諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】限度を軽く超えてきた韓国裁判所

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考えてみたら「日韓併合」自体「国際的に前代未聞」といえなくはない事態だったのです。もっとトンデモな国も存在したかもしれませんが、そんな国の大半はその愚かさ故に速やかに滅んで行ったのでした。むしろ驚くべきはその恐るべき「生存バイアス」…

  • 帝政ロシアの影響が強かった時代に制定された大韓帝国憲法には大韓帝国皇帝の全臣民に対する占断権一切の批判を許さない独断権(むしろ経済的理由が強かったが、実際当時の韓国マスコミは全て皇帝資本下にあった)が声高らかに歌われていた。
  • ところが肝心の高宗にその重責を背負うだけの気概がなく、自分と家族の身の安全と私財保全だけを理由にあっけなく国を譲渡してしまったのである(当時の交渉記録が一通り残っているので言い逃れは不可能)。この国王と国体意識のズレこそがある意味悲劇の源泉であったとも。
  • ちなみに官僚供給層たる中央両班もこの判断を歓迎した。その背景には郷班や退役軍人中心に革命の機運が漲っていた事(誰だってギロチンは怖い)、資本主義流入による困窮から官職辞退の代償に与えられる年金が魅力的に思えた事(思えば日本で大政奉還(1967年)、王政復古の大号令(1868年)、版籍奉還(1969年)、廃藩置県(1871年)、藩債処分(1872年)、秩禄処分(1876年)のコンボがすんなり決まったのもこれが決め手だった。前近代官僚階層の体制に対する忠誠心などその程度の物なのである)などがあったとされる。

韓国側は「いつもの馴れ合い」程度にしか考えてなさそうなんですが、これはともかく日本国民全体の態度を一変させそうな悪手…