とりあえずメモがてら。
実は私はアメリカン・リベラリズムの起源については「ホフスタッターの捏造」を疑ってる立場だったりします。
アメリカの社会進化思想 (1973年) (研究社叢書) | 後藤 昭次, R.ホフスタター |本 | 通販 | Amazon
この本のテーマは、アメリカにおけるダーウィンの影響ということでした。アメリカでは進化論は「適者生存」の部分が強調され、最強の競争者が勝ち残ることを善しとする風潮に合致し、保守的な役割を演じました。ホーフスタッターはそのような道徳と化した進化論を批判しています。リチャード・ホーフスタッターの他の著作と同じように、大量の原資料にあたった、網羅的な業績です。
確かに19世紀末、資本家が社会進化論を自分に都合よく解釈して受容し、それに反発した労働運動家が不況への突入を契機に全国で大規模蜂起する様になっていく光景自体はあったのです。しかしながら地道な改善努力の積み重ねでそういった不満を吸収し沈静化させていった全国各地のホワイトカラー中間層の努力を一纏めに「反社会進化論者=アメリカン・リベラリズムの先駆」と称揚する様になったのは(1939年8月の独ソ不可侵協定締結に失望して共産主義を見限ったニューヨーク知識人の代表格の一人たる)1940年代以降のホフスタッターのプロパガンダだった訳です。
①当時実在したのは「旧移民」プロテスタント陣営(英国・北欧系中心)と「新移民」カソリック陣営(主にハンガリーなどから渡ってきた食い詰めユダヤ人とアイルランド人と南イタリア人)の対立構造。
- プロテスタント系過激派が通した禁酒法(Prohibition 1920年~1933年)を廃案に追い込んだのは(酒造業者を多く有するアイルランド移民を中心とする)カソリック陣営の地道なロビー活動の積み重ねであった。
- エジソンによる特許料請求を逃れるべく西海岸にハリウッド映画業界を勃興させたのも叩き上げユダヤ人達だった。その彼らが聖書に取材した映画の内容不品行をプロテスタント系雑誌に叩かれ窮地に陥るとアイルランド人が
- ちなみに当時のニューヨークの急速な資本主義的発展は、叩き上げユダヤ人とアイルランド人の共闘に支えられていた。そのニューヨークに勃興したアメリカン・コミック文化を支えたのも叩き上げユダヤ人クリエーター達だったが、彼らが自分達の移民としての立場を投影したスーパーマン(Superman,1938年~)に続いて創造したキャプテン・アメリカ(Captain America,1941年~)がアイルランド系だった背景には、そういう共闘関係が存在したのだった(一方、ユダヤ人には日露戦争で日本側に肩入れして儲けさせてもらった経験もあるので「日本人を直接叩きのめす役」を引き受けたくなかったという説も。ただ儲けたのは「金融ユダヤ人」でキャプテン・アメリカを創造したのは「叩き上げユダヤ人」なので一緒くたには出来ないという説も)。
- ちなみに今でもユダヤ人はニューヨークで相応の影響力を発揮し続け、Jew Yorkなる罵倒語さえ生み出された。私もまた2010年代の多くの時間をマイクロブログTumblr上で過ごしたので、一緒くたに「ユダヤ人と小児愛者と同性愛者の手先」なる罵声を幾度となく浴びせられている。ここに小児愛者と同性愛者が混じってくるのはオスカー・ワイルド「サロメ(Salomé,1891年)」およびそれに由来する(まさしくプロテスタント陣営の攻撃対象となった)サイレント時代の東欧系黒髪スレンダー妖女/幼女の攻勢、さらにはトーキー時代における「英語がちゃんと喋れる(バービー人形体型の)セクシー女優」の反撃に由来する。
今回の投稿の発端は以下のポスト。
皆さんお察しの通り、性のタブー化については大雑把に別けて2通りの反論が可能だ。まず1つは
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
「そんなルールはエラい人が決めたことだから無視するぜ!!」
という、グレたヤンキーみたいな反権力の理屈。こう書くとまた左翼に怒られる気がするが、ざっくり言えば通俗化したマルクス主義である。
性のタブー化に反発するもう1つの理屈は、近年だとアメリカの反ベトナム戦争運動辺りが主要なルーツと考えられるもので、それは
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
「自由主義社会の市民の1人として、根拠のはっきりしてない社会のルールは、もっと個人の自由を尊重する方向へ変えていくべきである」
という考え方である。
この発想も、根っこは構成主義や構造主義であって、さらにルーツをたどればマルクス主義的ではあるが、ルール(つまりは近代国民国家)の価値を肯定しているところと、「個人」や「自由」を高く評価しているところが特徴だ。ベトナム戦争後特に盛り上がり歴史あるアメリカン・リベラルと結合できた。
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
「性的な表現は悪」に合理的な根拠はないが、性的な表現を悪とするタブーは人間社会に広く存在する、という部分を前提とし、この「悪を定めている根拠はないが、悪とするルールは存在しているしそのルールを強いる仕組みもある」と考える。これは構造主義(やその後の構成主義)から出てきた発想だ。
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
この構造主義的な発想は何が優れてるかというと、性表現のタブーは無意味だがルールがあるのも事実だから、「人間には無根拠なルールを作る仕組みがある」と考える。こう考えることで「こんなルールは間違ってるザマス!」と発狂したりせず社会のルールを冷静に観察したり記述したりすることができる。
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
ではこの構造主義的な性のタブーへの捉え方に欠陥はないのかというと、実はある。それは、「性のタブー化の合理的な根拠はないがタブー化する仕組みだけはある」という前提のところにある。「本当に根拠がないのか?」というところ、実はたびたび揺らいでいるのである。
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
構造主義は言語学を根っことして
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
「なぜ猫をネコと呼ぶかに合理的で絶対の根拠はない」
「もしあるなら世界中でネコは同じ発音・同じ意味になる」
「だから言語というものは特に根拠がないが、ルールができてしまってるもの」
という発想からスタートしているのであるが、これには実は疑義がある。
ブーバ/キキ効果が特に有名だが、こういう事例が実験で多数確認されるようになって、音自体が人間に普遍的な意味を与えているという発想もある程度は正しいのでは、と考えられるようになっている。言語は生物的に無根拠で恣意的で合理的じゃないとは言えないのでは、と。https://t.co/tk7Dxw6HXV
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
では性のタブー化に合理的なルールは想定できるのかという当初の問である。これは正直に言うと「分からない」。未解明の課題である。今のところ、タブー化に合理的なルールがあると主張する人達の根拠は道徳や宗教などの「価値観」であって、必然的な合理性とは言えない。
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
つまるところ、性表現の取り扱いとそのルール化については、いろんなバグを突きまくってるのだ。❶この手の話を説明してきた構造主義等の社会理論のバグ、❷性をメディアに載せること自体の人間の認知のバグ、❸個人や自由を尊ぶ近代国民国家の制度が最近多文化・多様性等々で突かれてるバグ。
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
真面目なリファレンスということですが、❶構造主義的な発想の基本は、ソシュールの入門書で「構造の恣意性」が説明できてるヤツなら何でもいいです。❷アメリカ憲法やリベラル論に関しては、レッシグのTED辺りがいいかも。https://t.co/HNX8NsOnYE
— 未識魚 /中川譲 @技術書典11 い16 (@mishiki) 2021年9月23日
❸メディア論で包括的な入門書…ないかも…
中川さんの構造論とエロ・タブーの分析、すごくわかりやすいし言語学を持ち出してくるところがさすがです。みんな最後まで読んで! https://t.co/313UaHuGbO
— 兼光ダニエル真 (@dankanemitsu) 2021年9月23日
そんな感じで以下続報…