諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「女子が可愛くなければ作品が売れない現実」について。

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日本アニメ業界の重鎮たる大塚英志は「萌えアニメはソフトポルノ」と断言したそうです。その事自体については是非に及ばず。
この解釈を喜んで全面肯定しよう・現在の「萌え」とは「ポルノ」である! 【▲→川俣晶の縁側→辛口甘口雑記】

でも、そももも「女子が可愛くなければ売れない」は別に日本の萌えアニメに限った話じゃありません。宮崎駿監督も若い頃「未来少年コナン(1978年)」について「どうしてモンスリーを若くて可愛い美少女に改変したか聞かないのが大人ってものですよ」と断言しています。

まぁこれは国際的にはポストジブリと目されてるトム・ムーア監督ですら従ってる絶対的ルールなんだから仕方がないとも。まさしく「作家は何を語ったかではなく、何を作ったかで評価される」の世界。

 

「Secret of the Kells(2009年)」についても、国際SNS上では普通に「これ柩姫チャイカだ!!」とかツッコミが入ってました。



「眉毛が太い」って、元来は国際的に「狼男」の記号だったんですよね(一方女性は「化け猫」に結び付けられてきた)。ここから「(現実世界と異界の境界線上を徘徊する)狼少女」の概念が導入されるのは、割と21世紀に入ってから…

そういえば「化け猫少年」登場もほぼ同時進行? ある種のジェンダー破壊が背景にありそうです。
*そもそも国際SNS上の女子が「化け猫キャラは脱いでいいんだよ」「だからウルヴァリンも脱げ」と強く主張した結果ヒュー・ジャックマンが本当に作中で尻を見せ「あんなツルツルなのウルヴァリンの尻じゃない」「今度は ジョニー・デップの番だよ」と息巻いた展開をそう要約していいかは別問題だけど。

「ソングオブザシー 海のうた(Song of the Sea、2014年)」についても、そのラストシーンについて「パパ、そこは強引にアザラシの皮ひっぺがしてママを全裸に剥いてこそ男ってもんでしょう!!(「メリダとおそろしの森(Brave。2012年)」的に!!)」みたいな突っ込みが普通に入ってました。
*逆に「マレフィセント(Maleficent,2014年)」ではアンジェリーナ・ジョリー演じるマレフィセントが義理の娘(オーロラ姫、幼少時はアンジェリーナ・ジョリーの実娘が演じる)を奪取する為、自分の羽を毟った国王を塔の上から突き落とされてしまう。何が正解かは本当にケース・バイ・ケース? ちなみに「ベオウルフ/呪われし勇者(Beowulf,2007年)」におけるグレンデルの母親役と併せ、アンジェリーナ・ジョリー演じる「地母神系キャラ」の原型は「里見八犬伝(1983年)」の玉梓を演じた夏木マリとも。夏木マリはまた宮崎駿監督「千と千尋の神隠し(2001年)」に登場する湯婆婆の「中の人」でもある。


まぁ、この層ときたら「イケメンを弱らせて看病出来るイベントがない乙女ゲーは欠陥品」と豪語したり、宮崎駿監督「風立ちぬ(2013年)」に「菜桜子が療養所に帰るのは、そこに残してきた想い人がいたから」とか言いたい放題。
*実際、種本とされた堀辰雄の小説世界において菜桜子は不倫キャラとして登場してくるのだから恐るべき慧眼とも。




*日本のツンデレ/ヤンデレ・キャラの起源は尾崎紅葉金色夜叉(1897年〜1902年)」の赤樫満枝と言い出したりとか、海外の日本ファンは時として恐るべき鋭さを見せる。

*しかし考えてみれば日本が好き過ぎて日本語まで覚えてしまったエリート日本マニアが日本人以上に鋭かったとしても、何ら不思議はないのでは? ましてや多くの国では母国語に翻訳された日本文献がかなり読める。夏目漱石堀辰雄クラスの文豪の作品なら、日本語を学ばずして読めてしまうのである。そういう状況下「日本人自身による日本文化論」だけが圧倒的優位を保ち続けられるなんて発想自体がそもそもおかしい。そもそも海外で夏目漱石が評価されたのだって「日本人が英文学の本質にここまで迫るかよ」と驚愕したからだったりするし。

実はこういう話について、ポルノ監督側がこういう話をしていたりします。「Sexをありのまま観客の前に提示すりゃ観客は大満足と思い込んでるエロマニアなんて、原材料をそのまま客の前に並べりゃ客が満足すると思ってる料理人と同じだ。絶対プロになんてなれねぇよ」。この次元における宮崎駿監督は「萌えっていうのはなぁ、なんかこう死と隣り合わせとかじゃねぇと輝かねぇんだよ!!」なんて言ってたりします。具体例として挙げた作品の一つがロマンポランスキー監督「テス(Tess、1979年)」。ここでまさか「天井から血がダラダラと」の猟奇場面で有名な作品の名前が挙がるとは…



要するに「仕事しないで何が料理人だ?」の世界。そういえばトム・ムーア監督「ソングオブザシー 海のうた」でも「首紐」なるアイテムが実に効果的に活用されてましたね「下克上要素」アリのSMは、性差別問題から完全に逃げ切ってしまうという典型例。変態としてはよっぽど上級者?。そもそも「喋れなくて彼岸の世界に魅かれる女の子」って冲方丁マルドゥック・スクランブル(原作2005年〜、漫画化2009年〜2012年)」の漫画化も手掛けた大今良時の「聲の形(原作2011年〜2014年、アニメ化2016年)」と完全に重なってる上に(明らかに新海誠監督「君の名は」に影響を与えてる)五十嵐大介海獣の子供(2006年〜2011年)」まで遡れそうだし。

むしろこういう話って「一般人にイメージ可能な変性意識状態って、酒やドラッグみたいなケミカルな触媒に頼らないなら、エロかオカルトの形態をとるんだよ」なる流れにつながっていくのかもしれません。

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いや別にポルノの「透明人間物」とか「時間停止物」の話をしてる訳じゃないですが。もしかしたらコスプレやら腐女子/貴腐人あたりは既にこの領域に片足突っ込んでるのかもしれませんが。