諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【スパイス概念の起源】ヒッピー的ユートピア概念のなれ果てとしてのブトレリアン・ジハド?

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督版「砂の惑星(Dune,2021年)」が公開されて、この話をする調度良い好機が訪れました。

f:id:ochimusha01:20211021050617p:plain

そもそもそれは一体何だったのでしょう?

Tumbrの全盛期だった2010年代前半において既にこんな統括が行われています。

砂の惑星、この小説では人類に代わりえるものなし、という人工知能破壊運動(ブトレリアン・ジハド)が起きた後の世界なので、コンピューターもなければ自動機械というものさえ事実上、存在しない。宇宙航行をギルドが独占できるのも、この状況下で安全な航路を見つけ出すには、スパイスによる予知能力の獲得が必要で、それが出来るのがギルドのナビゲーターたちだけだから。そしてスパイス(メランジ)が産出する唯一の星がデューン
 
 ∧∧
(‥ )平たく言うと、ドラッグで
\–   らりぱっぱになった
     ナビゲーターが
     未来と安全な航路が
     見えたー! といって
     飛んでいく世界。
 
  (‥ )小説自体が東洋趣味とか
      神秘思想とか
      機械文明の否定、
      訓練によって生身の肉体
      から引き出された
      超絶的な能力、そして
      ドラッグという内容。
      ヒッピームーブメントな
      時代にマッチした部分も
      あったのかもね。
 
作者に言わせると、スパイスは富の象徴であり、石油の意味もあるという。そもそも砂漠からの産物で社会が動くというのはまさにそういうことだし、そこを支配する帝国は石油メジャーやアメリカを連想させるし、時代からするとこの戦いはベトナム戦争ってことでもあるんだろう(*作者がアメリカ人であることを考えればかなり強烈)。

そう、この話はなんと大航海時代(15世紀中旬~17世紀中旬)到来によって世界の経済的中心が地中海文化圏(ローマ帝国モンゴル帝国繁栄の地盤の多くを併呑し、最終的にはオスマン帝国を登場させたイスラム文明)から欧米文化圏(最終的には英米がスペインやポルトガルやオランダやフランスに勝利する形で新大陸を制するもアメリカ合衆国独立という展開を迎えたキリスト文明)に推移した歴史的展開点まで遡るのです。

食文化的には、十字軍運動(第1回1096年~1099年、第9回1271年~1272年)を契機にヨーロッパ大陸に地中海文化圏からヨーロッパ大陸に香辛料が伝来したスパイス革命(11世紀~13世紀)と、その反動としてのフランス料理形成期(14世紀~17世紀)」が対応します。

興味深い事に(まだまだ輸入香辛料依存度が高かった)ルネサンス期イタリアの宮廷料理(フィレンツェ僭主の家系たるメディチ家から輿入れしてきたカトリーヌ・ド・メディシスが連れてきた専属料理人がもたらしたとされる)を批判的に継承して(マスタードや生姜や様々なハーブのブーケガルニといった国産香辛料による味付けに端を発し、コンソメ概念成立に至る)フランス宮廷料理の原型を誕生させたディジョン料理人達のルーツは、ヴァイキング時代(Viking Age, 800年~1050年)より欧州西岸への進出を開始した北方諸族の一部がノルマンディー地方帰化して(西フランク王国王統を継承した)フランス王室の臣下に下り、ノルマン・コンクエスト(The Norman Conquest of England,1066年)によってイングランド王統となり、イタリア半島南部にオートヴィル朝シチリア王国(1130年~1194年)を樹立して当時衰退期にあった(古代ローマ帝国後継としての)ビザンティン帝国(395年~1204年,1261年~1453年)と(アラビア半島に発祥してササン朝ペルシャを併呑しビザンチン帝国の版図を大幅に食い取ったウマイア朝(661年~750年)やアッバース朝(バグダッド朝750年-1258年,カイロ朝1261年~1517年)の分裂状態としての)イスラム諸王朝を脅かして十字軍運動に先鞭をつけた(第一回十字軍にも従軍してアンティオキア公国(1098年~1268年)を建国)ノルマン貴族が(イベリア半島北部に割拠した西ゴート王国遺臣としての)アストゥリアス族末裔や(パリ東南部、リヨン北部に位置するブルゴーニュ地方に割拠したブルグント王国遺臣としての)ブルグント族末裔や(スイスと接するイタリア半島北西部ロンバルティア地方に割拠したランゴバルド王国遺臣としての)ランゴバルド族末裔を緩やかに統合した部族社会を形成したロマネスク時代(10世紀末~12世紀)におけるクリューニュー修道会(909年/910年開闢、全盛期12世紀)やシトー修道会(1098年、全盛期同じく12世紀)の汎欧州的展開(どちらの運動でもブルゴーニュ地方がノルマンディー地方イングランドを従える形で重要な役割を果たし、ディションもその一部)にまで遡ります。

イングランドには「領主が毎週日曜日牛を捌いてローストビーフを調理して領民に振る舞い、平日はそれを薄くスライスしたものに付け合わせを添えて食いつなぐ」伝統的食肉文化が存在し、これから食パン(Tin Bread=ブリキ板で型抜きするパン)文化も派生。ロマネスク食文化最古層基底の一つはこの辺りといえましょう。

つまり(フランスとの競り合いに勝って獲得した)植民地インドの香辛料を英国人の口に合う様に調合したカレー粉を活用したカレー料理、(同じくオランダとの競り合いに勝って獲得した)東南アジア植民地の発酵調味料にヒントを得て独自調合の末に工場で大量生産される様になったウスターソースケチャップ(後の歴史的展開から「トマトのケチャップ」が国際的に優勢となったが、19世紀ビクトリア朝時代の英国においては「キノコのケチャップ」が伝統的調味料としてに定着している)が英国庶民の間に広まったのも、大源流まで遡れば平日料理のバリエーションを増やす努力の一環だったとも考えられる訳です。

【注釈】ここではキノコ食文化の伝統自体にはあまり深入りしないものとします。

  • 紀元前16世紀より(ピタゴラスが健康への効能を説いたのを嚆矢にギリシャ・ローマ時代中心に)多くの文献にその生態や調理方法、健康への効能などが記され(ただし当時そう呼ばれたのは食用きのこテルファス)、14世紀以降のフランスにおいて再脚光を浴びてフランス北部イタリアイストリア半島(クロアチア)の伝統的食事に組み込まれ(潰して肉汁に和えて肉料理に掛けたり、牛乳やバターを合わせ野菜に掛けるといったソースとしての使われ方が発達)、美食家ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン(Brillat-Savarin)がその著書「美味礼讃(1825年)」の中で「台所のダイヤモンド」と称して媚薬としての効能を賞賛して以降国際的グルメ食材として認知される様になった()トリュフ。日本へのその概念の伝来は遅く1990年代以降南仏プロヴァンスの12か月(A Year in Provence,1989年)」「南仏プロヴァンスの昼下がり(Encore Provence,1999年)」などで知られる英国人作家ピーター・メイル(Peter Mayle)の南仏プロヴァンスを舞台とするエッセイの翻訳を通じて伝わったとされる。

  • 16世紀における南欧からのフランスやイギリスの様な西ヨーロッパ寒冷多雨地域メロン栽培導入の副産物として人工栽培が始まった(17世紀中旬に厩肥を熱源とする廃温床に勝手に自生しているのが発見され、菌糸の蔓延した前回栽培時の厩肥に土を被せる畝床法(ridge bed system)が開発され、18世紀以降屋内栽培に移行)マッシュルーム

  • 日本中国韓国などで食用に栽培される他(特に日本においては伝統的精進料理に欠かせず、食卓に上る機会も多い)ほか、東南アジアの高山帯や、ニュージーランドにも分布する椎茸。日本では江戸時代以降栽培可能となった。

    旨み成分がダシともなるため、数あるキノコの中でも知名度、人気ともに高いもののひとつである。

    生椎茸は遠火で炙り焼きにしたり、鍋料理、スープ、茶碗蒸し、うどん、巻き寿司などに入れたり、炒め物、天ぷらなどにして食べる。鮮度が落ちやすい食材で、切り口や傘の裏が茶色く変色したものや、開封すると刺激臭のあるものに至っては食さないことが望ましい。日本料理ではしいたけの傘の部分に十字の形や星型の形に包丁で飾り切りがされることがある。

    干し椎茸(乾椎茸)はこれを乾燥させた食品で乾燥によって旨み・香り成分が化学的に増す。出汁をとったり、水で戻してから煮物や佃煮にしたりする。もどし汁も出汁として利用される。また、陽に当てて干すことによって、ビタミンD2の含有量も増える。

    椎茸のうまみ成分・風味は熱に弱いため、出汁を取る際には冷水に5時間以上漬けておくことが望ましいとされる。また超音波照射が干し椎茸の水戻しに効果がある為、食品加工業者向けには超音波霧化分離技術を利用した加熱の不要なシイタケエキスの抽出装置が開発され、生椎茸栽培の盛んな徳島県内にて2014年に実用化されている。麺類のたれなどの食品のほか、保湿作用や美白作用があり、化粧品にも利用されている。

    中国医学では生薬ともした。成長程度の違いから肉厚でかさが開ききっていない(傘の開きがおおよそ七分まで)冬菇(どんこ)と、薄手でかさが開いている香信(こうしん、本来は香蕈と書く)、さらに両者の中間的存在の香菇(こうこ)の区別がある。いずれも中国での呼び方を取り入れたもので、どんこは中国語の発音dōnggūを模している。かさの表面に亀裂の様な模様がひろがっているものは花冬菇(はなどんこ、中国語では花菇)と呼ばれる。この他、スライスしてから乾燥させた製品もある。益気、健脾、健胃、化痰の作用があり、貧血や高血圧に効くとされる。近年は、β-グルカンの免疫強化、抗癌作用の研究も行われている。その他の医療的利用ではシイタケ属から抽出されたAHCCが健康食品として利用されている。代替医療科学研究センターの発行する資料によると、シイタケ菌糸体には免疫抑制細胞を軽減する働きがあり、肝機能保護作用があることも報告されている。またシイタケから発見された特異的に多く含まれる生理活性物質として、エリタデニン、レンチナン等が単離されている。

  • マッシュルーム、椎茸に並ぶ世界三大栽培用キノコの一つフクロタケ中国南部東南アジアで盛んに栽培され、八宝菜やスープ、あんかけ料理など中華料理の食材によく利用されるほか、タイ料理を代表する辛くて酸味のあるトムヤンクンの具やタイカレーにも利用される。

  •  イタリア料理ポーランド料理中国雲南料理などでその香りが珍重されるポルチーニ。人工栽培には成功していない。

  • アンズタケヤマドリタケをピクルスに漬け込むロシアの伝統的キノコ食文化。素人がキノコ狩りに勤しむので、常に毒キノコ食の危険と隣り合わせ。

    日本における知名度は一般に低いが、世界中で食用菌として非常に重宝されている。フランスではジロールと呼ばれる亜種が重要な食菌として扱われている。

    アンズのような香りとコショウのようなピリッとした味で、鶏卵、カレー、鶏肉、豚肉、仔牛肉などと良く合い、ピザのトッピングやシチュー、マリネ、フライ、クレープの具などに用いられる。伝統的には鹿肉と合わせて食べられる。他にもアンズタケシャーベットなどのデザートにされることも多々ある。

    肉質は味にくせがなく、傘・柄とも繊維がしっかりしていて歯ごたえがよい。生から調理してもおいしいが、乾燥させると独特の強い芳香をはなち、うま味も増す。パスタソース、リゾットの具、ソテー、マリネ、オイル漬けなどさまざまなレシピに使える。乾燥品を水でもどすと黄褐色のだしが出るのでこれも料理に利用できるが、味が濃いのでひかえめに使うのがよい。

    イタリアでは近縁種たるヤマドリタケモドキ(肉がやわらかく、香りもヤマドリタケには及ばない)と併せポルチーノ(porcino、複数形ポルチーニ)と総称され、アンズタケトリュフと並び珍重されている。フランス語ではセップ(cèpe (de Bordeaux))、ドイツ語ではシュタインピルツ(Steinpilz)と総称され、近縁種のヤマドリタケモドキやススケヤマドリタケなどとともに食材として珍重されている。

    類似の毒キノコとしてウツロイイグチ(Xanthoconium affine)と、強毒のドクヤマドリ(Boletus venenatus)が発見されている。ドクヤマドリは、美味であるといわれるが、下痢嘔吐などの激しい胃腸障害が長時間にわたって続き、場合によっては脱水症状などで生命の危険に陥る可能性も考えられるので要注意。それ以外のイグチ科でも幾つかの激しい中毒を引き起こす種類の存在が報告されている。ヤマドリタケ同様亜高山性針葉樹林性といわれているが(富士山に特に多いという)、本種と思われるキノコを広葉樹林で見かけたという情報もあるので要注意。なお毒きのこではないが、本種とよく似たニガイグチは苦くて食べられない。

    栽培法が確立しておらず、現在でもすべてが天然物である。日本ではイタリア料理の普及とともにイタリア産が早くから輸入されており、イタリアが本場とされている。一方、北海道と青森県の針葉樹林においてその発生が確認されている。

    ポーランドではボロヴィック・シュラヘートニィ(Borowik szlachetny)と呼ばれ、これはポーランド語で「シュラフ(ポーランド貴族)たちのポルチーニ」を意味する。ポルチーニ一般は「ボロヴィック」と総称され、これは「針葉樹の森のキノコ」という意味がある。ヤマドリタケが豊富なポーランドでは昔からこれを採取して伝統的料理にふんだんに使う習慣がある一方、ヨーロッパで広く珍重される為にその採取が森の近くに住む田舎の人々にとって割の良い秋の収入源となっている。

 

一方、中世大陸貴族は肉も独占し、領民は菜食主義者同然の生活を強いられます。

そんな感じで以下続報…