諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ノストラダムスの大予言】【オウム真理教】「肉体に思考させる」戦略の暗黒面について

今回の出発地点はこれ…

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フランス文学者だった坂口安吾は太平洋戦争敗戦後の日本に「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なるフランス式行動主義を広めました。著名な「堕落論1947年)」の背景にあった思想でもあります。

坂口安吾 堕落論

小林秀雄は政治家のタイプを、独創をもたずただ管理し支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才は管理や支配の方法に独創をもち、それが凡庸な政治家の規範となって個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で巨大な生き者の意志を示している。政治の場合において、歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿において政治もまた巨大な独創を行っているのである。

この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるが、しかしまた、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿において独創をもち、意慾をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く。何人が武士道を案出したか。これもまた歴史の独創、または嗅覚であったであろう。歴史は常に人間を嗅ぎだしている。そして武士道は人性や本能に対する禁止条項であるために非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点においては全く人間的なものである。

私は天皇制についても、極めて日本的な(従ってあるいは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。社会的に忘れた時にすら政治的に担かつぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。

すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。平安時代藤原氏天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。天皇の存在によって御家騒動の処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉しければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、また自ら威厳を感じる手段でもあったのである。
坂口安吾はこうした巨大な構造、すなわち後期ハイデガーいうところの集-立(Ge-Stell)システム、すなわち「(おそらく「封建制=領主が領土と領民を全人格的に代表する再帰農本主義権威体系」の延長線上に登場した)特定目的の為に手持ちリソース全てを総動員しようとする権威主義的体制」からの個々への招聘こそが知性の正体そのものと看過した。要するに「人間の幸福は、民族精神(Volksgeist)ないしは時代精神Zeitgeist)とも呼ばれる絶対精神(absoluter Geist)と完全なる合一を果たし、自らの役割を与えられる事によってのみ達せされる」と考えるヘーゲル哲学の世界。

だからこそ(システムが全ダウン状態に陥った敗戦直後の今は)あえてその方面からもたらされる「要請」に耳を塞ぎ「(放っておいても勝手に個としての自分を保とうと試み続けるホメオシスターシスに立脚する)身体の要請」のみに従って「生きる=堕ちる」道を選べと提唱した訳である。

*飛騨高山市を舞台とするアニメ「氷菓(2012年)」においては主人公折木奉太郎が「堕落論」を読んでいるが、そもそも坂口安吾は飛騨王朝仮説を下敷きに「欲しいものはなんでも手に入れる(地域社会の頂点としての)家母長」と「彼女が唯一、直接手に入れる事が出来ない(都での高評価に支えられた)匠職人の精神世界」の対峙を描く「飛騨女物」の嚆矢「夜長姫と耳男(1952年)」の作者でもある。同様の物語構造を有する新海誠監督映画「言の葉の庭(2013年)」「君の名は。(2016年)」を読み解く鍵でもある。後者は表面上「飛騨」を舞台に選んだだけで実際の糸守町のモデルは諏訪の実在の町という話もあるが、諏訪もまた「諏訪王朝仮説」を擁する古代史ミステリーの舞台であり、ヒッチコック監督のマクガフィン(MacGuffin, McGuffin)理論に照会しても十分置換が成立し得る模様.。 

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坂口安吾 夜長姫と耳男

これって(欧州なる巨大システムからの逸脱を狙ったアメリカの開拓者精神(Frontier Spirits)とも重なりますが、西海岸の流儀ではそれは同時に「辞書パロディ元祖」として著名なアンブローズ・ビアス悪魔の辞典The Devil's Dictionary、新聞連載1868年12月〜1906年4月、刊行1911年)」に収録された「誕生birth)」の定義、すなわち「数ある災難の中で、最初に訪れる最も恐ろしい災難」とも目されるアプローチとなるんですね。

まさしく、これまでの投稿で繰り返し述べてきた「事象の地平線や言語ゲームの果てに潜在し続ける絶対他者を巡る黙殺/拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り離しのサイクル」そのものとも?

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アンブローズ・ビアス「悪魔の辞典(The Devil's Dictionary、新聞連載1868年12月〜1906年4月、刊行1911年)」- Wikipedia

その起源は、ビアスが『ニューズレター』のコラムニストだった頃にまでさかのぼる。フレデリック・マリオットが1850年代後半に創刊した『ニューズレター』は、サンフランシスコを拠点とし、ビジネスマンをターゲットにしたまじめな週刊経済誌だったが、同時に『タウンクライアー』という、格式ばらない風刺を売りとするコーナーもあった。ビアスはこのコーナーの執筆者として1868年12月に採用され、その情け容赦のない風刺によってサンフランシスコの「嘲り笑う悪魔 (laughing devil)」として知られるようになっていった。

通常、1881年が『悪魔の辞典』の起源とされるが(これはビアス本人がそう述べているためである)、その構想は1869年の夏頃に端を発する。当時ビアスは、話題の不足と、ウェブスターの辞書の新版を購入したばかりであったことから、「コミック辞書」を書ける可能性がないだろうかという提案をした。そのときはウェブスターズの「代理人 (Vicegerents)」という項目を引用し、該当部分を斜体にして次のように書いている。

Kings are sometimes called God's vicegerents. It is to be wished they would always deserve the appellation
王はときに神の代理人と呼ばれる。常にその名に値するとは限らない

加えて、ノア・ウェブスターはその才能をもっとコミカルな形で発揮すべきだったのではないかと述べた。この時点で「コミック辞書」の構想が生まれたのである。

この構想が公にされたのは1875年のことである。『タウンクライアー』の担当をやめ、ロンドンで3年を過ごした後サンフランシスコにもどったビアスは、『ニューズレター』の『タウンクライアー』担当への復帰を希望していた。ビアスは偽名で書いた2つの原稿を『ニューズレター』の編集者に送った。その1つが『魔物の辞典 (The Demon's Dictionary)』である。『魔物の辞典』では48の単語がビアスのトレードマークである辛辣な機知によって新しい定義を与えられた。これらの単語と定義は、『悪魔の辞典』の編集の際には選から漏れているが、1967年に出版された『増補版 悪魔の辞典 (Enlarged Devil's Dictionary)』には採録されている。

ビアスが次に連載した『アルゴノート』誌(1877年5月採用)のコラム『プラットル』では『悪魔の辞典』そのものは見られない。とはいえ「コミック辞典」のアイディアは1877年9月17日号と1878年9月14日号のコラムで活かされている。

ビアスが『悪魔の辞典』という題名をはじめて用いたのは1881年のはじめ頃のことであり、サンフランシスコの週刊誌『ワスプ』の主任編集者だった頃である。「辞典」は好評を博し、『ワスプ』の主任編集者時代(1881年 - 1886年)、1回につき15語から20語の定義の連載を88回にわたってつづけた。

1887年、ビアスは『エグザミナー』の編集者となり、『皮肉屋の辞典 (The Cynic's Dictionary)』という記事を執筆した。これがビアスの「辞典」コラムの最後のものであったが、1904年に復活し、1906年7月まで断続的につづけられた。

こうして新聞紙上の連載から始まったものを書籍の形で最初に再発表したのは1906年の『冷笑派用語集(Cynic's Word Book)』である。ダブルデイ社から出版された『冷笑派用語集』は A から L までの500語を採録している。残り500語(M から Z)は、1911年に出版された『アンブローズ・ビアス全集』の第7巻にはじめて収録された。このときようやく題名が『悪魔の辞典』となった。この改題はビアス本人の意向に基づくものであり、『冷笑派用語集』という「より敬虔な」旧題は当時ビアスを雇っていた新聞社の宗教的な躊躇から押し付けられたものであった。

1967年、『悪魔の辞典』の増補版が出版された。これはアーネスト・J・ホプキンスの調査に基づくものである。ビアスは『全集版』をワシントンD.C.で編集したが、サンフランシスコが1906年の大地震で壊滅的な被害を受けたため、現役時代の多くの原稿や記事が参照できず、結果として多くの定義が『全集』から漏れることとなった。これら『全集版』にない定義をも採録したことにより『増補版』の定義数は『全集版』の2倍にのぼる。この中には『魔物の辞典』で定義された項目も含まれる。

ビアズ「悪魔の辞典」

*ビアーズが1913年12月のメキシコ旅行中に消息を断ち、「未来の風は、金門海峡で待っている」と歌った詩人ジョージ=スターリングが1926年に自殺するとアメリカ西海岸のサンフランシスコには二人に師事したクラーク=アシュトン=スミスだけが残された。そして彼は(陰鬱な東海岸文化に立脚して「宇宙的恐怖(Cosmic Horror)文学」を創始した)H.P.ラブクラフトと文通し「パルプマガジン黄金期」のウィアード・テールズ誌を支えた御三家の1人として歴史に名前を残す事になる。

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南北戦争(American Civil War、1861年〜1865年)で凄愴な戦闘を経験し、現実認識の危うさを思い知って「(芥川龍之介「藪の中」原案とされる事もある)月明かりの道」や「(ウィリアム・ゴールディング「ピンチャー・マーティン」原案とされる事もある)アウル・クリーク橋でのできごと」を著したアンブローズ・ビアスの文学的立場は「第一次世界大戦における浸透戦の勇士」としても名を残したエルンスト・ユンガーの魔術的リアリズム文学に近い。一方、ウィリアム・トマス・ベックフォード「ヴァテック」の愛読者にして画家でもあったクラーク=アシュトン=スミスはめくるめく視覚的イメージの展開に支えられた耽美な作風で知られる。

アンブローズ・ビアス 『アウル・クリーク橋でのできごと』

クラーク=アシュトン=スミス小伝

スミスの小説の執筆は1929年から1937年の間に集中しており、この時期に彼は100編ほどの中短編を書いた。今日スミスはそのクトゥルー神話作品によって有名である。確かにスミスはラヴクラフトオーガスト=ダーレスと共にクトゥルー神話の三聖とも呼ぶべき存在であり、「クトゥルー神話」という用語自体がスミスの考案したものだという可能性すらある。だが、スミスの作品において本来クトゥルー神話はごく一部を占めていたに過ぎない。スミスの作品はすぐれて独創的なものだが、フリッツ=ライバーは「ビアスから滴った酸が一滴」という言葉でアンブローズ=ビアスの影響を指摘している。またラフカディオ=ハーン(小泉八雲)もスミスに影響を及ぼしたとされる。
ゲーテファウスト」を仏訳した「フランスロマン主義文学の狂詩人」ネルヴァルについて容赦無く「正体はただの狂ったおじさん」と断言したラフカディオ=ハーン(小泉八雲)は、同時にゴーティエ「或る夜のクレオパトラ」の英訳者でもあり、ラブクラフトをして「この人の存在なしに米国幻想文学エドガー・アラン・ポーからの脱却はなかった」とまでいわしめた人物でもある。

ラフカディオ=ハーン(小泉八雲)によるネルヴァル評

「狂人が不思議な絵を描いて、それが狂人の仕業であることが最初は余程の鑑識眼のある人でないと分らなかった。彼はそうした言葉の絵師だったのである。明らかに気が狂っており、時々は正気に立ち返っても、どれくらい続いたか疑問とされている」

「非常に面白い話をしているかと思うと、時々変な合の手を入れたり、飛んでもない外のことを云い出したりする。まあ、非常に立派な学者であり談話家である人が、酔っ払ってしゃべっているものと思えばいい」

ラフカディオ・ハーンが世界に紹介した「雪女」説話における「私の姿を見た者は全て殺すだがお前はイケメンだから殺さぬ)」「嫁に来た!!」「私の正体を知った者は全て殺すだがお前はイケメンだから殺さぬ、そして子供を残して去る)」の三連コンボは、世界中の説話でも異色。

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*国際SNS上の関心空間には「ディズニー映画化されるとこうなる」バージョンとか流れている。思うより世界に知られた物語なのだった。
TheNamelessDoll — Here it is!! My collaboration with ...

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とはいえ「出雲風土記」辺りを参照すると(おそらく名家起源譚として後世に伝わった)「流浪の男神が現地の娘を孕ませて去っていく物語」と同じくらい「流浪の女神が現地の男と交わって子供を残して去っていく物語」がありふれており、詩人ハイネいうところの「妖精や巨人の類は零落した神」説を採用するなら、とりわけ日本文化の特異性を強調する必要はなさそうでなのある。
*実際、十字軍に参加して数々の悪名を残してきたフランス貴族リュジニャン家の起源譚では「水の精メリュジーヌ」が子供をもうけるばかりか城まで建てて残していく。なんと「ニーベルングの指環」譚における「(支配の指輪を奪われる)ラインの乙女」と「(騙されて城を建てさせられる)巨人」を兼ねているのである。しかも当時の絵では飛龍として描かれている。本当に何もかも一緒くた…
リュジニャン家 - Wikipedia

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*その一方で世界中にありふれているのは「羽衣女房譚」や「海豹女房譚」と呼ばれている類型で「異界との往復に必要な衣装を盗まれた天女が、現地の男との結婚を余儀なくされ、子供までもうけるが、やがて衣装を発見して天に戻る」という内容。前者は日本の名家起源譚にもしばしば見受けられるパターンだが「天女様はそのまま最後まで異界に戻りませんでした(そして今日なお子孫の私達を祝福し続けてくれています)」という結末を迎える事が多い。一方、後者は(だいぶ文明も進んだ段階で陸から漁師の間に伝わった「羽衣女房譚」のバリエーションという特異な発展史も手伝って)純粋に「(異界と原世のコミュニケーション不可能生に立脚する)愛なき結婚の強要」に終始するケースが多い。考えてみれば人間の恋人が出来るとそっちに走ってしまうフーケ「ウンディーヌ」もそういう物語のバリエーションといえなくもないのでる。

*ここで興味深いのが「異類婚についてどう考えるべきか」なる設問が、明らかにペンシルバニア出身のウルトラ・フェミニスト作家バーバラ・ウォーカー「失われた女神たちの復権(The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets、1983年)」辺りに起源を有するにも関わらず、その国際展開に際しては和製コンテンツが主導権を握っていった感がある辺り。要するに世界中のフェミニストは「世界は家父長制が(本来の権力の根源たる)家母長制に再屈服する事によってのみ救済される」なるウルトラ・フェミニズム的結論に納得がいかず「その先」を求めたが、この状況が「そもそも家父長制が(ライバルたる)家母長制を抹殺しようと試み続けてきた歴史を持たない」日本人に有利に働いたと考えるべきかもしれない。そして、さらにここで「(創始者たる坂口安吾自身は終始「芸術家の自己実現を妨げる魔障」としてのみ描き続けた)飛騨女物における家母長制に対する再評価」という動きが加わってくる。

吉田秋生「吉祥天女(1983年~1984年)」

叶小夜子「(浅井鷹志の描き上げた絵を見せられて)すてきだわ」
浅井鷹志「以前、この家に伝わる天女の話をしてくれましたね。それと古い吉祥天の話をヒントにしたんです(「日本異霊記」に画像の吉祥天女に僧侶が懸想する話が出てくる)」
叶小夜子「吉祥天…」
浅井鷹志「人々に至福を与えるという愛の女神です…あなたはあの時(絵のモデルにさせて欲しいと依頼した時)、ぼくにいいましたよね。”天女を妻にした男は幸福だったろうか。それとも不幸だったろうか”って。ぼくはきっと幸福だったんだろう思いますよ。きっと後悔はしなかったんだろうと」
*これが上掲の「(それが例え主観的誤謬に過ぎなくとも)「英雄の時間」を過ごせた個人は幸福だったのか?」なる設問の答えになってくる辺りが恐ろしいのである。時代はまだ1980年代前半なのに…

浅井鷹志「(独白)あんな奇蹟みたいな女がいるのか…」
浅井鷹志「あなたには幸福なんでしょうね、小川さん。」
小川雪政「そう、わたしにはね。」
浅井鷹志「ちょっぴり羨ましい気もしますよ。お元気で。」
*この作品位おいては遠野涼がギルガメッシュにしてクンフーリンの役割を果たすのだが「義理の兄」遠野暁の存在のせいでヘラクレスヤマトタケルの立場も担っているのが凄まじい。最後には、彼が最後まで守り抜こうとした「病弱の妹」が救われるという結末も秀逸。流石は夢枕獏をして「男は所詮、捨て駒」と開き直らせただけの事はある?

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米澤穂信「氷菓シリーズ(2000年〜、アニメ化)」

縁側に腰掛けたまま、千反田は両手を天に広げてみせた。空はもうほとんど夜で、星もいくつか見えている。

「見てください、折木さん。ここがわたしの場所です。どうです、水と土しかありません。人々も段々老い疲れてきています。山々は整然と植林されてますが、商品価値としてはどうでしょう? わたしはここを最高に美しい場所だとは思いません。可能性に満ちてるとも思ってません。でも…」

腕を降ろし、ついでに目も伏せて、千反田はつぶやいた。

「…でも折木さんにどうしても紹介したかったんです…」

この時、俺はかねて抱いてきた疑問について、一つの答えを得た。

俺はこう言おうとしたのだ。「ところで御前があきらめた経営戦略眼についてだが、俺が修めるというのはどうだろう?」
*あまりにも甘過ぎる「破滅の罠」。そして「折木奉太郎専用淫婦(Vamp)」なるパワーワード…とはいえ米沢穂信が単なるラブコメを描く筈もなく、続編では「地母神としての千反田江留の暗黒面」や「千反田江留の堕天」などが容赦なく描かれる展開に。まぁしかし苦悩なしに「あの眼差し」は浮かべられないのだった…ところで、この作品において「英雄の時間」は何処に顕現しているのだろうか?

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*だが実際に「(LGBTQA平等化運動と連動する形で進行した)異類婚や彼岸と此岸の交流が不幸しか生まないという物語文法の崩壊」のプロセスにおいて決定的な形で破壊的役割を果たしたのは、おそらくディズニーなのである。「ティア・ダルマ(制海権を握る航海の女神カリプソ)とデイヴィ・ジョーンズの不幸な結婚」に振り回された「パイレーツ・オブ・カリビアン(Pirates of the Caribbean)初期三部作(2002年〜2007年)」の世界観が時代遅れとなった事に気付いたのか「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊(Pirates of the Caribbean: Dead Men Tell No Tales、2017年)」では「みんな大好き」エリザベス・スワンの地母神化を強行。同時進行で「メリダとおそろしの森(Brave、2012年)」のラストでは「呪われた毛皮のせいで異界に連れ去られようとする王妃を、父王が「愛ゆえに」脱がして助ける」という「羽衣女房譚」の逆転 / 破壊を成し遂げる。後者は素直に従来の羽衣女房譚の物語文法に従って進行するトム・ムーア監督映画「ソング・オブ・シー / 海の歌(Song of the Sea、2014年)」の結末について「パパ、愛があるならママを脱がして引き止めなきゃ!!」という感想が多数を占める展開まで生んでいる。

*考えてみればディズニーのヒロイン史そのものが「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」式に紡ぎ出されてきた感もある。そして最近は国際SNS上の関心空間を蠢くファン層の要望(妄想?)を取り込む能力が格段に上がっているようにも見受けられるのである。

ディズニー・アニメが「塔の上のラプンツェルTangled、2010年)」以降、ラブロマンスから離れると明らかに恋愛ドラマのファン層が新海誠監督映画「秒速5センチメートル2007年)」「言の葉の庭2013年)」「君の名は。2016年)」や京アニ作品「氷菓2012年)」に流れた。

また同時進行でトム・ムーア監督映画「ブレンダンとケルズの秘密The Secret of Kells、2009年)」「ソング・オブ・シー / 海の歌Song of the Sea、2014年)」やライカ製作映画「コララインとボタンの魔女Coraline、2009年)」「パラノーマン ブライス・ホローの謎ParaNorman、2012年)」「KUBO/クボ 二本の弦の秘密Kubo and the Two Strings、2016年)」に流れた層もいる。

国際SNS上の関心空間においてはこの辺りが一塊りになって情報交換を楽しんでいるのだが、確かにこの層に対して「羽衣女房譚の逆転 / 破壊」や「エリザベス・スワンの地母神」は、改めて彼女達の関心をディズニーに向けさせる効果を伴ったのだった。

*こうした展開を考えるとネット上に女囚監獄物の「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック(Orange Is the New Black:OITNB、2013年)」のパロディーで流れた「ディズニー・プリンセスが刑務所に収監されたら(貧困状態で揉まれて育ったが故にダーティ・ファイト慣れした)シンデレラが最強に違いない」ネタが本編に持ち込まれたのも、決して偶然とは思えなくなってくるのだった。

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スミスの小説は現代を舞台にすることもあるが、太古や超未来の幻想の地で繰り広げられる物語も多い。我が国の読者がもっとも親しんでいるのはヒューペルボリア大陸を舞台とするものであろう。ヒューペルボリア神話はクトゥルー神話との関わりが深く、スミスの創造したツァトゥグアはユニークな神格として大勢の人から愛されている。それ以外にはフランスのアヴェロワーニュ地方、アトランティス大陸の名残であるポセイドニス、銀河の彼方の惑星ジッカーフなどが有名であるが、とりわけ重要なのは人類最後の大陸ゾティークである。最終大陸ゾティークにおいて人類の文明は退化し、科学は魔法に取って代わられている。ゾティークは神智学から影響を受けたものだが、神智学者の好む人類の霊的進化というテーマを自分は排除したとスミスは語っており、ここに彼の作品の顕著な特徴が見て取れる。スミスにとって人類は常に愚昧なものであり、彼の文学のテーマは人類に対する絶望と冷笑なのである。しかしながら、絶望の中でも己の美学を貫こうとする意志もまた彼の文学の重要な要素である。
*この辺りはまさに「オメガファンタジーの大源流」ウィリアム・トマス・ベックフォード「ヴァテック」の影響が色濃く感じられる部分となる。

ラヴクラフトの作品におけるランドルフ=カーターは作者の分身であるとされているが、それと同じくスミスの作品には彼の分身としてフィリップ=ハステインが登場する。「歌う焔の都」「彼方からのもの」「悪への帰依者」はいわばハステイン三部作を構成しており、特に「歌う焔の都」はスミスの最高傑作のひとつとして知られている。この作品においてハステインは異次元の理想郷イドモスを訪れるが、歌う焔を憎む勢力がイドモスを破壊してしまい、ハステインは失意のうちに現世へ帰還する。この苦く哀しい結末は、スミスの織りなした絢爛豪華な夢想を無惨に打ち砕く現実を象徴したものだろう。

ワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人(Der fliegende Holländer、1843年初演)」「タンホイザー(Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg、1845年)」「トリスタンとイゾルデ(Tristan und Isolde、1865年)」を貫く「生身の人間は理想の境地に留まれない」ジレンマ。そして、かかるオメガファンタジー的絶望感から「突破口を求めてひたすら物語がループを続ける」マイケル・ムアコック的世界観が派生してくるのだった。

マイケル・ムアコックについての覚書

ある人間が、「静止した時間」という仮定のもとで自分自身を見つめ直すことに否定的な考えは格別目新しいものではありません。また、このような欲求に駆られる人間がもっともとらえやすい過去の自らの事業を、意識的な次元においても統一された一大事業(実際のところどうであったかは別としても)と使用とすることは常人でも理解できる欲求です。ムアコックの場合、自らの小説における主要人物をケルト的と言ってよいかもしれない宇宙観で結び直そうとする顕著な一例であります。
*とどのつまりムアコック世界における理想郷タネローンとは、宮沢賢治いうところの「石炭袋の向こう側=久遠常在の仏」にしてキルケゴールいうところの「時空の果てで待つイエス・キリスト」に該当する?

 

キルケゴールによれば、自己とは関係である。ただ、ここでいう関係は、自分自身に関係するということを指している。関係は、それゆえ自己は、物体のように、単にそこに存在しているのではなく、自己自身を問題とする作用として、つねに自分自身に関わりつつ「ある」。そうした絶えざる作用、動きとして、キルケゴールは自己、すなわち人間を規定するのだ。

ただし、キルケゴールの観点からすれば、人間はあくまで神の前の単独者にすぎない。

人間は第三者、すなわち神によって措定され、自己に関係することを通じて神に関係する。自己はみずからに関係すると同時に神に関係することによってのみ、均衡と平安に達することができる。そうキルケゴールは言う。

キルケゴールは、単に自己に関係しているとき、自己はみずからが神の前の単独者であることを見失っていると論じたうえで、そうした状態のうちに落ち込んでいることを、絶望と呼ぶ。要するに、キルケゴールにおける絶望は、自己の本当のあり方から離れてしまっていること、そこから抜け出てしまっている「私」の存在のことを意味している。

 著名な例でいえば、ゲーテロマン主義から新古典主義に移っていったように、青年時代の人物像が、経験を増した中高年の人物像と矛盾なく調和することは稀であり、それがムアコックの愛する暴力を否定する複雑な人格、良い意味でイギリス的な理想像を生み出します。英雄崇拝について「剣の中の竜」で著者寄りの解説者があれほど排撃していることからもわかるように、子供っぽいゲームにおける残虐性、単純な理想主義や美における陥穽や罠、現実における戦争の悲惨さや荒廃という暗黒面を戒めとしています。

ラヴクラフト保守主義から社会主義へ転向した人物として知られているが、スミスも同様に資本主義を嫌っていた。しかしスミスはラヴクラフトと違ってソビエト連邦のことも信用しようとせず、とりわけソ連邦が核実験に成功した後は反共的な性格を強めたという。スミスはアナーキストを自認しており、ロバート=バーロウに宛てて書いた1937年5月16日付の手紙で次のように述べている。

僕自身は無政府主義者に違いないと思います。いかなる全体主義的な社会にも自分はなじめないし、強制収容所に放りこまれて速やかに末路をたどることになるだろうと僕は確信しています。 

スミスが小説を量産した時期は1937年で終わり、それ以降の彼はせいぜい10編程度を書いたに過ぎない。その理由のひとつは、スミス自身がバーロウ宛の手紙などで嘆いているように編集者の無理解と横暴だった。たとえば、ワンダーストーリーズに掲載されたスミスの短編「奈落に棲むもの」の結末をヒューゴーガーンズバックが勝手に書き換えるという事件があったのだ。だが、スミスが小説と取り組むようになった契機が師スターリングの死であったように、彼が小説を書かなくなったのも尊敬する親しい人の死が原因だったのかもしれない。1937年3月15日、ラヴクラフトが癌によって世を去ったのである。これほどまでに悲しい思いをしたのは1935年に母親が死んだとき以来だとスミスはダーレス宛の手紙で述べている。

*そしてまさしくスターリン批判(1956年、1962年)を発端とする英国での新左翼運動の勃発、ジャック・ケルアックウィリアム・バロウズアーウィンギンズバーグといったビートニク詩人が始めたヒッピー運動などが「Turn on / Tune in / Drop out」をモットーとするティモシー・リアリーの意識革命に辿り着く「明るい側面」とするなら、それはまさに「シャロン・テート殺害事件(1969年8月8日)」「オルタモントの悲劇(1969年12月6日)」「ガイアナ人民寺院集団自殺事件(1978年11月15日)」といった「暗い側面」と表裏一体の関係にあったのだった。

Q:「Turn on Tune in Drop out」とはどういう意味ですか?

Aティモシー・リアリー博士当人はこう説明しています。

  • "'Turn on' meant go within to activate your neural and genetic equipment. Become sensitive to the many and various levels of consciousness and the specific triggers that engage them. Drugs were one way to accomplish this end.
    Turn on」というスローガンで主張したいのは(「RAVEせよ(自分に嘘をついてでも盛り上げよ)」という話ではなく)「(自らを包囲する外界に対するさならるJust Fitな適応を意識して自らの神経を研ぎ澄まし、生来の素質を磨け」という事である。あらゆる状況に自らを曝せ。そして自分の意識がどう動くか細部まで徹底して観察し抜け。何が自分をそうさせるのか掌握せよ。ドラッグの試用はその手段の一つに過ぎない。
    *「ドラッグの試用はその手段の一つに過ぎない」…実際、当人も後に「コンピューターによる自らの脳の再プログラミング」の方が有効という結論に至っている。その意味では「汚れた街やサイバースペース(cyber space)への没入(Jack In)」も「デスゲーム(Death Game)に巻き込まれる事」も「異世界に転生する事」も手段としては完全に等価。
  • 'Tune in' meant interact harmoniously with the world around you - externalize, materialize, express your new internal perspectives. Drop out suggested an elective, selective, graceful process of detachment from involuntary or unconscious commitments.
    Tune in」というスローガンで主張したいのは(「内面世界(Inner Space)の完成を目指せ」という話ではなく)「新たに掴んだ自らの内面性を表現せよ」という事である。自己感情を外在化し、具体化し、それでもなお自らを包囲し拘束する現実と「調和」せよ。
    *「Tune in」は「Turn in」とほぼ同義。ここで興味深いのはどちらにも「警察に届ける(問題解決を公権力あるいは専門家に委ね、後はその指示に従順に従う事)」というニュアンスが存在するという点。そして直感的には「in」の対語は「out」となるが「Turn out」とは「自らを包囲し拘束する現実」を「全面否定して引っ繰り返す」あるいは「諦念を伴って全面受容する」事。「Tune out」とは「黙殺を決め込む」事。だがあえてティモシー・リアリー博士はこうした選択オプションを嫌い「自らを包囲し拘束する現実」を突き抜けた向こうに「外側(Outside)」は存在しない(あるいはどれだけ無謀な進撃を続けても「現実」はどこまでも付いてくる)とする。無論(自らも専門家の一人でありながら)「問題解決を公権力あるいは専門家に委ね、後はその指示に従順に従う」という選択オプションも許容しない。マルコムX流に言うなら「「誰も人に自由、平等、正義を分け与える事は出来ない。それは自ら掴み取る形でしか得られないものなのだ(Nobody can give you freedom. Nobody can give you equality or justice or anything. If you're a man, you take it. )」、日本流に言うなら「誰にも人は救えない。それぞれが勝手に助かるだけだ」といった感じ?
  • 'Drop Out' meant self-reliance, a discovery of one's singularity, a commitment to mobility, choice, and change. 
    Drop Out」というスローガンで主張したいのは「(本当の自分自身であり続けるために)現実社会から離脱せよ」という話ではなく「自立せよ」という事である。再発見された自らの個性に従った動性、選択、変化に専心せよ。
    *「Drop Out」は「Get off」とほぼ同義。ここで言いたいのはおそらく「解脱せよ」という事で、まさに「縁(自らを包囲し拘束する現実)からの解放」を主題とした原始仏教における「解脱」の原義はティモシー・リアリー博士の説明とぴったり重なる。ちなみに「Drop in」は「突然ぶらりと立ち寄る事」で、「オトラント城奇譚」作者として知られるホレス・ウォルポールが1754年に生み出した造語「セレンディピティserendipity、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること)との関連が認められる。「Get on」は「大き力に便乗する事(そしてそれによって成功を収める事)」。

Unhappily my explanations of this sequence of personal development were often misinterpreted to mean 'Get stoned and abandon all constructive activity.'"

残念ながら、こうした私の自己発達に関する言及は「ドラッグでラリって建設的なすべての行動から遠ざかる」というように誤解されている。 
*後期ハイデガーは「集-立(Ge-Stell)システム」すなわち「特定目的実現の為に手持ちリソースを総動員しようとする体制」そのものを「真理(アレーティア)からの逸脱行為」として全面否定した。しかしながら(共産主義国間の紛争が激化して「共産主義は地上から戦争を駆逐する」なる共同幻想が吹き飛んだ)1970年代中旬に入ると「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」なる政治的ジレンマが急浮上。これが1970年代後半から1990年代にかけて「究極の個人主義は(カリスマ性や暴力によって)周囲を屈服させる事によってのみ達成される」という個人主義的ジレンマへと煮詰まり、1990年代に入ると遂に「それぞれが自己実現を最終目標に掲げる個人単位の集-立(Ge-Stell)システムの均衡状態」なる新たな社会イメージが形成される展開を迎えたのだった。

「オルタモントの悲劇(1969年12月6日)」

12月6日にカリフォルニア州サンフランシスコ郊外リヴァモアのオルタモント・スピードウェイで行われたローリング・ストーンをメインとするフリー・コンサートは、準備不足が明らかであったにもかかわらず、映画撮影の都合上強行に開催され、中止するべき混乱が起きていたにも関わらずステージを続行。最終的には事故死を含め4人の死者を出した。現在では到底考えられないが、69年という空気の中ではそれは別段おかしなことではなかったのだろう。

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この事件で60年代に高まっていった理想は見事に打ち砕かれ、70年代という新たな時代へとロックは突入していかなくてはならなかった。ストーンズもまた、60年代の幻想を捨て去り、エンターテインメント性を重視したスタジアム級ロックを確立していく。

*しかしながら歴史は繰り返されてしまう。1度目は悲劇だったが、2度目は完全なる茶番劇として。「ウォール街を占拠せよOccupy Wall Street、2011年9月17日〜2012年3月17日)運動」がそれで、デモ側の「自由の横溢を優先する空気」、厳寒期の開催、運動の想像以上の広範囲にわたる広がりなどを背景に(紛れ込んできた浮浪者の闘志や逃げ込んだ犯罪者を巡る銃撃戦などによって)連日の様に死者を出しながら、もう何ヶ月も風呂に入ってない悪臭を放つ人々が「寝言をいうな、これは正義を実現する為の戦争だ。犠牲者も警官が毎日撃ち殺してる黒人、(ユダヤ人財閥を中心とする)富裕層の貧富格差放置政策によって死んでいく貧民より遥かに数が少ない!!」と強弁を続けた事よって却って「米国リベラル層の凋落」が米国中にコンセンサスとして広まり始める展開を迎えたのだった。

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「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street、2011年9月17日〜2012年3月17日)運動」 - Wikipedia

発端は反資本主義を掲げるカナダの雑誌アドバスターズの創始者カレ・ラースンが金融機関や政界に対して抗議の意志を表明する為、金融界の象徴といえるウォール街での行進やニューヨーク証券取引所前での座り込みなどを行い、ウォール街を数ヶ月占拠するというデモ活動を呼びかけた事。2万人を目標に賛同者を募り始め、告知の為にウェブサイトを開設し、TwitterSNSサイトなどを通じて活動内容が広められていった。ラースン自身は、当初は保守派によるティーパーティー運動に対抗する意図があったと述べている。またこの活動がアメリカだけでなく、チュニジアから始まった抗議活動が北アフリカに広まったアラブの春と同様、世界中に広まるべきと考えていたという。

*私自身は当時のこの事件を当時「ユダヤ人と(アイルランド人や南イタリア人やヒスパニックといった)カソリック教徒が近代化した街」ニュー・ヨーク生まれのマイクロ・ブログTumblr経由でモニターしていたが、デモ参加者の少なくとも一部は明らかに「WASP(White Anglosaxon Suburban Protestant=都心に集まる移民を嫌悪して郊外の一軒家に逃げたプロテスタント系白人)」的優越感に基づくTumblr住民への激しい侮蔑感情を抱いていた。背景にあったのはアメコミ好きアメリカ人なら普通に受容している「金持ちがその財力を背景に(概ね密かに)世界を救おうとする」バットマンやアイアンマンの理想主義(Idealism)への無邪気な信望で「もし我々がこのアメリカを手中に納めたら、貴様らの様なアンクルトムなどたちまち一人残らず私刑で家族ごと虐殺され尽くす!! 命が惜しければ今すぐバットマンやアイアンマンに唾を吐きかけ始めるんだ!!」といったアジテーションが飛び交う展開に。

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*そういえば当時の流行語の一つが「Bite the hand that feeds!!(犬めらよ、飼い主の手を噛め!!)」だった事を思い出す。

*ところが、ここで攻撃対象に選ばれた「理想主義(Idealism)への無邪気な信望」の大元は少なくとも(理想を貫くのが難しい時代にあえてスペイン騎士道を貫こうとする若領主を描いた)怪傑ゾロ(The Mark of Zorro、原作1919年、初映画化1920年) あたりまで遡る訳で、事実上それは例えば(ローマ教会といった伝統的権威に従順な)カソリック教徒全般に対する攻撃と認識される展開を迎えてしまったのだった。

*さらには「運動の発端は外国のカナダであり、かかる不信感をアメリカ人同士の間に刻印した事で少なくとも目的の一端は達成した」なる当時Tumblr住民の間で支配的だった思考様式まで取り込んで映像化したのがクリストファー・ノーラン監督版バットマン三部作の最終作「ダークナイト・ライジング(The Dark Knight Rises、2012年)」となる。ノーラン監督自身はチャールズ・ディケンズ二都物語(A Tale of Two Cities、初版1859年)」を下敷きにしたと述べているが、確かにそこで活写された「(腹の底では別の事を考えている)自称革命家の号令下、ヒャッハー状態に突入した貧民や解放された囚人が片っ端から富裕層の邸宅に押し入って略奪・輪姦・虐殺を繰り返し、仲間に加わらない臆病者も私刑で殺す」情景は、どの革命にもつきものだった。

*そもそも、もはやそれ自体が「歴史あるシステム」として完成済みである以上、これに自我を放棄して自らの身体の操縦を完全に任せてしまう事は「(サイコパス殺人鬼や絶対君主が試みてきた様な)集-立(Ge-Stell)システム自体からの脱出しようとする試み」にはなり得ないのである。そしてもちろん「体制への絶対的反逆を通じて絶対的自由を勝ち取ろうとする海賊船船長キャプテン・ハーロックが自艦アルカディア号内では絶対君主として振る舞う」ジレンマ自体に解消方法は存在しない。

*こうして全体像を俯瞰してみるとNine Inch Nailsトレント・トレズナーの足跡が最終的に「ヴァイキングアメリカ西海岸征服」を暗喩したレッドツェッペリンの「移民の歌(Immigrant Song、1970年)」のカバーに到達するのが何とも意味深に思えてくる。よく考えてみればこの曲(ナポレオンの天下の儚さをラムセス2世の栄華の儚さに重ねた)シェリーの詩「オジマンディアス( OZYMANDIAS,1817年)」の20世紀版ではなかったか?

移民の歌 - Wikipedia

他の『レッド・ツェッペリン III』収録曲と同様1970年前半、ブロン・イ・アーでリハーサルされていたが、同年6月、公演に訪れたアイスランドでプラントが歌詞のヒントを得て完成した。歌詞の内容は氷雪 (ice and snow) と白夜 (midnight sun) の国、すなわち北欧からやって来た航海者が西方の海岸 (western shore) 「新天地」に至り、大君主 (overlord) となって争いを収め、人々に平和と信頼とを取り戻すよう求めるというものであり、クリストファー・コロンブス以前にアメリカ大陸に到達したヴァイキングの伝説を歌ったものと考えられる。

*こうして「事象の地平線や言語ゲームの果てに潜在し続ける絶対他者を巡る黙殺/拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り離しのサイクル」は一つの完結を迎えるのである。イタリア・ルネサンス晩期にパドヴァ大学ボローニャ大学の解剖学部で流行した新アリストテレス主義、すなわち「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」なる思考様式に始まる偉大なる伝統…

TwitterFacebookといったソーシャルネットワークを通じてデモに関わった参加者は様々な政治的主張を持っており、その中にはリベラル、無党派層アナーキスト社会主義者リバタリアン、保守派、環境保護活動家などを含んでいた。 デモ開始当初こそ、参加者のほとんどはこれまでにデモ活動を行ったことがない10代後半から20代後半の若者だとされていたが、抗議活動が拡大するのに伴って様々な年代の人間の参加が認められる様になっていく。宗教的な信念も、参加者それぞれによって異なる。参加者はズコッティ公園に寝袋を持ち込むなどして寝泊まりしながら、株式市場の取引が始まる午前9時半、終了する午後4時にニューヨーク証券取引所の前をデモ行進し、段ボールで作ったプラカードを掲げ鳴り物を響かせ続けた。活動方針はゼネラル・アセンブリー(総会)を通じて合議制による話し合いで決められ、またファシリテーター班、医療班、食料班、それにメディア班といった役割分担を行うなど、組織的な活動を行なった事も特徴の一つとして挙げられている。
*ただし彼らは概ね、ティモシー・リアリーなどが示し第三世代フェミニストらが受容した「それぞれが自己実現を最終目標に掲げる多様性と多態性にあふれた個人単位の集-立(Ge-Stell)システムの均衡状態」なるビジョンに拒絶反応を示し「(各個人の多様性や多態性を犠牲にする形での)民衆の政治的糾合」に活路を見出そうとしていた点では共通していたのである。また集-立(Ge-Stell)システムの存在そのものを全面否定する後期ハイデガーの立場を継承し「人間の消費生活そのものが悪」というビジョンも概ね共有していた様に見受けられる。

ちなみに「名誉毀損防止同盟」(ADL)は、デモ参加者が反ユダヤ主義的なスローガンやプラカードを掲げていると批判している。ADLは公式サイト上でデモ参加者の発言やプラカードを紹介している。例えば「ユダヤ人は世界で最も賢いやつらさ。やつらはメディアをコントロールしているのさ」や「お前は金を稼いだ。それがお前が(俺たちと)闘う理由なんだろう、ユダヤ人さんよ。お前は英語を話すことすらできないのか?お前はイスラエル人か?イスラエルに帰りやがれ」といったデモ参加者による差別発言があったり、「人類 VS ロスチャイルド」という差別的なプラカードが掲げられていたとのことである。こうした背景には、ゴールドマン・サックスリーマン・ブラザーズ、ロイターといった大企業の創始者が、いずれもユダヤ人であることからきている。

*実際これ以降「(反ユダヤ主義を掲げる)極右」と「(「急進派」サンダースに失望し、ユダヤ人に自浄能力を求める事自体無駄と考える様になった)極左」が接近し、これを警戒して一部ユダヤ人富裕層がトランプ大統領に接近する一幕もあった。 そしてこうした展開を目にするにつれ(反シオニストユダヤ人も含む)リベラル層はさらに「やはりユダヤ人は信用ならない」なる思いを強めていく…

*ここで興味深いのがケルアックやギンズバーク、スナイダーなどのビート詩人が鈴木大拙の禅哲学に関心を寄せながら、その興味があくまで表面的な内容に留まったあたり。もしかしたら「(後期ハイデガーが「あらゆる集-立(Ge-Stell)システム、すなわち「特定目的達成の為に手持ちリソースの全てを動員しようとする体制」が真理(アレーティア)への到達要因となり得る」とした様に)頓悟禅は既存知性に対する奇襲によってのみ成立する」とした鈴木大拙の禅哲学と「(最終的には「それぞれが自己実現を最終目標に掲げる個人単位の集-立(Ge-Stell)システムの均衡状態」を理想視するに至る)肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なる行動哲学の「根本的な相性の悪さの様なもの」に気づいていたのかもしれない。

887夜『禅と日本文化』鈴木大拙|松岡正剛の千夜千冊

いまでもよく憶えているのは、こういう語り口だった。

禅というのはブッダの精神を直截に見ようとするもので、何を見ようとしているかというと、「般若」と「大悲」である。それを英語でいえば、般若はトランセンデンタル・ウィズダムに近く、大悲はコンパッションといえるであろう。この「超越的な智恵」たる般若によって、禅者は事物や現象の因果を超えるために修行をする。

そうやってやっと事物や現象にとらわれなくなったあるとき、ふっと大悲が自在に作用する。そのコンパッションの作用は禅仏教では無生物にさえ及ぶのだ。

そんなふうに言っていたことをよく憶えている。こんなことを感受性の高い高校生が初めて聞いたら、身震いして感動するのは当たり前のこと、そのうえさらに、本書の大拙は次のように畳みかけたものだった。

人間はそもそも「無明」と「業」の二つの密雲にはさまれて生きているものである。禅はこの密雲に抗って、そこに睡っている般若を目覚めさせる方法なのである、トランセンデンタル・ウィズダムはその間隙に出現する方法の智恵なのだ。諸君、その方法を知りたいなら、まず学校で習ったような順で物事を考えることをやめなさい。なぜなら、禅は「認識のコースを逆にした特別の方法」をもっている。そう言って大拙は突如として、だからこそ「禅は夜盗が夜盗に学ぶようなものなのだ」と言った。

これはのちにぼくも読むことになる『五祖録』からの引用だったのだが、突然に夜盗になれと言われても戸惑うだろうから、説明しておく。

ある夜盗の父親が息子から夜盗のコツを教えてほしいと言われ、二人して目星の屋敷に忍びこんだ。父親は大きな長持を明けて息子にこの中の衣服を取り出せと言っておいて、そのまま蓋を閉め、庭に出るとやにわに「泥棒だ、泥棒だ」と大呼した。

家人があわてて起き出したが泥棒はいない。困ったのは息子のほうで、長持から出るに出られない。そこでやむなくネズミが齧る物音をたて、家人が長持を開けたとたんに飛び出し、命からがら逃げ出した。

這々の体で息子が戻って父親にひどいじゃないかと言うと、まあ憤るな、どうやって逃げたか話してみろというので、息子が一部始終を話すと、そう、それだ、お前はこれで夜盗術の極意をおぼえたのだ、と。

こういう奇想な話を紹介し、大拙はすかさず「禅は不意を打つものだ。それが禅の親切というものだ」と説いたのである。親切が不意を打つことだなんて、わーっ、カッコいい、ものすごい。こんなことニヤリともせずに茶碗を片手で出すように言われれば、一介の青年、すぐに禅や禅林に憧れるのも無理はない。

ところで、日本においても1970年代中旬に入ると「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」なる政治的ジレンマが急浮上。国家間の競争が全てだった総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)の本格的終焉が始まり、これが1970年代後半から1990年代にかけて「究極の個人主義カリスマ性や暴力によって周囲を屈服させる事によってのみ達成される」なる個人主義的ジレンマに煮詰まり、1990年代に入ると遂に「それぞれが自己実現を最終目標に掲げる個人単位の集-立Ge-Stellシステムの均衡状態」なるパラダイムシフトが顕現する流れが観測されています。すなわち日本なりの形での「事象の地平線や言語ゲームの果てに潜在し続ける絶対他者を巡る黙殺/拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り離しのサイクル」も存在したという話…

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*まず決っして忘れてはいけない歴史、それは1960年代末頃より1990年代にかけての日本には長期的タームで(小栗 虫太郎(1901年〜1946年)の人外魔境シリーズ(秘境冒険小説)全集化や少年漫画週刊誌巻頭における怪奇特集を契機とするエドガー・アラン・ポー江戸川乱歩夢野久作横溝正史らの作品の再発見から始まった)「怪奇/オカルト/超能力/UFOブーム」が存在したという事である。この現象自体が(それまでの即物的価値観からの脱却の過程で生じた)実存不安の高まりの反映だったとする説もある。

*当時を子供として過ごした男子の多くが江戸川乱歩「少年探偵団シリーズ(原作1936年〜1962年)と(猟奇殺人など大人向け作品を強引に改変した)リライト版」や少年漫画週刊誌の巻頭特集を入り口としてこの世界に足を踏み入れ「ジャガーバックス全11巻(1972年〜1983年)」「ドラゴンブックス全66巻(1974年〜1975年)」「ジュニアチャンピオンコース(1970年前半〜1980年前半)」といった児童向け怪奇図鑑でこの分野についての「基礎教養」を蓄えたものである。藤子不二雄魔太郎がくる!!(1972年〜1975年)」つのだじろう恐怖新聞(1973年〜1975年)」「うしろの百太郎(1973年〜1976年)」古賀新一エコエコアザラク(1975年〜1979年)」もその意味合いにおいて「実用書」として読まれていた。今日からは想像もつかない様な現実と虚構の入り混じった世界だったのである。

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永井豪マジンガーZ(1972年〜1974年)」「グレートマジンガー(1974年〜1975年)」辺りでスーパーロボット路線アニメの人気に一旦陰りが見えた 時期、オカルト要素を入れた「勇者ライディーン(1975年〜1976年)」、UFO要素を入れた「UFOロボ グレンダイザー(1975年〜1977年)」「UFO戦士ダイアポロン(1976年)」、サイキック要素を取り入れた「六神合体ゴッドマーズ(1981年〜1982年)」「サイコアーマー ゴーバリアン(1983年)」が相次いで製作されたのも、かかる「大人の事情=なんちゃってマーケティング」の産物だったりする。当時のアニメ監督は玩具屋と戦ってその制作費を捻出する必要があったのだった。
http://i.imgur.com/5TrI2xi.jpg

*1970年代末以降は、こうした混沌状態に2つの志向性が派生する。高橋留美子うる星やつら(1978年〜1987年)」やまつもと泉きまぐれオレンジ☆ロード1984年〜1987年)」の様に「怪奇/オカルト/超能力/UFOブーム」のパロディから出発して「学園ラブコメ / 異能バトル」に向かう「軽薄化」の流れ、そして月刊オカルト情報誌「ムー(MU、1979年〜)」創刊に象徴される様な「本格化」の流れ。とはいえ両者は今日の人間が考えるより深いレベルで表裏一体の関係にあった様なのである。

「世界に手が届いた」という事は「世界の手が届いた」という事でもあるのかもしれません。我々が深淵を覗く時、深淵もまた我々を覗き返している…
*だから当然解析されるべきところは解析されてしまう訳で…

http://dijeh.tumblr.com/post/92995161908/ok-i-was-not-expecting-this

dijeh.tumblr.com

*国際SNS上の関心空間で一番驚くのが「KOR(Kimagure Orange Road)」関連回覧画像の充実。そもそも当時のアニメ画像自体が「1980年代文化の貴重なアーカイブ」として根強い引用人気を誇っているのだが…  
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*ラブストーリーを扱わなくなったディズニーから逃げ出した恋愛至上主義者達が「秒速5センチメートル(2007年)」「言の葉の庭(2013年)」「君の名は。(2016年)」といった新海誠作品に見出して熱狂した「小道具や情景に語らせる描写」の大源流としても認識されている。これに関連して江口寿史「ストップ!! ひばりくん!(1981年〜1983年 / 2010年)」の名前は挙がるが、わたせせいぞうハートカクテル(Heart Cocktail、1983年〜1989年)」までは挙がらない。

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*「ヒロインが不良少女」というファクターも案外重要だったりする。

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*こうした引用画像のアーカイブを見ても分かる様に、日本の「怪奇/オカルト/超能力/UFOブーム」それ自体は海外に一切訴求要素を持たず輸出過程で丁寧に除去されてきたのだった。その一方で当時の混沌から生まれた新しい表現や女性像は「君の名は。」や「Lady Bird(2017年)」において実に丁寧に拾われている。その一方で前者のテーマ曲が「眠り姫を起こすプレゼン」RADWIMPSなのに対し、後者において(厨二病真っ盛りの)ヒロインの心情を象徴するのがAlanis Morissette 「Hand In My Pockt(1995年)」。この辺りの複雑な展開に「文化なるもの、輸入は可能だが輸出は不可能」という複雑な展開が見て取れるという次第。

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*そしてこうして「海外に受容されたバージョン」はこんな方向に暴走したりもする。

しかし実は日本の「怪奇/オカルト/超能力/UFOブーム」には当時のエンターテイメント業界を巡る「大人の事情」も多分に絡んでいたのです。

  • 皮肉にも戦中期、戦後復興期、高度成長期の日本を一貫して支えてきた「集-立Ge-Stellシステムとしての総力戦体制時代1910年代後半〜1970年代)」に最初の齟齬が生じたのは、飽食による消費者の志向性の多様性と多態性の広がりだった。商品供給企業もマスコミも、これ以降は次第に国民全体を相手にする既存の宣伝戦略が通用しなくなっていく事を思い知らされていく。

    *最後まで頑張ったのが、それまで「辛いから大人用の食べ物」と認識されてきたカレーを「林檎と蜂蜜」のイメージで子供向け食品として普及させる事に成功した「ハウスバーモントカレー(1973年〜)」プロジェクトあたりとも?

  • もう一つの重要な変化がTVの普及で、映画界は「テレビが供給し得ない興奮」を求めて次第にバイオレンスやエロやグロの世界への進出を余儀なくされている。かくして日本でも1960年代から(海外でも人気を博した)ドキュメンタリー・タッチの「際物モンド映画Mondo film、1962年〜)が大流行。時期的にはやはり(当時の倫理基準と技術では絶対に映像化不可能だった)エロ・グロ・バイオレンスと奇想を売りにした山田風太郎忍法帖シリーズ1958年〜1974年)」の流行時期とも重なってくるのであった。

    モンド映画(Mondo film) - Wikipedia


    *時代劇でいうと東映がオールスタッフ体制で製作した「十三人の刺客(1963年)」岡本喜八監督・橋本忍脚本映画「大菩薩峠(The Sword of Doom、1966年)」を封切りした時代に該当する。

  • そして1970年代に入ると東映は「ピンクバイオレンス物」と銘打った梶芽衣子主演の「女囚さそりシリーズ1972年〜1973年)」や、ヤクザの実録手記を原作にした深作欣二監督映画「仁義なき戦いシリーズ1973年〜1976年)」を相次いでヒットさせている。海外におけるフランシス・コッポラ監督映画「ゴッドファーザーThe Godfather、Part-One1972年、Part-Two1974年)」の大ヒットもこの流れを後押ししたとされている。 

     春日太一「仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル―」

    これまでは映画館には幅広い層が来ていたが、1960年代後半から1970年代初頭にかけてにかけては二十歳前後の若者が主体になっていった。当時の若者の多くは、学生運動が盛んになる中で、従来にはない激しさと新しさを映画に求めた。その結果、イタリア発のマカロニウエスタンアメリカ発のニューシネマ、日本でもピンク映画と、従来の価値観に「NO」を叩き付けるような反抗的な「不健全さ」が受けるようになる。
    東映はこうした時流に乗り、任俠映画とポルノ映画で隆盛を迎えるのである。

  • 一方、東宝はこうした形での世間への安易な迎合を嫌い(「スペクタクル史劇」が通用しなくなったハリウッド業界がオールスター動員の大規模パニック物に活路を見出したのに倣い小松左京原作映画「日本沈没1973年)」を製作。

    春日太一「仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル―」

    東映は時代劇から任俠映画に向かう過程で、それまでの華麗な様式美の殺陣から、刀身の短いドスの特性を活かした生々しい肉弾戦の殺陣に変貌、それも任俠映画の人気の一因になっていた。一方、黒澤時代劇で殺陣の表現に革命を起こした東宝だったが、その荒々しい牙はいつの間にか薄れてしまっていた。

    • 「時代劇」…1960年代前半には、黒澤明監督映画「用心棒(1961年)」や「椿三十郎(1962年)」といった「(人が人を生々しく斬る)リアル時代劇」が引き起こしたパラダイム・シフトによって、それまで東映映画が大量生産してきた「(スター俳優が様式美に従って華麗な殺陣を展開する昔気質の時代劇」がたちまち時代遅れの遺物と化してしまった。

    • 「任侠映画」…対策として東映は時代劇スター俳優達をそのまま「義理人情に厚く正しい任侠道を歩むヒーロー」にシフトさせ、1960年代一杯は「チョンマゲを取った時代劇」と言われる虚構性の強い仁侠映画の量産によってなんとか食いつなぐ。そして観客層の変化によってこの路線も通用しなくなると仁義なき戦い1973年〜1976年)」に代表される「実録ヤクザ物」へと、さらにシフトしていく展開をたどる。
      *「実録ヤクザ物」への転換は、フランシス・コッポラ監督映画「ゴッドファーザー(The Godfather 、1972年)」が日本でも大ヒットした影響も色濃く受けている。その「ゴッドファーザー」における「冒頭の結婚式がラストの悲劇的結末に結びつく展開」は黒澤明監督映画「悪い奴ほどよく眠る(1960年)」の影響を色濃く受けている(というか結婚披露宴で「妹を幸せにしなかったら殺すぞ」と脅迫した兄がその宣言を実践して父の後を継ぐバージョンそのもの)。こういう思わぬ形での「東宝映画から東映映画へのDNA継承の系譜」もあるのが映画史の面白いところである。

    代表的なのは1966年、岡本喜八監督の「大菩薩峠」でのエピソードだろう。ラスト、仲代達矢扮する主人公・机龍之介は狂気にかられ、周囲にいる新選組を凄まじい勢いで斬りまくる。仲代の鬼気迫る演技と岡本監督のスピーディなカット割りが合わさり、ド迫力のアクションシーンに仕上がっていた。だが、オールラッシュ(スタッフ向けの試写)を見た東宝映画の藤本真澄社長はラストシーンの改変を求めてきたという。

    「仲代が新選組の一人を刺すだろう? 抜く時にグッとエグる、あれイヤだねえ! ザンコクだよ! 刺したらサッと抜きゃあいいじゃないか?」

    これは、岡本なりにリアリティを求めて、こだわった描写だった。なぜそのような描き方をしたのかを説明するする岡本だったが、藤本は聞かない。

    「それは屁理屈だ。切れ」

    藤本は当時、馬場にこう語っていたという。

    「苦しくなったからといって裸にしたり、残酷にしたり、ヤクザを出したり……そうまでして映画を当てようとは思わない。俺の目の黒いうちは、東宝の撮影所でエロや暴力は撮らせない」

    *一方、松竹は横溝正史原作・橋本忍脚本・村芳太郎監督映画「八つ墓村(1977年)」 において「怪奇/オカルト/超能力/UFOブーム」に完全迎合する道を選ぶ。それにつけても、この物語の主人公を「空港職員」に変更し「(ドロドロの因縁に拘泥する)田舎社会」と時代の最先端を対比させた橋本忍の構想力たるや恐ろしい。


    *ある意味、江戸幕藩体制の中だるみ期に近松門左衛門の心中物や歌舞伎の「道成寺物」や「襲物」が大流行したのと同じ歴史的必然性すら感じる。特に後者に至っては(主要観客がファッションとして観劇に向かう町娘達だった事もあり)明るいミュージカル仕立てとなり、この路線が飽きられた頃に「ではそろそろ教育してやろう、本当の恐怖って奴をな」と嘯く鶴屋南北が「東海道四谷怪談(初演1825年)」を撃ち放って全日本に衝撃を与えたのだった。

 こうして全体像を把握して初めて、我々は五島勉ノストラダムスの大予言シリーズ(1973年〜1998年)」とは一体何だったかについて語る資格を得るのでした。

『大予言』初巻に書いた、予言を回避する方法

―― このことは聞いておかなければと思うんですが、五島さんの『大予言』シリーズで繰り返し言われたのは、1999年の7の月ですよね。今、あらためて1999年7月と書かれたことについて、どのように思われていますか?

五島 弁解するわけではないんだけど、私は「大予言」シリーズの初巻の最後に、「残された望みとは?」という章を書いていて、予言を回避できる方法がないか考えようと言ってるんです。もちろん、米ソの対立とか核戦争の恐怖とかがあって、ノストラダムスが警告した状況が来ることは間違いない。それは破滅的なことかもしれないけど、みんながそれを回避する努力を重ねれば、部分的な破滅で済むんだということを書いたんです。だからこの本は、実は部分的な破滅の予言の本なんです。

だけど、私がこの本を書くとき、ノンフィクション・ミステリーという手法に挑戦したことで誤解を生んでしまった。ミステリーが最後にどんでん返しをするように、初めに全滅するんだと書いておいて、最後になって人類が考え直して逆転して、部分的な破滅で済むんだと、それに向かって努力しなければならないと書いたんです。だけど、ここのところをみんな読まないんです。

―― たしかに多くの人が、1999年7月に全滅するんだと信じていましたね。

五島 ただ、私はそのことをちゃんと主張できるけど、当時の子どもたちがね。まさかこんなに子どもたちが読むとは思わなかった。なんと小学生まで読んで、そのまま信じ込んじゃった。ノイローゼになったり、やけっぱちになったりした人もいて、そんな手紙をもらったり、詰問されたりしたこともずいぶんありました。それは本当に申し訳ない。当時の子どもたちには謝りたい。

最後は丹波哲郎の演説で終わる映画版『大予言』

―― 『大予言』は発売の翌年には100万部を突破し、映画にまでなりました。映画版をご覧になっていかがでしたか?

五島 良い映画、悪い映画ということを越えて“変わってる”と思いました。

―― 変わってる映画ですか?

五島 本が売れた段階で、東宝がぜひ映画にしたいと言ってきたんです。だけど、彼らの根底にはゴジラ体験があり、優秀な人たちだったけど話が合わなかった。彼らはゴジラ的な恐怖娯楽を入れたい。私はもっとリアルな国際政治を入れたいと思ったけど無理でした。しかも主演が丹波哲郎さん。「俺のライフワークにする」とか言って熱演して、最後は丹波哲郎の演説で終わりました。結局、ノストラダムスの映画なのか丹波哲郎の映画なのか、分からなくなりましたね。

―― それはそれで興味深い(笑)。しかも文部省の推薦映画で。今では「封印作品」となって、見られないのが残念です。
*明らかに映画版「ノストラダムスの大予言(1974年)」はモンド映画の影響を色濃く受けている。まさしく「劇場に観客を呼び戻す方便としてのバイオレンス・エログロ」のマスターピースとも。

東宝映画 『ノストラダムスの大予言』 | 湘南 から元気倶楽部 Cafe

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よく本作は「ストーリーがない」とマトはずれな批評を受けるけれど、これはストーリーに比重を置く映画ではないのだから当たり前だ。とにかく主演の丹波哲郎がアジりまくっていて、映画の構成は、丹波演説…特撮場面…丹波演説…由美かおるチチ出し…丹波演説…特撮場面…丹波演説…由美かおる踊る…丹波演説…大特撮場面…丹波大演説…山村聡大演説…という具合に、全編にわたって丹波節が大炸裂。

映画には「核戦争で荒廃した関東平野で、化け物になった人類がミミズを取り合う」、「放射能で植物人間になった探検隊の肩を揺すると肩がもげる」、「スケベ丸だし顔の黒沢年男が漁船で由美かおるとエッチする」などトラウマ場面も満載で、当時、親戚にせがんで連れて行ってもらったオレは気まずい画面に大変困ってしまったものである。

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公開当時は当時の大作らしく宣伝にも力が入れられていた。特番が組まれたり、不気味な図案のポスター(破滅の時を刻む時計の上に感情が感じられない大きな目玉が浮かんで終末の光景を眺め…それを丹波哲郎が覗いている)が夕刊の広告欄に大きく掲載されたりしてたのだから、うっかり目にするとビビッてメシがまずくなった。

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音楽は富田勳氏が担当しているけれど、このテーマ曲がまた不気味。突然の大音響でイントロがはじまったかと思うとジェット機のSEが入って、シンセサイザーの音が幽霊みたいにヒューヒューと鳴りだしてさ。この音楽が”滅亡の画面”に重なるとホントにはまっていた。おまけに妙に耳につく音楽で、うっかりシングル盤を買ってはみたものの、当時は怖くてあまり聞けなかった…。

でも、この映画。映画としてのバランスはなんだかヘンチクリンな気がするけれど、製作者側は未来への警鐘を込めて意外と真面目に取り組んでいるように思えるんだよね。だいたいそうでなくちゃ、あんな演説ばかりのヘンテコな構成の映画にはならないんじゃないかなぁ。特にラストの5分を越える大演説は、プロデューサの田中幸彦氏がこだわって何度も脚本家に書き直させたっていうし、絶対にこの人はマジでノストラダムスを信じてたと思うね。大人のくせに! わははー。

(中略)

この映画『ノストラダムスの大予言』には続編の企画もあった。

原作『大予言Ⅱ』と『大予言Ⅲ』のエピソードを使った『ノストラダムスの大予言Ⅱ~恐怖の大魔王』という企画で、公開予定を1975年としていた。しかし、この企画のあらすじはかなり狂っている。

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主人公は”五島勉”(そのまんまじゃん!)という名のルポライターで、世界の滅亡を心配している。彼は東亜大学の研究室で行われていた霊媒実験を見学しに行く。ノストラダムスを呼び出して未来図をみせてもらおうというのだ。

ノストラダムスは現れなかったが、代わりに参加者がノストラダムスの世界に呼び込まれてしまう(???)。そこでは最終戦争で世界が滅びようとしていた。しかし、日本だけは無傷でUFOがやってきて…という書いてて頭がおかしくなりそうなバカ企画である。映画化されなくて本当によかったと思うけど、怖いモノみたさでちょっとみてみたい気もする。

ちなみにこの企画を再提案までして持ち込んだのは、一本目のプロデューサー、田中友幸氏だった。この人、やっぱりマジだったんだよ!

田中友幸(1910年〜1997年) - Wikipedia

大阪協同劇団での演劇活動を経て、プロデューサーとして活躍し、『ゴジラ』(1954年)以降、同社の看板シリーズとなった怪獣・SF映画のほとんどをプロデュース。また、「8.15」シリーズをはじめとするアクション映画や戦記大作、黒澤明岡本喜八監督などの作品も手掛け、喜劇・文芸作品を専門分野としていたプロデューサー・藤本真澄東宝の黄金時代を牽引した。なお、関西大学から演劇活動にかけての仲間からは、俳優の志村喬、脚本家の木村武がのちに結集して特撮路線を支えている。

元々健全市民カラーの強い東宝にあって、ひたすら非日常の世界、豪快な男性路線にこだわり続けた。東宝社内で異端派に終わるべきところ、数回にわたって日本映画の興行成績記録を更新するという空前絶後のヒットメーカーぶりを発揮。結局は会社の色まで染め替えてしまった。今日では東宝の名は創立以来のサラリーマン喜劇や文芸映画以上に、田中が主導した特撮&アクション路線の印象が強くなっている。とりわけ『日本沈没』で大ヒットを飛ばして以後は東宝系の映画館主から絶大な信頼を受けた。黒澤明作品も、田中がプロデュースした1960年から1980年にかけての時期は娯楽性が強く、大ヒット作が多い。

テレビなどでゴジラの生みの親として紹介されるのは円谷英二であることが多いが、一般に知られているゴジラの基本設定を思いつき、実際の企画を立ち上げたのは田中である(円谷は第1作では実質カメラを有川貞昌に任せて特撮全体を指揮していたものの、タイトル上は特殊撮影担当者として、特殊美術や合成と並ぶ3人の「特殊技術」の1人としてしか扱われていない)。田中はこのことに強い自負を抱いていたらしく、キネマ旬報誌上で北島明弘が執筆したゴジラ関連記事に自分への言及がないことに不満を抱いて呼び出し、インタビューを掲載させたこともある(北島はその思い入れの強さに感じ入ったと記している)。

1998年に公開された『GODZILLA』のエンドクレジットの最後には、「田中友幸の思い出に捧ぐ」という一文が記されている。

その硬派で一貫した作品群、上記のインタビューのような強気なエピソード、三菱や創価学会とも太いパイプを築き東宝グループ製作部門に君臨した晩年のポジションなどから、強面なイメージで語られることも多いが、実際は柔和で温厚な調整型の人物であったとされる。試写でまずいところがあると、隣席の監督をつねってくるなど、お茶目な面もあった。なお、1970年代後半には本社の専務取締役である西野一夫が社長を兼ねる東宝映像の会長をつとめるなど、製作部門においては藤本引退後は不動のトップとして待遇されながら、森、藤本(あるいは田中の後で東宝映画社長に就いた林芳信、島谷能成、市川南)とは異なって一度も本社取締役には就かなかった。そのため、本体中枢入りと引き換えにプロデューサーの肩書きを外さざるを得なかった彼ら(藤本は退社後にフリープロデューサーに転じる予定だったが死によって果たせなかった)と違って、終生製作部隊である株式会社東宝映画に君臨。オーナー型でさえ海外にも類のない、86歳まで切れ目なく作品を発表するという映画プロデューサー人生を、しかもサラリーマン型でまっとうすることとなった。

三船プロダクションの設立と運営にも森岩雄藤本真澄川喜多長政らと大きく尽力した。

晩年には、ゴジラガメラを戦わせるのも面白いという旨を発言していた。

没後に製作された『モスラ3 キングギドラ来襲』の劇中に、主人公の祖父の肖像として田中の写真が飾られている。

オウムとノストラダムスは関係ありません

―― もう一つ、答えにくい質問をして申し訳ありませんが、五島さんが破滅を回避するために本を書かれた一方で、オウム真理教事件のように、破滅を起こしてやろうという人々が現れました。そのことはどう思われますか? 

五島 オウムとノストラダムスは関係ありません。オウムがノストラダムスの名前を勝手に利用しただけです。本当に悪いやつがいるものです。ノストラダムスの予言で危機を起こすと想定されているのは、米ソの核や生物化学兵器など、もっと大きな軍備です。それを一人の変なやつが命令を下して、しかも権力をやっつけるんじゃなくて、自国の国民にサリンをまいたわけでしょう。そこのところが、どう思うも何も間違いです。完全に間違い。

―― 彼らがノストラダムスを悪用したわけですね。

五島 ただ、それもやっぱり私の本に影響されてあの人たちが何か起こしたというなら本当に私も悪いわけで、それは謝りますけど、よく調べてみると、オウムの麻原たちがよりどころにしたノストラダムスの本というのは私の本と違うんです。責任回避するために言うわけではありませんが、当時たくさんのノストラダムス関連の本が出ていましたから。彼らがよりどころにしたのは、精神科のお医者さんでノストラダムスの解釈書を書いた人がいたんです。その人たちが、自分勝手なことを世の中に流布するわけです。だから、私以外で影響を与えた本が何冊もあるんですよ。でも、ノストラダムスの影響というときにはぜんぶ私のせいになっちゃうんです。今、私がそれを言ってもしょうがないから、あんまり言いたくないんですけど。

世の中には「五島勉こそオウム真理教暴走の戦犯」と決めつけようとする動きもある様ですが…

 実際、当時は本当にこういった感じだったのです。もしあえて「戦犯」を探すなら、当時「天才宣伝プロデューサー」としてもてはやされていた角川春樹の方がよほどふさわしいかもしれません。

  • 麻原彰晃が家庭的に様々な問題を抱えていた様に、角川春樹もまた社長たる父親との確執を抱えていた。むしろ、かかるコンプレックスをバネに(父親と息子の衝突を基軸に物語が進行するエリック・シーガルの恋愛小説「ある愛の詩Love Story、1970年)」や(コロンビア大学で実際にあった家父長的学部長と学生の衝突に取材したジェームズ・クネンいちご白書The Strawberry Statement、1969年)」を映画化に合わせ翻訳し、後に「角川商法」と呼ばれる事になるメディアミックス戦略の基礎を気付き上げる。次に横溝正史の「旧家崩壊物」に目をつけるが、それもこうした作品が失敗した親子関係を軸に展開するのが気に入ったからとされている。

    *「旧家崩壊物」…逆を言えば、それ以外の金田一耕助物をリヴァイヴァルの対象から外した戦犯ともいえる。むしろ実際の横溝正史には「近代文明の恩恵など本格推理物にとってはノイズ」と豪語していた「松本清張ショック」以前の推理小説界に反抗し、映画のトーキー化、自動車やTVの普及、海外における「ロリ・サイコパス物」ブーム、集合団地建設に伴う新たな人間関係の台頭などに取材する風俗作家という側面もあったのだが、そういう部分が評価軸からすっかり抜け落ちてしまった。その一方で全作品文庫本全集に収録した事で「読者がその気になれば全貌が確認可能な環境」が整った事実もまた揺らがない。

  • かかる家族関係への不信はもしかしたら森村誠一人間の証明1975年)」に登場する「冷酷な母親」、「野性の証明1978年)」に登場する「家父長として振る舞う地方都市の首領」、半村良戦国自衛隊G.I. Samurai、1979年)」における「人間を平気で捨て駒にする時代精神」へも投影されているかもしれない。そして、こうした叛逆精神は(本国においては1970年代中旬に息絶えるアメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)の精神を継承しつつ「(旧左翼陣営と新左翼陣営を結びつけた差別意識」注入を受けて独自発展を遂げていく。

    アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)を特徴づける物語文法は「反抗心や攻撃性を剥き出しにした挙げ句の果ての破滅」というもので、ある種の選民意識から「ハッピーエンドに向かう妥協」そのものが世間への迎合として軽蔑し「観客を不愉快な気分にして返す」のを信条としていた感すらある。これでは「現実の底辺生活」を知る南イタリア勢が台頭してニューヨークを舞台とする「ゴッド・ファーザー(Godfather、Part1 1972年、Part2 1974年、フランシス・コッポラ監督)」「タクシードライバー(Taxi Driver、1976年、マーティン・スコセッシ監督)」「ロッキー(Rocky、1976年、シルヴェスター・スタローン主演・脚本)」「サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever、1977年)」といった生々しさと痛々しさに満ちたリアルな作品を送り出す様になったら、たちまち色褪せて観客から見向きもされなくなってしまったのも仕方がないとも。

    *そして観客が「生々しさと痛々しさに満ちたリアルな作風」に飽き飽きした時点で「スターウォーズ(1977年)」が来る。観客は、案外「今度はお茶が怖い」などと呟き続ける事で製作陣を操ってきただけなのかもしれない。

    森村誠一人間の証明1975年)」…日本とニューヨークを舞台に黒人男性との過去を隠す為に二人の間に生まれた息子を殺す冷酷無比な母親を描く。重要なアイテムとしてボロボロになった「西條八十詩集」が登場する。TVCMで有名になった「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」は西條八十の詩がオリジナルで、劇中でも語られているが「Mama, Do you remember...」と英訳され、ジョー山中が歌うテーマソングにも取り込まれて様々なパロディを生んだのだった。また原作小説を読んでから映画を観るか、あるいはその逆かといった意味の「読んでから見るか、見てから読むか」という宣伝文句も話題となった。

    森村誠一野生の証明1975年)」…東北地方で都市支配を目論む大場一族の巨大な陰謀を描く。薬師丸ひろ子演じる超感覚的知覚(短時間後の予知などの超能力)の力が目覚めた少女の「お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ」という台詞がTVCMで有名に。自衛隊が「大場一族に手駒として奉仕する虐殺部隊」としか描写されなかったので防衛庁の撮影協力が得られなかった。

    半村良戦国自衛隊G.I. Samurai、1979年)」…謎の時代精神の意思で平行宇宙の戦国時代にタイムスリップした自衛隊の末路を描く。千葉真一芸能生活20周年・ジャパンアクションクラブJAC)発足10周年記念作品。角川春樹自身は製作発表の場で「アメリカン・グラフィティ』の様な青春映画の日本版を目指す」と述べている。やはり自衛隊が「監視の目を離れるとたちまち略奪・輪姦・虐殺に走る野蛮人の群れ」としか描写されなかったので防衛庁の撮影協力が得られなかった。

    『戦国自衛隊』はトンデモ歴史映画の最高傑作! 人の精神暗黒化に戦慄を覚えよ - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    現代の火力を持った自衛隊さえも、容赦のない戦国の掟、非情な倫理の前において、アッサリと犠牲になってしまう。何より恐ろしいところは、戦闘訓練を施された自衛隊員でさえも理性を失ってしまう点でしょう。人間の本質をズバリと見抜いたかのような。腹の底をえぐり出されるかのような。単純にドンパチやらかしてスッキリ!ではなく、CGがなくとも大迫力の映像となった骨太の名作。

  • ところで当時は(飽食時代到来を背景に)既存の宣伝戦略が通じなくなっていった時代で、大林宣彦が欧米の超大物有名人を招聘したCMで商品の注目度を高め「映像の魔術師」と呼ばれたりしていた。角川春樹も「人間の証明」におけるニューヨーク・ロケや「野生の証明」「戦国自衛隊」における大規模戦闘シーンが話題となって気を良くしたが大予算を投じて世界中でのロケを敢行した小松左京原作「復活の日1980年)」は大ゴケ。ちなみに大林宣彦の「少年ケニア1984)」も(ランキン・スタジオ下請けとして「ホビッドの冒険」「指輪物語(未完)」を手掛けてきたトップクラフトの実力に支えられた)「風の谷のナウシカ1984)」に大敗を喫して「角川大作アニメ路線」はあっけなく頓挫してしまう。

    *当時実際に興行収益を支えていたのは薬師丸ひろ子らが主演した「アイドル映画」だったが、この分野は次第にTVドラマにお株を奪われていく。またハリウッド映画界も1980年代以降の角川映画について「魔界転生(1981年)」での「剣豪」柳生十兵衛千葉真一)、「里見八犬伝(1983年)」での「毒婦」玉梓(夏木マリ)の演技などは評価しているものの、原則として見るべきものはないとしている。実際、当時一番国際的成功の見込みが高いと考えられていた大予算のスペースオペラやファンタジーの製作は日本においては全く不可能だった。かくして「角川商法の空洞化」が始まる。

  • それならば、以降「集-立Ge-Stellシステムとしての角川商法」は何を目指したのか。題名通り日本最後の日を描いた小松左京原作映画「日本沈没1973年、東宝)」。核戦争による世界滅亡の景色を描いた「ノストラダムスの大予言1974年)」。そして細菌兵器による世界滅亡を描いた小松左京原作映画「復活の日1984)」こそ興行的に失敗に終わったが「ハルマゲドンの恐怖」を日本全土に浸透させた「幻魔大戦1983年)」は相応の成功を収めた。角川春樹に残された「TVに勝てそうなコマ」は事実上この「破滅プロパガンダ路線」のみとなり、さらにラインナップに「魔人加藤保憲が執拗に東京を滅ぼそうとする荒俣宏帝都物語1985年〜)」が続く。こうした過程で角川春樹は「(幻魔大戦」作中で行方不明となった主人公東丈の生まれ変わり」を称する様になり「帝都物語」作中において「ハルマゲドンを生き延びる神秘の教祖」として描写される様になっていく。これだけ異様な集-立(Ge-Stell)システムが、全くというほど目立たず、特別話題となる事なしに済んでいたのが当時の日本の実情だったのである。

    *当人は「遊び」だったと説明しているが、実際「遊び」だったにせよそれは生き残りを賭けた必死の投機だった筈である。

  • 天と地と1990年)」が大ゴケしてなお「天才宣伝プロデューサー角川春樹の地位は安泰のままだった。もはや社内に誰も彼に意見出来る人間が残っていなかったせいともいわれる。コカイン密輸事件に連座して逮捕された1993年8月29日時点においてなお、日本国民の大半に対して自らの監督した「恐竜物語REX1993年)」を同年公開のスピルバーグ監督映画「ジェラシック・パーク1993年)」と同グレードの作品と信じ込ませる事に成功し続けていた(歴史のこの時点においてなお日本人が全体としてそれだけ騙されやすかった事実から決して目を逸らしてはいけない)。そもそも逮捕自体、費用対効果を無視してそういう宣伝戦略を続ける彼を社内の誰も止められなかったので止むを得ず遂行された内部告発だったとする説がある。いずれにせよ結局この人物は(ある意味、本国ではすでに壊滅済みだった米国ヒッピー文化の継承者を自認しながら、あるいはそれ故に)自らが(多くのヒッピー教祖がその道を辿った様に)「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに挟み殺されてしまったといえよう。

    *「同じ道を辿った全員が非業の最期を遂げるとは限らない」…ティモシー・リアリーも指摘している様に、この時代を生き延びる鍵は「自己実現の為の個人的集-立(Ge-Stell)システムの維持(進むべき時に進み、退くべき時に退く判断力の維持)」だったのであり、それを守った人物はちゃんと生き延びている。例えばスティーブ・ジョブズ石原慎太郎

  • ここで興味深いのが谷川流涼宮ハルヒシリーズ2003年〜)」の主人公である涼宮ハルヒは、実は上掲の様な意味合いにおける「角川春樹のプロデュース能力=願望実現力」が記憶を奪われた上で女体に封印された姿であり(それ以前のジュブナイル小説の主役格だった)宇宙人や未来人や超能力者集団が再暴走に備えて見張っているとする説。さらには「(「怪奇/超能力/UFO/サイキック」ブームのパロディという「うる星やつら」の初期設定がすぐに吹き飛んで省みられなくなった様に日常系に移行して以降は事実上破棄終了済み」という考え方や「その方向で考えた物語展開が時代遅れになって開示不能となったから休載中」という考え方も。供養としては最前の形態?

それでは誰が「真の黒幕」だったのか(実際には、意外と「ゴジラ」の田中友幸プロデューサーが果たした役割も大きかったりする)? 話はここで改めて冒頭に引用した坂口安吾堕落論1947年)」に戻る訳ですね。

坂口安吾「堕落論(1947年)」

小林秀雄は政治家のタイプを、独創をもたずただ管理し支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才は管理や支配の方法に独創をもち、それが凡庸な政治家の規範となって個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で巨大な生き者の意志を示している。政治の場合において、歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿において政治もまた巨大な独創を行っているのである。

この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるが、しかしまた、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿において独創をもち、意慾をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く。

政治家を例えばプロデューサーに置換しながら読んでいくと…あれ「プロデューサーなきプロデュース」に置換される箇所がありますね。

日本人はどうやらこの辺りを堂々巡りしてるらしい?