最近、1910年代に近代日本文化形成性に多くな役割を果たした白樺派に関心を移しつつありますが…
世界的にはその次に待っていたのは「アール・デコの時代」だったのです。
1920年代というのは、現代生活の枠組みができた時代であり、飛行機が飛び、汽船による観光旅行が盛んになり、汽車や車はスピードを上げ、世の中のあらゆるものがめまぐるしく動き始めました。この動き-リズミカルでメカニックな動きの表現が、アール・ヌーヴォーの有機的形態に取って代わり、鉱物的で直線的なアール・デコの基調となっています。それは電波を表現したジグザグ模様やスピード感あふれる流線形、噴水の図様などに見ることができます。
今回の投稿の発端はこれ。
本棚バックに腕組んだりしとるインテリ文化人系画像あるあるだが、「本棚」がきれいに整理分類され整えられとるようなのはわし、一切「あ、こいつ仕事しとらんな」と判断することにしとる。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年2月14日
あ、図書館の書棚とかは除いて、な。為念。
書庫的な空間とそれに伴うあれこれたてつけがバックヤードとして完備されとるような人がたはまた話が別だ。私的な作業空間での書棚系なんてのは、それこそ図書館のブックトラックの延長みたいなものにならざるを得ないだろう、と。(個人の感想&偏見上等です)
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年2月14日
ここで乱入。
「華麗なるギャツビー」で、密造酒で財を築いた成金が、豪邸の立ち並ぶ高級住宅街に移り住んで夜な夜な豪華なパーティを開く場面を思い出しました。その書斎は本で一杯ながらどのページもペーパーナイフで切ってなくて、訪問客が「分際を心得ておる」と安心するという。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月14日
> その書斎は本で一杯ながらどのページもペーパーナイフで切ってなくて
— nishin (@nishin_8) 2022年2月15日
究極の積読。 https://t.co/cYiethT6hi
F・スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー(The Great Gatsby,1924年脱稿,1925年出版)」を読み解くには米国における「狂乱の1020年代」の世相を読み解かねばなりません。
アメリカ合衆国の1920年代を現す言葉であり、社会、芸術および文化の力強さを強調するものである。第一次世界大戦の後で「ノーマルシー(Normalcy=常態に復すること、アメリカ合衆国大統領ウォレン・ハーディングが1920年の選挙スローガンに使った)」が政治に戻り、ジャズ・ミュージックが花開き、フラッパーが現代の女性を再定義し、アール・デコが頂点を迎え、最後は1929年のウォール街の暴落がこの時代の終わりを告げて世界恐慌の時代に入った。この時代は広範な重要性を持つ幾つかの発明、発見、前例の無いほどの製造業の成長と消費者需要と願望の加速、および生活様式の重大な変化で特徴付けられる。
狂騒の20年代と呼ばれるこの社会と社会的変動は北アメリカに始まり、第一次世界大戦後にヨーロッパに広がった。ヨーロッパはこの時代、大戦からの再建と莫大な人的損失に折り合いをつけることで費やされていた。
アメリカ合衆国の経済はヨーロッパの経済との結び付きが強くなっていった。ドイツ革命後のドイツ国(ヴァイマル共和政)がもはや賠償金を払えなくなった時、ウォール街はアメリカの大量生産商品の大消費市場としてヨーロッパ経済が流動しておくようにヨーロッパの負債に大きな投資を行った。この10年間の半ばまでに、経済発展はヨーロッパで急上昇し、ドイツ国、イギリスおよびフランスで激発し、20年代後半は黄金の20年代(Golden Twenties)と呼ばれるようになった。フランスやカナダのフランス語圏では狂気の時代(années folles)とも呼ばれている。
狂騒の20年代の精神は、現代性に関わる不連続性、すなわち伝統の破壊という一般的な感覚が特徴である。あらゆるものが現代技術を通じて実現可能に思われた。特に自動車、映画およびラジオのような新技術が、大衆の大半に「現代性」を植えつけた。形式的で装飾的で余分なものは実用性のために落とされ、建築や日常生活の面に及んだ。同時に、まだ大衆の心に残っていた第一次世界大戦の恐怖への反動として、娯楽、面白みおよび軽快さがジャズやダンスに取り込まれた。そのためこの時代はジャズ・エイジと呼ばれることもある。
当時の経済展開
狂騒の20年代は多岐にわたる新しい大衆消費財の導入で駆り立てられた大きな経済的繁栄の時代として捉えられるのがこれまでのやり方である。北アメリカ、特にアメリカ合衆国の経済は戦時経済から平和時の経済に移行し、その結果活況となった。イギリスに代わって世界の工場となったアメリカ合衆国は、世界で最も富める国としての立場を強化し、製造業は大量生産を行い、社会は大量消費時代に入ったのである。
一方で第一次世界大戦の主戦場となったヨーロッパでは、1924年まで経済の繁栄は始まらなかった。
この社会、経済および技術の進歩にも拘らず、アフリカ系アメリカ人、最近やってきた移民および農夫、さらには労働者階級の大半は恩恵を大して受けなかった。事実、1家族1年あたり2,000ドルという貧困線以下で暮らす人々が何百万人もいた。
世界恐慌が狂騒の20年代と1930年代の概念との間に一線を引いている。狂騒の20年代を始めさせた第一次世界大戦後の希望に溢れた状態は、その後の時代の衰退する経済の困難さに道を譲った。
当時映画はまだサイレント時代=トーキー黎明期でしたが、色々やり過ぎて「ヘイズ・コード」制定に至ります。
一方、当時はパルプマガジン全盛期…
それは1930年代にはマーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ(Gone With the Wind、原作1936年、映画化1939年)」の下敷とされるエレナ・ポーター「少女パレアナ/ポリアンナ(Pollyanna、1913年)」「パレアナ/ポリアンナの青春(Pollyanna Grows Up、1915年)」が時代遅れとなっていく時代でもあったのです。
そして…
そんな感じで以下続報…