以下の投稿に接続する流れ。
発端はこの投稿。
高校生の頃に、当時流行していたニューアカにかぶれ、中沢新一、上野千鶴子、柄谷行人などを読みあさったのは黒歴史。ああいうのを読んでいた、高校生の自分には、「将来激しく後悔する。微積や線形代数勉強すろ!」って叱り飛ばしてやりたい。
— 斉藤 淳 (@junsaito0529) 2022年2月1日
上野千鶴子の評論文は国語の文章読解で出題されてました。今となっては…
— メビウス (@re_mebius_2022) 2022年2月2日
それで思い出しましたが、雑誌名は忘れましたが、若い頃、エロ雑誌(AVとかを紹介する雑誌)を見ていたら、コラムにニューアカの人たちを激しく罵倒する記事が連載されていて、そっちを夢中になって読んだ記憶があります。あいつらは相手によって主張をころころ変えるとか、そんな感じでした(続く)
— 堀畑 和弘 (@kazzhori) 2022年2月2日
それで、浅田彰の「構造と力」を翻訳家で立ち読みしたのですが、数学的におかしいのは、彼がコッホ曲線を例に出して、ハウスドルフ次元(まぁ次元)が非整数になる、渋谷では地下鉄が地上を走る・・・だから世の中どうなるか分からない的なことが書いてあって、こいつは馬鹿かと思いましたね(続く)
— 堀畑 和弘 (@kazzhori) 2022年2月2日
ハウスドルフ次元というのは数学的に定義されているもので、世の中の動きとは全く関係ないものだと思いましたw
— 堀畑 和弘 (@kazzhori) 2022年2月2日
これに関するメモ。
個人的メモ。そう、ニューアカの最も重要な「数学的バックボーン」の一つは、フラクタル理論やカオス理論と強引に結びつけたある種の「数学神秘主義」あるいは「数学不可知主義」だったのです。https://t.co/2tOBZvSmA3
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
要するに「技術小説の元祖」マイケル・クライトンが始めた路線…https://t.co/30aUOPtk4w
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
まぁ「小説」の範囲では(SAOのフラクタルライト概念とかに登場する)今日なお一応は古びてない概念。そういえば吉田武「オイラーの贈り物」でも重要視され、長文で解説されてます。https://t.co/etx3jupXYV
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
それが1990年代=2000年代に無価値化したのはソーカル事件(1995年)の影響ばかりではありませんでした。https://t.co/gRzh0ZuuBF
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
当時は「鏡像認知」「ホログラム」などの諸概念と合わせ「数学的神秘主義」の一角を為すに過ぎなかった「ロジスティック写像」概念…https://t.co/bdvE0aQaWv
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
その大元たる「ロジスティック方程式」の概念から分岐した…https://t.co/OVCkRcrhre
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
「ロジスティック回帰」の概念からさらに派生したニューロン・コンピューティングの概念が「機械学習」概念に昇華して第三次AIブームが到来してしまったからなのです。https://t.co/iXpJY4b7EG
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
要するに20世紀における「不可視主義の源泉」そのものが21世紀には「探索アルゴリズム研鑽の競争現場」に変貌してしまった訳ですから、完全に時代遅れとなってしまったという次第。理系の人は、どうせニューアカを叩くなら正く数理的に叩きましょう!!
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
こうした前提を踏まえ乱入。
しかし栗本慎一郎の影響でマルセル・モースとカール・ポランニーを知ったのもまた事実。で、今でもレヴィ=ストロースからウラジミール・プロップに遡った系譜には私淑し続けているという…(ソーカル事件後残った大源流、すなわち構造主義の根幹?)
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
そこにさらなる乱入。
横から失礼します。
— うちだ (@uchdhrk) 2022年2月2日
そんな上野を見出して「セクシーギャルの大研究」だかを書かせたのこそ栗本なんですよね。。。
とりあえずの応答。
まぁマルセル・モース「贈与論」やカール・ポランニーのダホメ論やポトラッチ論とバタイユの蕩尽論を直結させて「もう経済的成長は必要ない」と宣言しちゃた御仁でもある訳で。https://t.co/lm76jOnnmv
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
この辺り「マルクス主義経済学の形骸化後、しかるべき次を見つけられなかった」ニューアカの悲劇とも。https://t.co/IzYF4YTPTQ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
ちゃんと腰を据えて答える。
上野千鶴子も「看護婦役や砲弾運びまでさせられた慰安婦が、ちゃんと軍属扱いされなかったのはおかしい」と主張したまでは良かったのですよ。どうしてそこから斜め一歩前に踏み出してしまったのか。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
まぁそういう報告書が残ってるのも「(セックスワーカーが軍属と認められなかった当時)現場軍人が彼女らの評価を高めるには戦闘への寄与を強調するしかなかった」状況のせいと素直に解釈出来ない辺りに、既に度し難いその後の展開の片鱗が既に現れているとも。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
それは「本当に正しいやり方」ではなかったにせよ、当時なりの時代的制約下におけるセカンドベストではあった訳で、その事実を認めて初めてフェミニズムは次の段階に進めるのでは?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
ちなみにこの慰安婦に関する下りはまるまる秦郁彦「慰安婦と戦場の性」からの引用です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月2日
そんな感じで以下続報…