とりあえずメモがてら。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
何度も書くけど、うる星やつらが当時革新的だったのは「金持ちの娘か貧乏人の娘か」という2択が主流だった少年マンガのヒロインを「キャラクターの性格で女性キャラを書き分けて増やした」事で、今の男性向け作品の大半がこのフォーマットを利用しているから、当時の新規性は理解できないんだよね。
— 鳥山仁 (@toriyamazine) 2022年10月13日
そういえば漫画飯「うる星やつら」をリアルタイムで読んでて「複数の女子キャラ集まって日常会話を交わしながら物語が進む回(完全に一幕劇として完結する回すらあった)」に衝撃を受けた記憶が。こういう物語文法、以前の少年漫画にはなかった記憶が。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
「うる星やつら」自体も、最初期は「各回、ゲストキャラは一人」みたいなルールでしたしね。あれは少女漫画起源だったのか、小説や映画みたいにさらに別の起源があったのか…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
Kindke版で再確認。例えば新装版12巻11話「テンからの贈り物!!」。オールスターっぽい豪華メンバーの女子会を覗き見してる様なドキドキ感がどんどん不穏な心理劇に…私的には「うる星やつら」ベスト3に入るエピソード…アニメ化もされてるけど短尺過ぎて今ひとつだった記憶が… pic.twitter.com/Vm2Fg1CUsA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
Kindke版で再確認。例えば新装版12巻11話「テンからの贈り物!!」。オールスターっぽい豪華メンバーの女子会を覗き見してる様なドキドキ感がどんどん不穏な心理劇に…私的には「うる星やつら」ベスト3に入るエピソード…アニメ化もされてるけど短尺過ぎて今ひとつだった記憶が… pic.twitter.com/Vm2Fg1CUsA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
改めて読み返すと、登場キャラの相関関係の根深さがとんでもなさ過ぎ。しかも、そこに容赦無く爆弾を投げ込んでいくスタイル。少女漫画でもここまでジレンマが入り組んでるケースはハチクロとかナナ辺りまで出てこないのでは?やっぱりこれは15分では無理。30分きっちり使って欲しかった…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
あと海外人気が今でも根強い新装版18巻第1話「惑星教師CAO-2」。「ミサイルでも撃ち込んでやればよかったのに」「もちろんやったっちゃ」のコマがmeme化。 pic.twitter.com/RYEKXOJqOY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
この辺りの表面上の平穏さを装いつつ「全員が見た目通りでなく、お互いに隠し事をしながら腹を探り合う景色」こそ「うる星やつら」が漫画の世界に持ち込んだ画期だったのかもしれません。私のモットー「男の本質は馬鹿、女の本質は意地悪」的発想の大源流…https://t.co/cJL1BWkXvg
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
あ「惑星教師CAO-2」の発表年は1983年。「人間だったらよかったのにねー」「カビの生えたギャグを」の元ネタは日刊アルバイトニュースのTVCM(1982年)。https://t.co/KA06WVa0vY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
海外のアニメ漫画GAMEファン女子に言わせれば「女子向けスタンドバイミーみたいな感じ?」なる受容のされ方っぽいですが…そうは言ってもミサイルはミサイルですってばぁ… pic.twitter.com/zM4zKxAD30
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
ついでに勢いでFuluにて旧アニメ版「惑星教師CAO2の復讐(第108話)」も視聴。Aパートが漫画準拠でBパートが「現代の再復讐」を描くオリジナルなんだけど、これは蛇足で実際海外で話題にならなかった。https://t.co/9YHkymKkmy
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
「すまして大人の振りを通してる現在」と「人より獣に近いヤンチャな幼女時代」を皮肉たっぷりに対比的に描いたから海外で「女子版スタンドバイミー」評を勝ち取ったのに「 今もヤンチャのまま」では…ただこの話、原作版と旧アニメ版全体に見てとれる傾向かも。さて令和版はどちらに寄せてくるやら…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
「女子向けスタンドバイミー」…よく考えてみたらスティーブン・キング版(原作1982年、映画版1986年)が「僻地に死体を探しに行く話」なのに対し、高橋留美子版(1984年)は「僻地に死体(ただしロボットなので不死)を置いてくる(封印しにいく)話」なんですな。真逆じゃないか…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
あとアメコミヒーロー物に「ヒーローがまだ10代だった頃のチーム活動」みたいなジャンルがあって、ヒロアカやこういう作品の受容を容易にしている側面も?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
そして「敵が教師である事」によって容赦なく同情票。アニメ版みたいに「ラストで大人になった立場から理解」でなく「未熟な子供の頃はああ見えてたものだが、解像度不足により詳細は不明」と落とすのが吉で、キング作品だと「やっぱりおかしい」から新たな物語が始まる事も。https://t.co/99bwykLWIm
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
ついでに旧アニメ版「惑星教師CAO2の逆襲」を見返して気付いた違和感の正体。確か「テンの贈り物」もそうだった気がするのだけど、いわゆる「テーブルトーク」の場面「レイアウト一切なしで全場面キャラクター正面アングルのカットバックの繰り返し」。「家族ゲーム」か何か?https://t.co/l9bxqEWdwM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月14日
そんな感じで以下続報…