「ビキニアーマー/宇宙服」について調べていくとパルプマガジン衰退期のSF雑誌のカバーアートを手掛けたEarle Bergey(1901年~1952年)なる人物に辿り着きます。
RPG系ファンタジー女性キャラ露出しすぎ問題、新井素子先生が『扉を開けて』で戦場に出たら危ないからと美弥子さんやディミダ姫に毛皮を着せたのに劇場版アニメ(1986)ではビキニになってたとぼやいておられたっけ pic.twitter.com/yYmnm90RjI
— 原田 実 (@gishigaku) 2021年12月25日
…しかし、そうはいってもビキニアーマーの歴史は水着としての「ビキニ」の歴史よりも古いのであった
— 原田 実 (@gishigaku) 2021年12月25日
ローマ時代のビキニっぽい服をビキニ水着にカウントしたら水着が勝つかもしれませんhttps://t.co/mnPfeo5hAh
— 西方政府軍兵士@ノクターンノベルズ&ノベルアッププラス (@Lkpi8dEIKmF7bi1) 2021年12月25日
古代ローマ時代の女性用運動着については陸上で使うものなので水着「ビキニ」ではなくビキニアーマーの前史とみなすべきかと pic.twitter.com/5reF7Ib2oT
— 原田 実 (@gishigaku) 2021年12月26日
しかし、水着「ビキニ」(1946年発表)、「水爆実験並みの衝撃」という意味で、それが日本でも1960年代には普及していたということは、60年代当時の当時の日本人は(子供の頃の私自身も含めて)今の日本人とは別の種族かも。
— 原田 実 (@gishigaku) 2021年12月26日
そりゃちょっと前までオキュパイド・ジャパンですし。
— Alsnova (@alsnova) 2021年12月26日
アメリカで流行れば即輸入されてた時代。
この曲が即日本でも流行して、今でもたまにBGMで使われてるしなあ。https://t.co/fTzfdQqqkL
— Alsnova (@alsnova) 2021年12月26日
そして…
パルプマガジン衰退期の1950年代には、SF雑誌が売り上げを少しでも伸ばそうと「ビキニ宇宙服」なんてのも開発してましたっけ。ダーティペアのアレも肌を露出してる様に見えてる部分は塗布式のポリマーに覆われれてて、レイガンがかすめたくらいでは無傷という設定でした。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
露出の少ない宇宙服もありますが…おそらくあまり人気が出なくて「もっと肌を露出しろ」という話になったんじゃないでしょうか?
ここで興味深い仮説が浮かび上がってきます。
- 1950年代、SF系パルプマガジンを衰退させ、廃刊に追い込んでいったのは当時飛ぶ鳥を落とす勢いで売り上げを伸ばしていたコミック誌であり、特にその筆頭に立っていたのがボンテージ要素と同性愛要素を山盛りにした(要するにこちらはこちらで基本コスチューム以上に脱がせられないので別の形でエロ要素を盛った)「最もいかがわいい時代の」ワンダー・ウーマンだった(あまりに目立ち過ぎて、それでComic Code制定騒動の際に槍玉に挙げられ「少女達に夜遊びを勧める」Girls Comic同様に壊滅的打撃を受けてしまう)。
- ならば「ピンナップ・ガールの巨匠」Earle BergeyがSF系パルプマガジンのカバーアートに抜擢され、半裸の美女を描きまくったのも、それへの対抗策と考えるべきなのではなかろうか?
実際「シャボン玉状の拘束具」など両者に共通して現れるモチーフも少なくないのです。それにつけても、もう一つの疑問点…
当時、米国SFジャンルそのものまで衰退期にあった訳ではありません。ハリーハウゼンの大怪獣襲来物がトレンドになり、その影響を受けて日本で「ゴジラ」が制作されたりしているのです。もしかして米国パルプマガジン作者、その流れに乗れなかった? 実際私はこの時期、これらの表紙に対応する作品をとっさには思い浮かべられないのでした。実際「1940年代以降、(西部劇作家を吸収して規模ばかり大きくなった)スペースオペラは似た様な登場人物の似た様な物語ばかりになってしまった」という批判自体は目にした事ならあります。
- 実は既に1930年代頃から既に「パルプマガジンに掲載される読み切り短編集」の人気凋落は始まっており、例えばハメットも発表作品を「単行本として発売される長編」にシフトさせている。
- H.P.ラブクラフトが発明した「宇宙的恐怖」ジャンルが「クトゥルー神話体系」に進化したのもアンソロジー単行本としての刊行を意識しての事だったし、ヒロイック・ファンタジーは年代順に並べ直した分冊として刊行される様になった。
- スペース・オペラについては逆に1960年代に早川書房が牽引した翻訳ブームに際して日本で刊行された作品からの逆算を試みてみよう。私が従兄弟から継承した本棚で目にしたのはニール・ロナルド・ジョーンズ「ジェムスン教授シリーズ(1931年~1949年)」エドモンド・ハミルトン「キャプテン・フューチャー・シリーズ(1940年~1951年)」「スターウルフ・シリーズ(1967年~1968年)」、それ意外としてはE・E・スミス「レンズマン・シリーズ(1937年~1950年,ただし1960年刊行の外伝あり)」。なるほど確かにどの作品も1950年代以前に連載を終了しており、かつ単行本時代も巧みな刊行戦略によって生き延びた強者ばかり。そしてそこには「ビキニ宇宙服」が登場する様な作品は一つも含まれなかったのだった(そもそも本文中にそんな描写があったか自体が怪しいが)。
その一方…
ジャバ・ザ・ハットに囚われていたレイア姫が着せられていた、あのビキニみたいな格好というのは、なかなか良かったと思うんですよね。まあ、レイア姫役のキャリー・フィッシャーとしては、たぶん、年齢的にも見せるのは限界なところもあるんですけども。
やっぱり『スター・ウォーズ』の元々のイメージというのは“スペース・オペラ”なんですよ。そして、スペース・オペラというのは、『火星のプリンセス』という作品に出てくる、デジャー・ソリスという火星人のお姫様に代表されるようなイメージを持っているんです。
パルプ雑誌と呼ばれる、いわゆる昔の安物のSF雑誌では、「オスの宇宙人は、なぜだか全員、腕が6本くらいあるモンスターみたいに描かれるけど、メスの宇宙人は、もう絶世の美女」というのが定番だったんです。
そんな、美女の宇宙人が、ビキニみたいな肌もあらわなギリギリの格好で「あっはーん」としなだれているというのが、当時のSF雑誌の表紙の典型例だったんですね。
そこから端を発している『スター・ウォーズ』としては、そういった古き良きSFのイメージを出したかったんだと思うんです。そして、『スター・ウォーズ』の中で、ビキニを着せるとしたら、もう、レイア姫しかいないんですよね。
確かに「火星シリーズ(1912年~1943年)」「ターザン・シリーズ(1917年~1941年)」のエドガー・ライス・バローズこそ「スペース・オペラ」概念の発明者にして「ターザン・シリーズ」刊行が単行本刊行ブームの火付け役となった重要人物。そしてその際に「カバーアート作家」フラゼッタが世に出る訳です。
一方、彼の彼のスペースオペラ作品には原則として宇宙船も宇宙服も登場しない事がまた話をややこしくした様です。こうした複雑な事情を受容した日本の対応はどういうものだったかというと…
塗布式ポリマー…それが存在する世界なら「全裸宇宙遊泳」も可能になる?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
ダーティペアにはシャワールームでそれを「実に面倒臭そうに」リムーバーで落としてる場面もありましたが「そこまでしてどうして?」とは誰も聞かないのが大人の世界。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
そういえば「凪のあすから(2013年)」に登場する「海の住人」の全身を覆うアレ(着てる服まで防水効果が及ぶ)も「ポリマー状潜水服」といえなくもない?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月25日
何か考察に考察を重ねて上手く辻褄を合わせてしまった感があります。これぞ異文化間交流の面白さ?