諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ローグワン】 【悪い男】 【年表】その伝統的本舗は、フランスと、スコットランドと、そして日本?

国際SNS上の関心空間上の女子アカウント達のこれまでの「叫び」

  • ハリー・ポッターシリーズ(Harry Potter Series、原作1997年〜2007年、映画化2001年〜2011年)」においてヴォルデモート卿(Lord Voldemort)の過去が明かされると「トム・リドル (Tom Marvolo Riddle)は(道を誤れば自分もそうなっていたかもしれないという意味で)私!!」と叫んだ。

    Still Dreaming

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  • シン・ゴジラ(Shin Godzilla)」が海外でも封切られると「鎌田君(kamata-kun)は私!!」と叫んだ。

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  • 「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(Fantastic Beasts & Where to Find Them)」が封切られると「オブスキュラス(Obscurus)は私!!」と叫んだ。

    For someone who loves me because I am me…

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これが前回までの荒筋。

それでは「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリーRogue One: A Star Wars Story、2016年)」を見た時の反応は?

Einstein took Science, We took Hardyness - There will be no one to stop us this time.

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kaludiasays — i get why kylo went dark just to be a vader fanboy...

とある女子アカウント「どうしてベーダー卿オタクのカイロ・レンが暗黒面に堕ちたか分かった。私もローグワン観て堕ちた(i get why kylo went dark just to be a vader fanboy because i, too, lost my mind after seeing rogue one)」

tell that to zod's snapped neck

ローグワンを見終わった後の私(me, after seeing rogue one:)

「とても素晴らしい映画で、何を話せばいいか思い浮かないくらい!!(ok this is a great movie and there's so much to talk about!)」

もう一人の私(also me:)
VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VADER VA-

まぁ、想定内といえば想定内? 

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そもそも 19世紀末には男性作家がこぞって「ファム・ファタール(femme fatale - 運命の女。近付く相手を悉く破滅させる女)」に傾倒してサロメクレオパトラをそれに仕立て上げたものでした。

そして20世紀、特に1970年代に入って 以降、女性作家達が「オム ファタール(homme fatal - 運命の男 近づく相手全てを滅ぼす相手を悉く破滅させる男)」のイメージ形成に血道を上げる様になります。

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アン・ライスのヴァンパイア・レスタト(The Vampire Lestat)

One more miracle, Sherlock, for me?

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タニス・リーの闇の公子アズュラーン(NightsMaster Azhrarn)

azhrarn - Bread Effect

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 これについては「人間はそ自分の認識を超えた範疇にこそセクシーさを感じる」なんて意見も存在する様です。

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綺麗め系統のイイ男が、冷酷な人でなしだったとしたら? 自動的に、女が不幸になる。ええ、展開は決まっています(笑)。その逆を考えるともっとわかりやすくて、たとえば、ブ男が、冷酷な人でなしだったとしたら? 自動的に、男(っていうか本人)が不幸になる。それだけです。女は、ブ男で冷酷な人でなし、なんていう男とは特に関わろうとしませんから、ドラマが生まれるはずもない。

  • そんなわけで「綺麗め系統のイイ男+冷酷な人でなし、という設定でいこう!」と決まった瞬間、「女が不幸になる」という展開も自動的に決まる。そして、普段は無意識下に追いやっているけれど心のどこかに潜んでいるはずの女の自虐的心理やら破滅願望やらを刺激することになり、妙な熱狂が渦巻くであろうことは、必至。

  • だいたい「四谷怪談(1965年)」以前まで伊右衛門の様な綺麗め系統のイイ男は、いい人、やさしい人、と決まっていたんです。正確に言えば、頼りないというか、優柔不断というか、主体性がないというか、そういう意味での、やさしい人、ですけどね(笑)。いや、でも、今だってそういうタイプの二枚目がもてはやされている気もしますが。

  • でも、そういうのって、ちょっとばかりつまんないんですよね。刺激がない。面白くない。心が揺さぶられない。唯一面白いとしたら、そういうぼんやりさんの心をこっちが揺さぶること、ですか(笑)? でもそれもやがて飽きるでしょう。何ていうか、「え、そういうのもアリ?!」「あぁ、もう理解不能!!」というような興奮や驚きを、他人の上に見出したいんですよね。ましてやそれを、イイ男の上に見出せたとしたら。たぶん、これ以上ないくらいの快楽なんじゃないか。そう思うのです。

  • 実は、そんな驚きを、今回この『四谷怪談』の仲代達矢の上に見出すことができました……! 映画前半の仲代達矢は、普通の悪人・伊右衛門だったんです。まるで眠狂四郎のように虚無的なニヒルな表情で人を殺して「うーん、天知茂バージョンとあまり変わらないかなー」なんて思ってました。

  • ところが、ラストに近づくにつれ、仲代達矢、バリバリと狂い出すんです! 目をむき、叫び、転げまわり。以前自分に向かって「お前、女に惚れたことねぇのか?」と言った直助(中村勘三郎)の幻覚に向かって「女に惚れたことのない悪党ほど始末におえないものはねぇだとー?!」と食ってかかり斬りまくり、充血した目をギラつかせ。お岩の亡霊から身を守るための結界も斬り捨て、女も斬り捨て、転げ出るように戸を開けると、サーッと眼前に吹き上げる木枯らしに、舞う粉雪。恐る恐る、ゆっくりと正面を見据えるまでの、自分が何をしているのかもう分からなくなっていることへの恐怖と憤怒と冷酷のまじった、その凄い表情といったら。

  • ここで私、初めて仲代達矢にセクシーなものを感じてしまいました。何故なら、このときの彼の顔に、何かよくわからない、自分の理解を超えた、謎のような未知のような怖いような底なしのようなものを見たから。このときの仲代達矢には、決して「実は心の奥底ではお岩を愛していたのだ」とか「何がどうあっても立身出世したかったのだ」とか、そういう「なるほどねー」と腑に落とすことができるようなものは何もなかったと思う。そこには「意味」なんて何もなくて。それこそ、結局すべてを失くしてすべてがはぎとられた後に残ったのは、真ん中が空洞のダンボール芯だけ、というような。でもそのダンボール芯が異様に頑丈でつぶそうとしてもなかなかつぶれないどころか、なんだか異様な存在感を発している、というような。

  • そんな空洞と無意味をあらわにしたまま、異様な存在感だけを発して、ただただ目をむいて虚空を睨んでいる。そんなものを目の前にしたら、もうどうしていいのかわかりません、私だったら。まぁ、それがトイレットペーパーの芯だったら「このダンボール芯、なんか不気味だから捨てちゃお」で済みますけど、それがイイ男だったとしたら。もう金縛りにあったように固まりますね。間違いなく。

つまり、セクシーとは、そういうものなのでしょう。きっと。それは、自分の理解を超えたものに対してはそうした反応をするしかない、そうした反応によって未知のものを乗り越えようとするしかない、人間の切ない本能なのかもしれません。だから、外見的に好みだとかスペック的に好みだとか、そういうこととセクシーはあまり関係がないのかもです、実際は。たぶん。もちろん、イイ男であるに越したことはないでしょうけれど、ね。

そういえば1960年代日本では、ショーン・コネリー演じる「冷酷に男も女も殺す冷血漢」007ことジェームズ・ボンドJames Bond)が「悪い男」代表格でした。 何しろこの時期、映画版が集中投下されています。

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007は殺しの番号(007 Dr.No、原作1958年、日本公開1963年6月)」


「007危機一発(From Russia with Love、原作1957年、日本公開1964年4月)」


「007 ゴールドフィンガー(Goldfinger、原作1959年、日本公開1965年4月)」


「007 サンダーボール作戦(Thunderball、原作1961年、日本公開1965年12月)」

007は二度死ぬ(You Only Live Twice、原作1964年、日本公開1967年6月)」

「007 ダイヤモンドは永遠に(Diamonds Are Forever、原作1956年、日本公開1971年12月)」

しかし実は当時の興行成績において「007は二度死ぬ」は、1955年の太陽族映画で鮮烈なデビューを飾りつつ1962年に日活から独立して以降干されていた石原裕次郎と、同じく1964年に東宝から独立した三船敏郎がタッグを組んだ「黒部の太陽(原作1964年、映画化1968年)」に敗退したりしています。そういう意味では石原裕次郎もまた当時を代表する「悪い男」の一人だったとも。

その太陽族映画にインスパイアされて、ジャン=リュック・ゴダールJean-Luc Godard,)が「勝手にしやがれ(À bout de souffle、1960年)」や「気狂いピエロ (Pierrot le fou、1965年)」を制作しましたが、これらの作品で主役を務めたのはジャン・ポール・ベルモント。ただ「悪い男」として熟成してきたのは、アクション・スターとしての側面が強まった「ボルサリーノ(Borsalino、1969年)」や「華麗なる大泥棒(Le Casse/The Burglars、1971年)」以降とも。

どうやら、当時の「悪い男」の主要供給源はフランスとスコットランドだった?

ところで当時大人気だったヌーベルバーグ映画を後世の人間が楽しめないのはこの時期充満していた熱狂、「訳が分からないものほど面白い」と感じられるスノビズムの一種が去ってしまったからともいわれています。

同様の空気が満ちていた時代として、欧州貴族文化が最盛期を迎えた18世紀ヨーロッパ宮廷を挙げる向きもあります。英国においては既に始まっていた産業革命の波が「大陸諸国」に及ばなかったかのもそれのせい…

  • 絶対王政下において伝統的貴族の凋落と退廃が進行。継ぐべき所領がなくて軍隊送りにされた領主の次男坊以下が、同様の事情で修道院送りにされた大貴族の娘と駆け落ちするロマンス小説が大流行した時代。 自助努力の意義を否定して公式には激しく弾圧されたジャンセニスムが貴族の子弟の間で密かに継承されていった時代でもあった。

  • 貴族的優美さと表裏一体の関係にあるロココ的軽薄さを基調としつつ、古代ギリシャ・ローマ時代の質実剛健性への回帰を渇望する新古典主義運動があったり、リスボン地震(1755年)以降の神中心主義への懐疑の高まりがあったり、水面下におけるオカルティズムの流行があったりした時代。当時の倒錯したスノビズムは、フランスの劇作家ボーマルシェが1784年に執筆し、ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトが1786年にオペラ化した風刺劇「フィガロの結婚(伊: Le nozze di Figaro、仏: Les noces de Figaro、英: The Marriage of Figaro、独: Die Hochzeit des Figaro)」が貴族社会を激しく弾劾する内容だったにもかかわらず、貴族の若い子弟の間で大流行した事にも現れている。

  • こうした社会矛盾の鬱積を背景にアレッサンドロ・ディ・カリオストロ(Alessandro di Cagliostro、1743年〜1795年)や、サンジェルマン伯爵(Comte de Saint-Germain、1691年/1707年〜1784年)や、ジャコモ・カサノヴァ(Giacomo Casanova、1725年〜1798年)といったアヴァンチェリエ(Aventurier)が宮廷内を暗躍した時代。
    *アヴァンチェリエ(Aventurier) …18世紀に欧州宮廷を渡り歩いた国際的山師集団。詐欺師まがいの売り 口上で上流階級の世界に紛れ込み、低い身分から機会を見てのし上がろうとした。

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この二つの時代を「熱狂とその終わり方」という観点から結びつけたのが、1844年にウィリアム・メイクピース・サッカレーが発表したピカレスク小説を原作とするスタンリー・キューブリック監督作品「バリー・リンドン(Barry Lyndon、1975年)」や「フェデリコ・フェリーニのカサノヴァ(Il Casanova di Federico Fellini、1976年)」といった作品群。まさしくニューシネマ(New Hollywood)運動終焉後、その全体像を総括するかの様に現れた時代の徒花だったのです。「悪い男」達の最後の大逆襲? しかし、こうした流れは芸術的には高く評価されたものの、あくまで一過性の流れとして終わってしまうのです。

*その時、アメリカの男達が選んだのはマーベル・コミックのウルヴァリンだったとも…

この時期から次第に、それまでのアクション映画を牽引してきたマチズモ(machismo、男性優位主義)が時代遅れとなっていきます。

*そういえば「究極の自由主義は専制の徹底によってしか達成されない」なる提言を残したパゾリーニ監督のイタリア・フランス合作映画「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma、1975年)」が制作され、途中で方向修正を余儀なくされた「ルパン三世 1st series(1971年〜1972年)」の劇場版として宮崎駿監督作品「ルパン三世 カリオストロの城(1979年12月)が制作されたのもこの時期。ロジャー・ムーアジェームズ・ボンド(1973年〜1985年)も1970年代はコミック・リリーフ的立ち回りが中心となったし、まさにニヒルなダンディズムやマチズモが商品価値を失っていく時代だったとも。

あたかもそれと入れ替わるかの様に「耽美の時f代」が始まるわけですが、こちらの系譜の起源にも「悪い男」がその名をずらりと連ねています。

「泥棒詩人」フランソア・ヴィヨン(Francois Villon;1431年~1463年?)

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ジャンヌ・ダルクルーアンで火炙りにされた1431年、パリで生まれる。当時のフランスはまだまだ中世を脱っし切っておらず、国土統一も完全達成には至ってなかった。そんな状況下、無頼と放浪の短い人生を送る。その作品は闇を突き抜ける閃光の様に荒々しい妖気を放つ。

  • 出自そのものについて詳しい事はわかってない。本名はヴィヨンではなく、モンコルビエあるいはデ・ロージュであったとする説もある。父親はヴィヨンが子どもの頃に死んだらしい。12歳の頃、叔父のギヨーム・ド・ヴィヨンの世話でパリ大学に入った。ヴィヨンの名は、この叔父からとったらしい。

  • 1449年、18歳でパリ大学の学士号をとり,1452年、21歳で修士号をとった。順調にいけば大学教授の道を歩めたはずなのに堅苦しい生活が似合わなかったらしく、当時パリ大学に集まっていた学生達の中に少なからぬ比率で混じっていた無頼漢達と交わる様になる。

  • 卒業後の消息が歴史上に明らかになるのは,1455年のある不名誉な出来事を通じてである。この年の6月、ヴィヨンは傷害致死事件の犯人となった。男女の友人たちとサン・ジャック通りを歩いていた際、通りがかった別のグループと争論になり、相手側の一員だったシェルモアという司祭を刺したり殴ったりし、ついにシェルモアを死に至らしめてしまったのである。ヴィヨンは逃げたが捕らえられ、パリ追放の刑を受けた。この刑は,1456年のシャルル7世の恩赦によって取り消されたが、フランソア・ヴィヨンはこの事件以来、まともな職業に付くことができなくなり、生涯放浪の生活を送るようになる。

  • 1456年に公式記録上は2度目のトラブル。最初のトラブルは女が原因だったようだが、2度目も女が原因だった。その女の名はカトリーヌ・ヴォーセルといった。だがこのトラブルでは、ヴィヨンは殴られっぱなしで、いいところがなかったようだ。そのため、ヴィヨンは恥を恐れて、パリから逐電せざるを得なくなり、アンジェーに身を潜めることにした。そこで司祭をしている叔父のつてを頼ったのである。

  • パリを離れるに先立ち一冊の小詩集を作った。今日「形見分け」”Petit Testament” として知られる作品である。この詩集の中で、ヴィヨンはひどい目に会った女に呪いの言葉を浴びせかけ、自分は不名誉を避けるために去るのだといっている。詩集は40の八行詩からなっており、これまで世話になった友人知人たちに形見を贈ろうというという名目でいちいち友人たちの名を上げては、それらに贈るべきもののリストを示している。文字通りに受け取ることはできないが、ヴィヨンのそれまでの歩みを伺わせてもくれる作品である。

  • 1456年のクリスマスの夜に、コレージュ・ド・ナヴァールに盗賊が押し入り、金貨500枚を盗む事件がおきた。翌年、ギー・タバリーというものの通告によって、この事件はパリ大学の学生窃盗団によるものと判明した。更にその一年後(1458)、タバリーは窃盗団の首領がフランソア・ヴィヨンだったと申し立て、この密告により再度追放刑を受ける。1456年以降は、窃盗団の一員となって、各地を放浪していたらしい。そうかと思えば、王侯貴族との交わりもあったようで,1457年には、オルレアン公シャルルの館ブロア城に滞在していたことがわかっている。

  • 1461年の夏にはマン・シュル・ロアールの監獄に入れられていた。どんな犯罪であるかはわかっていないが、おそらく窃盗であったろう。この年の10月に行われた、ルイ11世の戴冠記念恩赦によって釈放された。

  • 1461年には、フランソア・ヴィヨンは代表作となった「遺言書」 “Grand Testament” を書いている。

  • 1462年にはサンブノアの修道院に監禁された。またこの年、シャトレの監獄にもぶち込まれた。コレージュ・ド・ナヴァールの事件を蒸し返されたようである。ここはすぐに釈放されたがまたもや路上でひと騒ぎ起こす。この騒ぎがどのようなものであったか明らかではないが逮捕されて、一時は絞首刑の判決を受けた。この時に、吊るされることを覚悟したヴィヨンの作ったバラードは、彼の最高傑作となる。

    吊るされ人のバラード

      我らの分まで生き延びる兄弟たちよ
      我らを見ておぞましく思ふなかれ
      我らに幾許かの同情を抱くならば
      神も汝らを憐れみたまふべし
      五体六体並んでぶら下がった我ら
      かつては太って色艶のあった我ら
      今ではカラスに食はれ骨になった我ら
      あとは灰となり粉となるのみの我ら
      我らの不運を笑ふなかれ
      ただ祈れ、神よ我らを憐れみたまへと
      兄弟たちよ、我らをあざ笑ふなかれ
      勅令によって吊るされた我らを
      汝らも良く知る如く
      勅令を読むには知性が必要
      我らにはそれが欠けていただけ
      処女マリアの御子に祈れ
      我らをゆるし慈しみたまへと
      そして地獄を我らから遠ざけたまへと
      我らは死んだ、いまさら嘆いても手遅れだ
      ただ祈れ、神よ我らを憐れみたまへと
      我らを雨が洗い清める
      我らを太陽が焼き焦がす
      我らの眉毛も我らの髭もカササギどもが啄ばみ取る
      我らの目玉をカラスどもがほじくり出す
      時の流れに身をまかせつつ
      風に揺られてはぶらぶらする
      我らの心には安らぐ暇がない
      そこここに穴があいた我らの身体
      こんな姿を見せたくない
      ただ祈れ、神よ我らを憐れみたまへと
      イエス・キリスト、我らは皆あなたの民
      地獄が我らを捕らへぬよう護りたまへ
      我らには何の用もないところ故
      そして兄弟たちよ、我らが亡骸に饒舌を振るふなかれ
      ただ祈れ、神よ我らを憐れみたまへと

  • 翌1463年の1月、刑は減じられ、追放刑ですむこととなった。だが、この年以降、フランソア・ヴィヨンという名の男は杳として行方をくらまし、ついに歴史の舞台に出ることがなかったのである。

日本では終戦直後のハードボイルド全盛期、「無頼派太宰治が「ヴィヨンの妻(1947年)」の題材に選んだ事で一時期有名となった。しかし太宰治と一緒に忘れられる事にもなったとも。
太宰治「ヴィヨンの妻(1947年)」

まさしく中世から近世への端境期の徒花。 ピカレスク小説の主人公に抜擢しても、おそらく違和感を感じる事はないでしょう。

そしてロマン主義文学の熱狂が去った後、いよいよ「退廃主義の再建者」ボードレールエドガー・アラン・ポーとサド侯爵の伝教に着手します。

ただ「伝言ゲーム」の過程で思わぬ要素が入り込む事に。

ボードレールの女性蔑視

ボードレールが創作メモとして書いたと思われる「赤裸の心(矢内原伊作訳)」は、その題名が暗示するとおり本音が最もよく現れている文章だが、その中でボードレールは、女性に対する侮蔑的な意見を繰り返し吐いている。

「女はダンディの逆である。だから人をぞっとさせることになる。女は腹が減ると食べたがる、のどが渇くと飲みたがる。さかりがつくとされたがる。たいしたものだ。女は自然的である、つまり忌まわしい。また女は常に卑俗である、つまりダンディの逆だ。」

「私はいつも女が教会に入ることが許されていることに驚いたものだ。女と神がどんな会話をなしうるのだろうか。永遠のヴィーナス(浮気、ヒステリー、気まぐれ)は、悪魔の魅惑的な形のひとつである。女は魂と肉体を引き離すことができない。女は動物のごとく単純派である。皮肉屋なら、女は肉体しかないからだ、というだろう」

こんな文章を読まされたら、どんな女性でも作者に一発かませたい気分になろうというものだ。このようにボードレールにとって、女は魂を持たない肉の塊であって、その内臓によって物質にあまりにも強く結びついている。女が愛を云々するのは、自分の肉体から別の肉体を生産する目的のためだという訳である。しかし当のボードレール自身の生涯には女性の影を欠く事がなかった。人生のあらゆる時点において自分の傍らに女性がいる事を欲っし、彼女の中からあらゆる悪徳を引きだし、快楽を盗み取り、そこから詩想を引き出し続けたのである。もし身辺に女がいなかったなら、ボードレールの芸術家としての生涯もなかった。その事についてヴォードレールは「男の主義の問題」と言い訳する。

「性交とは他人のなかへ入ろうと欲することだが、芸術家は決して自分自身の外へは出ない」

つまり女と性交しているときでも、男は芸術家のように、決して自分自身を失ってはいけないというのだ。これでは女を自分と対等の人間として認めることにはつながらない。それなのになぜ男は女なしではいられないのか。この問いにボードレールは一切答えない。子供の様にただやみくもに女を卑下し続けるばかりである。

映画「太陽と月に背いて(Total Eclipse:1995年)」

フランスの天才詩人、ランボーヴェルレーヌの破滅的な恋を中心に描いた映画。まだレオナルド・ディカプリオが「タイタニック」でブレイクする前で、今やレンタルもできない伝説的な作品になっているらしい。ディカプリオのお尻が見れますからね(笑)。ブレイク後だったら絶対出演してなかっただろうと思われ。なにせ「男同士でキスするのはもう絶対いや」みたいにのたまったのだとか。

①実はこの映画は私のBL史上重要な役割を果たしたのだ。ランボー大好きだった私は、当然ランボーヴェルレーヌの関係も知っていたのだが、映画を見ていた私は途中で目が点になってしまった。「ヴェルレーヌが受けどんっ(衝撃)」

②当時はまだボーイズラブという言葉は無く(…なかったと思います。少なくとも一般的じゃなかった)その手の話は「少年愛」と呼んでいた。そう・・・少年が愛される、もしくは少年を愛する、ないし少年同士の愛・・・要するに少年が受けな話が一般的で、年下攻めや、ましてやおやじ受けなんてものは私の中にはなかったのです!

③なので当然ランボーヴェルレーヌも、私の脳内ではランボーがかわいがられたわけですね。だってヴェルレーヌは中年おっさんだし、すでに大詩人だし、映画でもハゲおやじだし。なのにどう見てもヴェルレーヌがディカプリオの下であえいじゃってるのだ。私は衝撃を受けましたどんっ(衝撃)

④後日調べてみると、これはちゃんとした史実に基づいていて、二人の書簡からヴェルレーヌが受けだったらしいことがわかっている。自分のゲイ傾向に目をそむけ金持ち娘と結婚し、容姿にコンプレックスを持っていたヴェルレーヌ。この映画はどちらかというとヴェルレーヌの心情のほうを細やかに描いてあって、ヴェルレーヌを通してみたランボーとの愛憎劇になっている。

このヴェルレーヌがほんっと情けないダメ男なんですがね。妊娠中の嫁さんに乱暴するわ、ランボーとラブラブかと思えば嫁さんともやっちゃうわ、なんなのこの男って思うけど、デヴィッド・シューリスの演技がうまくて、やっぱ詩人ってこのくらいじゃないといけないのかと(笑)

ランボーの詩と象徴主義

ランボーの詩は、そのキャリアの最初から絶望感に裏打ちされている。パリに初めて上京した時、彼を待ち構えていたのは「普仏戦争(1870年)に敗れてドイツに降伏した事実がどうしても認められず、2ヶ月間にも渡ってパリ市民が抵抗を続けた続いたパリ・コミューンの反乱(1871年3月18日~5月28日)」と「ティエール政権がこれを仮借ない弾圧で崩壊させていく一部始終」だったとされる。

  ランボー「パリの軍歌」

  春もうららだ 何故かって
  ティエール殿やピカール殿のおかげで
  財産の所有権もご安泰となったから
  神聖にして不可侵というわけさ

  うららかな五月 陽気な宿無しどもがゆく
  セーブル ムドン バニュー アスニェール
  歓迎の音楽を聞こうじゃないか
  春の気配がいっぱいだもの

  宿無しどもは帽子をかぶり腰にはサーベル
  威勢のいい太鼓は張子じゃないぞ
  小船の作り物までかついでいるな
  血に染まった川を渡ったわけじゃないらしいが

  いつにも増してのお祭気分
  人間どもの群はシロアリのようだ
  黄色い頭がうじゃうじゃとして
  夜明けの街をうろつき歩く

  ティエール殿 ピカール殿は天使さまじゃ
  天使様にして首切り役人さまじゃ
  しかも弁舌さわやかな御仁たちと見える
  なんでもかんでもお切りになさる

  あなた様方は偉大なお方様がたじゃ
  ファーブル殿の名も忘るまいぞ
  アイリスに埋もれて涙をお流しなさる
  ワニの涙のような辛くて実のない涙

  街中は石ころであふれている
  舗道をはがして投げたやつだ
  畜生 こいつらを手に掴んで
  もう一度あいつらにぶっ放してやりたいもんだ

  道端にへたり込んだ
  どんなに間抜けな田舎者でも
  街路樹の枝が石ころで割られ
  赤い血が吹き出るのに驚くだろう

ここに登場するティエールは第三共和制臨時政府の首班、ピカールは共和国軍の司令官。プロシャとの和平交渉に当たるとともに、労働者による革命政府たるパリ・コミューンを徹底的に弾圧した。労働者達の政府がつぶれ、とりあえず財産権を保障された偽善的なブルジョア階層の安堵を皮肉っている。

  ランボー「盗まれた心」

  俺の哀れな心臓が船尾でよだれを垂らしている
  タバコの脂がまとわり付いた哀れな俺の心臓
  その上に奴らがげろを浴びせかけて
  俺の哀れな心臓は船尾でよだれを垂らしている
  船員たちはそんな俺の心臓をからかい
  大笑いに囃し立てるが
  俺の哀れな心臓は船尾でよだれを垂らすばかり
  タバコの脂がまとわり付いた哀れな俺の心臓

  怒張してそそり立つ偉大な男根が
  奴らの罵り騒ぎで萎縮した
  舵の柄に描かれたフレスコの絵
  怒張してそそり立つ偉大な男根よ
  おお波よ! アブラカダブラ!
  俺の汚れた心臓を洗い清めてくれ
  怒張してそそり立つ偉大な男根が
  奴らの罵り騒ぎで萎縮した

  奴らが噛み煙草をかみ捨てたら
  次は何が起こるんだ 盗まれた俺の心よ
  バッコスの巫女たちの乱痴気騒ぎか
  奴らが噛み煙草をかみ捨てたら
  とりあえず酔い止めの薬でも飲もう
  俺の心が再びおかしくなる前に
  奴らが噛み煙草をかみ捨てたら
  次は何が起こるんだ 盗まれた俺の心よ

酔いどれ船」と並ぶ初期詩の代表。最初に書かれたのはパリ・コミューン崩壊前後らしい。まずは「道化者の心」Le Coeur du Pitreと題され、次に「処刑された心」Le Coeur supplicie と変わり、最後に「盗まれた心」Le Coeur Vole に落ち着いた。盗まれた心といい、そそりたつ男根といい強迫観念の様なものが横溢しているが、一体何を歌った詩なのかについてさまざまな議論がある。「敗戦ですっかり意気消沈してしまったフランス人としての自尊心」という見方もあるが「ランボーはコミューンの町の中をうろつき歩いているうち、荒くれ男たちによって、男色の餌食にされた」とするショッキングな説もある。

これ以降、フランス芸術はシャルル・ボードレールと(絶えず官警による検閲を恐れ続けねばならず、それ故に戦術的に韜晦で謎めいた神秘的仄めかしを駆使する)ドイツ・ロマン主義の双方から影響を受けて所謂「象徴主義」の時代へと突入していきます。

  • その流れを主導したのはステファヌ・マラルメポール・ヴェルレーヌだが、そのマラルメから「重要な通りすがり」と称されたアルチュール・ランボーもまた、ポール・ドゥメニーに宛てた1871年の手紙では「魂から魂へ、全てを要約し、薫り、音、色彩、思考を引っ掛け引き出す思考」となる言葉の探求に詩の方向を定めたと述べている。
    *そしてテオフィル・ゴーティエマラルメの作品がバレエ・リュス(Ballets Russes、1905年〜1929年)の芸術プロデューサーだったセルゲイ・ディアギレフやその恋人で天才舞踏家だったニジンスキーが手掛けた事で当時の空気が20世紀に伝えられる事になる。

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  • こうした時代変遷の過程で、ドレスデン蜂起に参加したワーグナーが「芸術と革命(1849年)」に「革命の時代にあって芸術家もうかうかしてはいられない。いまこそ芸術の本義に戻れ、芸術をして人間を解放するのだ」と熱に浮かされる様に書きなぐった「革命の時代」は静かにその幕を閉じていったのだった。

ワーグナーニーベルングの指輪(Ein Bühnenfestspiel für drei Tage und einen Vorabend "Der Ring des Nibelungen")四部作(1854年~1876年)」における「遠大な計画」とその修正過程

その最初期の構想においては「神々の意志の及ぶ範囲では支配の指輪がアルベリヒの手元に戻るのを防げないと考えたヴォータン(オーディン)は、それが自らの忠実な下僕となって動く人間の英雄の手に渡る様に手配する」といった内容だったが、やがて「その人間が自らの忠実な下僕に過ぎないのなら、それは神の意志の及ぶ範囲から離れた事にならない」と気付いてしまう。

結果として指輪はヴォータン(オーディン)の突然の変心の犠牲となった息子のジグムント、その息子ながら祖父を圧倒して精神的自立を勝ち取ったジークフリート(ただしヴォータンと表裏一体の関係にあるアルベリヒの悪魔的計画には屈する)を経て、ヴァルキューレの長女にしてジークフリートの妻たるヴリュンヒルデの手に到達。彼女が「自らの意志と判断に基いて」ラグナロクを発動し(ただし全ての展開の背後に面従腹背の「忠臣」ロキの暗躍が認められる)、支配の指輪は元のラインの黄金に戻される。

その過程でヴォーダンオーディン)の「遠大な計画」の矛盾を指摘するのは妻のフリッカ(フリッグ)であり、孫のジークフリートにしてやられてすっかり老けこんでしまったヴォータン(オーディン)に止めを刺して世界再生の歯車を回すのは娘のブリュンヒルデである。

ところで「耽美主義(aestheticism)」は元来、詩人アルジャーノン・スウィンバーン(Algernon Charles Swinburne, 1837年〜1909年)の「この絵の意味は美そのものだ。存在することだけが、この絵の存在理由(raison d'être) なのだ」なる絵画評に象徴される様に客観として存在する事を前提とします。

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*ここで興味深いのが当時のフランスにおけるジャポニスム運動(Japonisme)とも密接に絡み合い「日本的エスニック性=耽美」なる図式も存在していたという事。

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その点、ドイツ・ロマンス文学はとにかく「タナトス(Thanatos、死への誘惑)」一直線で主観しか存在しないあたりがややこしかったりします。

それに対してフランスの「耽美」はアブサンや阿片チンキの飲み過ぎで体を壊したり、犯罪と手が切れなかったりと、とにかく捨て身。こちらはこちらで「インスピレーションを絶やさない」為に何かと行動主義的なのが困りもの。

【松岡正剛の千夜千冊346夜】ジャン・ジュネ「泥棒日記」

ジャン・ジュネ(Jean Genet, 1910年〜1986年)という「救済と解釈を拒否する者」は孤児として生まれ育ち16歳から30歳にかけて感化院や刑務所や酒場で暮らすうちに、最も不幸な犯罪者達との同一化のみを考える様になった。文学者として認められてなお盗癖がなくならず、また男娼生活から足を洗わなかったのはそのためとされる。

彼が彼で居続ける為には更生してはならず、かといって大罪を犯して処刑されてもならず、しばしば小悪党としてしょっぴかれ、元の仲間と同じ臭い飯を食べ続ける必要があったのだ。そんな人生をジャン・ジュネは自分で選んだのではなかった。気がついたら、そう生きるべく宿命づけられていただけだった。

*「泥棒日記」はサルトルが激賞し、翻訳版を石川淳三島由紀夫坂口安吾らが賞賛した事で知られる。

太宰治も割とこういうタイプだったらしい。

坂口安吾 太宰治情死考

こんな筋の通らない情死はない。太宰はスタコラサッちゃんに惚れているようには見えなかったし、惚れているよりも、軽蔑しているようにすら、見えた。サッちゃん、というのは元々の女の人のよび名であるが、スタコラサッちゃんとは、太宰が命名したものであった。利巧な人ではない。編輯者が、みんな呆れかえっていたような頭の悪い女であった。もっとも、頭だけで仕事をしている文士には、頭の悪い女の方が、時には息ぬきになるものである。

太宰の遺書は体をなしておらぬ。メチャメチャに泥酔していたのである。サッちゃんも大酒飲みの由であるが、これは酔っ払ってはいないようだ。尊敬する先生のお伴して死ぬのは光栄である、幸福である、というようなことが書いてある。太宰がメチャメチャに酔って、ふとその気になって、酔わない女が、それを決定的にしたものだろう。

太宰は口ぐせに、死ぬ死ぬ、と云い、作品の中で自殺し、自殺を暗示していても、それだからホントに死なゝければならぬ、という絶体絶命のものは、どこにも在りはせぬ。どうしても死なゝければならぬ、などゝいう絶体絶命の思想はないのである。作品の中で自殺していても、現実に自殺の必要はありはせぬ。

泥酔して、何か怪けしからぬことをやり、翌日目がさめて、ヤヤ、失敗、と赤面、冷汗を流すのは我々いつものことであるが、自殺という奴は、こればかりは、翌日目がさめないから始末がわるい。

そして最後の難関…

北村透谷「厭世詩家と女性(1892年)」

女性を冷罵する事、東西厭世家の常なり。釈氏も力を籠めて女人を罵り、沙翁も往々女人に関してあきたらぬ語気を吐けり。我が露伴子の「一口剣」を草するや、巧に阿蘭を作りて作家の哲学思想を発揮し、さらに「風流悟」においてその解脱を説きたるところ、余のもっとも服する所なり。けだし女性は感情的の動物なり、詩家もまた男性中の女性というべき程に感情に富める者なり。深夜火器を弄して閨中の人を愕ろかせしバイロン、必らずしも狂人たりしにあらざるよし、けだし女性はある意味においてははなはだ偏狭頑迷なる者なり、しかして詩家もまた、ある点より観ればこれに似たる所あるを免れず。けだし女性は優美繊細なる者なり、しかして詩家もまたその思想においては優美繊細を常とする者なり、豪逸雄壮なる詩句を迸出する時においても、詩家は優美を旨とするものなるを以て、おのづから女性に似たるところあるを免れず。その他生理学上においてつまびらかに詩家の性情を検察すれば、神経質なるところ、執着なるところ等、類同の個条けだし数ふるにいとまあらざるよし。これらの類同なる諸点あるが故に、同性相忌いむところよりして、詩家は遂に綢繆(ちゅうびゅう:慣れ親しむ事)を全うする事あたわざる者なるか。それあるいはしからむ、しからむれども余は別に説あり、請ふ識者に問はむ。

彼等は人世を厭離するの思想こそあれ、人世に覊束せられんことは思ひも寄らぬところなり。婚姻が彼等をして一層社界を嫌厭せしめ、一層義務に背かしめ、一層不満を多からしむる者、これをもってなり。かるが故にはじめに過重なる希望をもって入りたる婚姻は、後に比較的の失望を招かしめ、惨として夫婦相対するが如き事起るなり。

それ詩人は頑物なり、世路を濶歩することを好まずして、我が自ら造れる天地の中に逍遙する者なり。厭世主義を奉ずる者に至りては、その造れる天地の実世界と懸絶することはなはだ遠しといふべく、婚姻によりて実世界に擒せられたるが為にわが理想の小天地はますます狭窄なるが如きを覚えて、最初には理想の牙城として恋愛したる者が、後には忌はしき愛縛となりて我身を制抑するが如く感ずるなり。ここに至って釈氏をして「惑哉肉眼吾今観之、従頭至足無一好也」と罵り、また「其内甚臭穢、外為厳飾容、加又含毒蟄劇如蛇与竜」と叫び、さらにまた「婦人非常友、如燈焔不停、彼則是常怨猶如画石文」うんぬん等の語を発せしめ、東洋の厭世教をして長く女性を冷遇するの積弊を起さしめたり。

婚姻と死とは、わずかに邦語を談ずるを得るの稚児より墳墓に近づくまで、人間の常に口にする所なりとは、ヱマルソンの至言なり。読本を懐にして校堂に上のぼるの小児が、他の少女に対して互に面を赤くすることも、仮名を便りに草紙読む幼な心に既に恋愛の何物なるかを想像することも、皆なこれ人生の順序にして、正当に恋愛するは正当に世を辞し去ると同一の大法なるかな。恋愛によりて人は理想の聚合を得、婚姻によりて想界より実界に擒せられ、死によりて実界と物質界とを脱離す。そも恋愛の始めは自からの意匠を愛する者にして、対手なる女性は仮物なれば、好しやその愛情益発達するとも遂には狂愛より静愛に移るの時期あるよし、この静愛なる者は厭世詩家に取りて一の重荷なるが如くになりて、合歓の情あるいは中折するに至いたるは、あに惜むべきあまりならずや。バイロンが英国を去る時の咏歌の中うちに「誰れか情婦又は正妻のかこちごとや空涙そらなみだを真事まこととし受くる愚を学ばむ」と言出いひだしけむも、実に厭世家の心事を暴露せるものなるよし。同作家の「婦人に寄語す」と題する一篇を読まば、英国の如き両性の間柄厳格なる国においてすら、その如き放言を吐きし詩家の胸奥を覗うかがふに足る可けむ。

嗚呼不幸なるは女性かな、厭世詩家の前に優美高妙を代表すると同時に、醜穢なる俗界の通弁となりてその嘲罵する所となり、その冷遇する所となり、終生涙を飲んで、寝ねての夢、覚めての夢に、郎を思ひ郎を恨んで、遂にその愁殺するところとなるぞうたてけれ、うたてけれ。「恋人の破綻はたんして相別れたるは、双方に永久の冬夜を賦与したるが如し」とバイロンは自白せり。
北村透谷(1868年〜1894年)は東京専門学校(現在の早稲田大学)政治科に入学して自由民権運動に参加したが、運動は次第に閉塞。大阪事件に際して同志から活動資金を得る為に強盗する計画を打ち明けられて離脱するも、その高い理想主義を捨てきれず洗礼を受けてクリスチャンになったり「 処女の純潔こそ至高」イデオロギーの拡散に奔走したりした。日本ロマン主義運動の創始者の一人に数えられる文学者だが、最後は発狂してしまう。
北村透谷 処女の純潔を論ず (富山洞伏姫の一例の観察)

詩人はなぜガラスを割ったのか? 「悪いガラス売り」考

サルトルによればボードレールとは反抗者ではあっても革命家ではない。彼の精神性は我儘な子供のそれで、既存のモラルに反抗はしても抜本的改革までは望まいのである。「革命家は世界を変革しようとする。将来に向けて 自から新たな秩序を創造し、世界を超克する。ところが反抗者は反抗の対象を失う事を恐れ、弊害をそのままにしておこうとする。表向きは告発している対象について、心の底では擁護している。その対象が消滅してしまえば、自からの存在理由も正当性も全て壊滅してしまうからである。そんな羽目に陥ったら、たちまち元の動機なき世界へと滑り落ちてしまう」。確かに「アンガージュマンの作家」の目には、彼の一見自由も責任も放棄した様にしか見えない態度がどうしても許し難かったのである。
*ティオフル・ゴーチェは、7月革命(1830年)が単なる王統交代に終わって失望。小説「若きフランス派(1933年)」の中で「革命とは何か? 路上で発砲する人々だ。実に沢山のガラスが割れる。確実に儲かるのはガラス屋だけだ」と皮肉っている。

ボードレールも2月革命(1848年)を経験し「1948年の僕の陶酔/あの陶酔はどういう性質のものだったのか/復讐の好み/破壊に対する自然な快感/行動が夢の姉妹」なる精神状態に陥ったが、結局は皇帝ナポレオン三世の即位に終わって同様に失望し「クーデターの時の僕の熱狂!! あれほど銃撃されたのに!! またもやボナパルト!! なんたる恥!!」と心の中で罵ったと「赤裸の心」の中で回想している。

*同様に2月革命(1848年)を経験したフローベールに至っては「感情教育(1969年)」の中で皇帝ナポレオン三世の即位について言及する事さえ忌避した。

*もちろんサルトルはこういった展開を一切酌量しない。彼の理想主義的世界観においては、あくまで最終的勝利を手中に収めるまで誰も諦めず戦い続けるのが革命でなければならなかったのである。こうしたサルトルの頑固主義の是非はともかく、彼らは私生活においてもこうした意味における「反抗者」の立場を貫いたとされている。

要するに一言で言うと「実際に付き合うには実に面倒くさい連中」なのです。この問題について1970年以降、日本の「耽美派」女流作家は「男同士の恋という事にしてしまえば、女が面倒臭い問題に巻き込まずに済む」といったコロンブスの卵的発想で乗り切っていきます。
*その裏には「当時、男女間の性愛描写には厳しい制約が存在したが、男性間の性愛描写については事実上チエックがザル状態だった」なる状況もあったとされている。

風と木の詩(1976年〜1984年)」について竹宮惠子は「表現の問題として、男女の愛を深く語ろうとするとベッドシーンでなくては語れない形もありますよね。ところが当時は、ベッドの上に男女の足を3本描いただけで警察に呼ばれ、作品は世に出せなかった。でも不思議なことに、男性同士なら問題にならなかったんです。」と語っている。

また「仮面のかぶり方を教えてしまいましたね。女性の描き手にとって、女性の性衝動を描くことは超えがたいハードルでしたが、男性の姿を借りれば描ける。そういう仮面」とも述べている。

心理学者の河合隼雄が哲学者の鶴見俊輔から「これ、面白いんだよ」と薦められ、新聞に「思春期の少女の内的世界を見事に表現した」と書いている。主人公は少年なので「少女」という言葉に驚いたが、考えてみれば確かにそうだと納得したという。

*そしてこうした作品の反響の大きさが新雑誌創刊につながっていく。

JUNE(ジュネ)

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株式会社マガジン・マガジン(創刊時は「サン出版」)が発行していた、女性向けの男性同性愛をテーマとした漫画小説混合雑誌の名称。また「JUNE」誌上で「耽美」と呼ばれるような男性同性愛を主題にした作品の名称でもある。

  • ぶどううり・くすこは、耽美は男性同士の関係描写の隠語で、JUNEという区分ができる前からあったと述べている。「JUNE」の前身「comicJUN」が創刊される前、同人作家の間で男性の同性愛描写を「お耽美」と称する動きがあったらしく、おそらく森茉莉の描いた美少年と美青年の恋愛ものや高畠華宵の美少年絵、石原豪人の美青年絵が想定されていたのだろうと述べている。

    https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51S5HA0KvTL._SX343_BO1,204,203,200_.jpghttp://img10.shop-pro.jp/PA01047/611/product/31125895_o2.jpg?20110428152648http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/3/7/37f9699f.jpg

  • 現在では、男性同性愛を主題にした作品には「ボーイズラブ(BL)」という名称を使うことが一般的になってきているが、耽美・背徳的といったJUNEの系譜の作品群を「JUNE」と呼び、JUNEのような暗さのない「ボーイズラブ」とは区別する向きもある。

  • かつて中島梓が「小説道場」を、少女漫画に少年愛ものの流行を巻き起こした竹宮惠子が漫画の描き方や新人の発掘を行う「けいこたんのお絵かき教室」を連載し、プロ作家を多数送り出したことでも知られる。また栗本薫、野村史子、森内景生、江森備吉原理恵子らのリレーにより『紫音と綺羅』が「耿美リレー大河小説」と題し連載された。岸裕子による主人公たちの絵がたびたび表紙を飾った。

1978年10月に『COMIC JUN』として、創刊。3号から『JUNE』と改名し、1979年8月の8号まで刊行して休刊。その後1981年に復刊し、復刊1号(1981年11月)〜87号(1996年4月)まで刊行。復刊1号は『劇画ジャンプ』の臨時増刊号として発行されている。創刊企画者は藤田尚の筆名を持つ佐川俊彦で後に長らく編集長をつとめる。創刊編集長は『さぶ』の創刊編集長でもあった櫻木徹郎

他に隔月刊として1983年2月に創刊された『小説JUNE』も根強い人気を博す。1995年頃から「ボーイズラブ(BL)」という言葉が派生し、ある種の市民権を得ると同類の雑誌が次々に刊行され始める。同誌は先駆け・老舗として位置づけられていた。しかし、時代の波は活字よりも、官能的な表現をダイレクトに表現・展開される漫画に流れていき、小説をメインにした雑誌は次々に休刊。同誌も2004年4月の153号以降『小説JUNE DX』と名前を変えてテコ入れを図り継続を試みたが、発行部数の減少は食い止められなかった。現在は休刊。

柿沼「ヒッピー文化が入ってきて、それに付随してサイケデリックなものやドラッグ文化などが渾然一体となって…」

佐川「ちょうどウィーン少年合唱団人気が全盛期で、マーガレット(集英社)などの少女マンガ誌では少年合唱団のグラビアが載っているのがお約束でした。なので基本的に初期の「JUNE」や24年組(編注:青池保子萩尾望都竹宮恵子大島弓子山岸凉子ら昭和24年頃の生まれで,1970年代に革新的な少女マンガを発表した女性マンガ家たちを指す)も、少年合唱団由来の中性的な少年のキャラが多かった」

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柿沼「キリアンくんっていう子がすごい人気でしたよ…あと当時のJUNE系マンガにあったホモ・エロ要素は、ロックからヒントを得たものが非常に多かったと思います」

佐川「そうですね。70年代は、デヴィッド・ボウイやクイーンの影響が大きかった。あと、JAPANね。「JUNE」でもそのあたりのロックバンドやシンガーを載せるのが当たり前でした」

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柿沼「当時のデヴィッド・ボウイは本当に美しかったものね。大島弓子さんのマンガにもデヴィッド・ボウイをモデルにしたであろうキャラが頻繁に出てきました。あとJAPANのデヴィッド・シルヴィアン。彼は今見ても美しい! 中性的なカリスマがありました。たぶん日本のビジュアル系バンドって、JAPANがいなかったら存在していなかったと思います」

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佐川「デヴィッド・シルヴィアンのような、女性と男性の美しさをいいとこ取りした少年が、当時の「JUNE」系美少年だったのだと思います。美しく、且つ男らしい....。.みたいな」

柿沼「フレディ・マーキュリーも美しいんだけど、あそこまでゲイっぽくなっちゃうとね、ちょっと違うのよね」

*「ニューロマ(ニューロマンティックニューロマンティックス、ニューロマンティクス)」…1970年代後半のロンドンで、ニュー・ウェイヴシーンから派生した音楽ジャンルのひとつ。イギリスでYMOを最初に紹介したとされるスティーヴ・ストレンジが主宰していたクラブ・ビリーズで開催されていた「デヴィッド・ボウイ・ナイト」が発祥と言われ、スティーヴ・ストレンジのバンド“ヴィサージ”が元祖ニューロマンティックとされる。後にデュラン・デュランカルチャー・クラブなどが登場。 その音楽性は様々であるが、初期はヒラヒラした中世ヨーロッパ的な衣装を身につけたり、派手な化粧をするなど、外見に関してその特徴が一致していた。ルーツとしては、デヴィッド・ボウイロキシー・ミュージック系などのグラム・ロックの流れからのダンディズムが構築されていったとされる。 巧みなビジュアル戦略により,1980年代前半のアメリカで第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれる一大ブームが巻き起こった。日本では、後のヴィジュアル系バンド等にも影響を与えた。

その一方でマチズモへの依存状態からは完全脱却。そもそも「大泉サロン」を創設して少女漫画に新たな息吹を吹き込んだ竹宮恵子当人が、当時の学生運動におけるそれに嫌気がさして政治活動から足を洗い、漫画に専念する様になったくらいだから、自覚的にそういう路線を目指したとも。

こうして時代はデビッド・ボワイがボーマン船長とかスターチャイルドを名乗りつつ「ラビリンス/魔王の迷宮(Labyrinth、1986年)」で魔王に扮し、マイケル・ジャクソンが本物のストリートギャングと踊ったり、ゾンビや狼男や吸血鬼やキャプテンEOに扮して最期は巨大ロボットに変形する「狂乱の1980年代」へと突入していきます。

デビッド・ボウイの「レッツ・ダンス(Let's Dance、1982年)」のプロデュースを引き受けたナイル・ロジャース。かなり先鋭的でアーティスティックなアーティストだったデヴィッドがヒットメイカーとなったナイルにプロデュースを持ちかけてきたことに違和感は感じなかったのかという問いには次のように説明している。

「うん、そこが俺にも妙に思えたんだ。でも、デヴィッドのことがわかってきたら、そうか、これはアート・プロジェクトなんだなとわかってきたんだ。デヴィッド・ボウイがコマーシャルな作品を作るという矛盾そのものがアートで、イケてることで、『すげーおもしろい!』っていうものなんだとね。」

ここにある種の「特別な存在であろうとし続けた男達の一つの到達点」を見る向きも。かくしてマチズモ色の一掃は完了し、1990年代からは、さらに新たな展開が。

ボーイズラブ(BL、和製英語)

日本における男性(少年)同士の同性愛を題材とした小説や漫画などのジャンル。

  • 1991年12月10日「イマージュ」(白夜書房)が創刊し、キャッチコピーに「BOY'S LOVE COMIC」と冠した 。BLlogiaのぶどううり・くすこは、これが「ボーイズラブ」という言葉の初出であると考えられると述べている。考案者は編集プロダクション「すたんだっぷ」代表・荒木立子(白城るた)とされ 、荒木も同様のことを述べている。漫画家の河内実加も、自身のブログで「ボーイズラブ」はあらきりつこ(荒木立子)が 命名したと言及している。

  • 雑誌等で腐女子をテーマに記事を書くエッセイストの杉浦由美子は「for girls love」という少女漫画のキャッチコピーを見たビブロスの編集者が「だったらうちはボーイズラブだ」と思い立ったのがボーイズラブという言葉の誕生であるとしているが、これは事実ではない。この説は、2001年1月17日の2ちゃんねる801板「■やおい用語の基礎知識■」94番スレの情報によるようであり、本記事にも事実として長く掲載されていたため、ある程度広まりネット上の認識に影響を与えた。

  • 当初は現在の意味と異なり、「耽美」または「JUNE」の置換語と認識されていたようである。「JUNE」は、国内海外・現在過去を問わず、小説やマンガ、イラストだけでなく、映画、音楽など、あらゆる文化の「耽美」な部分をクローズアップして紹介し(例えば、ゲイ文学研究者・翻訳家の柿沼瑛子が洋書ガイドを連載していた)、様々な作品を掲載して「JUNE」文化を広げ、美しい男性同士の関係が描かれた創作物「耽美」と呼ばれるジャンルを確立。女の子向けの男性同士の恋愛ものが増えた初期には、書店では「耽美」というコーナー名が付けられていた。現在なおJUNE的な作品、少年同士の恋愛関係・性愛関係を描いた作品は、少年愛ものと呼ばれることもある。ここに「ビブロス」や「ぱふ」など複数の雑誌が参入し、女性向けの男性同性愛ものを「ボーイズラブ」と呼ぶ様になっていったのである。

BL関連の日本の市場規模は、オタク市場に限れば215億円(2012年)、その他の市場まで含めば350億円(2013年)ほどといわれる。レーベルは小説とコミックス合わせて100程度存在する。巨大な商業BLジャンルの背後には、それを上回る規模の同人・二次創作の世界が存在している。商業BLへの同人界からの影響はかなり大きい。日本を代表するポピュラー文化として国際的に知られ、海外各地でファン向けコンベンションの開催、日本の作品の翻訳、その影響を受けた海外作家の作品の出版が見られる。このようにグローバル化しながら各地でローカル化も進んでいる。

一方、2008年に堺市図書館から「市民の声(実際には匿名の市民一人とその意向を受けた議員たち)」によって、5500冊あまりの「BL」本が詳しい検証もなく開架から撤去・除去されるという事件が起こったが、排除図書リストを分析した社会学者の熱田敬子は、これらの本がBLとされた基準は明確ではなく、一貫性がなかったことを指摘している。熱田は、BLは「恣意的な括り」であり「無定義なジャンル概念」であると述べている。

ところで「耽美派の方法論」には困った負の側面も備わっていました。

ゲイとボーイズラブ

1980年代初頭、ゲイ向け雑誌『薔薇族』で、「同性愛は、異性愛のように打算的ではない崇高な純愛だ」と考える女性が、「薔薇族のモデルはブ男ばかりで、気色が悪い」といった内容の投書を寄せ、ゲイの読者たちを激怒させるという事件があった。

同様の事件が国際SNS上の関心空間でも暗黒時代(The Dark Age 2011年〜2012年前半)に発生。「汚いホモ」アカウントを幾つか削除に追い込んだ「耽美派」アカウント集団が、逆に大量の Slash系アカウント集団に包囲されて自らもアカウント削除に追い込まれました。この方面でのそうした動きはそれっきりで、あえて女子アカウントが不快な事をして喜んでるとしか思えないホモ・ケモナー・アカウントに対してすら「狩り」が遂行された事は一度もありません。
*とにかく「誰もが人目を気にせず羽を伸ばし放題にできる匿名空間」という建前を全員で守り続ける事が最優先課題となったという次第。そして「Tumblrの肌色(エロ)画像の半分以上は男同士の絡み」という現状に至る。

一方「耽美派の方法論」そのものは、しっかり海外にも根付く事になりました。 なにしろ国際SNS上の関心空間において「悪い男」認定されたキャラクターの大半が、概ねホモ・カップル認定。もはや、ある種の「接近-回避」心理規制としか思えません。

Rantlr

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 流石はコンテンツ大国アメリカ、思うより自給率高い… これがある種の「接近-回避」心理規制に見えるのは、冒頭に掲げた「トム・リドルは私」「鎌田君は私」系キャラと「原則として」別腹扱いだから。それでこれまでずっと分けて考えてきたのですが、2016年12月に入ってから例外が続々と…というより、そんな既存の枠組みなんてあっけなく破壊してのけてこその本物のオリジナリティとも?

Credence Barebone and Newt Scamander - Kneinke

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それをいうなら「スター・ウォーズ/フォースの覚醒(STAR WARS: THE FORCE AWAKENS、2015年)」のカイロ・レン(Kylo Len:アダム・ドライバー)の扱いも微妙なんだけど。果たしてちゃんと「悪い男」に育つのか、それとも途中で改心しちゃうのか…

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