諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「手の届かなかった虚構」としての革命ごっこについて。

いやまだ「革命は手の届かない虚構」と諦められた大多数の方がマシだった?

今回の投稿の発端は以下のTweet

ここに乱入。

そして

そして

そして

そして

この話が盛り上がる都度思い出す「当時の教師側の証言」…

「暴力以前――ソクラテスの問い――」(久保正彰)

この小論が書かれた1969年に意味がある。

東大安田講堂が陥落したのが、1月19日。明くる20日安田講堂前に視察に現れた、佐藤首相、坂田文部大臣らは、廃墟の前で、一様に涙をこぼした。むろん、それは近代日本百年を支え、かつ彼らの母校である、東大の有様に悲嘆にくれたゆえではない。ましてや、傷つき逮捕された全共闘系学生への同情からでもない。P型催涙弾5000発に含まれた50キログラムのクロロアセトフェインの残滓に涙腺を刺激されたにすぎない」(『犯罪の昭和史3』p.172)

安田砦の攻防を横目に、東大助教授によってこの小論が書かれていたと思うと、万感胸に迫るものがある(^^ゞ

この話の背景には「ソクラテスの弟子達こそが全盛期アテナイペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)敗戦とその後のアテナイ衰退に導いた」という絶望感が。

そんな感じで以下続報…