そもそも「批判」と「配慮」の関係は深淵…
今回の投稿の発端は以下のTweet。
前に「芸術に造詣深い人があえてするぶった斬り評論と、造詣深くない人による荒い評論が大筋一致していても、前者後者で抱く感情や受けるダメージが違うのはこっちのプライドの問題」的なことを筆折った元絵描きが言ってたことがあったのを、どさくさにふと思い出した。
— 💪将鼓🐦ネトウヨアルバイトリーダー(麻生班) (@shoukootaden) 2022年11月30日
どう言ってたか細かくは思い出せないので「プライドの問題」で代用したけど、なんかもっとなるほどと腑に落ちる言い方してたな
— 💪将鼓🐦ネトウヨアルバイトリーダー(麻生班) (@shoukootaden) 2022年11月30日
まあいいか
— 💪将鼓🐦ネトウヨアルバイトリーダー(麻生班) (@shoukootaden) 2022年11月30日
そうゆうのは確実におすやろなぁw
— 凛七星 いけずな歌詠み人 (@GPart2) 2022年11月30日
a 同じ評論に見えて違う
— 💪将鼓🐦ネトウヨアルバイトリーダー(麻生班) (@shoukootaden) 2022年11月30日
b 違うベースだけど同じ
なんの「高み」やねんというのはめちゃくちゃ曖昧にしつつ雑に言えば…
受け手側がより高みを目指すならaを、創作者がより高みを目指すならbを苦くても噛みしめ噛みしめするのだろうなあと。
逆に、受け手がbを創作者がaをペロペロキャンディにするのは甘えとか怠惰とか逃げとか停滞なのかもなあと思ったり思わなかったり。
— 💪将鼓🐦ネトウヨアルバイトリーダー(麻生班) (@shoukootaden) 2022年11月30日
ですねえ。ああ耳痛い耳痛い…最後の一文。
— 💪将鼓🐦ネトウヨアルバイトリーダー(麻生班) (@shoukootaden) 2022年11月30日
様するにここでいう「造詣深くない人による荒い評論」とは「ヒューリステリック(heuristic)な判断」という事? まぁ(根底には概ね連立一次方程式と活性化関数しか存在しない)機械学習アルゴリズムもこの範疇に含まれますね。
・韓非子
— 喜多野土竜【 ⋈ 🌰🎍】💉💉+💉 (@mogura2001) 2022年11月30日
・莊子
・ミリンダ王の問い
・ニーチェ『反キリスト者』
・D.H.ローレンス『黙示録論』
・浅野裕一『孔子神話』
儒教やキリスト教への批判の書なんだけど、そこには不思議な感動がある。批判しつつも、その延長線上に批判者の理想形とか見える。
そこに愛があるのか、だったりする。 https://t.co/7QWXEfbAyN
日本人が忘れがちな「キリスト教倫理(それも英国ビクトリア朝時代の一番ガチガチな奴)に叩きつけられた最大級の批判書」、それがリチャード・バートン版「カーマ・スートラ」。まぁ同著者が手掛けたアラビアン・ナイトにも同趣旨は…https://t.co/7AMOCe14My
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月30日
あまりに内容が過激過ぎて出版当時はほとんど同人誌同然の頒布状態。そういうのが要するにポロコレ勢が望んでる「自主規制」。ちなみにこういう状況に「パンの大神」事件が重なって「宇宙的恐怖小説→クトゥルフ神話」系は長らく「エロ御法度」状態に。https://t.co/N1M4LzXEdM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月30日
久し振りに「仮想キャラ商売心得」投稿を読み返したけど「カーマ・スートラ娼妓条」のエグさって何度読み返しても本当に半端ない。インドではこんな「資本主義の正体の分析」が法華経成立期(紀元前後)には成立してたのである。まぁ地中海交易圏との通商(主に陸路)で潤っていたからねぇ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月1日
バートンは超訳が過ぎる部分が。
— 喜多野土竜【 ⋈ 🌰🎍】💉💉+💉 (@mogura2001) 2022年12月1日
彼の思想はわかりますが。
まぁガラン版千夜一夜物語を含めてさえ、当時の欧州に「忠実に翻訳する事に意義がある」みたいな使命感はあまり感じられないので…ドイツみたいに「偐紫田舎源氏」を持ち帰って「源氏物語」として出版する致命的ミスをしでかさなかっただけでも上出来とすら?https://t.co/spQoKr6YDS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月1日
同じく日本人が認識してない「(シーボルトが日本語文献を大量に持ち帰ったのを契機とする)ドイツでの日本文学翻訳ブーム」…https://t.co/pkv7YIapVy
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月1日
そしてこうしたドイツ流ジャポニズムの残した思わぬ足跡が映画「メトロポリス(1927年)」における「ヨシワラ・ダンス」だったという…https://t.co/UFb834PWAx
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月1日
あんまり脳内の違う場所で処理されてる感じがしないのですね。このあたり間違いなく中東もアジアも同じハコに放り込まれてきた感があります。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月1日
再読してみると、みんな違った次元で好き勝手な事を言ってるだけ? 特に私のそれが一番ひどい…そんな感じで以下続報…