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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【沈黙 -Silence-】【スターウォーズ】【アダム・ドライバー】【窪塚洋介】【仲代達矢】カイロ・レンのモデルは「大菩薩峠」の机竜之助?

1946年、脚本家橋本忍が同年亡くなる師匠伊丹万作の病床を訪ねています。

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橋本忍「複眼の映像 私と黒澤明」

「原作物に手をつける場合には、どんな心構えが必要と思うかね」

瞬間だが私は正座のまま両腕を組んだ。

伊丹さんには、戦前戦後を通じ最高傑作といわれる映画脚本『無法松の一生』がある。原作者は岩下俊作氏、九州八幡製鉄所の職員で直木賞候補作品である。

この原作に取り組む伊丹さんの心労や経緯は自分もよく知っており、伊丹さん著作の『静臥雑記』にも一部が記載されている。要は、テーマを難解にしてはいけない。完結した形の最も短いストーリー、『無法松』の場合には〈ある人力車夫の未亡人に対する風変わりな恋愛映画〉、このように凝縮し、完結した分かり易いものにする。伊丹さんのテーマ設定に関わるこうした提言が、シナリオライターの間で物議を醸し、以後は原作物を扱う場合の最重要課題ともなったものである。

だが、私はそれには触れなかった。

「牛が一頭いるんです」

「牛……?」

「柵のしてある牧場みたいな所の中だから、逃げ出せないんです」

伊丹さんは妙な顔をして私を見ていた。

「私はこれを毎日見に行く。雨の日も風の日も……あちこちと場所を変え、牛を見るんです。それで急所が分かると、柵を開けて中へ入り、鈍器のようなもので一撃で殺してしまうんです」

「…………」

「…………」

「もし、殺し損ねると牛が暴れ出して手がつけられなくなる。一撃で殺さないといけないんです。そして鋭利な刃物で頸動脈を切り、流れ出す血をバケツに受け、それを持って帰り、仕事をするんです。原作の姿や形はどうでもいい、欲しいのは生血だけなんです」

伊丹さんは私から視線を外し、天井を見た。鋭い目だった。なにも言わなかった。天井の一点をじっと見つめたまま──息の詰まるような、長い沈黙が続いていたが、やがてぼそっと言う。

「君の言う通りかも……いや、そうした思い切った方法が手っ取り早いし、成功率も意外に高いのかもしれない、ライターが原作物に手をつける場合にはね……しかし、橋本君」

伊丹さんは視線を自分へ向けた。その厳しい瞳には、微かだが柔和な慈愛に似たものも滲み広がり始めている。

「この世には殺したりはせず、一緒に心中しなければいけない原作もあるんだよ」

 おそらく橋本忍はここに述べる「生き血だけ持ち帰る方式」で「羅生門(1950年)」「大菩薩峠(1966年)」砂の器(1974年)」八つ墓村1977年)」などの脚本を次々と手掛けていったのでしょう。

それに対して黒澤明監督が「赤ひげ診療譚(1958年)」を原作とする「赤ひげ(1965年)」を製作していく過程は、かなり「心中」に近いアプローチだったといえそうです。橋本忍がこの作品の脚本について寡黙なのはそのせいかもしれません。 

そしておそらくマーティン・スコセッシ監督が遠藤周作「沈黙(1966年)」を原作とする「沈黙 -Silence-(2016年)」もまたそういう作品だったのだと思われます。

 

ところで伊丹万作は当時こんな文書も残しているのです。

伊丹万作「戦争責任者の問題(1946年)」

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきょう)につとめていたのであろう。

少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

いうまでもなく、これは無計画な癲狂(てんきょう)戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

橋本忍はこうしたリアクションの連鎖のみで成立する世界観について「交響曲の様に全体を貫く背骨がない」 と表現します。菊島隆三が脚本に関わった黒澤明監督映画「野良犬(1949年)」「用心棒(1961年)」椿三十郎(1962年)」「天国と地獄(1963年)」。ハードボイルド文学の基本文法。一方、同時にそれは般若心経の章句「色即是空、空即是色」によって端的に表わされる大乗仏教の世界そのもの。龍樹が「中論(頌、2世紀)」で述べる「(何者もそれから分離しては存在し得ない)縁起の世界」そのものでもあったりするんです。

龍樹「中論(頌、2世紀)」

「空」の理論の大成。存在という現象も含め、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っているとし、その因果関係を釈迦は「縁起」として説明したとする(龍樹は、釈迦が縁起を説いたことを『中論』の最初の帰敬偈において、賛嘆)。

  • 因果関係によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「独立した不変の実体(=自性)」はない。これによって、すべての存在は無自性であり、「空」である事が論証される。
    *この立場ゆえに龍樹の「空」は「無自性空」とも呼ばれる。

  • しかし、空である現象を人間はどう認識し理解して考えているのだろうか。直接的に知覚するだけではなく、概念や言語を使用してそれを行っているのである。ここから人間が「空」たる外界を認識する際に使う「言葉」に関しても、仮に施設したものに過ぎないとする。

  • そして既成概念を離れた真実の世界と、言語や概念によって認識された仮定の世界を、それぞれ第一義諦(paramārtha satya)と世俗諦(saṃvṛti-satya)の二つの真理に分けた。
    *言葉では表現できない、この世のありのままの姿が第一義諦。概念でとらえられた世界や、言葉で表現された釈迦の教えなどは世俗諦。龍樹のこの説は「二諦説」と呼ばれる。後世日本においては仏教教団が世俗権力に屈していく過程で「第一義諦=信仰の世界」「世俗諦=実際に人間が生活している世間」とし、両者は必ずしも一致している必要はないとする考え方も現れた。

どうしてこの様な考え方が生まれたのだろうか。当時の仏教界は、なまじ無我説を採用してしまったせいで主体の存在概念が捉えられなくなってしまっていた。そこで龍樹は「無」と「有(有我説)」の中道である「空(妙有)」の立場から仏陀の本来の主旨に軌道修正しようと試みたのだと考えられている。
*まさしく「東洋のカント」という気がする。

とはいえ「真理の世界は自分達の認識可能な世界の外側に、全く手の届かない状態で広がっている(龍樹の言い回しだと「世俗諦は第一義諦に至らない」)」なんて恐ろしい考え方をどれだけ多くの人がそのまま素直に受容出来るというのでしょう? 遠藤周作「沈黙(1966年)」も、マーティン・スコセッシ監督映画「沈黙 -Silence-(2016年)」もある意味、出発点はそこなのです。
*H.P.ラブクラフトクラーク・アシュトン・スミスらの「宇宙的恐怖(Cosmic Horror)」文学もまた「視野外に広がる真理の世界に自らの主体性を乗っ取られる恐怖」に着目。皮肉にも後続の作家達がクトゥルフ神話体系を整備するにつれ、そうした当初の意図はどんどん薄まっていった。大乗仏教史における盧遮那仏の登場と、それが大日如来に変貌していく過程に該当するとも。「視野外に何が潜むかイメージ可能となったら、それはもう視野外ではない」ジレンマ。

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とにかくあらゆる時代を通じて世界中で、数多くの人間が「自分は突破口を発見した」と信じて歓声を上げてきました。

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  • ある意味「世俗諦から超越的に存在する第一義諦」という考え方を究極まで突き詰めたのが「華厳経(梵Avataṃsaka Sūtra(アヴァタンサカ・スートラ)3世紀頃、中央アジアにて成立)といわれており、ここで第一義諦の象徴とされたのが「宇宙神毘盧遮那仏(梵Vairocana(ヴァイローチャナ)=光明遍照)。有名な「奈良の大仏」がこれだが、実はそれ自体は地球儀とか天体図の様な世界模型(しかも人間が認識可能な世界の外側に広がる未知の領域についての想像図)という位置付け。それ自体は誰に取っても何の役にも立たない「空」そのもの。

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    「それではあんまりだ」という絶望感から認識は不可能でも言語や概念として把握する事は可能かもしれない」「正しい手順さえ踏めば手も届くかもしれないという信念が芽生え密教が生まれる。そして「正しい手順さえ踏めば手が届く」様になった新バージョンの本尊は「大日如来(梵महावैरोचन [mahāvairocana](マハー・ヴァイローチャナ)」と呼ばれる事になった。「虚空にあまねく存在する真言密教の教主」にして「万物の慈母」にして「万物を総該した無限宇宙の全一」とされる汎神論的存在とされる。
    *戦国時代日本を訪れたザビエルは大日如来をゼウスと誤解したが、毘盧遮那仏の方がより近い存在だったといえよう。ただしこの時代までに「毘盧遮那仏大日如来の別名に過ぎない」という考え方がすっかり広まっていたので、例えそれに気付いても布教に役立てる事は出来なかったであろう。

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  • カント哲学的ニヒリズムを否定すべくヘーゲルが編み出したのが「人間の幸福は、民族精神(Volksgeist)ないしは時代精神Zeitgeist)との完全なる合一を果たし、自らの役割を与えられる事によってのみ達せされる」という哲学。この考え方は共産主義圏における科学的マルクス主義の概念形成にも大きな影響を与えたと考えられている。
    マルクスはこうして生まれたヘーゲル哲学に反対すべく「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」という考え方を提言し、この立場がある意味社会学の出発点となったのだが「科学的マルクス主義」に全面否定されてしまう。一方、元来の形でのマルクスの提言は後にソレル(Georges Sorel、1847年〜1922年)やネグリ(Antonio “Toni” Negri、1933年〜)ら無政府主義寄りの思想家に再評価される運びとなった。
    1029夜『構成的権力』アントニオ・ネグリ|松岡正剛の千夜千冊

  • 同じくカント哲学から出発したアメリカのプラグマティズムPragmatism実用主義)は「神は人間の問題解決に必要なものは全て認識可能な範囲内に置いておいてくださる」という結論に到達した。
    *一般にプラグマティズム無神論唯物論の仲間に加えて論じられるがさにあらず。あくまでカント同様、出発点は「自分達の認識可能な世界の外側に、全く手の届かない状態で広がっている真理の世界」に対する敬意だったのである。
    プラグマティズム - Wikipedia

    http://www.d-laboweb.jp/special/img/sp402/img_entry_02.jpg

  • 北原白秋は「遊戯に夢中になって時間が経つのも忘れる幼児の心」に仏教用語における「三昧の境地」を見て取った。陽明学左派の李卓吾儒教の基本理念「格物致知」を否定し「童心説(人間は誰でも良心を備えて生まれてくるが、それは成長して知識や道理を刷り込まれるにつれ失われていく)」を提唱した。
    *「人間には元来、誰にでも生得的に第一義諦に到達する能力が備わっているが、世俗諦の侵食を受けてそれを失う」という考え方。多くの反知性主義的立場がこういう思考様式に立脚する。

  • 大坪砂男はハードボイルド文学の本質を「泥の大海に蓮の花を探すセンチメンタリズム」と表現した。この「(世俗諦から第一義諦へ突き抜けようとする)求道者が存在するのみで、結果の保証は一切なされない」冷徹な世界観はヴァイマール時代ドイツのエルンスト・ユンガー辺りを嚆矢とする魔術的リアリズム文学の世界とも重なる。

  • そして「(世俗諦から第一義諦へ突き抜けようとする)求道者が存在するのみで、結果の保証は一切なされない」冷徹な世界観のバリエーションとしてキリスト教におけるイエス・キリスト」「地蔵信仰における地蔵菩薩」「弥勒信仰における弥勒菩薩」「浄土真宗における阿弥陀如来」といった「仲介者に対するクローズ・アップ」がなされる事がある。
    北原白秋の「三昧説」や李卓吾の「童心説」同様、多くの反知性主義的立場がこういう思考様式に立脚する。特に「自助努力を侮蔑するニヒリズム」と組み合わさると強烈な守旧派的信念に発展。

 それでは遠藤周作「沈黙(1966年)」や、マーティン・スコセッシ監督映画「沈黙 -Silence-(2016年)」において重要な役割を果たすイエズス会はどう考えたのか? 彼らにとって最大の武器はスコラ学(scholasticus)。その由来がまた複雑怪奇だったりするのです。

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  • 欧州教会はこれを主にアヴィセンナ(Avicenna)ことイブン・スィーナー(980年〜1037年)や、アヴェロエス(Averroes)ことイブン・ルシュド(1126年〜1198年)が発展させてきたイスラーム哲学(Islamic philosophy)関連著作ラテン語訳を通じて仕入れ、ドミニコ修道会(創立1206年、正式認可1216年)やフランチェスコ修道会(創立1209年、正式認可1223年)によって研鑽されてきた。

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  • そのイスラーム哲学(Islamic philosophy)の大源流は大翻訳時代(8世紀〜9世紀)における古代ギリシャ・ローマ文献や古代ペルシャ文献のアラビア語訳の大量翻訳にまで遡る。特にアッバース朝第7代カリフ・マアムーン(在位813年〜833年)は832年に所謂「知恵の館(Bayt al-Ḥikma=バイト・アル=ヒクマ)」を建て、ギリシア語、シリア語、パフラヴィー語(古代ペルシャ語)に加え、インドからもたらされたサンスクリット語の文献などまで集めて比較検討しながらアラビア語への翻訳作業を進めていった事で知られる。
    知恵の館

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  • ペルシャ帝国の国学一神教的。それに対してインド諸国の文化は多神教的。そうした表面的違いはあるものの、両者は元来同じ文化圏に属し多くの概念を共有している。それに古代後期の新プラトン主義文献やアリストテレス文献から得た知識が加わり、イスラーム哲学(Islamic philosophy)はこれらを統合する学問として発展してきたのだった。
    *特に スンニ派古典思想の大成者ガザーリー(1058年〜1111年)が形而上学の概念を「名指すもの=コンピューター言語(アリストテレス哲学でいう「言辞」)」と「名指されるもの=CPU(アリストテレス哲学でいう「形相」)」と「名指される事によって表される実体そのもの=コンピューター言語がCPUを介して操作する接続デバイス(アリストテレス哲学でいう「個別にあるもの」)」の三者関係に整理した事、また「神義論(theodizee) 」の解決方法として「流出論(神の英知そのものは無謬だが世界に流出する過程で誤謬が発生し、矛盾が累積し、最後には悪が発生する)」を編み出した事は欧州思想形成に大きな役割を果たしたと考えられている。

それでは、こうした歴史性を有する「イエズス会最大の武器」スコラ学(scholasticus)とは一体、どういう内容だったのでしょうか?

  • 実は現世(すなわち「世俗諦の世界」)を「(何者もそれから分離しては存在し得ない)縁起の世界」とイメージしようとする点においては仏教教学と大差ない。古代ギリシャ・ローマ文献から出発したイスラム哲学者も、彼らの注釈を頼りにそれを改めて読み解いたスコラ学者も、この点については概ね似た様な結論に辿り着いた様である。

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  • 大きく異なるのは、こうした現世に満ち溢れる「(明らかに始まりと終わりが存在する)有限運動の集合体」の背後には、全ての始まりとなった「(現世に存在する様な形では始まりも終わりも持たない)大いなる力の源」が存在し、そこからの動力供給が絶たれたら現状維持も不可能になると考えた事。17世紀に入るとこうした考え方から(イエズス会士として基礎教育を受けた)デカルト(René Descartes、1596年〜1650年)やオラトリオ会修道士のマルブランシュ(Nicolas de Malebranche,1638年~1715年)の手によって、いわゆる「機械論的世界観(the mechanistic view of the world)」が抽出される。また同時進行でイエズス会のイタリア人宣教師マテオ・リッチ(利馬竇)の「天主実義(1604)」を通じてアジアの有識者の間に紹介され、儒学者の性理学や平田篤胤復古神道にそれぞれそれなりの形で影響を残す事になった。

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  • ただスコラ学者が「(全ての現世の運動の根源にある)大いなる力の源こそが神であり、その存在こそが神が実在する証明」と考えた部分だけは(この概念を「結びの神」として取り入れた平田篤胤復古神道を除き)あまり広まらなかった。要するにそれは「人間の認識可能な領域の外側に広がる真理の世界についての勝手な想像の一つ」としか考えられなかったし、それをどういう形でイメージするかについては、それぞれの文化圏ごとに既にそれぞれ独自の知的伝統が存在していたからだった。
    *ただし江戸時までの神道には、その部分の供給を本地垂迹説などで習合した仏教に依存していたせいで、独自の伝統と呼べるものが存在していなかった。平田篤胤復古神道はこの部分を補おうとしたとも考えられる。

    実際欧州ですら(17世紀にスコラ学から抽出された)機械論的世界観(the mechanistic view of the world)は、18世紀以降「理神論(deism、神の活動性は宇宙の創造に限られ、以降の宇宙は自己発展してきた。奇跡・予言などによる神の介入もあり得ないとする合理主義)」と組み合わせて運用される様になる。
    *そしてこの考え方がヘーゲル哲学を通じて科学的マルクス主義に継承される訳である。そして「結び役」だったそれを放棄した結果、左翼陣営は「反戦左翼」「反原発左翼」「環境左翼」などにバラバラに分裂するのを余儀なくされたという次第。

これだけ下準備を積み上げてやっと遠藤周作「沈黙(1966年)」とマーティン・スコセッシ監督映画「沈黙 -Silence-(2016年)」の解説に入れます。

遠藤周作「沈黙(1966年)」

17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。1966年に書き下ろされ、新潮社から出版された。江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いた。第2回谷崎潤一郎賞受賞作。この小説で遠藤が到達した「弱者の神」「同伴者イエス」という考えは、その後の『死海のほとり』『侍』『深い河』といった小説で繰り返し描かれる主題となる。世界中で13か国語に翻訳され、グレアム・グリーンをして「遠藤は20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」と言わしめたのを始め、戦後日本文学の代表作として高く評価されている。

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島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされる。

  • 原作も映画も物語全体が「縁起の世界=リアクションの連鎖」として構成されている。そこで「第一動因(大いなる力の源)」として見て取れるのは「フェレイラの棄教」あるいは、さらに遡って「日本へのキリスト教の伝教」そのもの。

  • それはつまり、この作品はハードボイルド文学としても読める事を意味する。主要登場人物は全員(例え実際には組織の一員だったとしても)定められた義務に従って機械的に振る舞う廷臣(サブジェクト)ではなく、自らの判断で動いてその結果に倫理的責任を負う市民(シチズン)。1960年代日本においてはまずその事自体が画期的であり、だから(同様の条件を満たす黒澤明監督映画や橋本忍脚本作品の様に)海外でも受容されたとも。

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②フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会い彼の案内で五島列島に潜入。そこで隠れキリシタン達に歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。

  • キリスト教の神の声=第一動因(大いなる力の源)」と考えるスコラ学的解釈では「日本における伝教の打ち切り=(彼らの目から見た)日本という世界の終焉」となる。

  • その「適応主義」ゆえに現地での対応が柔軟だったイエズス会と異なり、他の宣教師達は「(キリスト教徒でなかった)祖先達は全員未来永劫地獄で苦しみ続けるしかなく、それを救う手立てはない」と宣言して布教地から即日叩き出されたりしている。イエズス会は、なまじこの壁を乗り越えたからこそ「適応主義に基づいた布教は本当に正しい布教か?」という一段上の問題を抱え込んだともいえる。

  • その一方でマーティン・スコセッシ監督自身は「布教する側にも欧州中心史観に立脚した傲慢さがあったのではないか?」と指摘し、その典型ともいうべきカブラル宣教師に関するエピソードをきっちり描き切っている。

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③次々と処刑され、殉教していく信者達。しかし幕府は隠れキリシタン達の存在そのものに拘泥している訳ではない。彼らが外国人のパードレによって直接導かれ「日本人としては異質な道」を歩む事のみを恐れ、それでパードレを捕らえ信徒達の眼の前で棄教させる事に執念を燃やしているのだった。

  • 「パードレによって直接導かれると日本人としては異質な道を歩んでしまう」という考え方自体が「世界を動かしているのは単一の第一動因(大いなる力の源)」と考えるスコラ学の大前提そのものに対する挑戦。だがそれならプロテスタントカソリックの分裂は? 英国国教会やフランスのガリカリムスは? イエズス会の適応主義は? そういう問題になってくる事は当時の日本人も相応には把握していた様である。

  • 結局こうした難題の山に答えを見つけられず、スコラ学そのものは衰退に向かう。そしてこれが新たな啓蒙主義的神学台頭の契機となる。そもそも聖書が各国語に翻訳され、ラテン語が純粋な意味で聖職者の共通語ではなくなっていったルネサンス期からこの流れは不可避だったとも。

  • 同様の変遷は仏教界も経験しているが、キリスト教会より時代への対応が守旧的だった側面が強かった。

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④ガルペは信徒達と一緒に殉死する道を選ぶ。キチジローの裏切りで密告され、捕らえられたロドリゴ長崎奉行所で棄教した師のフェレイラと出会い、ロドリゴが棄教しない限り、信者達への拷問や処刑は棄教を誓った後も続く事を伝えられる。自分の信仰を守るべきか。自らの棄教によってイエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきか。フェレイラは自分も同じジレンマを突きつけられたと告白し「イエス・キリストがここにおられたら彼らの為に転んだろう」と断言する。ロドリゴは結局、夜明けに棄教する。ペテロがイエス・キリストを裏切った時の様に、遠くで鶏が鳴く。

  • 発表当時はこの時フェレイラがロドリゴに突きつける「日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのか」という命題が話題となり「この国は(すべてのものを腐らせていく)沼だ」というセリフが流行語にもなった様で、日本の精神的土壌とキリスト教との背反問題へ向き合った者たちを描いた「背教者の系譜」でも引用されている。

  • この物語ではキリスト教だけでなく仏教も同じ土俵に立たされる(特に映画版では映像化によって自然とこの側面が強調される事になった)。「適応主義」なら仏教界はイエズス会より一枚も二枚も上手で(戦国大名に次々と所領を没収された事や、徳川幕府に戸籍管理実務の一環として組み込まれた事なども手伝って)地税に依存する農本主義的形態から檀家への冠婚葬祭サービスなどを収益源とする近代的形態にいち早く移行。

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キチジローはその後も棄教宣言と告解を繰り返しながら自分なりの信仰生活を全うした。フェレイラもロドリゴも以降日本において死ぬまで棄教者として暮らしたが、その内面生活がいかなるものであったかまで記録に残される事はなかった。

  • ここでは日本の仏教界における龍樹の「第一義諦(paramārtha satya)と世俗諦(saṃvṛti-satya)」概念の独自発展形、すなわち仏教教団が世俗権力に屈していく過程で「第一義諦=信仰の世界」「世俗諦=実際に人間が生活している世間」とし、両者は必ずしも一致している必要はないとしてきた思考様式が問われる事になる。

  • 幕府はあくまで終始パードレにも隠れキリシタンにも「世俗諦(実際に人間が生活している世間)」における棄教しか求めないのである。その人にとって「第一義諦(信仰の世界)」がどうなっているかなど誰にも踏み込む事は出来ない。

  • この展開は原作より随分と補強されており、マフィアと庶民が入り混じるイタリア移民街で生まれ育ったマーティン・スコセッシが実際に目にしてきた「宗教面では高潔さを保つギャングもいる」事について自分なりに理由を模索してきた影響が色濃く現れている。

  • その一方でマーティン・スコセッシ監督はキチジローの様な「弱い存在」にもっと目を向ける様になって欲しいとインタビューで答えている。

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映像化によって原作より克明に掲示される形となったのは「宗教における言葉の使われ方」。キリスト教儀礼で唱えられるラテン語仏教儀礼で唱えられる梵語/漢語。拷問され、殉死していく隠れキリシタン達が日本語で唱える「参ろうやな参ろやなぁ。パライゾの寺にぞ参ろやなぁ。パライソの寺とは申すれど…遠い寺とは申すれど…」なる章句。日本人にとってそれぞれの世界はどういう形で内面化されていったのだろうか。この問題、「ラテン語世界からの決別」を経験した欧米諸国にとっても決っして他人事ではなかったりする。

作品の真意をくみ取ったと感じたのは、具体的にはどのあたりなのでしょうか?

加藤:それを説明するにあたって、遠藤周作が生前に語っていた「沈黙」に関して後悔していたことについてお話ししましょう。先生が60代の半ば、晩年なのですが、自書である「沈黙」について語る1時間のビデオを作りました。長崎、すなわち「沈黙」の舞台を訪ね、そこで私が聞き役となりました。私も聞きたいことを全部聞きましたし、先生もそれについて丁寧に答えてくれました。

私は「沈黙」を今改めてどう思うかについて尋ねたのです。「沈黙」は著者が42歳の時に執筆したので、それから20年以上が経っていました。

すると先生は大きく2つの後悔があると言ったのです。この小説は、日本でキリスト教が弾圧されていた時期に日本に来た、ポルトガルの司祭セバスチアン・ロドリゴを主人公とするものです。役人はロドリゴに信仰を棄てること、すなわち「転ぶ」ことを強要しますが、なかなかロドリゴは転ばない。しかし、小説の終盤でついに転ぶ。この転んだシーンがあまりに鮮烈なので、多くの読者がロドリゴは信仰を棄てたと考えた。ところが作者は、「ロドリゴは信仰を棄てていない」ということを書きたかったと言うのです。

作者は、ロドリゴが信仰を棄てていないことを、確かに小説のなかに書いたのです。最後の章の後の「切支丹屋敷役人日記」の中です。たとえば以下の部分です。

「宗門の書物相(あひ)認(したた)め申し候様(やう)にと遠江守申付けられ候」

ここでは、ロドリゴが書を書けと役人に言われている。では、何の書かというと、「私は転びます」という書なんです。しかも、これを何回もやらされる。つまり、何回も「私は転びます」と書きながら、そのたびに彼は信仰を取り戻し、そして最後までそれを棄てなかったということを読者に知らせるため、作者は「切支丹屋敷役人日記」を置いたのに、それが古文調であったこともあって、巻末の資料としか見られなかったのです。

私も原作を読んでいて、その「日記」の章は意味が捉えにくかったこともあり、ほぼ流してしまいました。

加藤:実は、ロドリゴが転んでいないということは、クライマックスのシーンにも作者は何気なく書いています。ただし、これも日本の読者にはわかりにくかった。ロドリゴが踏絵を踏み終わったシーンです。

「こうして司祭が踏絵に足をかけたとき、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた」

この「鶏が遠くで鳴いた」というところには、作者の思いが込められています。「鶏が鳴く」といえば、西洋のキリスト教徒なら、おそらく誰もが、聖書の中の一つのシーン――「ペテロの否認」を思い浮かべます。ペテロというイエスの弟子が、イエスが捕まったときに、町まで様子を見に行くのですが、人々から「この男も今日捕まったあの男と一緒にいた」と指さされて、「私はあんな人は知らない」と否認するのですが、そのときに鶏が鳴きます。

これは例の最後の晩餐の際にイエスが予告していたことです。「おまえは鶏が鳴く前に、三度私のことを知らないというだろう」。そしてその通りになって、ペテロが激しく泣くというシーンが新約聖書にあります。

このペテロの否認は、有名な文学的テーマでもあり、チェーホフも小説に書いていますし、ボードレールも詩に、またレンブラントが絵画にしています。さらに音楽では、バッハの「マタイ受難曲」はペテロが泣くところで曲が結ばれています。だから「鶏が鳴いた」と言えば、西洋のキリスト教徒なら誰でもペテロの否認を思い浮かべます。

で、ペテロはその後どうなったかというと、最高の弟子になります。ローマに行って最初の教会を建てたのもペテロです。そこが重大で、つまりロドリゴも踏絵は踏んだけれども、ペテロと同じです。転んでも、また再生する。信仰は捨てていないわけです。

しかしこれはなかなか読者には伝わらなかった。日本の読者の場合にはとくにそうでした。

確かにキリスト教徒ではないと分かりにくいですね。私は、鶏にそんな意味がるとは全くわかりませんでした。

加藤:後悔というともう1つ、話していました。それは「沈黙」というタイトルです。「沈黙」とつけてしまったために、読者の多くがこの作品を「神の沈黙を描いたもの」と受け取ってしまった。けれども自分は「神は沈黙していない」というつもりでこの小説を書いた。これも誤算の一つで、今だったら自分は「沈黙」というタイトルはつけない、とも言っていました。

余談ですが、最初の原稿に付けられていたタイトルは『日向の匂い』だったのです。しかし出版元である新潮社から「これでは売れない、『沈黙』にしたほうがいい」と勧められて変更したということです。今だったら、出版社の勧めには従わなかった、と言っていました。

ただ、今さら「日向の匂い」と言われても、ちょっとパッとしないように思います。

加藤:その通りですね。ただ、先生の中では、常に「沈黙」という言葉を読者がどう理解してくれるか、ということが1つ気にかかっていたと思うんですね。

以上のように、「沈黙」には大きな2つの後悔があったわけです。ところが、今度の映画をみて感じたのは、作者が懸念したことに見事な決着をつけているということです。

まず、ロドリゴは信仰を棄てていなかった、ということ。映画を見た方はこれに関して何の疑問も持たなかったでしょう。それはあの見事なラストシーンによっても明らかにされています。

あのラストは、原作にはないシーンです。ところが、正確に遠藤周作の意図をすくい取っているわけで、これはもう見事としかいいようがありません。

それともう1つの「神は沈黙していない」という点ですが、この証拠として、もちろんロドリゴが踏絵を踏むシーンで聞こえるイエスの言葉「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている」――を挙げてもいいのですが、じつはもう一つ、小説の最後には次の言葉が置かれています。

「たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた」

この言葉をスコセッシ監督は大事なところで使っています。これはいわば遠藤文学のキーワードでしょう。

遠藤周作は、神は存在ではなく働きだと常々言っていました。在るか無いかではなく、神は人々の人生を通してあらわれてくるのだと。これを映画は見事にすくいとっているように思えます。

全体的に見てマーティン・スコセッシ監督映画「沈黙 -Silence-(2016年)」は「キリスト教に興味ないから」という理由で見逃すのはもったいない映画だと思います。ある意味、原作ほど「イエス・キリストとは一体何者だったのか?」について(少なくとも表面上は)深く執着せず「それは各人が自ら心の中で問いかければ良い問題」と突き放したのがキリスト教映画色が薄まった最大原因とも。

案外すんなりキチジローの行動原理が読み取れましたか?
遠藤周作さんは彼を弱き者として描いているけれど、おれは正直言うと、すごく弱いんだけど、強さの裏返しみたいな部分があると思ってました。よくその空気の中でそんなに何度も踏み絵踏めるなっていう。「逆に強くねえかお前」っていう思いにもなったんです。裏切って、走って逃げて、でも逃げるって全部背負っていくことだし、それでも生きるっていうことは人間が強くないとできない。別に美化したいわけでもなんでもなくて、強いんだか弱いんだかわからない自分の心に正直な人間として捉えていたので、「全然わかんねえな、何でこんなことするんだ」みたいなのはなかったです。
*キチジローも窪塚洋介の熱演で原作ほど「目にするだけで辛い」存在ではなくなってたのも勝因の一つ。ただ国際SNS上の関心空間で女性アカウントから「セクシー」認定までは勝ち取れなかったという…

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「拷問映画」って評価もあってのけぞりましたが、上掲の様にそこまで「拷問映画」って訳じゃありません。

マーティン・スコセッシ『沈黙-サイレンス-』は最初からメタファーもメタも切り離した場所から制作をスタートさせる必要があった。それは遠藤周作の原作に忠実な映像化を試みたこと、スコセッシ自身がカトリック司祭になろうとしていた過去があったこと、登場人物の多くが架空であるものの江戸時代の日本で行われていたキリシタン弾圧という史実を描いた物語であることなど複数の理由が挙げられる。『沈黙-サイレンス-』はスコセッシにとって、メタファーやメタで表現できないほど重い「現実」だったのである。

スコセッシにとっての『沈黙』は、観客にとってメタファーやメタの届かない場所で、スコセッシが原作に感じたのと同じようなリアルな触感を観客に伝えなければいけない一本だったのである。さもなければ、『沈黙』が『パッション』のような宗教ポルノに堕ちるか、アート系映画といういまや不名誉な称号を贈られる可能性が生まれてしまっただろう。

そこで、スコセッシがとった方法はシンプルだった。原作の中でもっともリアルな感触があり、言語の説明を必要としない描写の映像化に心血を注いだのだ。つまり、拷問である。

『パッション』はキリストの殉教と復活を盛り上げるためのポルノグラフィティーとして拷問シーンが機能していたが、スコセッシの演出はどこまでも観客の神経を逆なですることに費やされる。(驚くべきことに)原作通りの拷問器具の数々、そしてその実践方法が『パッション』の恍惚を期待して劇場に駆けつけた福音派を絶望に突き落とすだろう。荒波に打たれ続けたキリシタンたちの傷んだ肌にこそ「穴吊り」の呆気なさにこそ、スコセッシの真骨頂がある。そこでは、暴力がただ暴力として提示され続ける。今ではスタイリッシュな映画の代名詞となっている『タクシードライバー』や『グッドフェローズ』がいかにグロテスクな暴力描写に満ちていたか、我々は思い出すだろう。

スコセッシは微塵の感動もなく暴力を撮るというお家芸によって『沈黙-サイレンス-』を宗教映画ではなく現実を描いた映画として完成させた。だからこそ、『沈黙-サイレンス-』は人種や宗教を問わず、人の心を打つ傑作となりえたのである。

ところで国際SNS上の関心空間における評価へと目を向けると…

何かこう全体的に「スターウォーズ・グループのうちでもアダム・ドライバー・ファン集団のさらなるサブジャンル」みたいな趣に。そして遂に日本では「よっ、セクシーパードレ!!」の掛け声が!!

 まぁ「文芸作品だと役者の話しか盛り上がらない」って国際SNS上の関心空間における毎度のお約束なんですけど。しかし実は映画黄金期の1950年代〜1860年代日本もそんな感じで、仲代達矢みたいな当時を知ってる俳優からいわせれば「そうでない日本の方がやばい状況にある」んだとか。

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そういえば、そのアダム・ドライバー(Adam Driver)演じるカイロ・レンのモデルが「大菩薩峠(The Sword of Doom 1966年)」の机竜之助(仲代達矢)かもしれないという話が浮上。よりにもよって国際SNS上の関心空間の女性アカウントの「セクシー」繋がり。

机竜之助(机龍之助)- Wikipedia

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中里介山作の長編時代小説「大菩薩峠(1913年~1941年、未完)」に登場する元甲源一刀流の剣士。日本の時代小説におけるニヒリスト剣士の系譜の事実上の元祖とされている。

  • 色白の細面で痩身。年は三十代と設定されている。諱は宗芳。机家は相馬氏の流れを組む名家。父・弾正は大菩薩峠の麓の沢井村に住み、道場を営んでいる。竜之助は道場の跡取り息子として剣の特訓を受けていた。

  • 残忍かつ身勝手な男で、少年時代から気に入らない相手を木刀で殴り殺し、山遊びに行くと出掛けては辻斬りをし、小説の冒頭で大菩薩峠でいきなり老巡礼を斬り殺す。武芸試合で宇津木文之丞を殺し、その妻お浜を自分のものにして出奔する。このため以後、その弟・宇津木兵馬から兄の仇として追われる身となる。

  • 江戸へ出て吉田竜太郎と名乗り、零落の日々を過ごすうちに、新撰組と交流をもつようになる。剣では無敵だとのプライドを持っていたが、仲間と兵馬の師匠・島田虎之助を襲った際に、島田には敵わぬと悟り、苦悩。挙句にお浜と口論になりそのまま斬殺し、兵馬との決闘をすっぽかして、一子・郁太郎を捨てて京都に向かう。

  • 京都では芹沢鴨に仲間になるように誘われるが、お浜を斬殺した事を思い出し、遊郭で突然錯乱状態になり、刀を振り回し失踪してしまう。以後、大和の山中を彷徨い愛刀も捨てて、新撰組とは全く逆の思想を持つ天誅組に出会い、無節操な竜之助は成り行きで参加する。決起に敗れた天誅組と共に十津川郷に敗走する途中、泊まっていた山小屋で追っ手の放った爆弾が爆発し失明してしまう。龍神温泉で目を癒していると、お浜そっくりの女・お豊に助けられるが、そのお豊が苦しい生活の末に自害した事を聞かされても「歌うものは勝手に歌い、死ぬ者は勝手に死ぬ」と薄情な態度で答える。

  • 盲目の美男子という事で世話を焼こうとする女が次々と現れるが、彼女たちの多くは非業の最期を遂げる。人殺しの快感を求め、行く先々で夜毎に「おれは人を斬りたいから斬るのだ――助けてくれと悲鳴を揚げるのをズンと斬る、ああ胸が透く、たまらぬ」と次々と無差別殺人を繰り返し、家族を殺された遺族を絶望のどん底に落とし、街を恐怖に陥れていく・・・。(以後もその凶行は延々と続く。)

「音無しの構え」を使う。「音無しの構え」とは相手が討ってくるまで動かずに、相手がしびれをきらして斬りかかってきたところを討つ技である。相手の刀と一度も刃を合わさないので音が鳴らないので音無しという。

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海外で人気の日本時代劇映画は、三船敏郎を主役級に立てた黒澤明監督作品ばかりではありません。仲代達矢主演・岡田喜八監督作品大菩薩峠(The Sword of Doom 1966年)」も(黒人とイタリア人を中心に)双璧をなす勢いで人気を誇っていたりします。だから有り得ない話でもなかったりするのですね。
*そしてエピソード8で「大菩薩峠」における島田虎之助(三船敏郎)の名台詞「剣は心なり。剣を学ぶ者は心を学べ。心正しからぬ者の剣は邪剣だぞ」をルーク・スカイウォーカーマーク・ハミル)辺りが放ったり、カイロ・レンが失明する展開になったら即時確定する感じ。しかし原作にも、最終的に彼がどうなるかについては全く書かれていない。正解だったら正解で「一体どうなる?」が改めて問われるのである。

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春日太一「仲代達矢が語る日本映画黄金時代」 

仲代が岡本喜八の映画に初めて主演したのは「大菩薩峠(The Sword of Doom 1966年)」だった。中里介山の伝説の超長編小説を映画化した大作時代劇だ。本作で仲代は、無差別的に人を斬りまくる主人公、机竜之介を演じている。

『大菩峠』は、かつて東映内田吐夢監督が片岡千恵蔵さん主演で撮ったり、大映市川雷蔵さんを主役にして作ったのを、今度は東宝藤本真澄プロデューサーが、私の主演でキハっちゃんに撮らせようという企画でした。

橋本忍さんのシナリオもなかなか面白かった。原作では主人公の机竜之助が大菩峠で巡礼のじいさんを殺すというところから始まるんです。それを中里介山という人は文学として『大菩峠』を書いた、仏教的な輪廻観を描いたと、文芸批評家は解釈していましたね。内田監督もそうだったと思います。そしたら、キハっちゃんや橋本さんは「あれは理由なき殺人」だと。仏教的思想じゃなくて、単なる「理由なき殺人者」として扱ったんです。

私なんかからすると面白いんですけど。ただ、批評家の人は、竜之助がああやって人を殺していかなければならなかった原因というものを追究するわけですよ。ところがその理由が全くわからない。

それで、日本ではあまり評判がよくなかったんです。どうしてもやっぱり内田吐夢さんが作ったのがイメージに残っていましたしね。でも、アメリカでは受けましてね。当時、私の特集をジャパン・ソサエティーってとこでやっていただいたんですけど、そのラインナップの中に『大菩峠』が入っていた。そしたら、熱狂的に受けたんです。特に黒人がたにね。「ヤクがあの時代あったのか!」って。

それから、チャンバラがすごかった。私は撮影で十日間、ずっと人を斬りまくりました。あれだけチャンバラで人を斬ったのは、ギネスブックに載るほどで。とにかく最後の二十分間ぐらいは斬りっぱなしでしたから。それが外国で受けたんだろうと思います。
*この投稿の冒頭でも触れたけど橋本忍の「生き血だけ持ち帰る」作戦が成功して海外にも通じちゃった稀有の例。さて「スターウォーズ」の世界は「生き血だけ持ち帰る」作戦と「作品と心中する」作戦のどっちを選ぶ?

大菩薩峠』の凄いところは、完全に従来の東映時代劇を越えていたことにある。この映画は、カッコいいヒーローが登場する勧善懲悪の娯楽時代劇ではない。片岡千恵蔵扮する机竜之助という主人公は決して観客が感情移入できるヒーローではない。共感も抱けなければ、同情のかけらも感じられない殺人鬼である。無抵抗な老人や女を単なる気まぐれで斬り殺すような狂人である。彼が生き地獄へと落ちていくのも自業自得と言える。こうした主人公に魅力を感じる人がいるとしたら、異常で危ない人なのではないかと思う。

では、なぜこのような残酷非情な狂気の物語にわれわれはえも言われぬ感動を覚えるのか?この映画を見終わって、しばらくの間私はその理由を考えてみなければならなかった。まず何よりも私が心を揺さぶられたのは、生死の境を行くあてもなくさまよう孤独な男(机竜之助)がいやがおうにも巻き込まざるを得ない女たちの生きざま、そして死にざまであった。この男が生きている限り、何かの宿縁で係わっていく女たちが現れ、極限状況にある男と女の間にドラマが生じる。竜之助にすがり、ほんの一時期でも関係を持った女たちは、さまよえる殺人鬼に身も心も捧げようとする。自分の住む社会から見捨てられ、行き場のない女たちなのである。地獄の果てまで男に付いて行く覚悟をした女はすさまじい。

竜之助と深い関係を持つ女たちは、指折り数えてみると、お浜、お豊、お絹、お銀、お徳の五人いる。なかでも第一部で登場するお浜(長谷川裕見子)は強烈な印象を与え、その残像が頭にこびりついた。お浜は、武家の娘で、竜之助の試合相手となった宇津木文之丞の許婚であったが、竜之助に試合に負けてくれるよう頼みに行って、女の操を奪われてしまう。それを知った文之丞からは足蹴にされ、離縁状まで突きつけられる。しかも文之丞は試合で竜之助に打ち殺される。お浜の生きる道は、自分を奪った竜之助にすがりつき、この男に自らの運命をゆだねるほかにない。お浜はすべてを投げ打ち、竜之助とともに放浪の旅に出る。そして、竜之助との間に子供を産む。人目を忍ぶ窮乏生活のなかでの子育て、次第にお浜は不満を募らせ、竜之助の甲斐性のなさを罵り始める。お浜の最後はあわれだった。義理の弟になるはずだった宇津木兵馬(中村錦之助)を助けようとして、竜之助に刺し殺されてしまうのだ。

お豊(長谷川裕見子が二役を演じる)もあわれな女で、男と心中を試みたが運悪く生き延びてしまう女だった。薬の入った印籠をくれた竜之助がお豊にとっては地獄に仏で、これが縁でお豊は竜之助に深情けをかけることになる。病身に鞭打ち旅籠の女中までして竜之助に尽くしていたが、悪旗本に見初められ、犯されてしまう。お豊は自害する。

お銀(喜多川千鶴)は名家の娘だが、顔に醜いアザがあるため、嫁に行けない女だった。名刀の鑑定で竜之助を訪ねたことが縁で、目の見えなくなった竜之助に身をゆだねる。お銀は初めてこの上ない女の至福を味わったことで、竜之助のそばを離れられなくなる。

お絹(浦里はるみ)は無聊をかこつ妾であり、お徳(木暮美千代)は幼少の息子をかかえた山里の後家だった。

もちろん『大菩薩峠』には、直接間接、主人公机竜之助にかかわる老若男女さまざまな人間が登場する。しかし、竜之助とこの女たちの濃密なドラマに比べれば、他の人間模様はうす味である。兄の仇である竜之助を追いかける宇津木兵馬(錦之助)と竜之助に殺された巡礼の孫娘お松(丘さとみ)とのロマンスは、この狂気の物語に並行するサブ・ストーリーとして描かれるが、淡い印象しか残さない。とはいえ、この濃淡あざやかな描写があるから、作品に重層的な厚みが加わったと言えなくもない。濃密だが殺伐としたドラマだけでは、きっと見飽きてしまっただろう。喩えは悪いかもしれないが、私がこの大作を見終わって感じた充足感は、贅沢なコース料理を食べた後の満腹感に似ていた。メインディッシュはこれまで味わったことのない濃厚なゲテモノ料理だったが、うす味の各種サブディッシュを添え、消化良く食べさせてもらったような気がした。

大菩薩峠』三部作は、『宮本武蔵』五部作に匹敵する東映映画史上の傑作であった。その両方を内田吐夢が監督して作ったという偉業はどんなに評価してもしすぎることはないと思う。

余談になるが、『大菩薩峠』を観て、内田吐夢という監督は、女性に相当苦労した男だったのではないかと察した。女性を持て余し、女性を内心恐れていた男だったのではないか。机竜之助が、ある意味で吐夢の分身だとするならば、女との修羅場で、竜之助の態度にその様子が伺えた。お浜に悪態を付かれた竜之助が「おまえとは悪縁だ!」と叫ぶ場面は、妙に生々しく感じた。また、子供が仏壇から飛び出したネズミに首を噛まれ、お浜が医者を呼んで来てほしいと竜之助に必死で懇願する場面があるが、この時、面倒くさがってごろ寝を決め込む竜之助の態度は、吐夢自身の体験をもとに演出しているように思えてならなかった。きっと吐夢は恐妻家だったのだろうと思ったほどだ。

大菩薩峠(The Sword of Doom 1966年)」が1960年代後半の黒人(黒人公民権運動の最中)やイタリア人(「マカロニ・ウェスタン」黄金期)に受けた事、当時ヤクがあの時代あったのか!」という所感があった事などは、以下の作品と同ジャンルと認定された事を意味します。

1970年代映画業界における「イタリア勢の逆襲」

祖父が南イタリア出身だったフランシス・コッポラ監督の「ゴッドファーザー(The Godfather、1972年)

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カソリック文化に囲まれて育ったイタリア語話者ながら小中高とクエーカー系の私立学校に通い、理系ながら「市民ケーン」「めまい」などの感動して映画畑に身を転じたブライアン・デ・パルマ監督のファントム・オブ・パラダイス』(Phantom of the Paradise、1974年)」

シチリア系イタリア移民の家に生まれ、マフィアの支配するイタリア移民社会で育ったマーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー(Taxi Driver、1976年)」。

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シチリア移民1世の父と移民2世の母の間に生まれニューヨーク市のリトル・イタリーで育ったシルヴェスター・スタローンの主演・脚本作品「ロッキー(Rocky、1976年)」。

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またイタリア系ではないが、南カリフォルニア大学映画映画学科を介して「ジョーズJaws、1975年)」を製作したスティーヴン・スピルバーグ監督や「ビッグ・ウェンズデー(Big Wednesday、1978年)」を製作したジョン・ミリアスなどとも相互影響を与え合った。また「B級映画の帝王」ロジャー・コーマン監督とも縁深い。

まさしく「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望(STAR WARS EPISODE IV A NEW HOPE、1977年)」を製作したジョージ・ルーカス監督の交友関係そのもの。このコミュニティではまさしく黒澤明監督映画が重要な共通語の一つだった様です。そして…

「スカーフェイス(Scarface、1983年)」

ブライアン・デ・パルマ監督の手になるアメリカ映画。1932年のギャング映画『暗黒街の顔役』(こちらも原題は Scarface)をオリバー・ストーンが脚色した。主演はアル・パチーノキューバからアメリカにやってきたボートピープルの青年トニー・モンタナが、コカインの密売でのし上がり、自滅していく様子を描いたピカレスクロマン。トニー・モンタナ役は、当初はジェフ・ブリッジスがやることになっていた。

  • 1980年、キューバから反カストロ主義者として追放され、フロリダ州マイアミへ船で渡ってきたトニー・モンタナ(アル・パチーノ)とマニー・リベラ(スティーヴン・バウアー)は、政治犯レベンガの殺害を皮切りにアメリカの裏社会で暗躍するコカイン取引きで一攫千金を狙い、麻薬王と呼ばれるフランク(ロバート・ロッジア)の配下におさまる。独断でボリビアの黒幕・ソーサ(ポール・シェナー)と高額取引を成立させたトニーを危険視したフランクは、殺害を試みるが失敗。逆にトニーはフランクを殺害し、フランクの座はトニーに奪取されることとなる。全てを手にし、ふと空を眺めるトニーの目に映ったのは、宣伝用の飛行船に書かれた"The World is Yours"(世界はあなたのもの)の文字だった。

  • フランクの大邸宅と情婦エルヴィラ(ミシェル・ファイファー)を手にし、マイアミの麻薬王として君臨するトニーだったが、次第にエルヴィラやマニーと確執が生じるようになり、自身も麻薬の大量摂取により崩壊していく。

  • ある時、脱税の摘発をきっかけに麻薬取締りの手がトニーとソーサ達を包囲し始める。事態を打開しようとしたソーサは、麻薬取締り委員会最高顧問の殺害をトニーに依頼。依頼を了承しソーサが差し向けた殺し屋と共に爆殺を試みるが、家族と一緒の場面を見て関係のないファミリーを巻き添えにすることを躊躇したトニーは、家族皆殺しを決行しようとするソーサの部下を逆に射殺し、大邸宅へと引き返す。そして、トニーが溺愛するあまりに素行の乱れた妹ジーナ(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)のことで母に罵られ、苛立つトニーはジーナと弟分のマニーが結婚していた事実を知らずに衝動的にマニーを射殺してしまう。

  • 裏切り者を始末しようと、武装したソーサ一味はトニーの大邸宅を襲撃する。激しい銃撃戦の中、部下をはじめ妹までも失ったトニーは1人で敢然と立ち向かうが、無数の銃弾を浴び、息絶える。トニーの死体を見下ろすように、オブジェに記された"The World is Yours"(世界はあなたのもの)の文字が輝く。

1983年に全米公開され、全米興行収入週末成績初登場2位(1983年12月9日-11日付)のヒットを記録した。日本における公開は1984年4月。ゴールデングローブ賞ではジョルジオ・モロダー(作曲賞)、スティーブン・バウアー(助演男優賞)、アル・パチーノ主演男優賞)がノミネートされた。

町山智浩 はこの「スカーフェイス」について「蓮實重彦などに代表される)満ち足りたインテリ=ブルジョワ階層にとっては視野外にして絶対認められない世界を描いている」と述べています。この観点、1950年代末の松本清張ブームや黒澤明監督映画「悪い奴ほどよく眠る(1960年)」などを分析する上でも欠かせません。

そういえばネットで「大菩薩峠」と検索すると、この事件が引っかかってきます。

大菩薩峠事件(1969年)

1969年11月5日に共産主義者同盟赤軍派赤軍派)の53名が凶器準備集合罪で逮捕され、同組織の弱体化に結び付いた事件。

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  • 大阪戦争・東京戦争が失敗に終わった赤軍派は「11月闘争」と称して刃物・鉄パイプ爆弾・火炎瓶等の凶器で武装し、8つの部隊が大型ダンプカー等5台の車に分乗して首相官邸および警視庁を襲撃し、人質をとって獄中の活動家等を奪還するという作戦を企てた。そのための武装訓練を大菩薩峠周辺の山中で行うべく、山梨県塩山市(現在の甲州市)の山小屋『福ちゃん荘』に潜伏していた。
    *潜伏とはいえ、情報は事前に外部に筒抜けとなっており、読売新聞に至っては記者を荘に投宿させて特ダネを狙っていた。

  • 11月5日早朝、警視庁と山梨県警合同の機動隊が突入、その場に居た53名のメンバーが凶器準備集合罪で現行犯逮捕され、武器なども押収された。逮捕されたメンバーの中には上野勝輝ら幹部や第六中隊長として森輝雄もいたが、幹部らの甘言により何も知らされずに動員された高校生も多かった。
    *森輝雄…元西東京市議会議員・市長選挙出馬のため議員辞職、2013年市長選挙落選。2013年東京都議会議員選挙にも西東京市選挙区から出馬したが次点〔定数2に対し、6人中3位〕で落選。

  • 裁判時には「反革命兵士も見つけ次第銃殺の刑にするのだ!法廷は君達の戦うべき戦場にあるのだ!いたるところに、人民の手で法廷を創り出せ!銃を持て!銃が裁判権を持っているのだ!」などの冒頭陳述もみられた。
    *『ブルジョワジー諸君!君達の独裁を暴力で死刑執行する』森輝雄 大菩薩冒頭陳述集173頁

  • 事後の捜査によって議長の塩見孝也ら重要メンバーの多くに逮捕状が執行され、赤軍派は大打撃を受けた。これ以降、弱体化した赤軍派日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(通称、京浜安保共闘)と統合し、連合赤軍を形成。山岳ベース事件、あさま山荘事件へと突き進んでいく事になる。

 一般に「大菩薩峠事件」と呼ばれているが、福ちゃん荘は大菩薩峠からはやや離れた位置にある。なお、2008年に公開された若松孝二監督の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や2009年にテレビ朝日系で放映されたドラマ『警官の血』の撮影では、実際の福ちゃん荘が舞台として使われた。

 「大菩薩峠」でも活写される様に(幼少時から通行人を待ち伏せて辻斬りしてきた「ニヒリスト剣士元祖」机竜之助が摘発を免れてきたくらい)荒涼とした山岳地帯が延々続く土地柄なので、ゲリラ潜伏にも向いていた様ですね。

そういう情景が伝統的に南イタリアやアメリカ西海岸のそれと重ねられてきた側面も無視出来ません。

マーティン・スコセッシ監督映画「沈黙 -Silence-(2016年)」では、これに当たるのが「長崎の沿岸地帯」。

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こうした一連の流れの一作として「沈黙 -Silence-」を鑑賞するっていうのも全然アリかもしれません。実際黒澤監督映画へのオマージュらしい場面とか結構ありますし。

 この指摘があるまで自分では気付けませんでした。「キリスト教におけるイエス・キリスト」と「浄土真宗における阿弥陀仏」を対比させてる?