諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】パラダイムとしての「メディア利用法」の更新停滞について。

それまで、なんとなく陰謀論に感染するのは「TVを視聴する感覚の延長線上でしかインターネットを利用する事が出来てない人達」という認識位はありましたが、こういう事ですか…Qアノンとかに感染するレベルでなくとも、むしろそこまでじゃないタイプにこそ本当に色々ありそうだ?

今回の投稿の発端はこのTweet

ここに乱入。

読み返すとここで気付くべきだったんですね。「この人TVとインターネットがメディアとして区別できてない」と。

こういう話も「ネット上でこういう話が定期的に取り上げられる」なる予備知識がなければ、またネットではそういうコンセンサスを前提として会話が進むという考え方が出来てなければ全く通用しません。

なんと私を「子供時代にアメリカを過ごした人間」と誤解し「当時の思い出を語ってる」と捉えた上で「ここは日本だ。外国の昔話なんてするんじゃないよ」と諭している?つまりインターネットの視聴の仕方(これもある種のコンセンサス?)がTVのそれから全くアップデートされてない?

誤解は一切解けません。

そういえば「スマフォは持ってても、生まれてから一度もネット検索なんてした事がない」という人を時々見かけますがそういう人のインターネットのイメージは本当に物凄い事になってそうです。

やっぱり誤解は一切解けません。

逆に面白くなってきてしまいました。

その後の自分のスレでの投稿…

なるほど、こういうタイプのアカウントの目にはこのやりとりがこんな風に映っていたのか。あまり深く考えても仕方がないので、この話は一旦ここでおしまい。類例にできわしたら分析の参考にさしていただきましょう…

【追伸】大元のスレを読み返すうちに少し全体像が見えてくる。

どうやら相手の側には終始「懐かしのTVアニメの話に、急にアメリカ時代の思い出を語る馬鹿が混じってきた。常識に欠ける失礼な奴なので嗜めたら逆ギレしやがった。日本語通じない馬鹿は本当に困る」なる認識しかなかった模様( 間違いなく私の最初の投稿しか見ていない。そういうのを確認する習慣自体がないのかもしれない)。この「勝手に身の前の状況に特定のルールを割り当て、そのルールに従わない事象が現れると脊髄反射的に切れて見せて相手に思い知らせようとする」態度自体は、昨今の「たわわ」論争でも数多く見掛けました。この全体像をある種のパラダイムと捉えるべきかも。

  • 重要な黒人公民権運動の発端の一つとなった「モンゴメリー・バス・ボイコット事件(1955年~1956年)」も「バスにおける黒人席と白人席の分離」が法律で定められた後で白人客が黒人専用席に座る黒人客に席を譲る様に要請し、拒絶されてバスの運転士に代わりに頼ませて駄目だったので警察を呼んで逮捕させ投獄、市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告したら全米を巻き込む騒動に発展してしまったというもの。「権力を握る側は勝手にルールを設定し、受容されると調子に乗ってさらに奪いにくる」典型的事案だが、本当に「カイジ」シリーズの帝愛会長が言う「本当に平等である必要はないが、不平等感を持たせてはならぬ」ルールが破られる時、当事者には「自分は常識の範囲で振る舞っている」という意識しか存在しないのが常なのかもしれない。

これからは「いかなるパラダイムを強制的に射影してるか」以前に「メディア利用イメージについてのパラダイムの更新が滞っていないか」チェックする二階構造で解釈する様にすれば対応精度が上げられそう?