諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【金色夜叉】「メインヒロイン」赤樫満枝こそラノベや漫画でお馴染みの「コミュ症女子」元祖?

尾崎紅葉金色夜叉(1897年〜1902年)」のメインヒロインが(前半以外はほとんど活躍しない)お宮というより(後半ただひたすら貫一へのアタックを敢行しては玉砕し続ける)赤樫満枝だという話…

そういう意味において「金色夜叉」は以下の起源でもあるのですね。

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  • 「自意識過剰な主人公が、世界や社会のイメージをもてないまま思弁的かつ直感的に『世界の果て』とつながってしまうような想像力で成立している作品」…なにしろ著者自身が語った構想によればこの物語「金と女に裏切られて修羅界に堕ちた主人公が、その立場を逆手にとって世界を救済する方法を発見する英雄譚」として完結する筈だった。
    *実はその種の物語、戦前から結構量産され続けている。大抵「世界を救済する方法の発見」まで辿り着けず未完に終わり、すぐに忘れ去られちゃうんだけど。戦後だと石ノ森章太郎平井和正の合作漫画から始まった「幻魔対戦(1967年〜未完)」辺りが有名。

  • 「ループ系」…メインヒロインのお宮と赤樫満枝が短刀を手にタイマンで殺し合う壮絶なバッドエンドの後、それが夢オチだった事にされて新しい時間軸が始まる。ちなみに新しい時間軸では(暴走すると危険な)赤樫満枝の出番がほとんどなくなる一方、貫一の「救世主としての覚醒」が少し始まっている。もしかしたら本来ならそうやって致命的な失敗がある都度時間軸が巻き戻され、貫一が少しずつ次第に救世主として完成していく物語として展開する予定だったのかもしれない。
    *種本のバーサ・M・クレー(Bertha M.Clay)「女より弱きもの(Weaker than a Woman、1900年)」では「金持の老人と結婚して若者の愛人を作ろうとする欲深な美少女 VS 純朴な幼馴染」という図式だった。これを「どちらも金持ちの老人と結婚する道を選んだ女同士の愛人獲得合戦」へと翻案しちゃったから、修羅場が不可避になったという展開。

  • 「戦闘を宿命化された美少女(戦闘美少女)と、彼女を見守ることしか出来ない無力な少年」赤樫満枝は元武家の娘だから刃物の扱いには長けている。しかも満枝は武家の娘モード」に突入すると突如として戦闘マシーンに変貌。その一方で貫一はすっかり竦み上がってしまい、二人の殺し合いをただ傍観するのみ。
    *どうやら著者は日本国内に「(海外で流行していた)新しい女」を紹介する最も持ってたらしい。でも「真実の愛は相手の為に死ねるかどうかで決まるのよ」「ならこれ(短刀)で決着をつけるしかないじゃない」という展開に持ち込んではまさに江戸時代への先祖返り?


    *というか川原礫ソードアートオンライン18巻」も危うくこの結末を迎えかけている。ある意味全然、過ぎ去った過去になんてなってない…

ただ「21世紀の戦闘美少女」は明治時代にタイムスリップすると「誰をも不愉快な気持ちにさせる、殺されても誰も同情してくれない毒婦」扱いしかしてもらえないのです。ヴィクトル・ユーゴーレ・ミゼラブル(Les Misérables、1862年)」におけるテナルディエ(Thénardier)の娘エポニーヌ(Éponine)の扱いを思い出してください。みんなその無残な死の瞬間こそ「人間らしく死ねてよかったね」と涙を流して同情してくれるけど「どうして彼女が死なねばならなかったのか?」なんて誰も考えないし、次の瞬間にはもう完全に忘れ去られてしまうのです。

On my own(Les Misérables挿入歌)

And now I'm all alone again
またいつもの独りきりの時間が訪れる

Nowhere to turn, no one to go to
行くべき場所のあてもなく

Without a home without a friend
家庭も友達という存在すらない

Without a face to say hello to
ましてや話しかける相手すら

And now the night is near
夜が私を包み込んだ今

I can make believe he's here
私は彼がここにいると思い込むの

Sometimes I walk alone at night
時々、独りで夜の世界を歩いてみるの

When everybody else is sleeping
町中が眠りについている時間に

I think of him and I'm happy
彼のことを思うだけで幸せになれるわ

With the company I'm keeping
仲間だと思えるだけで生きていける

The city goes to bed
町はベッドの中に潜り込む

And I can live inside my head
そして私はやっと頭の中の世界で息をすることができるの

On my own
独りきりだけれど

Pretending he's beside me
まるで彼が側にいてくれるよう

All alone
たった独りで

I walk with him till morning
朝がくるまで彼と共に歩くの

Without him
彼はいないけれど

I feel his arms around me
彼の腕が私を包む温かさを感じられる

And when I lose my way I close my eyes
もし行くべき道を見失ったら目を閉じるわ

And he has found me
きっと彼は私を見つけてくれるから

In the rain the pavement shines like silver
雨に濡れ舗道が銀のように輝いている

All the lights are misty in the river
街頭の灯りは川に反射して滲んで見えるの

In the darkness, the trees are full of starlight
暗闇の中、木々の間からは星明かりが覗く

And all I see is him and me forever and forever
永遠に私達の目の前にはお互いの姿しか見えないわ

And I know it's only in my mind
分かっているわ、叶わぬ願いだと

That I'm talking to myself and not to him
彼とではなく、ただ私自身と語り合っているだけだと

And although I know that he is blind
Still I say, there's a way for us
先のことなど考えることのできない彼にも、私達にもまだ道はあるのだと

I love him
愛しているわ

But when the night is over
けれど朝の訪れと共に

He is gone
彼は去ってしまうの

The river's just a river
Without him
彼がいなければ川はただの川に戻り

The world around me changes
私を取り巻く世界は形を変え

The trees are bare and everywhere
木々は自身を彩る葉や枝さえも失い

The streets are full of strangers
街には味方なんて一人もいなくなるわ

I love him
愛しているのよ

But every day I'm learning
けれど日々思い知らされているわ

All my life
私の人生は

I've only been pretending
ただ幸せを装っているだけなのだと

Without me
私がいなくても

His world would go on turning
彼の世界は周り動き続けるのだと

A world that's full of happiness
世界中に溢れる幸せな出来事すべては

That I have never known
私の為のものではないのだということを

I love him
彼が好きなの

I love him
ただ彼を

I love him
愛しています

But only on my own.
けれど私は独りきりなの

そういえば1960年代にはアニメ版鉄腕アトムも実写版ジャイアントロボも同様の最後を遂げて散華していきます。そして両者の歴史が交わる形でCyber Feminismなんて概念が成立したりする訳です。

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1950年代横溝正史作品においても美少女には「平然と人を殺す凶悪犯として無残な最後を遂げる」か「残酷な殺人鬼の餌食となって無残な最後を遂げる」か(当時太陽族映画「処刑の部屋(1956年)」で描かれ「これぞ女」と絶賛された様に)「自分を強姦した相手に惚れて尽くしてしまう」の三択しか存在しませんでした。海外でナボコフ「ロリータ(Lolita、1955年)」やウィリアム・マーチ「悪い種子(The Bad Seed、原作1954年、映画化1956年)」が大流行していたのを取り入れた結果ともされていますから、国内だけの問題でもありません。さすがにこれを「勧善懲悪」と言い含め続けるのには無理が生じたらしく「三つ首塔(1955年)」では無残な最後を遂げた「悪の美少女」佐竹由香利が怨霊となって再登場。「金田一耕助シリーズ唯一のオカルト物」がこうして誕生する事に。

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こうした「当時の時代精神の様なもの」を掘り起こしていく作業を伴って初めて以下の様な展開の時代的必然性が浮かび上がってくるという次第。

  • 金色夜叉」の赤樫満枝はどうして「バットエンド」展開においてお宮に返り討ちにされ「白雪姫(Snow White and the Seven Dwarfs、1937年)」の王妃や「眠れる森の美女(Sleeping Beauty、1959年)」の「悪い魔女」マレフィセント(Maleficent)の如く「この世の悪の象徴」として無残な最後を遂げねばならなかったのか。

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  • どうして当時の読者はこうした残酷な展開を快哉をもって受容したのか。

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とはいえ時代というのは確実に推移していくものです。ディズニー・ファン女子の間に「(自分では何一つ考えず努力もしなかったのにハッピーエンドを迎える)オーロラ姫にはディズニー・プリンセスを名乗る資格などない」なんて過激な意見が生じたのも変化の一つ。そしてついに映画 「マレフィセント(Maleficent、2014年)」においては逆に(眠り姫の父親)ステファン国王がハッピーエンドを迎える為に塔の上から突き落とされて無残な死を遂げる展開に。

 元来はこうした女性蔑視の伝統への言及抜きに「セカイ系作品とは何か」についての評論など成立してはいけなかったのかもしれません。なにせある意味、そうした相互確証破壊状況が産み出した絶望的閉塞感に風穴を開けようとしたのが冲方丁マルドゥック・スクランブル(原作2005年〜、漫画2009年〜2012年)」であり、その漫画化を手掛けた大今良時の次回作が「聲の形(2011年〜2014年)」だったなんて縁(えにし)も存在したりする訳ですから。

こうした黒歴史と一緒に葬り去られた赤樫満枝の存在など、現代社会ではもうすっかり忘れ去られてしまったと思ってました。

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しかし実は…例えば三越劇場「新釈金色夜叉風間杜夫・2代目水谷八重子主演、2013年公演)」とかを観劇した人達には「彼女こそメインヒロイン」なのは常識だったりもする様です。

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  • そもそも現代人の感覚では「赤樫満枝がただひたすら貫一へのアタックを敢行しては玉砕し続ける場面」こそが面白い。

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  • 貫一が世界を救う救世主へと成長を遂げていく場面」なんて実際には書かれもしなかった。

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むしろ、そういう作品として完成なかった事によって「金色夜叉」は現代までつながる余命を得たともいえるくらい。

ここで興味深いのは「赤樫満枝はコミュ症女子の元祖である」なんて指摘もある点。

 でもそれって逆を言えば「Otac男子から好まれる条件」を全部満たしてるともいえる訳なんですよね。まぁ刃物の扱い慣れてるし、凄腕の高利貸しでもあるから迂闊に近づくと確実に尻の穴まで毟られて食い殺されてしまいますが…