そもそもそれ21世紀に生き延びる価値あるの?
21世紀の時代精神?
今回の投稿の発端は以下のTweet。
哲学、歴史、文学の3点セットという〈知〉なり「教養」なりに対する基本的な認識は、それを「そういうもの」としてきた感覚や価値観、世界観などと共に、ここにきてほぼ最終的にその輪郭を同時代の知的な銀幕の上から消し去りつつあるらしい。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年11月13日
文系/理系、という二分法図式が、フラットな同じ水準上で平然と行なわれるようになっていった経緯というのは、実はものすごく本質的な煮崩れの過程でもあったんだとおも。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年11月13日
ライプニッツは理系か文系か?
— neji (@nejioman) 2022年11月13日
(デカルト・カント・フッサールでも可)
そも、「哲学」と「思想一般」「人生訓」「名言集」「とんち」がないまぜになっている、と言うかそも区別を付けたい奴存在しない説。
— neji (@nejioman) 2022年11月13日
内田樹はどれなの?
— Alsnova (@alsnova) 2022年11月13日
とんち寄りの思想一般ですかね。
— neji (@nejioman) 2022年11月13日
ポモ崩れっぽいし。
(教養としての)「哲学」は翻訳の壁を乗り越えられていない感じがするのよね。つまり、解説や解釈や引用ばかり目立ち、学者の本気が伝わってこない。無論、言語や文化の壁があるのは当然なのだけど、その上での素人の妄言デアリマス。
— 金之助 (@kinnosuke_alpha) 2022年11月13日
学者の血となり肉となってない「知識の振りかざし」では、伝えられる側の一般人の腑に落ちることもなく、知の継承にはなりませんよねぇ
— さぶ (@sabrinaaaaaaaa7) 2022年11月13日
自分が学生のころは、学問の基礎として「3点セット」は教養部の必修科目でした(確か法学や体育とかも)が、現在は履修を義務付けられていないのでしょうか?
— Tomoyuki serikawa (@tomoyukiserika1) 2022年11月13日
私見としましては、かつてポストモダン全盛だった頃の悪い影響が、現在の実用第一でニヒリズムが強い世情に現れているように思います
そんな感じで以下続報…