Qiitaの一連の投稿で、なんとか「0次元→1次元編」が一応のまとまりを見せ始めました。ずっと引き摺ってきた「小学校の時に習った等差数列や等比数列の概念はどこまで通用するか」という疑念に回答が得られた形です(無事上位概念に発展的に解消)。
ちなみに以下の投稿の内容を発展させる形でまとめました。現在はほとんどのサンプルソースがRのみで書かれてますが、時間をみて次第にpython併記にアップデートしていく予定でいます。
次は「1次元→2次元/3次元編」ですが、現段階ではノーアイディア。もちろん「線」が規定された以上、次はその「積」を取る訳ですが、その瞬間からこれまでは黙殺可能だった内積や外積の概念が襲い掛かってくる訳で…と、そんな事を考えていたら、こんなページに遭遇。ある種の行列原理主義者タイプ?
「数」という言葉は、日常的には「物体の個数」を意味します。 それは自然数です。 これまで数学の世界では「数」という言葉の意味を何度も拡張してきました。 しかし、言葉の意味を拡張すればするほど、その言葉の意味はどんどん希薄になっていきます。
整数は「物体の位置」と解釈できるでしょう。 実数は「物体の長さ」と解釈できるでしょう。 それらは、「数」という言葉の意味を拡張することで、「数」と呼ぶことができます。 でも虚数は違います。 それは、もはや「数」と呼ぶべきではありません。 それは、回転変換の単位と呼ぶべきものです。 私は虚数の新しい名前として、回転変換単位、または短く回転単位を提案します。
私も最近になってやっと気付いた次第ですが、微積分やテイラー/マクローリン/ローラン級数の様な近似計算に現れる「交代級数」の正体も実は複素数だったりするのですね(-1^x=(0+1i)^2x、まぁこちらも「回転単位」ではある)。「認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」を主題とするサイトを運営している立場から見ても虚数は実に興味深い存在で、そもそも実在するしないを議論するだけ無駄で「1次元操作中の2次元操作の援用」みたいな禁じ手の総称と考えた方が良いのではないかと考え始めています。
感覚的にも、数の2乗が-1になることはありえません。 そのため、どうも腑に落ちません。 なぜ、これほどまでに感覚に反するのでしょうか?
実は「むしろ実数が無条件に実在すると考えてきた事の方に問題があるのでは?」と提言してるのが上記のQiita投稿なんですね。その一方ではこんな人もいます。
興味深いのは「Rのplot関数は複素数列を渡されると状況によって二次元ベクトルとして扱う(pythonのライブラリはどうやらそうじゃない)」という辺り。やはりキーワードは「視野内/視野外」なんですね。そんな感じで以下続報…