諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【アメリカン・ルネサンス】【年表】アメリカの「なんとかなる」精神の起源

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ところで「真の理系的アプローチ」とは、一体どういうものでしょう?

BO 「スター・トレック」がたまらなく好きな子どもだったよ。いつ見ても楽しかった。番組が長続きしたのは、この番組が実際はテクノロジーを扱ったものではなかったからだ。「スター・トレック」は、価値と人のつながりの物語なんだ。だから、安っぽい陳腐な特撮も気にならなかった。彼らがたどり着いたのが、張りぼての岩だらけの星だったとしてもね(笑)。「スター・トレック」が本当に扱っているのは人間らしさ、問題を解決できると信じることについてなんだよ。

最近、映画で同じ精神でつくられた作品といえば『The Martian』(邦題『オデッセイ』)だろうね。複雑で入り組んだプロットが重要なんじゃなくて、そこに多様な人々が集まり、ともに問題を解決するために取り組む姿を描いているのが重要なんだ。クリエイティヴィティと勇気をもってハードワークをすれば、問題を解決できる。どんな困難に直面しても「自分たちなら解決できる」という精神こそが、アメリカの愛すべきところであって、それこそが、いまだにアメリカが世界中から人々を引きつけてやまない理由だ。

科学というものの価値も、同じように「なんとかなる」という精神のなかにある。やってみよう、うまくいかなければその理由を見つけて、もう一度挑戦しよう。失敗は喜べ。それは解決しようとしている問題の暗号を解読する方法を教えてくれる。こうした精神を失うことは、アメリカの本質、そして人間であることの本質を失うことを意味する。

だから自然と漸進的アプローチが選ばれる事になる?

 そもそもそれまで英国植民地だった為、独立直後の米国に独自文化など存在しませんでした。しかしやがてその広大な国土、多様な自然環境、都市化の急激な進行などを背景に1850年台から「個々が備える自己の意味合い」を追求しようとする文学運動が同時多発的にあちこちで見られる様になります。いわゆる「アメリカン・ルネサンス(Aerican Renaissance)」の時代。

「英国における合理主義的ユニテリアン派(Rational Unitarianism)の祖ジョゼフ・プリーストリー(Joseph Priestley、 1733年~1804年)」

150以上の著作を出版した自然哲学者、教育者、神学者、非国教徒の聖職者、政治哲学者であったが、その事と多数の気体(アンモニア、塩化水素、一酸化窒素、二酸化窒素、二酸化硫黄)を発見し炭酸水を発明した科学者的側面は、矛盾を生むどころか当人の神学に不可欠な要素と意識され(自然界を正しく理解することで人類の進歩が促進され、キリスト教千年王国が到来すると信じていた)生涯にわたって啓蒙合理主義とキリスト教を融合させる"audacious and original"(大胆で独創的)な手段を模索する事になった。

  • 言論の自由を強く信じ、宗教的寛容と非国教徒にも平等な権利を認める事を強く主張し続けたが、フランスが革命に向かっていく時代に「The Importance and Extent of Free Enquiry(1785年)」という小冊子の中で「誤りと迷信という古い建物を爆破して…」という表現を用いて「火薬のジョー」の渾名を頂戴する。これがケチのつきはじめで非国教徒弾圧の法源たるクラレンドン法典廃止を求める運動(1787~1790年)では頼りにしていたウィリアム・ピットとエドマンド・バークが廃止反対に回ってしまった。

  • さらにピット政権は「誤りと迷信という古い建物を爆破して…」という文章を持ちだして政府転覆を画策している動かぬ証拠と言い出し、またバークも「フランス革命省察(1790)」で自然哲学者、特にプリーストリーをフランス革命と結びつけ、さらには共和国体制を錬金術やもろい空気と結びつけて「プリーストリーやフランス人化学者らの残した科学的業績など全部屑」と嘲笑。その後も「バーミンガム暴動(1891年:国教会に扇動された群衆がプリーストの家と教会を焼き討ちし,1791年にはロンドン、次いでアメリカ合衆国への移転を余儀なくされた事件)」が起こるまで「火薬のジョー」と科学とラヴォアジエを結びつけ「ラヴォアジエがイギリスとの戦争に向けて火薬の改良を行っている」といった噂を流すなど最期までネガティブ・プロパガンダを続けたのだった。
    *両者をここまで憎しみ合わせたのは「世俗の政治家であるバークが科学に反対して市民社会の基礎は宗教であるべきとし、聖職者だったプリーストリーが宗教を市民社会の基礎にせず個人の私生活に留めておくべきとした」逆転現象のせいだったとも。

晩年の10年間はペンシルベニア州ノーサンバーランド郡で過ごす。「自然権の恩恵で聡明となり何が大切か悟った人は皆、他人も分け隔てなく扱おうとする」といった名言で有名。 

「米国における合理主義的ユニテリアン派(Rational Unitarianism)の祖チャニング(William Ellery Channing 1780年~1842年)」

1803年ボストンの組合教会派の牧師に任命されたが、カルバン主義的教義に批判的で「ユニテリアン派キリスト教(Unitarian Christianity 1819年)」と題する説教でカルバン主義を否定。

21年にはユニテリアン派機関誌『クリスチャン・レジスター』 Christian Register創刊に参画。1825年には全米ユニテリアン協会を創立した。

「世界の全ては合理的に理解し得る(神の全てさえ人間性との類比で突き止め得る)」と考える楽天的で希望に満ちた明るい合理主義神学が特徴で「困難は躊躇で亡く奮起を生む。障害に立ち向かう事で人間は成長する」がモットー。これがエマソンの「人間の心の奥底に楽天的で明るい自然や神しか見ず、この世界は人間の精神の象徴的な事物であり、大いなる秩序があると考える」彼の超絶主義の足掛かりとなったと考えられている。

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「困難は人を挫折させるのではなく、覚醒させるのです。人間の魂は衝突の繰り返しによって鍛え上げられます(Difficulties are meant to rouse, not discourage. The human spirit is to grow strong by conflict)」…米国軍人が好んで引用する名言。ちなみに中国芸能界は何故かこの人物に関するネット上の検索結果の一切を華流アイドルの笑顔に置き換えようとやっきになっていて、アメリカ人の中国嫌いを加速させている。

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「Transcendentalism(超越主義あるいは超絶主義。トランセンデンタリズム)」

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FREE🕉SPIRIT

1830年代中旬から1860年台中旬にかけて米国ニュー-イングランド地方のユニテリアン派の間で広まった思想運動で「自然(Nature :1836年)」を発表した詩人であり、かつ思想家でもあったラルフ・ウォルドー・エマソン(Ralph Waldo Emerson、 1803年〜1882)が推進。

  • 「人間にはこの世で経験するもろもろの経験を超越し、自己内なる何か絶対的な価値(神性)を直観によって掴み得る力がある」とし、「個人の内在する無限の可能性」を引き出す為には「個人主義平等主義(個に対する絶対的尊厳)の確立」が必須とした。

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    🔮Gypsy🌙 - FREE🕉SPIRIT

  • エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年〜1849年)は、この発想が喚起するドイツ的ダーク・ロマンティズムに抵抗を覚えつつ、それに立脚する作品を数多く残した。

  • これを身をもって実践し文学的に表現しようとしたのが友人ヘンリー・デイヴィッド・ソローHenry David Thoreau、 1817年〜1862年)である。彼は「自分が本当に納得した生き方のみをする為に現実からドロップアウトし、森の中で一人住む」実験を経て「ウォールデン 森の生活 (Walden:or  the Life in the Wood、1854年)」を発表したが、そうした探求が最終的に行き着いたのは、自然の実相を見極めようとする極めて科学的な、また民俗学的な態度であった。

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    Temple Cat

  • 「森の生活」の以下の一節は特に有名。「わたしはゆったりと心落ちつけて生きたいと願ったから、森へ行ったのです。命のなかの本質的な事実だけに向き合い、命がわれわれに教えようと抱えているものをわたしが学べないものかどうか確かめたかったのです。そして、わたしが死の際に来た時に、私が生きなかったことに気づくことなどないよう願ったからです。命でないものをわたしは生きたいとは思いませんでした。生きることはそれほど貴重なものなのですから。とはいえ、わたしは、よほどそうせざるを得なくならない限り、世間から身を引きたいとも願っていませんでした。わたしは深く生き、命の真髄のすべてを啜(すす)りたいと願っただけなのです。スパルタ人のように逞しく生き、命でないものなどすべて敗走させてしまおうと願いました。草を幅広く切り開き、そこをきれいに刈り上げ、その道を進むことで命をギリギリの所まで追い込み、そのもっとも根源的な条件のもとへ還元したいと願ったのです」

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一方でエマーソンも、晩年は「必然」や「精神的自由」と現実のギャップを強く意識する様になった。

何故かこういう文脈でも出てくる「スパルタ人」…

残念ながら、この系譜における「アメリカ人小説家としてのエドガー・アラン・ポー」の扱いはあくまで軽いものにならざるを得ません。当人も「生活の糧」程度にしか考えていなかったし、炎上マーケティングのせいで嫌われ、死後すぐにその作品も忘れ去られてしまいましたし。

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Zombies, Coat Hangers, and Liquorice

その後の「ユニテリアン的超絶主義」

一切の文明生活に背を向けて森の奥における単身サバイバルに挑戦したソローの「森の生活(Walden:or, the Life in the Wood、1854年)」は保守派アメリカ人に精神修養手段としてボーイスカウト活動や、サマー・キャンプや、狩猟活動を根付かせた。そして、その影響で、今日なお「アメリカ人の魂の起源」詩人ホイットマンの詩集同様に広範囲で読まれ続けている。

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  • アメリカ人が日本で見付けた、最もソロー「森の生活」的アイテム。

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    欧米人は古代ギリシャ神話における「ネクター」や古代インド神話における「ソーマ」といった神酒の類を「文明化される以前の人類の自然状態」を理想視した上でそれに回帰する為の鍵と考える。そしてそれは採集生活と結びつけて考えれば「(ケルトドルイド僧が味わってそうな)果汁やハーブ」、狩猟生活と結びつけて考えれば「(ホメロスオデュッセイア」で祖霊召還に使われ、アテナイ悲劇でデュオニッソスやアルテミスへといったアナトリア半島の牧畜文化に縁が深い神々への捧げ物とされた)獲物の生き血や生き肝」としてイメージされる事になる訳である。そしてもちろん(森の恵みたる)天然麻薬と結びつける向きもある。

  • 1970年代後半からアメコミの世界において「普段は森の中で一人静かに暮らしているカナダ人ヒーローのウルヴァリン」という(決して分明に飼い慣らされない)狼男的キャラが人気を博したのも、こうした心情を背景とする。

ここにはある種の「聖なる野蛮人(Holy Barbarian)崇拝」が見て取れる。19世紀末まで「鍛え上げられた肉体=科学的トレーニングの産物」と認識されていた事を思えば、国際文化史上も大変ユニークな展開。

最近のアメリカの若者の「Indoor志向」には、親世代の「Outdoor志向」に対する反抗心という側面もあるのですが、ここでいう「Outdoor志向」は割とこういう全体像を指します(おそらくヒッピー文化とも密接な関係がある)。当然「Indoor志向」の方も、ただの「引き篭もり」と要約出来ない様な内容なんですね。

エヴァンジェリン(Evangeline,1847)」」の詩人ロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow、 1807年~1882年)

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A Faerytale Life, That beautiful season, The Summer! Filled was the...

ダンテ・アリギエーリの「神曲」をアメリカで初めて翻訳。晩年、愛妻ファニーの事故死に直面して陰鬱な作風に転じた。

意外にも西部劇の舞台となる開拓町の劇場ではシェークスピア劇などが人気演目だったそうです。文明世界から遠く離れた僻地だったからこそ「文明への憧憬」もまた人一倍だったのですね。そもそもアメリカン・ルネサンス(Aerican Renaissance)」という表現自体、もうね…
エドガー・アラン・ポーは案外この系譜で理解すべき人物とも?

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「緋文字(The Scarlet Letter:1850年)」のナサニエル・ホーソーンNathaniel Hawthorne、 1804年~1864年)

エドガー・アラン・ポー同様にユニテリアン的超絶主義に抵抗心を示す。「この世はそんなに合理的なものじゃなく、人間の心の奥にあるのはもっと不気味で非合理的な謎や奥行」と考えた。

その一方で出版社に対しして「私より才能のない低俗な女流作家達が、私の何倍も稼いでいるのが許せない」と抗議し「我々は才能でなく売上に見合う形で対価を払っているのです」という返事をもらったという逸話を残している。当時の「英米女流作家達」は、その才能不足ゆえに作品が後世に伝えられる事はなかったが、少なくとも読書に目覚めた同時代の同性読者を大量に満足させていた。要するに「資本主義の鞜音」がもう間近にまで迫っていたのである。

「白鯨(Moby-Dick or the Whale,1851年)」のハーマン・メルヴィル(Herman Melville、 1819年~1891年)

当初は「現実の奥底にあるのは何か底知れない悪意を持った自然」とし、その壁を突破しようとするロマン的英雄を描こうとしたが、晩年には「壁の突破」より「ただ現実の悪意にやられてしまう人間」ばかり描く様になった。

「草の葉(Leaves of Grass:初版1855年)」のウォルト・ホイットマン(Walt Whitman 1819年~1892年)

最初期には牧歌的楽天性から何でも愛でていたが、次第に人間の死や悲しみに直面していく事になる。

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  • 代表作「草の葉」は(あえて「抜きんでた英雄の登場と活躍」中心にしか語れない伝統の制約下に留まった事で)真のアメリカ的叙事詩」と呼ばれる一方で、その何処までも土臭く、あからさまな性的表現から「くずで卑俗でわいせつ ("trashy、 profane & obscene")」と全面否定される事も少なくない作品だった。また同性愛者とも両性愛者ともいわれ(実際に男性と性的関係を持った証拠はない)。

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  • 意外にも生涯を通じて政治と関わった。ウィルモット条項を支持し基本的には奴隷制度維持に反対したが、奴隷廃止運動そのものには賛同しないという微妙な立場を生涯貫いた。

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今日に伝わる名言が数多い。

  •  「これから私は幸福を求めない。私自身が幸福だ」

  • 「詩人というのはすぐれた模範を世間に披露し、その一歩一歩が自己の証とならねば無用の長物だ」

  • 「改革が必要なら、それを成就する為の人格が必要だ。今日すぐに始めたまえ。勇気、実在、自尊、明確、高貴を目ざして君自身を鍛えることを。」

  • 「わたしにも誰にも、あなたに代わって道を歩くことはできない。自分の道は自分で行くほかないのだ。」

  • 「君が教訓を学んだ相手は君を賞賛し、親切をほどこし、味方になってくれた人々だけだったのか? 君を排斥し、論争した人々からも大切な教訓を学ばなかったのか?」

日本では夏目漱石によって紹介された。 

ホイットマン「草の葉」より。叙事詩「俺の歌(抄,1955年)」

俺の身体を禁じられた響きが通り抜ける。
性と欲望の雄叫び。くぐもった囁き。瘡蓋の様な覆いを剥がす。
どんな卑猥な声も俺の身体を通り抜ければ浄化され美しく変貌する。
手で口を覆うんじゃない。
腸(はらわた)にも頭脳や心臓の様に気品を漂わせろ。
交わる事は死と同じ。穢(きたな)がるんじゃない。

俺は肉欲と食欲を信じる。
この目で見た事、この耳で聞いた事、この肌で感じた事は全て奇蹟と思う。
俺の身体のどの部分を取っても奇蹟だ。俺は内も外も神々しい。

俺が触れるものも、俺に触れるものも全て等しく尊い。
俺の両腋が放つ匂いはどんな祈りより素晴らしい。
俺の頭はどんな教会よりも、どんな聖書よりも、どんな信条よりも聖である。

*あえて「抜きんでた英雄の登場と活躍」中心にしか語らない伝統の制約下に我が身を置いて歌った「真のアメリカ的叙事詩」にしてその発端。それ故に何処までも土臭く、あからさまに精神の超越性を否定して肉体と性を賛美する作風から「くずで卑俗でわいせつ ("trashy、 profane & obscene")」と全面否定される事も少なくなかった時代の代表作。

ホイットマン「草の葉」より。詩群「アダムの子ら」の「俺は電熱の肉体を歌う(抄,1955年)」

疑う余地などない。自分で自分の肉体を穢す臆病。
そして死者を辱めるのと同じくらい邪悪な生者への辱め。
もし肉体が魂ほど働かないなら、もし肉体が魂でないなら魂に意味はない。

気の合う連中と一緒に居れば充分と俺は思ってる。
そうでない連中とも夕方に何処かで語り合えれば充分だ。
美しく、飽く事を知らず、息を弾ませ、笑う肉体に囲まれる。
連中の間を歩き回っては誰かに触れ、腕を軽くその首に回す一瞬が良い。
ああ何とも言えない。これに勝る喜びなど不要の海で泳ぐ快感。
すごいじゃないか。男達や女達のそばにいて、尊敬し合えるなんて。
しかも互いに触れ合って匂いを嗅ぎ合える。魂を喜びで揮わせる為に。
全てが魂を喜ばせるにせよ、これこそが魂を振るわせる。

腱も神経も精巧。商品内容を確かめやすい様に男も女も裸に剥かれる。
鋭敏な感覚と命漲る双眸に現れた決意と意志。
胸の筋肉は隆々、背骨と頸部はしなやか。
肉にたるみ一つなく、四肢はすらり。
しかも肉体の驚異はそれだけでない。
例えば血が巡る。そうあの血! あの赤く流れる血!
ほら心臓がふくらんでは噴き出す、これほどの情熱と欲望と勢力と渇望
例え品の良いサロンやお固い教室では禁句でも、皮膚の下はみんなこれだ。

女の肉体を愛した事があるか。
男の肉体を愛した事があるか。
わかるだろ? 肉体はどれもどこまでも同じ。
地上のあらゆる国の、あらゆる時の、あらゆる肉体が。
何か神聖なものがあるとすれば人間の肉体以外有り得ない。
そして人間の栄光と歓喜こそ穢れなき人間性の印。
男であれ女であれ、清く強く固く編まれた肉体はどんな美貌より美しい。

自分の生身の肉体を穢した馬鹿男。自分の生身の肉体を穢した馬鹿女。
連中はそれを隠そうともしないし、隠しおおせる事も不可能なのだ。

*1848年の三ヶ月間の間エキゾチック感漂うニューオリンズでジャーナリストとして働く間に目撃した奴隷市場を歌った作品。精神性ばかり強調して肉体から目を逸らそうとするインテリへの痛切なる一撃とされる。

ホイットマン「草の葉」より。詩群「献辞」の「俺にはアメリカの歌声が聞こえる(1960年)」

俺にはアメリカの歌声が聞こえる。色々な讃歌が俺の耳には届く。
機械工達の歌。誰もが自分の歌を快活で力強く響けとばかり歌っている。
大工は大工の歌を歌う。板や梁の長さを測りながら。
石工は石工の歌を歌う。仕事に向かう前も。仕事を終わらせた後も。
船頭は自作の歌を披露し、甲板員は蒸気船のデッキで歌う。
靴屋はベンチで休憩する時に歌い、帽子屋は立ったまま歌う。
木樵の歌。農夫の歌。朝仕事に向かう時も。昼休みも。夕暮れも。
母親の、仕事中の若妻の、針仕事や洗濯を覚える少女達の心地良い歌。
誰もが自分だけの歌を歌う。
昼は昼の歌を。夜は屈強で気の良い若者達が大声で美しい歌を力強く合唱する。

ホイットマン「草の葉」より。詩群「天上の死の囁き」の「音も立てずじっとしている一匹の蜘蛛(1968年)」

音も立てずじっとしている一匹の蜘蛛。
私は目にした。そいつが小さな岬の先端にぽつんと佇むのを。
広漠たる場所を探索していた。
己の身から発した細い糸を、細い糸を、細い糸を繰り出し続ける事で。
倦むことなく速く、さらに速く。

御前こそ我が魂。おおそこに立つ我が魂よ。
遙か彼方にまで広がる海原に囲まれても超然とし、終わりなき瞑想にふける。
危険を賭しても糸を出し続け、星々を繋ぎ合わせて求める橋を築こうとする。
ふらつく錨もいつかは落ち着く。
何時かは御前の投じ続ける透明な糸も何処かで獲物を捕らえるだろう。
おお我が魂よ。

南北戦争(American Civil War 1861年~1865年)以降のアメリカは大きな変動に見舞われた。科学技術の革新に裏付けられた急速な工業化、それに伴う都市人口の増大、移民の大量流入。大企業が経済の主導権を握り、新たな経済発展が大富豪を生み出す一方で都市には雑多な移民が群がり、貧困や犯罪が蔓延し、資本家に抵抗する農民や労働者の運動も各地で頻発していた。こうした状況下「アメリカはこのまま崩壊してしまうんじゃないか」という不安が広がる。ある鉄道労働者はアメリカには「数少ない大金持ちと多くの極貧民」がいるだけであり「滅亡前のスパルタ、マケドニアアテナイ、ローマの社会状態」に押し流されていると考えていた。歴史家のヘンリー・アダムズも「この社会は、このままのスピードと勢いで変化を続けると50年もしないで滅んでしまうに違いない」と嘆息し、多くの知識人と同様の危機感を共有した(有賀夏紀「アメリカの20世紀(2012年)」より)。

*しかし1860年代末には大西洋横断電線敷設(1866年7月)、大陸横断鉄道完成(1869年5月)、スエズ運河開通(1869年11月)といった報道が相次ぐ。ホイットマンはかかる世界規模でのコミニケーション網の顕現を「(精神主義の国インドなどとの距離感が縮まった事による)金鍍金時代の物質中心的価値観崩壊の序曲」と見て取って詩群「インドへの道(1871年)」を発表し、科学技術と進化思想と神秘主義を結びつけた新たなるアメリカ的価値観の創造を提唱する。英国小説家E.M.フォースターの「インドへの道(1924年)」の題名はこれに由来するが、その作品はむしろ「欧米に近付かれてしまった事で余計に苦悩を深めたインド」と「なまじインドに近付き過ぎてしまったが故にインド人の苦悩に巻き込まれて途方に暮れる英国人」のディスコミニュケーションをテーマに据えたものとなったのだった。

ホイットマン「草の葉」より。詩群「さらば我が内なる空想の人よ!(1891年)」冒頭句

さらば我が内なる空想の人よ!
さらば友よ! 愛する者よ!
私は去る。どこに向かうやら。
どんな幸運に出会うやら。君との再会がかなうとは限らない。
だからさよならを告げておく。さらば我が内なる空想の人よ!

最期だから思い起こされせてくれ。
今や我が体内時計は遅れがち。音もかすれ気味。
出口は間近で夜の帳も落ち、心臓の鼓動も何時迄もは続かない。
我らは長い間ともに生き、楽しみ、抱き合って過ごしてきた。
喜ばしいが、お別れの時は来たのだ。我が内なる空想の人よ。

とはいえそうせかすな。
こんなにも長く生き、ともに眠り、互いに融け合い、一つになってきたのだ。
だから死ぬなら一緒に死のう(そうとも、我々はいつまでもひとつ)。
どこに辿り着くにせよ一緒にいけるだけ行こう。
もしかして却って心踊るかも。新たに学ぶ事もあるかも。
もしかしたら今度こそ君が導くかも。真の凱歌へと(どうなる事か)。
もしかしたら死の扉の取手に手を掛けてるのは君の方かも。
だから、これでおいまいにする。
これにてさらば、我が内なる空想の人よ。

そして私には死よりもっと美しいものは何も見せられない。

*健康と創造力の衰えを実感しつつ、自らの分身「最期まで取り憑いて離れない詩魔」との対話を試みる形式で紡がれた辞世の詩。

詩人ホイットマンこそ、まさしく日本における坂口安吾同様に「肉体主義=肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」式思考様式のアメリカにおける大源流。

日本では一般に「米国における産業革命が加速した金鍍金時代(Gilded Age、1865年〜1893年)の到来によって終焉した運動」と考えられていますが、案外そうではないのかもしれません。

例えば日本で「蛍狩り」の慣習が広まったのは江戸時代、まさに都市化によって江戸中心地から自然が消え去っていく時代。それで息が詰まった都市住人達が郊外に残るそれに引き寄せられたのが契機になったとされています。英国における労働者達のピクニック文化も似た様なもの。そう考えると進歩主義時代(Progressive Era、1890年代〜1920年代)にセオドア・ルーズベルト大統領が推進した自然保護運動ボーイスカウト振興運動との連続性が何となく浮かび上がってきます。

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まぁ国際SNS上の関心空間における投稿を丁寧に分析していったら、こんな景色が見えてきたという話… 文化は伝統の継承の積み重ねによって発展していきますが、アメリカの歴史は短いので全体像の俯瞰が比較的容易な部類?
*そして、アメリカ人は同様の精神を「北海道」に感じたりする。

考えてみれば「(認識の制約外に実存する)物自体(Ding an sich)」と「(経験の対象たる)物(Ding)」を峻別するカント哲学に対して「神は問題解決に必要な材料はすべてあらかじめ認識可能範囲に配置しておいてくださる」とするWISWIG(What You See is What You Get)理念で対抗したプラグマティズムPragmatism実用主義、1870年代〜)もまた、この次元において実にアメリカ的な哲学といえましょう。

フランスでは、むしろトクヴィル(Alexis-Charles-Henri Clérel de Tocqueville、1805年〜1859年)の「アメリカの民主政治全2巻(De la démocratie en Amérique、第1巻1835年、第2巻1840年)」に基づいて19世紀アメリカの伝統的共同体を理想視する「アソシアシオン(association)/ソシアビリテ(sociabilite)論」が大人気なのと正反対なのが興味深いところ。「隣の芝は緑」の典型例?
19世紀アメリカの伝統的共同体…家父長制や奴隷制を守り抜く為に現地コミュニティが中央政権の介入に抵抗した「ジェファーソン流民主主義」の時代の産物。アメリカ人にとってはむしろ思い出したくない黒歴史
フランス共和主義に迫り来る共同体主義の波

ヘーゲル(およびルソー)は国家の完成を歴史における神の精神の究極の発現とし、マルクスはこれを「主語と述語が逆転している」と批判した。

まぁ、こうした観点から左派より徹底して目の敵にされてきた(絶対王政時代にはその権力の最末端部として機能し、フランス革命政権からも、共産主義政権からも一刻も早く殲滅すべき旧悪の残滓として)伝統的共同体に対する評価の復権という側面もあるみたいなんですが。その一方では自らの多様性の容認を願う移民社会に対してまとめて「共同体主義」のレッテルを貼って弾圧する伝統もまだまだ根強いらしく、色々大変な事になってる模様。