諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ブーランジェ将軍事件】【暴力論】近代化に失敗したフランス?

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産業革命以前のフランスの経済的発展はレパント交易失陥と「大航海時代到来による欧州経済中心の地中海沿岸から大西洋沿岸への推移」に伴って観光/農業立国への転換を余儀なくされたヴェネツィアに代わってオスマン帝国との主要交易国となった事(王室庇護下、「産業都市」リヨンや「軍港」トゥーロンが発展)、(絶対王政期にはフランスから追放されてしまうユグノーの活躍、(アキテーヌ公国の主府としてスペインやイングランドとの交易で栄えてきたボルドーを中心として「新大開拓代」に巧みに適応してきたからとも。ただし最終的にこの方面では大英帝国に完全にしてやられてしまうのです。

 フランス人がこういう話をしたがらないのは民族的自尊心のせい。なにしろ(経済的優位だけでは飽き足らず、政治的優位まで欲しがったユグノーは結局追放してしまったし、絶対王政下で成長したボルドー商人(フランス革命当時、政治的にはジロンド派を形成)や新興産業階層は(兵士供給階層として注目を集めつつ、あらゆるブルジョワ階層への憎悪を解放したサン=キュロット(浮浪小作人)階層の熱狂的支持を受けたジャコバン恐怖政治が焼き払ってしまったし、そのジョルジュ・ソレル「暴力論Réflexions sur la violence、初版1908年)」いうところの「貧富格差を暴力それもあくまで抵抗側の振るうヴィヨランスではなく体制側の振るうフォルスで是正してきた実際には革命どころか党争でしかなかった伝統」に感動した留学生が祖国で起こしたのが「クメール・ルージュポルポト政権による既存のインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層とベトナム系市民に対するホロコースト」では(自ら競争力を落とす)自打球ばかりで、誇れる要素が本当に何処にもないのです。

しかも結局、革命戦争(仏Guerres de la Révolution française, 英French Revolutionary Wars、1792年〜1802年)とナポレオン戦争仏Guerres napoléoniennes、英Napoleonic Wars、独 Napoleonische Kriege、1803年~1815年)を生き延びたサン=キュロット(浮浪小作人)階層は恩寵によって念願の自作農となって保守化してボナパリストへと変貌し、選挙でルイ・ナポレオン後の皇帝ナポレオン3世)を勝たせてしまいます。

一方、彼らに見捨てられて「六月暴動Insurrection républicaine à Paris en juin 1832、1832年)」「六月蜂起les journées de Juin、1848年)」「パリ・コミューン仏Commune de Paris、英Paris Commune、1871年)」において順調に敗北を重ねてきた急進共和派。ブルジョワ階層存続を容認する穏便共和派を憎むあまり急進王党派の軍国主義者と手を組んで「ブーランジェ将軍事件(1889年)」まで起こしてしまいます。

ブーランジェ事件(1989年)事件

1889年、フランス第三共和政に対し軍国主義者が共和制転覆を謀った事件。首謀者ブーランジェ将軍が突然亡命して失敗に終わった。

1889年、第三共和政に対する軍部・右派からのクーデター未遂事件。陸軍大臣だったブーランジェ将軍は、1887年に当時ドイツ領だったロレーヌ地方でフランス人が国境侵犯の疑いでドイツ側に拉致された事件(シェネブレ事件)が起きると、外交交渉による解決をはかる首相・外務省に対して、即時軍事行動による報復を唱え、閣内不一致で罷免された。一斉に将軍支持の世論が高まり、日頃対独復讐を唱え、軍備拡張を主張している王党派(ブルボン王朝の復活を主張)やナポレオン派(ナポレオンのような強力な国家指導者の出現を求める一派)などが愛国者同盟を結成し、共和政府打倒に動き出した。また急進的な労働組合主義、アナーキストブランキの系統)らは議会政治を否定する立場から共和政を倒し軍事独裁政権の樹立を支持した。普仏戦争の敗北後、当時は共和政政府の混乱や腐敗もあって、大衆はブーランジェ将軍を救国の英雄と期待していたので、同年に行われた選挙で多くのブーランジェ派(ブーランジェスト)が当選し、街頭では共和政府打倒、独裁政権樹立を叫ぶ群衆のデモが盛んに行われた。1889年にはクーデタの決行寸前まで行ったが、政府はコンスタン内相がブーランジェ将軍を国家転覆の陰謀の容疑で告発することで対抗した。その渦中でブーランジェは突然ベルギーに亡命したため、運動は急速に衰退した。

愛人に殉じたブーランジェ将軍

将軍にはマルグリット=ドゥ=ボムマン夫人という愛人がいた。将軍は陸軍大臣を罷免された後、クレルモン=フェランの地方司令官に左遷されたが、謹慎中であるにもかかわらず司令部近くの「マロニエの家」という旅館で、夫人と逢い引きを重ねていた。将軍には妻がいたが、離婚協議中であり、夫人にももちろん夫がいたが、二人は深く愛し合っていた。将軍が亡命先のブリュッセル、ロンドン、ジャージー島にも密かに夫人はついて行った。その間、夫人は肋膜炎で病に伏す。将軍は政治的な野心と夫人への愛情の板挟みで悩んだが、ついに愛を選び、夫人の死のあとを追い、1891年9月30日彼女の墓の前で拳銃自殺した。将軍のスキャンダルによって、ブーランジェ派の反共和政の運動は急速にしぼんでしまった。<大佛次郎『ブゥランジェ将軍の悲劇』1935 現在は大佛次郎ノンフィクション全集8(朝日新聞社)に収録>

大佛次郎の警鐘

大佛次郎は昭和5年(1930年)の『ドレフュス事件』に続いてフランス史に題材を採り、小説であるが史実に忠実に、軍部クーデター事件をとりあげ、昭和10年1935年)、『ブゥランジェ将軍の悲劇』として雑誌『改造』に発表した。それは日本でもまさに議会政治が危機に瀕し、軍部が台頭するという時期であった。そして翌年には二・二六事件が勃発する。大佛次郎はフランスという舞台を借りて、軍部独裁への警鐘を鳴らしたのだった。

ブーランジェ将軍が独裁者になりきれずに自滅したので、フランス共和政の危機は救われたが、普仏戦争の敗北という中でフランス国粋主義に火がついたことは事実だ。フランスではいわばボヤのうちに消し止められたわけだがが、第一次世界大戦ヒトラーが現れたようなことがフランスで起こらなかったという保障はない。それは議会政治の危機、軍国主義的な風潮の復活という現代の日本においても、十分な警鐘となっている。

*この展開、見方によっては大量の死傷者を出したオキュパイ(Occupy Wall Street)運動(2011年〜2012年)に敗北して以降の米国リベラズムの動きと重なってくる側面も。要するに勝手な自爆を「正当な復讐の権利」に読み換える恐るべきテロリスト論法…

こうした混乱を尻目に王国貴族や聖職者といった伝統的インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層のうち7月王政期(1830年〜1848年)の淘汰を生き延びた上層部は、第二帝政期(1852年〜1870年)に(ロスチャイルド家の様な宮廷銀行家を出し抜いてポルトガルユダヤ人や国外ユグノーの融資を受けて成長した新興産業階層に密かに合流。こうして始まった「権力に到達したブルジョワジーbougeoisie au pouvoir)」あるいは「二百家」による寡占支配が今日なお続いている訳です。

どうしてフランスは「レ・ミゼラブルLes Misérables、政争に敗れスイス亡命中のヴィクトル・ユーゴーの手になる原作1862年、国際的にヒットしたロンドン版ミュージカル初演1985年、国際的にヒットしたオーストラリア版ミュージカル映画2012年)」を自らの手で成功させられなかったのか? それは本国フランスにおいてのみ、そこに描かれる様な「フランス革命の栄光」なる認識が存在し得ないからとも。

そういえば池田理代子ベルサイユのばら1972年〜1973年)」が下敷きに選んだシュテファン・ツヴァイクマリー・アントワネットMarie Antoinette、1932年)」の歴史観も(マリー・アントワネットを悪の元凶とするいい加減なフランス革命史観を打破せんとオーストリア王朝史観に立脚しているし(英国のシェークスピア史劇にインスパイアされたアレクサンドル・デュマダルタニアン物語シリーズD'Artagnan、1844年〜1851年)」も(歴史教師マケが既存ブルボン朝正統史観に対抗して起こしたオルレアン朝正統史観に立脚し典型的な形での「フランス革命の栄光」など認めません。まぁマリー・アントワネット王妃も、フィリップ・エガリテもギロチンの露となってるし、この辺りは譲れないところ?

逆に初心に帰って「フランス革命の栄光」すなわちフランス急進共和派の歴史観を貫こうとしたのが「スター・ウォーズ/最後のジェダイStar Wars: The Last Jedi、2017年)」とも。何しろ、よりによってスターウォーズを題材に「それまで英雄として敬愛されていきた人達は揃って次々と見掛だけのロクデナシな正体を露呈して死んでいく本物の実力を備えているのは何処の馬の骨ともつかない若者だけ)」「本当の悪は背後で人々を争わせ漁夫の利を得ているブルジョワ階層彼らの支配を容認している一般人も同類だから、皆殺しにされても自業自得)」「悪は常に強大で真の革命グループは常に存続の危機に晒されている共和国側が帝国側に勝った歴史自体を全面否定。体制側が絶対悪だからこそ、反体制側の絶対正義が担保されるという思考様式)」という主題を全部盛りにしてきたのだから壮絶。駄作か傑作か以前に、それって誰が求めたエンターテイメント?

これに比べたら「男こそが全ての害悪の根源だから人類平等の精神と人道主義回復の為に殲滅し尽くすしかない」なるウルトラ・フェミニズム的信念を貫いて「男殺し」への賛辞を観客に強要した「アナと雪の女王Frozen、2013年)」や「マレフィセントMaleficent、2014年)」の方がまだ遠慮があった。

特に「アナと雪の女王Frozen、2013年)」については「男=絶対悪」の役割を押し付けられたハンス王子は、同時に「アナの心の動きの鏡」という側面も備えており、その事に「男殺し自らが内面に蓄え込んできた歪んだ男性像の放棄」という意味合いを持たせたという深読みも可能だったが、そうしたファン解釈成立の余地もなかった「マレフィセントMaleficent、2014年)」は興行的に失敗し「スター・ウォーズ/最後のジェダイStar Wars: The Last Jedi、2017年)」はスター・ウォーズ・ブランドを大幅に毀損…

ディズニー、一体何やってるの?