しばしば日本の「温情主義」は欧米の家父長制(patriarchy)概念に重ねられますが、この辺りもっと慎重になるべきじゃないんでしょうか?
今回の投稿の発端は以下のTweet。
動画の冒頭でこれを権威(Authority)の話だと強調していることに感服しました。前者の話法は単なる命令ですが、後者の話法は対象者の罪悪感や良心を刺激して自発的な選択を強制しています。
— 茂澄遙人💊 (@mosumiharuto) 2022年12月24日
前者の話法は「権力(Power)」の行使で、後者の話法は「権威(Authority)」の行使にあたるというわけです。 https://t.co/Id6pHktgJh
「権威(けんい、英語: Authority)とは、自発的に同意・服従を促すような能力や関係のこと。威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる能力・関係である権力とは区別される」https://t.co/gxWlWESm6j
— 茂澄遙人💊 (@mosumiharuto) 2022年12月24日
権力による命令には逆らったり突っぱねたりする余地があります。このため権力に勾配があってもいくらか誠実なものなわけです。
— 茂澄遙人💊 (@mosumiharuto) 2022年12月24日
でも罪悪感や良心を刺激するなどして権威によって自発的に同意や服従を迫る場合は、逆らうことが難しいため、不誠実で操作的な強制になるんだな、と。
現代における権威(自発的に同意・服従を促すような能力や関係)は、すごく端的に言えば「弱さ」なんですよね。別の言い方をすれば道徳的優位や政治的正しさ。
— 茂澄遙人💊 (@mosumiharuto) 2022年12月24日
これを家庭内にあてはめると、最強の権威者は乳児、次いで子供、母親ときて、最後に父親でしょうね。https://t.co/M4xPIRYYRF
これですよ。権威の行使って「忖度しろ」というものであって命令ではないので責任を回避できるというのもポイントですよね。
— 茂澄遙人💊 (@mosumiharuto) 2022年12月24日
何しろ自主的な判断に任せた体なので、あとからどんな責任逃れもできてしまうっていう。https://t.co/uxXk8GP1QK
そして…
見かけ上リベラルで寛容なポストモダン親に育てられた子供としてゲラゲラ笑ってしまう。前者より後者のほうが強制力を発揮しやすい(ということに、同じ子供相手にあれこれ試した結果として権威側もハッと気づいてしまう)んだよな。 https://t.co/h6DhtAXOgH
— 岡田育🍥『我は、おばさん』 (@okadaic) 2022年12月23日
続)「自主性を重んじる」「生徒主導」の名の下に、何かの徹底が足りていない子供たちが大人の真似事をするとこういうことも起きたりする。そして「素直な気持ちで」「みずから進んで」「マシな」校則を整えたら権威側から「リーダーシップのある」「優等生」と呼ばれる。全部経験あって笑っちゃう。 https://t.co/m0jbWACDAI
— 岡田育🍥『我は、おばさん』 (@okadaic) 2022年12月24日
そんな感じで以下続報…