諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「暴力行為としての恋愛沙汰」について。

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海外には「うる星やつら(高橋留美子,1978年~1987年)はラブストーリーに入らない」という話があります。ただしここでいう「ラブストーリー」は1980年代に脚本学校向けにエキスパート・システム化された様なシェークスピアの「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet,初演1595年前後)」や「お気に召すまま(As You Like It,1599年執筆,1623年初版)」の様な2組のカップルが結ばれて終わる喜劇集における、いわゆる「バルコニー型物語文法」を指すのです。実際、1990年代にそれに触れる機会があったのですが「なるほど、こりゃ無理だわ」と思ったものです。

  • この種のエキスパート・システムは物語を(主人公カップルが最後には結ばれるか破局する)結末から逆算を開始。そこに至る障壁除去の過程を物語展開とする。ところが「うる星やつら」は基本構造が1話完結のスラップスティックコメディで、しかも最後に到達する結末も「永遠に鬼ごっこを続ける」というもの。要するに数学的構造として同型に落とし込む手段が全く存在しないといってよい。

    実際、当時こうしたシステムの一貫として「ラム・あたる・しのぶ・面堂の四人のスッタモンダが2組のカップルに落ち着く」サンプルプログラム(PrologによるTruth Maintenance Systemの実装例)を見つけて動かしてみた事もあるが(数学的には途方もない事をやらかしているにも関わらず)全く納得のいかない単調な振る舞いに終始した。まぁそういう事もあって第二次人工知能ブームは収束に向かっていったのである。
    人工知能特論: 真偽維持システム

  • 逆に「ハッピーエンドもバットエンドも数学的構造としては同型」という辺りを逆手に取ったのが映画「フランス軍中尉の女(The French Lieutenant's Woman,1981年)」。ハッピーエンドに向かう劇中劇と、それを演じる役者達の恋模様が真逆の結末を迎えるという構成で、まさしくかかるエキスパート・システムの特徴を最大限引き出した内容だったのである。

それでは羽海野チカハチミツとクローバー(Honey and Clover,2000年~2006年)」や矢沢あいNANA(ナナ,2000年~)の複雑怪奇な恋愛模様を実装しようとすると、それこそ大変な事になります(実装を構想して、構想段階で諦めた)。

 

今回の投稿の発端はこれ。

そもそも「(その物語文法をエキスパート・システムに落とし込める様な)数学的構造に、実際の物語を射影する試み自体がかなりの暴力行為」という事実に思い当たった次第…