましたが、20世紀まであれほど繰り返し語られ続けた「日本は出島文化圏」なる主張が跡形も残ってません。これはどういう事?

今回の投稿の契機は以下のTweet

1925年には既に治安維持法が成立しており、迂闊に暴力革命について触れられなくなったので「民主主義の訓練」という曖昧な言い回しになったとも。同様の表現は「無政府主義者大杉栄の文章にも見受けられますが「有識者の教導」を「官警による取締りの同類」と置いて「発意の合わせ方」に力点を置きます。

いずれにせよ1935年までに共産党勢力は一層されてしまう訳ですが…

1960年代から1970年代にかけて盛り上がった学生運動家達は、既存左翼がそうやって「行き詰まった」からこそ自分達の時代がやってきたと考えた様ですが、その一方で本当に「死んだマルクス主義」の代替イデオロギー(日常生活を包括的に説明する形而上学的根拠)代替案を真剣に吟味した形跡は見られず「これまでのやり方では駄目だ。俺達にやらせろ」と世代交代を要求していただけとしか思えないのです。

最近の私は「サン=シモン主義」を採用したフランス第二帝政(1852年~1870年)における産業革命導入をさらなる前史に置く様になりました。

つまり昨今のインターネット事情は、石をどかしたらその下に隠れて暮らしてきたダンゴムシの類が一斉に動き出した、そんな感じとも。

それはもはや保守主義では?実際、最近の暴走Jリベ暴走Jフェミは「お前達がやってる事はフランス近代芸術に加えられた弾圧や(黒人公民権運動やヒッピー運動を引き起こしてしまった)米国インテリの知的怠慢と同じだ」と指摘しても一切怯みません。もはやそう決めつけられる事が「革新主義的には死」なる認識すら継承していないのですね。それどおろか「今の私達が正しいのだから、彼らもまた正しかったのだ」と開き直る始末。「出島有識者」達は、置き土産にこんな生物の大群を残していったのです。

皮肉にも海外には「表現規制の歴史をそれなりに正当化するイデオロギー」自体なら差存在し、その論理展開の堅牢性故に私も採用してるくらい。これが日本に伝わっていないのは単なる「出島有識者の知的怠慢」の結果と言えましょう。

そんな感じで以下続報…