ああ「真田太平記」の世界…
今回の投稿の発端は以下のTweet。
よく誤解されるのですが、「淡々と歴史を解説(=客観的な歴史叙述)」というのは成立しない。歴史を語るには、必ず何らかの「思想=歴史観」が前提となる(史実を無視する歴史観はダメですが)。「淡々と」に近いものといえば年表でしょうが、実はその年表ですら歴史観から自由ではありません。 https://t.co/Fbyr6nm3Pt
— 山田邦和 (@fzk06736) 2022年5月28日
⇨つまり、過去の事実は無数にあります。それをすべて語ることは不可能です。歴史を語るとは、過去の無数の事実から、自分が重要だと思うものを選択し、組み合わせ、因果関係を解明し、画期がどこかを考え、体系的な流れとして再構成する。それは、「歴史観」がなくてはできないのです。
— 山田邦和 (@fzk06736) 2022年5月28日
⇨ただ、「歴史観」もまた、それぞれの時代なりの価値観に基礎を置くとともに、その時代に制約されます。21世紀前半に生きている我々は、ある程度は共通した価値観を持っているはずです(たとえば「人権尊重」など)。しかし、それは千年前の人々の価値観とはかなり異なっているでしょう。
— 山田邦和 (@fzk06736) 2022年5月28日
⇨ただまあ、現在の歴史叙述は、歴史観があまりにも前面に出すぎてしまうと眉をひそめる人が多くなる、ということはありますよね。歴史観はあくまで建物の土台であって、建物そのものではない、と考えておくのがいいかと思います。
— 山田邦和 (@fzk06736) 2022年5月28日
⇨あと、補足としては、「Lotzun @lotzun_DeuPol」様との下記のやりとりをご参照いただけますなら幸いです。https://t.co/RsCF5UYnRF
— 山田邦和 (@fzk06736) 2022年5月29日
ここに乱入。
歴史観って「思想前提」というより「(簿記がとりあえず全てのデータを「発生/消失時間」と「発生量(金額)」にの二次元でラベリングする様な)単位化」前提な感じがします。「売掛金/買掛金のライフスタイル」概念をより複雑化した感じで「幕府の成立と消滅」などを扱うイメージ?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月29日
この考え方を前提とすると、前近代までは「家」、近世から近代にかけては「国家」が重要な操作単位として浮上してきそうですね。そもそもそれぞれの時代に継承されてきた「物語」構造がこれに対応?https://t.co/HeqqwnAH2u
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月29日
真田家「リスクヘッジ。私の好きな言葉です」。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月29日
そんな感じで以下続報…