諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【事象や言語ゲームの地平線としての絶対他者】シェークスピア時代から続く「身近な異国」概念について。

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というか「ユダヤ人追放令」のせいで当時のイングランドにはユダヤ人は原則として存在してなかった様だし「それでもちゃんと描かれてきた」と考える方に無理があるのでは? しかもここでいう「ちゃんと描かれてきた訳ではない」はどんどん暴走していくのです…

 「ヴェニスを舞台としたシェークスピア」といったら「ヴェニスの商人The Merchant of Venice、1594年〜1597年)」だけでなく「オセロ:ヴェニスムーア人Othello:The Moor of Venice、1602年)」でもムーア人ベルベル人)を黒人として描いたりしてますね。当時の日本文学における「伴天連」「印度人」「波斯人」などの「ほとんど魔術師」扱いと比べるとずいぶんマシな方かと。

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ヴェニスの商人 - Wikipedia

第二次世界大戦後、劇中の第3幕第1場でシャイロックが、

ユダヤ人は目なし、手なし、臓腑なし、感覚・感情・情熱、すべて無し。何もかもキリスト教徒とは違うとでも言うのかな? 毒を飲まされても死なない、だからひどい目にあわされても仕返しはするな、そうおっしゃるんですかい? だが、他の事があんた方(キリスト教徒)と同じなら、その点だって同じだろうぜ。キリスト教徒がユダヤ人にひどい目にあわされたら、(右の頬を打たれたら左の頬を差し出せという)御自慢の温情はなんと言いますかな? 仕返しと来る。それなら、ユダヤ人がキリスト教徒にひどい目にあわされたら、我々はあんた方をお手本に、やはり仕返しだ(福田恒存新潮文庫版を基に要約)」

と言ったのを捉え、民族差別問題と関連させる見方も増えている。後世の映画などでは、その様な背景からそれまでただの悪人と見られていたシャイロックに対して、同情的な見解を見せる場面も増えた。

シャイロックに関する論議

印象的なシャイロックの台詞があり、またその役割にいささか喜劇とそぐわない側面がある点から、シャイロックには、他の登場人物にはない存在感と深みが感じ取れるのは確かで、彼を特別視しようとする論がある。その極論が、「シェイクスピアは『ヴェニスの商人』で、当時のユダヤ人差別を批判したのだ」というものであるが、そこまで行かなくとも、シャイロックを偉大な悲劇的人物と見る意見がある。

福田恒存はそのような見方に対し、『ヴェニスの商人』が書かれ上演された時代背景を考慮せず、現代の視点から一方的に見た拡大解釈であるとしている。実際、シャイロックの立場は、善と慈悲の象徴であるアントーニオを陥れようと法の厳格な執行を望み、逆に自分が法の執行を受けて破滅する、明らかに喜劇的なものであり、シェイクスピアも彼をそのような役回りに描いているのであるとしている。

それでも、後世の人々がシャイロックに近代的な複雑な性格を見出したのは事実であり、悪役を単なる悪役に終わらせないシェイクスピアの人物造形の力が、はるかに時代に先んじた優れたものであった証と言える。

一説にかの有名な探偵シャーロック・ホームズの綴り (Sherlock Holmes)のイギリスの名前においては特殊なシャーロックの由来だとされる。

学問上の問題

本作は現代における法学の教材とされる場合がある。

現代の日本の法律においては「肉は切り取っても良いが、契約書にない血を1滴でも流せば、契約違反として全財産を没収する」という理屈は成り立たない。生きている人間の肉に血液が付随する事は必然であるため、民法第87条の1の規定によって血液は肉の従物とみなされ、2の規定によって肉を切り取るという契約がなされた以上は当然ながら血が流れる事は認められる。

本作における「借りた金を返すことが出来なければ、彼の肉1ポンドを与えなければいけない」という契約は、現代[いつ?]日本においては、民法第90条の「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」との規定に基づいて成立しない。

経済学でも「貨幣」をめぐる議論として使われることがある。

いずれにせよ「サド侯爵の暗黒ロマン小説におけるヴェネツィア描写表面的華やかさの裏側で人攫いや殺人ショーが横行)」と併せ、当時の西ヨーロッパ観点からの「ヴェネツィアの異国感」の貴重な傍証を含んでいるのは確かな様です。

そして19世紀に入るとヴェネツィアは、フランスのロマン主義作家テオフィル・ゴーティエ死霊の恋La Morte Amoureuse、1836年)」において美しい女吸血鬼クラリモンドとの恋に落ちた聖職者ロミュオーの夢の舞台に選ばれます。
*当時のロマン主義作家の多くがそうだった様にテオフィル・ゴーティエも「政治活動に失望して文学の世界に遷移した若者」の一人だった。「革命とは何か? 路上で発砲する人々だ。実に沢山のガラスが割れる。確実に儲かるのはガラス屋だけだ」なる毒舌も後世に残している。
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死霊の恋 - Wikipedia

老いたロミュオーが青春時代に体験した不思議な出来事を語って聞かせるというスタイルで物語は始まる。何十年も昔、自身の叙品式(ordination;叙聖式ともいい、カトリックの僧侶として一生清い童貞を捧げる儀式)の日に彼は教会で美しい若い女性に出会った。彼女はクルチザンヌ(高級娼婦)だった。そして彼女が彼を愛しており、教会を去って彼女のものになった暁には神が天国に迎え入れるより、ずっと幸せにするであろうと目で訴えかけてくるのをはっきりと胸の奥で聞いた。 しかし彼は誓いの最中であり、引き裂かれるような想いの中、機械的に式典は進み彼は僧侶になってしまう。 教会を出る時、冷たい手が彼の腕を握った。振り向くとそれは例の女性で、「薄情な人!」と小声で言って去っていった。 神学校への帰り道、奇妙な出で立ちの小姓が寄って来て彼にこっそりと紙入れを渡した。自室に戻り開けてみると「クラリモンド、コンティニ宮」と書かれた紙片が入っていた。

彼は神学校での勉学を続けたが、クラリモンドの想い出に苛まれ、僧侶になった事を後悔していた。 やがて彼はある教区の新しい司祭に任じられた。 監督役である年上の聖職者セラピオン師と共に街に出て振り返ると、影に沈んだ街で丘の上にひときわ輝く金色の宮殿が見えた。 彼がセラピオンに宮殿について尋ねると、あれは遊女クラリモンドの住むコンティニ宮で、放蕩三昧が繰り広げられている場所だという答えが返って来た。ロミュオーはクラリモンドが忘れられないまま、1年間きちんと務めを果たしながら静かに暮らしていた。 ある夜男がやって来て、死に瀕している女主人のために最後の儀式を授けてほしいと頼んで来た。 ざわめきに満ちた館に到着し、そこでロミュオーはクラリモンドの死に直面する。 悲しみのあまり彼は彼女の亡骸にキスをした。すると彼女は一瞬蘇り、再会を約束して死体に戻る。

彼は3日後に自室で目を覚ました。家政婦によれば、あの夜ロミュオーは連れ去ったのと同じ人物に送られて来て、その後人事不省に陥っていたとの事であった。 ロミュオーはクラリモンドの元を訪れた記憶全てが夢であったのだと思った。 しかし数日後の夜、クラリモンドは彼の部屋に現れた。 死んでいる筈なのに彼女は美しく、旅に出る支度をするように彼に告げた。深い眠りから目を覚ますと遅めの朝であった。幻だったのだと思うにはクラリモンドの印象はあまりにも鮮やか過ぎた。その夜眠りに就くと再びクラリモンドは現れた。二人はヴェネチアの大理石の宮殿で同棲を始めた。 日中は聖職者として責務を果たし、夜にはヴェネツィアで放蕩の限りを尽くすという二重生活が幕を開けた。

放蕩が祟ってかクラリモンドの体調は目に見えて悪化していった。しかしロミュオーが過って指を傷つけ出血すると、目を輝かせてその傷口から血を啜り始め、見る見る血色を取り戻した。ロミュオーは彼女の正体に疑念を抱き始める。ある夜彼はクラリモンドが酒に何かの粉を盛るのを鏡越しに目撃し、飲むふりだけをして捨ててしまった。そして眠っている間に彼女がロミュオーの血を飲んでいた事を知った。にも拘らずクラリモンドの愛が真実であり、ロミュオーの生命を脅かす心配などない事も知り、例えその正体が吸血鬼であったとしても彼女の生命を維持するためなら、全ての血を分け与えてもいいとさえ思うのだった。

僧侶としてのロミュオーは夜毎の放蕩の幻影に苛まれ疲弊していった。セラピオンはその様子に疑いを持ち始め、ロミュオーをクラリモンドの墓へ連れて行き、目の前で掘り起こした。露わにされた彼女はロミュオーの血のお陰で全く腐敗しておらず、その口の端に血の雫を認めたセラピオンは、おぞましげに叫び聖水を死体の上に注いだ。彼女の身体は直ちに粉々に砕け散った。翌朝ロミュオーはクラリモンドに出会った。彼女は初めて会った時の様に彼の薄情を詰り、きっと貴男は永久に私が恋しくて堪らなくなるだろうと言って消え去り、二度と彼の前に現れる事は無かった。そして彼女の予言は適中した。

舞台は現在に戻り、ロミュオーはこれが彼の人生で最大の後悔であったと告白し、聞き手が同じ運命に会わないよう、決して女性を見ないように忠告する。

さらにはナサニエル・ホーソーンラパチーニの娘Rappaccini's Daughter、1844年)」が執筆され、これから派生する形でDCコミックスにおけるバットマンの悪役ポイズン・アイビー(Poison Ivy、1966年〜)が誕生…

ポイズン・アイビー - Wikipedia

植物の保全を迫害する人間の活動全てを敵視する悪名高き環境テロリスト。犯罪のために心を制御する植物のフェロモンを使い、絶滅の危機にある種や自然環境を保護することを目的する。仲間のハーレイ・クインは彼女の繰り返される犯罪の共犯者になっている。

裕福ではあるが愛情の薄い家庭に育つ。シアトルで植物生化学を専攻する内気な女学生となったが、当時のマッドサイエンティストの愛人に人体実験を施されて正気を無くし、子供を生めない体となって捨てられ能力が発現した。ボーイフレンドを菌類の感染症にした後、ゴッサム・シティに根を下ろす。

一時カリブ海無人島に植物の楽園を作るも、企業の武器テストによって焼き払われ、ゴッサムに復讐鬼として舞い戻った。

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そして当時の日本はというと…モンド映画や伴天連妖術によって次々と魔界剣士が蘇ってくる山田風太郎おぼろ忍法帖 / 魔界転生原作1964年〜1965年、映画化1981年)」が大人気となっていたりする訳ですね。

モンド映画(Mondo film) - Wikipedia

観客の見世物的好奇心に訴える猟奇系ドキュメンタリー・モキュメンタリー映画。
世界各地の秘境の奇習や大都会の夜の風俗、事故や処刑の瞬間など衝撃映像を、虚実取り混ぜて見世物感覚で構成した。

1962年に公開され世界的に大ヒットしたイタリア製ドキュメンタリー映画世界残酷物語』のイタリア語原題 "Mondo Cane"(直訳:「犬の世界」)がモンド映画の語源となっている。『世界残酷物語』のヒット以降、便乗するようにイタリアを中心としたヨーロッパ各地や日本で1960年代から1970年代にかけて秘境ドキュメンタリー映画や残酷ドキュメンタリー映画、性医学ドキュメンタリー映画などが製作され、壮絶な題名や誇大な広告とともに公開された。こうした映画は『世界残酷物語』の原題に倣って「Mondo …」(…の世界)と題された映画が多かったため、後に「モンド映画」と呼ばれるようになった(日本で製作されたモンド映画は、和製モンドである)。

そのスタンスは好奇心や見世物感覚であったが、映画の最後には、とってつけたように「世界の残酷な現実をあえて明らかにする」「動物たちを大切にしなければならない」「狂っているのは野蛮人ではなく文明人のほうである」などといった社会派的な結論がついていた。基本的には金儲けのためにセンセーショナルな話題を取り上げて観客から料金を巻き上げるエクスプロイテーション映画の一種であり『世界残酷物語』や、それに先立つ「夜もの」映画も含め、モンド映画にはあからさまなやらせや事実誤認、配給会社による誇大広告などがつきものであるが、深く追及しないのが鑑賞時の作法である。

モンド映画はヒット企画への便乗を身上とする映画人により製作された。イタリア人を主とする彼らにとっては、有名俳優などは不要で英語のナレーションを付けるだけで即世界に売れるモンド映画は恰好の商売の手段だった。彼らはより過激な残酷さや観客をつかむ映像のパワフルさを追求したが、映画がテレビに対して衰退した1970年代半ば以降にはモンド映画ブームは収束し、1980年代前半を最後にモンド映画的なものはテレビの特集番組やレンタルビデオなどに吸収されていく。似たような便乗映画が多すぎた上(いわゆるマンネリ)、海外旅行が一般化したため観客の異国への興味が薄れ、当初の新鮮味が失われ次第に飽きられるようになったこと、即物的な衝撃を求めるあまり製作費のかかるやらせをやめ、本物の死や死体を映したニュースフィルムをつなぐだけの映画へと移行し、残酷さが一般観客の許容度を超えるようになったことなどが劇場から消えた原因として挙げられている。


水木しげるゲゲゲの鬼太郎(紙芝居版1954年〜)」における猫娘の起源などもサコア登っていくとこの辺りの猟奇趣味に辿り着く。

これも国家間の競争が全てだった「総力戦体制時代1910年代後半〜1970年代)」から、その国民総動員体制を製品開発企業やマスコミがそのまま継承しようとして失敗を重ねていく「商業至上主義1960年代〜????)」への転換の重要な局面の一つ?

…むしろ重要なのは「敗戦からの復興期だった1960年代までと、それ以降では日本人の価値観やエンターテイメントの対象に大きな変化があった事」をどう後世に伝えるかかもしれません。実際、世界中の若者もミュージカル映画レ・ミゼラブルLes Misérables、2012年)」における貧困描写とか余裕で飛ばし見してましたしね。

そう、当時のオーストラリア政府は「米国による日本への小麦輸出事業の独占」なる高い障壁を相応の苦心惨憺の末に打ち破り「日本における饂飩原料の主要供給国」という立場を勝ち取ったのです。

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  • 「ありきたりの独占状態から脱却しよう(So trade that typical for something colorful)」…敗戦後日本への食糧支援を独占した経緯から、米国は日本に輸入される小麦を独占する体制の構築に成功。同じ小麦輸出国としてオーストラリア政府は何としてもこれに食い込みたかった。

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  • 「どんな堅牢な壁にも壊れた部分ならある(There's something breaking at the brick of every wall it's holding)」…オーストラリア政府が研究の末に発見したのは「日本人は真っ白な饂飩を好む」という事だった。だから品種改良を重ねて「漂白するまでもなく最初から真っ白な小麦」を生み出した。これがASW(オーストラリア・スタンダード・ホワイト)である。最初は「本当に真っ白な饂飩」に戸惑った日本人だったが、まさにそれが「求めていた全てIt's everything you ever want、It's everything you ever need)」だったからこそ日本人は「屈服Surrender / Take over)」した。まさしく「抗うな、解放の訪れ。違和感など、すぐ消えるだけDon't fight it, it's coming for you, running at ya. It's only this moment, don't care what comes after.)」の文言通りに。

  • 「暗闇模索の日々はおしまい(Been searching in the dark, your sweat soaking through the floor)」「諦め、身を委ね、そして受け入れろ(Just surrender 'cause you feel the feeling taking over)」「そう広まると戻らない、これが経済原理(We light it up, we won't come down / And the sun can't stop us now)」…実際、ASWは一時的ブームに終わらず「讃岐うどんの原材料」として定着し、そして原材料の大量安定供給を武器に日本全土へと進出していく。
    香川県産小麦とオーストラリア産小麦(ASW)について | さぬきの夢を知る | 吉原食糧株式会社

そう、これは「限度を超えてない」、すなわちあくまで私達日本人が既に常識として受容済みの範囲に関する言及という事になるのです。ある意味これこそが、ここでいう「純度の高いファシズム」の正体?

逆に現状礼賛を特定の言い回しで言い広める事に相応の販促効果が伴う場合には、むしろ言語ゲーム(Sprachspiel)が推奨される」…オロナミンC発売時における「パパは生卵やウィスキーを、僕は牛乳を入れる」なるスローガンを思い出す。生卵も牛乳も当時のチルド輸送の全国定着の恩恵を受けていたしウィスキー普及にもそれに弾みをつけたい流れが存在した。

近世到来を決定付ける「大量の火器を装備した常備軍が中央集権的官僚制が徴税によって維持される主権国家」は、ある意味後期ハイデガーいうところの「集-立Gestellシステム」、すなわち「(理論上国家的資源の全てを最後まで動員する事が要求される総力戦を戦い抜けるだけの国民や国土の統合」そのものだったが、国家間の競争が全てだった「総力戦体制時代1910年代後半〜1970年代)」が終焉に向かうと次第にそうした展開へのアンヴィバレントな感情が立ち上がってきて、さらには公害問題や反差別問題に意識が向かい始める。
*そして1970年代中旬に入ると「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」自由主義(=絶対主義体制=独裁)のジレンマが表面化。これが1980年代に入ると「究極の個人主義は周囲すべての忍従 / 黙認によってのみ達成される」個人レベルの問題意識にダウンサイズししていく。

スポ根ブームを巻き起こした「20世紀的ロマン主義」が最後に到達したのが「全てが自分に由来するからこそ自由」なる骨太な態度…そして皮肉にもこの思考様式こそが叛逆至上主義世代の「怒鳴る」「泣く」「殴り合う」「貧乏」「エロ」を廃し「何でも趣味的態度で楽しむ態度」を全面的に押し出したバブル世代コンテンツの先駆けとなった?

どうやら山田風太郎忍法帖シリーズ1958年〜1974年)」のブームも、DCワールドにおける「悪名高き環境テロリスト」ポイズン・アイビーの登場(1966年〜)もこうした時代展開を背景としていた模様…人間ほどあっけなく過去への記憶を改竄してしまう生き物も存在しない?