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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【大日本帝國】【1930年代】【科学的マルクス主義】【インテリゲンチャ】とある自覚なき歴史修正主義者達の歴史?

 それにしても不思議です。日本のリベラル層は1960年代末までタルド模倣犯罪学に従って「模倣を誘発するから映画やTV番組から暴力行為や過激な性描写を一切排除すべき」と主張し続けてきたのに、何故か1970年代に入ると突如として「幼少時から暴力行為や過激な性描写を見せつけ続ける事には特有の教育的効果がある」と主張を180度翻してしまうのです。

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これ実は十代の頃「サンダカン八番娼館 望郷(1974年)」の鑑賞を強要されて以来の古くからの疑問でした。現地実力者の親族で、一切の批判を抑え切った左翼教師の「全部お前らの教育の為なんだから、拒絶は人道的に許されない」なる内容の演説が今でも忘れられません。どうしてこういう展開になったのか?

  • ガブリエル・タルド(Jean‐Gabriel de Tarde、1843年〜1904年)の模倣犯罪学自体は現代人でも直感的に理解しやすい。一言で要約すると「ギャングやその情婦達に囲まれて育った子供はそれが自然な生き方だとして受け入れ、自らもギャングや情婦となる道を選ぶ」なる展開。禁酒法(Prohibition、1920年〜1933年)時代のアメリカにおいては割と日常的に見られる風景だったらしい。
    1318夜『模倣の法則』ガブリエル・タルド|松岡正剛の千夜千冊

    *その光景はダシール・ハメットが描いたハードボイルド文学の原風景でもあり、この世界に適応し過ぎたせいで禁酒法廃止後、断筆を余儀なくされる。そういえば「和製ハードボイルドの祖」として知られる(虚淵玄の祖父)大坪砂男もまた、いわゆる「焼け跡期」にしか作品を残していない。オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac、1799年〜1850年)の「人間喜劇(La Comédie humaine、)」や、エミール・ゾラ(Émile François Zola、1840年〜1902年)の「ルーゴン=マッカール叢書(Les Rougon-Macquart、1870年〜1893年)」が描いたフランス、フョードル・ドストエフスキー(Фёдор Миха́йлович Достое́вский、1821年〜1881年)が1860年から1880年にかけて描いたロシアの景色とも重なる。要するに「後進国産業革命導入期」。同様の精神的荒廃をアメリカの禁酒法や日本の敗戦は招いたという事になる。

  • 1920年代末にトーキー映画が登場すると「ギャングやその情婦達を美化した映画に同様の効果があるや否や?」なる議論が始まった。これが世界初の映像倫理規定Hays Code制定につながり、ひいては今日の「模倣を誘発するから映画やTV番組から暴力行為や過激な性描写を一切排除すべき」「暴力的GAMEは犯罪を助長する」といった主張につながっていく。
    *最近こそ「想像の世界で暴力衝動を蕩尽する事は、犯罪減少につながる(逆にその排除は犯罪増加につながる)」なる科学的研究成果も知れ渡る様になったが、当時のアメリカにおける論争軸はそういう次元ではなかった。あくまで肝心だったのは禁酒法を定めたのが「アメリカ建国の祖」プロテスタントで、ギャングの供給源(南イタリア人のマフィアや、コルシカ人のユニオン・コルス)も、Hays Codeを制定したのも、禁酒法を廃止に追いやったのも「たかが新参者移民に過ぎない」カソリックだったという点。それでこの問題をめぐる論争は不毛な宗教論争の次元に突入していく。そもそもタルド模倣犯罪学自体にも「その見た目や言語能力が権威主義的に人間関係を決定する」ラテン文化の産物という側面があって、「神(及びその振る舞いを記した聖書)と自分の関係だけが全てを決定する」と信じるプロテスタント文化が拒絶反応を起こしたという側面もあったのかもしれない。

  • こうした模倣犯罪学路線は米国においては1950年代にピークを迎える展開に。米国におけるComic Code運動、日本における悪書追放運動。いつの間にかこの動向は白人優越主義的側面を含む様になり、アメリカを絶対視する当時の日本のリベラル層も「黒人やアジア人を同じ人間として扱う展開そのものが人道に反している」といった彼らの主張を「日本よりはるかに先進的」と敬いながら恭しく受容する展開に。
    *そういえば朝日新聞が「米を食べると馬鹿になる。これからの日本人はせっせとパンを食べてアメリカに追いつかねばならない」なんてキャンペーンを執拗に繰り返したのもこの時期の事だった。

    頭脳パン

    石川県金沢市の金沢製粉が製造する「頭脳粉」を原料としたパン。1934年から探偵小説家としても活躍してきた大脳生理学者木々高太郎が、昭和35年(1960年)10月に本名「林髞」名義で刊行した著書「頭のよくなる本 - 大脳生理学的管理法」で提唱した理論に基づいて製造されている。木々はソ連のイワン・パブロフのもとで条件反射学を学んだ大脳整理学者で、1933年に帰国すると医学・生理学関係の著作を多く発表した。

    • 同書は「通常の小麦粉にビタミンB1を100グラムあたり0.17ミリグラム以上配合した頭脳粉」を特別視する。このビタミンB1により脳の働きが活発になり記憶力や思考力が良くなるとする。というのも脳が必要とするエネルギー源はブドウ糖のみで、この分解にビタミンB1が必須なためである。実際には栄養失調状態でなければビタミンB1だけが不足することはなく、摂取しすぎても排出されるだけであるが、当時は極めて指示が通った説明と考えられていた。

    • 当時は複数の製パン業者と製粉業者が加盟する「頭脳パン連盟」なる団体(任意団体)まで結成されていたが、現在は活動休止。但し多くの製品パッケージには連盟の表記は健在。

    • 1993年1月、テレビ番組で東大生協で人気のパンと紹介され、受験生の子供を持つ一部の母親に人気となった。だが、関東圏の大学生協でよく販売されている伊藤パン製品のパッケージには「毎日食べてよく勉強して優秀な成績を上げて下さい。」とも印刷(他社製品にも同じ文が見られる)されており、成績向上にはあくまでも「勉強」が必要であることを示唆している。

    2006年現在、「頭脳パン」の商標権は金沢製粉が保有し、伊藤製パンフジパンをはじめとした製パン業者が製造販売している。

    *白人優越主義復権の背景には、1930年代に一旦は移民サイドに敗れたWASP側の報復達成という側面もあった模様。それは決っして滅びる事なく現代に継承される展開に。

    インターネットが火をつけた「ディス」や「ヘイト」の文化は、ついに「ポリティカルコレクトネス」が浸透していたメインストリームの出版にも登場した。儲かるからという以上の理由は必要でないようだ。20世紀の初頭は「ヘイト」が良識を圧倒した時代だが、奇しくも1世紀を経て同じ周期に入った。

    数年前から、アメリカのSF作家のなかには、最近のヒューゴー賞が、「マイノリティの人種、女性、同性愛者への公正さを重んじるリベラルな政治性を優先して選ばれている」「文芸的な作品が重視され、娯楽的なSFが無視されている」といった不満を持つ者がいた。彼らは、Connie Willis、Jo Walson、Ann Leckieといった女性作家やマイノリティ作家が受賞しているヒューゴー賞が「SJW(Social Justice Warrior、社会的公正の闘志)作家」によって不当に支配されていると信じ、4年ほど前にこれに対抗する集団「サッド・パピーズ」を作った。

    パピーズに所属する主要な作家は白人男性で、人種差別、男尊女卑、アンチ同性愛の立場も堂々と公言している。彼らは、アメリカのSF界が、白人男性による白人男性のための作品が尊敬される「古き良き時代」に戻ることを望んでいる。

    パピーズ作家のひとりJohn C. Wrightは、「Saving Science Fiction from Strong Female Characters(強い女性キャラクターからSFを救済する)」というタイトルのエッセイを書くほど、「SF界に女は邪魔」と公言する一派だ。男女の役割については「男性のスペースヒーローこそが率先して活躍してヒロインを救う役割であるべき。女性ヒロインは、露出たっぷりのハーレム衣装に身を包むか鎖に繋がれて弱々しくヒーローから救われるのを待つお姫様の役割くらい」といった差別的な意見を持ち、同性愛に関しては「Men abhor homosexuals on a visceral level. (男は、心底ホモセクシャルを嫌悪するものだ)」と書いている。

    またパピーズのリーダー格のVox Dayは、「Why Women's Rights Are Wrong(なぜ女性への公平な権利は間違っているのか)」というタイトルのエッセイで、「僕は実際には女性のことが大好きであり、幸せでいてもらいたい。だからこそ、僕は女性が求める公平な権利を撲滅すべき病だとみなしているのだ」と、前時代的な「女性への思いやり」を見せている。

    アメリカには、現代社会に定着しつつある多様性やリベラルな姿勢に被害者意識を持つ白人男性がけっこういる。彼らは、女性や肌の色が異なる人種や同性愛者が自分たちにとって安泰だった世界を壊していくことへの鬱憤をためている。パピーズは、そんな読者にターゲットを絞り、ネットで情熱的なキャンペーンを繰り広げた。

    その結果、2015年のヒューゴー賞候補作は、パピーズのメンバーや仲間の作品ばかりになってしまったのだ。

  • こうした「日米リベラル層の蜜月」に水を差したのが、1960年代後半のアメリカにおける黒人公民権運動やヒッピー運動の高まり。こうしたカウンター・カルチャーの源流はアメリカ共産党が猛威を振るった1930年代にまで遡る。

  • そしてアメリカの動きに連動する形で1960年代末から1970年代前半にかけて日本の学生運動が激化する。

    大日本帝国時代のインテリ層は、思想の左右に関わらず江戸幕藩体制下における士族の思考様式の延長線上で「農民も労働者も我ら政治的エリートとの善導に盲従するのが当然」と考える一方で内部党争に勝利する事を最優先課題と考えていた。
    *そして1960年代後半から1970年代暴れた学生運動家達には、自らがそうした「大日本帝國が抱えていたシステム的欠陥の最後の残滓」という意識が欠けており、当時のままに振るまっ事が大衆からの支持喪失へとつながっていく。

  • しかしながら1970年代に入ると「旧左翼の反撃」が始まる。詳細は不明だが、一般に日本共産党も散々振り回されたソ連中国共産党の干渉と完全に無縁ではなかったと目されている。

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    公開された文書は、抑留を経て帰国したハルビン総領事館員が昭和23年12月に作成した報告書。それによると、ソ連当局は日本軍の序列を維持しながら支え合ってきた将校と兵の感情的な溝につけ込んで両者を分断し、収容所の「民主化」を宣伝。各収容所には「民主グループ」が組織され、将校たちから収容所内の実権を奪っていった。

    グループは民主会、反ファシスト委員会と名称を変えつつ勢力を拡大。壁新聞を発行し、批判会や夜間講習会も開催した。収容所では「天皇制打倒」「祖国日本を米国の植民地化から救え」などのスローガンが派手な色彩で描かれ、レーニンやスターリンソ連共産党幹部の肖像画が掲げられた。赤旗が翻り、革命歌もやまなかったと報告されている。

    当時、抑留者は早く帰国するためには、赤化工作である民主運動に賛同せざるを得なかった。報告書は「こうした運動に反対の立場をとる人間であっても、目を閉じ、口をつぐんで従っていかねばならないのが現在の在ソ同胞の姿である」と指摘している。

    またソ連は、帰国を待ちわびる抑留者に対し「日本政府並びに占領軍(連合国軍総司令部=GHQ)当局に誠意なく、(引き揚げ)船を出さない」とだまし、不満の矛先を日本と米国に仕向けた。

    ソ連当局がこうした赤化教育に利用したのが、ソ連軍政治部が週3回発行する抑留者向けの「日本新聞」だった。共産主義を礼賛し、日本の批判を繰り返すプロパガンダ紙だが、日本語や情報に飢えていた抑留者に次第に浸透していった。

    報告書には、総領事館員に対する尋問の様子も記述されている。ソ連係官は「殺す」「帰国させない」「家族をシベリアに送る」と脅したり、拳銃も突きつけたりした。衰弱して死亡した館員もいたという。

    当時の「良心的な親達」は挫折した学生運動家達の群がる日活ニューアクションを製作中止に追い込んだばかりか、その儲けを吐き出させる形で「(今日の学生運動家の様に)強姦と略奪と虐殺しない暴虐な日本兵が「一方的被害者」中国から満蒙を奪い「正義の軍隊」ソ連に駆逐された」とするプロパガンダ映画「戦争と人間三部作(1970年〜1973年)」を製作させた。それは新左翼側への旧左翼側の輝かしい勝利宣言でもあった。

    そしてこの成功に気を良くして「子供に悪いものは一切見せない路線」をあっけなく放棄。以降の子供達は「日本兵の残虐行為」を告発する本多勝一作品や中沢啓治はだしのゲン(1973年〜1985年)」を読まされ「キューポラのある街(1963年)」「サンダカン八番娼館 望郷(1974年)」「泥の河(1981年)」などを繰り返し鑑賞させられながら育つ事になる。千田夏光従軍慰安婦 正編(1973年)」が上梓されたのもこの時期となる。
    *「キューポラのある街」「泥の河」…作品の是非抜きにただ内容が理解不能。

    また「自衛官や警官の子供を虐めるのは社会正義」と教え実践を強要する左翼教師の噂がしばしば聞かれた時代でもあった。ちなみに大正デモクラシー期にも同様の事があったらしい。
    *歴史上国際的に見てもあまりにありふれた行為なので、むしろ「人民の敵の子弟への虐めは科学的マルクス主義も認める不正規戦」とか開き直って公然と認めた方が矛盾が最小限で済む気もする。強引に庇い続けると「Fcebook拷問Live事件だけは人道に反してない。この行為を批判する人間は全員レイシスト」と逆ギレして、ますます信頼を失った米国マスコミの二の舞に…

    【社会】 「自衛官・警官の子は立ちなさい…皆さん、この子らのお父さんは悪人です」…日教組の実情を、佐々淳行氏が暴露★2

  • この流れについては、パブロフの条件反射生理学を出発点とするソビエトの科学的マルクス主義心理学の影響が指摘されています。要するに「幼少時から公開処刑に繰り返し立ち会わせ続ける事により、人間の心の中に条件付けが完成し、反逆について考える事すら恐ろしくなる」式の思考様式。
    *実はタルド模倣犯罪学は1890年代、マルクスが「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」の中で述べた「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」なる信念の延長線上に現れたエミール・デュルケーム(Émile Durkheim、1858年〜1917年)の方法論的集団主義と激しい論争を繰り広げている(社会実在論)。こうした関係から以降、科学的マルクス主義タルド模倣犯罪学に「迷信」のレッテルを貼り、同様に「迷信」のレッテルを貼られたサイバネティック工学同様に駆除対象として認識される様になっていく。

    *かくして共産圏における科学技術発展の停滞が始まる。特に(サイバネティック工学がもたらしたフィードバック通信制御技術が不可欠な)インターネットに関しては、そうした概念を想起する事すら不可能という有様に。これをむしろ「幼少時より繰り返されてきた条件付けの挙げた大成果」と讃える立場も有り得そうである。そしてこうした親達の試みはかえって(同時進行で進められた番長組織の解体などと相まって)校内暴力全盛期(1970年代後半〜1980年代前半)の呼び水となった側面もあったと考えられている。

  • 1976年になるとロッキード事件が明るみに出て自民党が初めて過半数割れ(ただし追加公認で過半数確保)を経験。ここから社会党共産党の反撃が始まり、1990年代まで続く「左翼黄金期」が始まる。しかしそれは各党派が一枚板にまとまる為に主義主張の違いを放棄して浅薄化していく時代でもあったのだった。

  • 東欧革命(1989年)やソ連崩壊(1991年)以降、これまで述べてきた様な理念は完全瓦解してしまう。そして日本の新世代の若者達は「焼け跡からの再出発」を経験する事になる。
    東欧革命
    ソヴィエト社会主義共和国連邦/ソ連邦/ソ連
    天安門事件(第2次)

それにしても、どうして科学的マルクス主義は、当時どうして徹底的にタルド模倣犯罪学やノーバート・ウィーナーのサイバネティック工学を拒絶し抜いたのでしょうか?

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  • そもそも全てはカール・マルクス(Karl Heinrich Marx、1818年〜1883年)のロマン主義的冒険から始まった。挑戦相手は、は「人間の幸福とは時代精神Zeitgeist)ないしは民族精神(Volksgeist)と完全合一を果たし、自らの役割を得る事である」とし、王侯貴族や聖職者の権威に裏打ちされた「領主による領土と領民の全人格的支配」を全面肯定するヘーゲル哲学。これに対してマルクスは「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」の中で「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」とし論破を達成したのだった。

    *正直いって、僥倖に支えられた側面もある。産業革命の浸透とそれに伴う伝統的共同体の崩壊なる「啐啄(そったく)の機」があって初めて、ヘーゲル哲学はその効力を失い、マルクスが世界に提供した新概念が広まったのだった。しかしそうした時代の流れは同時にマルクス当人のロマン主義的思考様式(すなわち闘争史観)をもまた時代遅れのものとしてしまったのだった

  • その立場上、当初より王侯貴族や聖職者の人格権は全面否定する立場にあったが、2月/3月革命(1848年〜1849年)の過程でブルジョワや農民に手酷く裏切られる。こうした経験と前後してマルクスは「共産党宣言(Manifest der Kommunistischen Partei、1848年)」の中で「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と述べ、その上で近代ブルジョワ社会においては全社会がブルジョワジープロレタリアートに分かれていくこと(両極分解論)、そして最終的にはプロレタリア革命によってプロレタリアートが勝利し、階級対立の歴史が終わることを予言した。
    *ここでいうプロレタリアートは(純粋な労働力供給者たる)労働者あるいは小作農のみを指す。この過程で(行商人以上の)ブルジョワ階層や(自作農以上の)農民階層もまたその人格権を全面否定されるに至ったのだった

  • そしてロシア革命(1917年)を乗り切ったレーニンが民主集中制を履行すると、人類は原則として等しくその人格権を否定されるに至ったのだった。その世界観においては科学的マルクス主義だけが真理とされ、これに基づく条件付け教育によって科学的マルクス主義的人格を注入された「前衛」だけが(科学的マルクス主義に合致する範囲内で)自主判断を尊重される人間として扱われる。ある意味これは「人間の幸福とは時代精神Zeitgeist)ないしは民族精神(Volksgeist)と完全合一を果たし、自らの役割を得る事である」としたヘーゲル哲学の復権に他ならなかった。
    ハンナ・アーレントはこの展開について「プロレタリアート独裁は、プロレタリアートへの独裁に発展的に解消された」と述べている。一方、レーニンはこのシステムをオーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte、1798年〜1857年)の「(それぞれの分野の専門家達が分業によってあらゆる社会動向の予測・計画・統制を全人格的に監督する)科学者独裁構想」や、フレデリック・テイラー(Frederick Taylor、1856年〜1915年)の「(労働者と監督が第三者の介入抜きに一丸となって目的達成を目指す)テイラー主義(Taylorism)」などをモデルに発案したと考えられている。そしてテイラー主義の影響で「共産主義国家には労働組合は不要」という判断が為され「上司が職場と部下を全人格的に代表する」ある種の新封建制の運営が始まったのだった。

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とはいえ王侯貴族や聖職者や領主といったランティエ(rentier、不労所得生活者)階層を廃したとはいえ、ベースはあくまで封建制だったので固有の限界がありました。

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  • ある意味社会学(Sociology)は、タルドが「模倣の法則――社会学的研究(Les lois de l'imitation: Etude sociologique、1890年)」を著して模倣犯罪学を創始し、これがロンブローゾの遺伝犯罪学に勝利したのを嚆矢とする。ただし彼のアプローチはあくまで社会心理学(social psychology)的な内容だったので、方法論的集団主義を掲げるデュルケームからの挑戦を受ける事になったのである。そして後者だけが「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」とする科学的マルクス主義の規定を満たしたので、共産圏においては彼こそが社会学の祖と目される展開に。
    社会心理学(social psychology)…ゴードン・オールポートの定義では「他者が実際に存在したり、創造の中で存在したり、或いは存在することが仄めかされていることによって、個人の思考、感情および行動が、どのような影響をうけるのかを理解し、説明する試み」となる。つまり科学的マルクス主義の立場からすれば「社会の実在を前提としないばかりか、それを否定せんとする側面すら備えた打破すべき迷信」という事になる。

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  • サイバネティックス第2版(Cybernetics, Second edition、1961年)」を著してノーバート・ウィーナーが基礎付けた通信制御工学には「末端から送られる情報が中央を制御する」という科学的マルクス主義に反する部分があったので「迷信」のレッテルを貼られる事になった。
    *実は「サイボーグ(Cyborg)」の語源となったサイバネティックス工学は単なる機械制御や通信制御だけでなく社会学への応用も目した内容だったので警戒された側面もあったらしい。一方、この頃から次第に「科学的マルクス主義」の非科学的側面が明らかとなっていき、やがてイデオロギー分野以外では誰も「科学的マルクス主義」を持ち出さなくなってしまう。

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そもそもどうして封建性がベースに? それはそもそもモデルに選んだオーギュスト・コントの「科学者独裁構想」そのものが抱えていた根本的欠陥だったのです。

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  • 科学主義(Scientism)最大の特徴、それは内部に一切の矛盾が含まれない法則系を構築する為、前提の異なる複数の法則系を生み出し続ける点にある。
    ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学が分岐していく歴史を参照の事。

  • しかも各法則系の関係がどうなっているかについては同一領域を扱う研究においてすらすぐには分からない事が大半。ましてや直接関係のない法則系全てを科学的に統合する方法など存在しないし、それに現実社会における政治や経済の役割まで担わせる意義など全く存在しない。
    *アメリカのパルプフィクションSFによく出てくる設定ではある。

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  • それでもあえて、この不可能としか思えない課題に挑戦したのがオーギュスト・コントだった。コンドルセ「人間精神進歩の歴史(Esquisse d'un tableau historique des progrs de l'esprit humain、1795年)」の進歩史観を継承する形で①数学、天文学、物理学、化学、生物学を社会静学(Statique social)に統合する、②既存政治の代替物として市民社会の危機を克服する社会動学(Dynamique social)を創始する、③両者を実証哲学(Philosophie Positive)によって統括する、といった大目標を立てたものの、当然未完に終わる。この構想の衣鉢を継ぐ形で科学的マルクス主義は成立したのだった。
    *要するにオーギュスト・コントが構想したのは「(神学が全科学を統制下に置いていた)黄金期のローマ教会」再建であった。それも体制を近代化し、全国民を直接支配下に置く全人格的生態として復活させる予定だったのである。こうした思考様式まで継承した結果、科学的マルクス主義は封建主義の一種とならざるを得なかったのである。

ところで、これまで語ってきた科学的マルクス主義に一切含まれていない要素が存在します。そう「知識人」の存在ですね。
マルクスと知識人 - マルクス主義は現代の呪詛宗教である
左翼知識人とマルクス主義

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インテリゲンチャ(Intelligentsia、知識階級)

主に学問を修め、多くの現象を広い見識をもって理解し、様々な問題を解決する知恵を提供したり、その知識によって発見・発明された成果物を提供することによって、社会から対価を得て生活する社会的階層。

具体的には、政治家や経営者として社会や経済を知識によって先導し、また芸術家やクリエイターとして、文化的な創作活動によって、社会に新しい価値観を育んだり、学者として各々の分野を深く探求したり、または教師として教育の場で他を指導する立場を担い、その一方で報道関係者や評論家として道徳やモラルに関する警告を発して社会を律したりする。

この様な立場にある個人を知識人という。対比語の多くは大衆(民衆)。

誰が定めたかよく分からない定義ですね。マルクス自身は、こういう(プロレタリアートを完全従属察せた)インテリ=ブルジョワ階層による、インテリ=ブルジョワ階層の為の、インテリ=ブルジョワ階層の独裁体制」を志向していた訳ではないとされています。

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  • 「知識階層による独裁」を最初に提唱したのは、啓蒙主義者として「人類の精神の進歩(1793年)」を著したコンドルセでも、彼の直接に師にして「(後にフランス産業革命を成功に導く事になる)産業者同盟構想」を残したサン=シモンでもない。あくまでコントの独創であった。
    *サン・シモン派はリアリストだったので、ブルボン朝からオルレアン朝への王統交代を承認し「馬上のサン=シモン」皇帝ナポレオン三世とタッグを組んで最終的に「権力に到達したブルジョワジー(bougeoisie au pouvoir)」とも「二百家」と呼ばれるブルジョワ寡占体制を打ち立てる。そしてこれがフランス最後の「革命」となった。

    *そもそもコントの「科学者独裁構想」とは、ローマ教会の体制を流用しつつ聖職者を科学者に置き換えたというべき内容だったのである。彼はどうしても愚民蔑視がやめられず、それでサン=シモンとも決別する羽目に陥っている。

  • レーニン率いるボリシェヴィキ(Большевики、bol'sheviki)もまた決っして「愚民」を信じなかった。それでコントの「科学者独裁構想」に惹かれ、これを参考に「民主集中制」を成立させたという訳である。
    *しかしこの姿勢故にレーニンは、ソ連崩壊後のロシアにおいて完全にその人気を凋落させ、学校の教科書においてすら「結局彼らは自分達が特権階級に成り上がりたかっただけだった」と記述される羽目に陥ったのだった。

  • http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/00/Presidium_of_the_9th_Congress_of_the_Russian_Communist_Party_%28Bolsheviks%29.jpg/560px-Presidium_of_the_9th_Congress_of_the_Russian_Communist_Party_%28Bolsheviks%29.jpghttp://wired.jp/wp-content/gallery/160620_lenin/02.jpg

  • 講座派時代の日本左翼を夢中にさせた「福本イズム(1926年〜1927年)」もまた知識階層による独裁を標榜し、大衆をあくまで政治的エリートの全人格的従属下に入る都合の良い従属物としか考えない内容だった。さらには外敵との対決より内ゲバでの勝利を優先する姿勢を見せたが、これは日本における伝統的な知識人の在り方や党争概念と極めて親和性が高かったのでさらなる共感を集めた。、
    コミンテルンの「27年テーゼ」で全面否定された為、提唱者の福本和夫は失脚を余儀なくされた。しかし今日なおその考え方は日本の知識人の思考様式を拘束し続けているという。

そして日本においては、1930年代にこの問題に関する濃厚な議論があったのです。

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戸坂潤 「日本イデオロギー論 ――現代日本に於ける日本主義・ファシズム・自由主義・思想の批判(1935年)」

インテリゲンチャの問題は最近多くの社会評論家や文芸評論家によって論じられていて、一見、これ以上、問題の新しい提起の余地は無さそうに見える。だが実はそうではない。インテリゲンチャ問題の問題の提起の仕方そのものに吾々は可なりの疑問を挿まねばならない。

人も知っている通り、数年前までのマルクス主義思想の全盛期に於て行われたインテリゲンチャ論は、大体から云って、資本主義社会に於ける階級〔対立〕に処して、インテリが如何に無力であるか或いは自分が無力であることをインテリは如何に自覚すべきであるか、という消極的な観点から取り上げられた。そして之が当時、一種の「マルクス主義的」な常識とさえなって世間に普及したように見える。

インテリの立場から見れば云わば悲観的とも云うべきこのインテリ論の、問題提出の仕方は、云うまでもなく一定の情勢上の必然がその動機をなしていた。と云うのは、わが国又はわが国に類するような資本制上の後進国に於ては、進歩的な社会意識又は社会運動は、まず初めに主として社会に於ける知能分子(インテリゲンチャをそう訳すのが一等適切ではないかと思う)を先覚者として、従ってその限り指導者として、発達するという表面現象を呈する。そうでなくても、知能分子は一般的に云って社会の指導的メンバーだ、というそれ自身では一応当然な想定が自他共に許されているのだから、この際インテリのマルクス主義的な進歩的意識は、ややもすればこのインテリ指導主義と結びついて、元来マルクス主義の根本的な観点であったプロレタリア的立場をさえ、知らず識らずに稀薄にしがちとなるだろう。こうしたあり得べき偏向にそなえるために、自然と、当時、インテリ悲観説が議論の表面に浮び出て、それが強調されねばならなかったのである。

事実他方に於て、世間ではインテリの各種の独裁論が(?)存在し、之が凡そ反プロレタリア的な思想上又政治上のテーゼを導き出しつつあったのを見れば、この戒心は決して行き過ぎではなかった。――併し、こうした戒心を厳にするということは、無論、インテリの無条件な又は完全な無力を認めることではなかった筈で、之は実は単にインテリに対して、却ってインテリ固有に制限された社会的活動性を指示するために過ぎなかったのである。この消極的インテリ論の口裏には、だから、本当を云うと、こうした限定されたインテリの能動性に就いての却って積極的な観点からの主張が、匿されていたのである。だが常識は、決して事物の裏を見ることを知らない、その意味でのユーモアを解しない俗物なのである。インテリと呼ばれながらも、一向に知能(之は一種の人類的本能にも数えられよう)の発達していない分子は、馬鹿正直にも、インテリの無条件な悲観説の信奉者となり、そのコーラス隊をまで造り上げて了ったのである。そして何より恐るべきは、こうしたインテリ悲観論が、わが国では、何かマルクス主義のテーゼの一つでもあるように和讃されたことだ。

そこで、今度、世間的に云ってマルクス主義の「流行」が衰え始めると、それと一緒にこのインテリ悲観説も亦衰え始めなければならなかったわけであり、一連の所謂〔転向〕現象(その本質をここで論ずることの出来ないのが残念だが)に応じて、本来のインテリ楽観説ともいうべきものが復興して来たのである。悲観説がマルクス主義的だという常識から云えば、この楽観説は非マルクス主義的乃至は反マルクス主義的だという風に通念されることは、常識上尤もらしい無理のないことだろう。社会現象の表面を跳躍したり匍匐したりするこの皮相な常識的な見方からすれば、そうした粗雑な既成常識からすれば、そう見えることも亦已むを得ないことだろう。

だが、インテリ「悲観」説が一向マルクス主義の真理でない限りは、インテリ「楽観」説が非乃至反マルクス主義的だという常識も亦真理ではあり得ない。悲観説と楽観説というこの対立した二つの仮象となって現われたものの真理は、本質は、この二つの現象の対立と交代とを通じて、おのずから歴史的に顕現する筈である。そこにこそ初めて本当にマルクス主義的なインテリ理論が展開されることになる。

現代インテリゲンチャマルクス主義的問題は、現在、インテリゲンチャの積極性はどこに求められるべきか、である。社会の知能分子が単に消極的だという「マルクス主義的」ドクトリンは今ではすでに清算されており、又は速かに清算されて然るべきものにぞくする。だが、之を清算するように見せている非乃至反マルクス主義的な「インテリ積極説」は又、このインテリゲンチャの本当の積極性を決して指摘しているものではない。でインテリゲンチャの真の積極性は現在どこにあるかというのが、吾々の現在の問題の提出形式でなくてはならぬのだ。

普通インテリゲンチャを知識階級と訳しているのだが、その訳語が適切であるかないかはとに角として、少くともこの訳語は、わが国のインテリ問題提出の仕方が誤っていることの一つの症状として、興味のあるものである。インテリゲンチャを知識階級と訳すからと云って、之が社会科学的な範疇としての、社会の生産機構に直接対応する社会的結合としての、ブルジョアジーやプロレタリアートと同じ意味に於ける「階級」だということにはならないことを、今は知らない者はいないと云っていい。それにも拘らず知識階級という言葉は、問わず語りに、インテリゲンチャをこの「階級」に類推されるような何かの意味での階級だと想定することを、事実物語っている。この点を根本的に注目する必要が現在あるのである。

マルクス主義的範疇としての二つの「階級」である資本家・地主と無産者・農民とは、又夫々四つ乃至二つずつ二つの社会層をなしている。社会層というものは他方社会身分という意味を持つようになり、再転して社会に於ける職業的定位をも意味するようになるものだが、之は云うまでもなく、社会階級そのものではない。さてこの二つの社会層の中間層として小市民なる範疇があるのであるが、小市民層とは、或る人が云うように小生産者のことなどには限らないので、社会層としてのブルジョアジー(乃至地主)とプロレタリアート(乃至農民)との間の中間層の特徴そのものを云い表わすための言葉なのである。そして或る人達によると、インテリゲンチャも亦、こうした小市民層又は中間層にぞくするものだというのである。

なる程社会層なるものは社会階級ではなかった。だが、それにも拘らず社会学的に云うと(社会科学ではそうではなかったのだが)、社会層も亦一つの社会階級に他ならない。社会の基本的な生産関係から観点を導かずに、与えられた社会現象から勝手に観点を導く処の「社会学」的見地は、社会の表面に現象している階級層を、例えば社会的身分や生活程度や職業やを、すぐ様社会階級として記載することに躊躇しない。こうなると所謂「知識階級」という言葉の問題は、ただの言葉の使い方ではなくて観点上の本質に触れて来るのだ。インテリゲンチャが仮にこの中間層だとしても、之を知識階級と呼ぶことは、だから一つの社会学的症状にほかならないのである。

だが言葉の問題は一応どうでもよい。それよりも一体、インテリゲンチャは本当にそうした中間層にぞくする一つの社会層なのか、どうか。或る人はそれは、立派に一つの、而も新しく発見された、中間層だというのである(大森義太郎氏の如き)。サラリーマンという眼に余る程大衆的な中間層があるではないか。之が「現代」のインテリゲンチャでなくて何か、というのである。サラリーマンというこの社会現象論的範疇が、社会層の問題として現実上どう限定されているものかは一向判らないのだが(常識では中以下の銀行会社員や精々小官吏などを意味しているようだが「社会科学」的にはどういうものか聞きたいと思っている)、多分、「知識的労働」に従事している人間とでもいう風に、言葉の上では、説明出来るのだろう。だが知識的労働者といった処で、実際的には依然として何のことか判らぬ。銀行の窓口で現金を取り扱っている月給取りが知識的労働者ならば、エンジンの故障を直し直し運転しなければならないバスの運転手(之だって大衆的に存在するのだ)も亦知識的労働者ではないか。サラリーマンを更に月給取りと訳しているようだが、運転手は日給だからサラリーマン即ち知識労働者でないというわけか。これでは年俸をもらう官吏はサラリーマンではないということになるだろう(小官吏だって大衆的に存在するのだ)。

知識労働者とかサラリーマンとかいうこの常識的な言葉がすでに分析的に云うと社会層としては可なりのナンセンスになるのだが、更にこうしたものが現代のインテリゲンチャの代表者だというのは、一体何を根拠にして云えることか。専門学校や大学を出ているからというなら、一体所謂「知識階級職業紹介所」で学校出の大衆的な失業者を、ごくわずか、而も日雇いに周旋しているのはどうしたわけか。インテリゲンチャがサラリーマンを以て代表者としているという妙説は、多分インテリゲンチャ層(そういう層があると仮定して)を一つの社会上の職業定位と見做したことから来るのではないかと思うが、それならインテリの失業者などはインテリ層に這入る資格がなくなって了う。私の推察では、この妙説は寧ろ評論雑誌の所謂読者層からでも考えついたものではないかと思うが如何。併し読者層となると、サラリーマンとか知的労働者とかいう社会層らしいものとは、大分違った意味での「層」なのだが。そういう読者層を発見したのはタルドという「社会学者」だったが、インテリゲンチャをサラリーマンに於て発見したのも、そうした社会学者的功績に数えることに吾々は吝かではない。

つまり、サラリーマンという常識的範疇がすでに社会層を現わす言葉として充分に分析的でない上に、サラリーマンはサラリーマンであり、多分は何かの職業的又は身分的な社会層らしいもののことであって、それはインテリゲンチャというものと本来別個な系統の社会規定にぞくし、従って話しの筋がまるで違うものなのだ。これをインテリの代表者として「発見」し得るためには、初めからインテリゲンチャそのものを何かそうした職業的又は身分的な社会層と考えておかなくてはならない。即ちインテリゲンチャなるものがそうした社会層の一つに他ならぬと仮定するから、社会現象上手近かに気づくサラリーマンという社会層らしいものへ結びつけたくなり、又結び付ける他に考えが働かなくなるのである。だから之によってインテリゲンチャが社会層だという説は少しも実証されたのではなくて、単に自家反覆して見せているに過ぎないのだ。

併しなぜこうした問題のトンチンカンな取り違えを敢えてしてまで、インテリを一つの根本的な社会層と仮定したくなるかというと、つまり、社会学的な現象主義から云えば、インテリゲンチャはとに角知識階級でなくてはならなかったからなのである。同じ見地で考え出せるだろうが、不良少年社会学的に通算総括した「不良階級」、自殺者の集団層(?)である「自殺者階級」其他等々でもいいかも知れない。

そして大事なことは、こうしたインテリ社会層説は結局一種のインテリ「階級」説自身(この誰でも誤りだと知っている)に通じるという点だ。社会学的現象主義は今日、全く社会科学的な本質観をぬりつぶすために存在している。そこでは事物は社会の生産関係を観点として取り上げられずに、高々社会に於ける職業的身分的な「懐ろ」関係か何かから取り上げられる。唯物史観の代りにポケット史観に類するものが発生する。恐らく之がサラリーマン・イデオロギーででもあろうか。

さてこうしたサラリーマン主義的インテリ論、社会学的現象主義的インテリ論は、当然なことながら、インテリゲンチャの本当の積極性を理解することが出来ない。誰が一体今日、サラリーマンに知能の積極性を期待するものがあろう。

社会学現象主義的インテリ論と並び行なわれているものは、文化主義的インテリ論である。ここではサラリーマンの代りに、もう少し知能上の或る意味の水準の高いらしい文学者・作家・評論家などを、インテリの代表者と考えている。そして彼等に於てその知能上の自信が最近著しく増大し、又形式的な形態にせよこの自信の行動的発露が見られるという処から、一般にインテリゲンチャの積極性乃至能動性なる問題の解決を、この種の知識分子の内に求めるのである。この立場からしては、インテリゲンチャは必ずしもインテリ層とか、インテリ階級とか考えられてはいないらしい。もっと個人的な、或いは個人主義的な、その意味で内部的な立場から、インテリゲンチャは、例えば「知識人」と考えられる。知識人独特の立場の積極性が、能動性が、ここでは専らテーマとして取り上げられるのである。

だがここにも根本的な疑問は数々あるのである。第一にインテリ(知識人)独特の立場から来る積極性・能動性と云っても、何もそれはインテリだけの世界での積極性・能動性であるのではあるまい。もしそうならば、それはインテリの独りよがりかインテリ劇場の楽屋の出来ごとであって、一向客観的な意義を持たないばかりではなく、知識人の主観自身にとってすら極めて意味の乏しいものにならなくてはならぬ。だからインテリの能動性・積極性と云うのは、終局に於ては、知識人の主体を通って、社会の客観的関係にまで一定の影響を及ぼすもののことでなくてはならぬ(それが具体的にどんな影響を与えることかという点をこのインテリ論者達はまだ考える順序に来ていないらしいが)。インテリの能動性・積極性はだから、インテリの対社会的なそれでなければならないのだ。処でこの対社会的な能動性乃至積極性がインテリ独特のものだとする処から、現に一種の語弊が生じつつあるのが見受けられる。

と云うのは、インテリが社会に向って、どういう具体的な形の積極性・能動性を有つべきかということが一向限定されていなくて、ごく呑気に一般的抽象的に止っている結果、インテリの積極性・能動性のもつという独特さもまた一向具体的に限定されないのであり、従って、インテリの一般的抽象的な対社会的独特さとして、例のインテリの対社会的指導性と云ったようなインテリ至上主義に通じるものを持って来るのであり、之が一歩誤れば実際にそれへ通じて了うのである。そうした意味に於てインテリの独特性だったものはインテリの対社会的独立性となり、即ちインテリの社会層・社会階級からの超越性となり、やがてそれは又インテリの社会支配の観念にまで変質し得るものを得て来る。之は必ずしも杞憂ではないと思う。

でもし万一そういう結果になるなら(今日まだそこまで行っていないとすればまだこの動きが具体的に充分展開されていないからに過ぎない)、インテリを公平な不偏不党の中間的第三階級と考える最も原始的なインテリ階級説に帰着することになるだろう。――仮に今もしそういう仮定を置いて見ると、インテリが特に不安の能力を有っているとか、懐疑の精神に富んでいるとか、という現在の俗間の定説もおのずから理解されるわけで、つまりインテリは公平な第三者としての、ブルジョアにも不満でありプロレタリアにも満足しない、有望な一階級だという処から、之は当然来なければならない結論だったのである。

インテリを社会現象に於ける客観的な平均的な存在と見るのが――サラリーマン説の如き――、インテリ社会階級説に帰着するばかりではなく、その逆に、インテリを主体的に又更に寡頭的に個人々々を集めた集合概念と見てさえ、正にそれ故に却ってインテリ階級説に陥落する弊害を持つのである。

そればかりではない、第二に、インテリの代表者を文学者・作家・評論家などに求めることは、文筆上の活動が何よりも人間のインテリジェンスの基準になるものだという仮定に他ならない。ブルジョア社会でいう所謂文化――之は文明から区別されている――又は教養というものが人間知能の本質だという仮説が之である。こうしたブルジョアイデオロギーによる知能の観念は、実は中世的な又は封建的な、僧侶階級の知能独占期から発しているものなのである。文筆上の知的労作は、物質的生産に於ける知的労作よりも、知能(インテリジェンス)上高級だということは、全く、僧侶主義が近世的な形で、文学の姿を取って現われたものに過ぎない。インテリゲンチャの能動性・積極性が少数の文学者の中に見出されるということを理由としたのでは、インテリゲンチャの積極性の問題乃至インテリゲンチャの問題を、文学的インテリを中心として解決する権利は、どこからも生じて来ない。

この文化主義的又は文学主義的なインテリ論は併し、例の社会学的インテリ論と本質上の一致を有っていることに注目することが大事だ。文化主義や文学主義の根本欠陥の一つは、社会に於ける文化現象又は文学的信念が、単にいきなりそういうものとして発生したのでもなければ、単にそれだけとして横たわっているのでもなくて、その背景に社会の物質的生産機構が横たわっているのだということを、そうした公式の実際上の意義を、全く注意しないという点に横たわる。この点から云って文化主義乃至文学主義は、一種の(文化主義的又は文学主義的な)社会現象主義なのである。社会学的インテリ論の現象主義と較べれば、社会現象に対する現象主義的観点に於て、全く共通の本質を有つものだということが判るだろう。

インテリゲンチャは凡ゆる社会階級に跨り、又は分散している。吾々はそうした分散した知能分子をインテリゲンチャという集合名詞を以て呼ぶのである。だから事実インテリゲンチャはその所有する知能の質と水準とに応じてマチマチな雑多な分子の集合観念で以て云い表わされる。之は[#「之は」はママ]分析するにはそれ故、どの知能分子群を中心とし出発点とするかということが、他の場合には見られない程、重大性を帯びているのである。吾々は無論、社会学的又は文学主義的な現象主義的観点の代りに、社会科学的な観点から始めなくてはならぬ。

問題はいつも社会に於ける物質的生産関係から出発するのである。ここで知能分子となるものは、サラリーマンでもなければ文士でもない。正に生産技術者でなければならないだろう。この生産技術家が基本的なインテリゲンチャなので、そこでは知能とは、人間の生産生活に直接結び付いている処の技術的乃至は技能的知能のことでなくてはならぬ。インテリジェンスなるものは、テーヌさえそう見ているように、人間の感覚に直接連なる感能なのだ(インテリジェンス又はインテレクトが、感覚から独立した心的能力だという考えは、ブルジョア的又はスコラ的認識論の迷信である)。例えば労働者が自分の社会階級上の利害関係を本能的に又分析的に感受することが本来のインテリジェンスでなければならぬ。学校教育やただの知識や学殖がインテリジェンスでないと同じように、文学者の非リアリスティックな認識や、サラリーマンの浮動的な感能は、別に特にインテリジェンスではないのだ。インテリジェンスとは云わば人間の実践的認識に於ける本能的有能性のことだと云ってもいいだろう。それは人間の生産生活から離れては内容と意味とを失う心的能力なのだ。社会群・社会層・社会階級、並びに家庭的個人的又社会的な条件の下に、そうした知能能力を準備されたものが、所謂インテリと呼ばれる知能分子なのだが、それの具体的な主体はどこに見出されるべきかと云えば、まず第一には生産技術家に於てでなければならぬというのである。

この生産技術家を中心として初めて、吾々のインテリゲンチャ概念は次第に、一般の科学者・芸術家・政治家・一般被教育者、等々にまで、組織的に秩序立って拡大されることが出来る。この際注意すべきは、こうしたインテリゲンチャがまず初めに、社会に於ける身分・生活程度・生活様式・職業・社会層・社会階級・等々とは別の相位に於て把握されねばならぬということだ。そうしておいて後から、社会身分や職業や社会層・社会階級・其他任意のものに、之を結びつけて、任意のセクションを作って分析されねばならないのであり、又分析出来るのでもある。

では一体、日本に於けるインテリゲンチャの代表者であるその技術インテリが、どこに積極性・能動性を示しているかと尋ねられるかも知れない。だが少くとも今日の生産技術家は文学者などに較べて遙かに多くインテリとしての知能の自信を有っているという事実に注意を喚起しよう。寧ろインテリ至上主義に帰着するだろう本尊は、ズット前から日本の技術家乃至科学者の意識なのである。彼等は一方に於て、日本の資本主義的矛盾の一つの結果である処のブルジョア制下の生産技術の矛盾に当面しながら、他方跛行的にも、昨今の軍需産業の人工的扇揚の下にその知能上の有能性を益々自覚しつつあるようにさえ見える。ただ、彼等はイデオロギーを統一的に持つことが少く、又持っていても之を発表する機会と意図とに乏しいから(併しこの条件が又却って彼等のインテリ的自信と一致するのだ)、自分ではインテリの積極性や能動性を口やかましくは喋らないだけだ。

技術インテリの能動性・積極性は、云うまでもなく今は、資本主義の制約の下で初めて保証されている。従ってその結果、意識の上では、之は資本主義的イデオロギーによって支持されさえしているのである。だがこの点も亦文学者のインテリ的自信と別なものではない。――問題はこの資本制下に於けるインテリの能動性・積極性を、如何にして資本制から独立させるかにある(資本制的階級〔対立〕から独立させるのではない)。文学者に於けるインテリ的能動性・積極性に於ても亦、問題はそこにあった筈である(もしそうでなければもう一遍根本的に批判し直す必要があるが)。だから問題は更に、まず第一に資本制下に於ける生産技術家の有能性を如何にして資本制から独立させるかに存するのである。

吾々は文学者やサラリーマンの知能などを中心としてソシアリスティックな建設の基本的な契機を期待し得るとは信じない。そしてこの建設に於ける技術的インテリゲンチャの積極的な能動的な役割と、それに課せられた社会支配組織上の限界とが、一般に(又独り日本に限らず)、インテリゲンチャ――社会に於ける知能分子の――[#「――社会に於ける知能分子の――」はママ]積極性と消極性とになるのである。

マルクス主義インテリゲンチャ論に於ては、社会の基礎的構造である生産機構から云って、初めからインテリのこうした積極性と消極性との本質が横たわっていたのであるが、それが日本に於ては数次のインテリ論を通じて、否定又は肯定の仮象として夫々現象したのであった。この諸現象間の矛盾を解決することによって、この本質がおのずから顕現するわけだが、それが最近のインテリ論現象の裏にある客観的な意味でなくてはならぬ。

同様の見解に1920年代前半には菊池寛1888年〜1948年)が早くも同様の見解に到達しています。そしてその精神が戦後、松本清張(1909年〜1992年)に継承され、やっと日本に本格的な形で自然主義文学が根付く事になったのです。

菊池 寛『文芸作品の内容的価値』新潮・1922.7月号

有島は、自分を第二種の芸術家だと規定した。それは《芸術と自分の現在の実生活との間に、思いをさまよわせずにはいられないたちの人》のことをいう。このように自分の在り方が問題となるのは、ロマン主義とリアリズムとが融合し、さらに社会科学(科学的リアリズム)の発達が「個人」の位置づけと思想(思想的ロマン)の裏づけを行ってきたことに他ならない。したがって、「階級闘争運動」や「国家総力戦体制」が問題とならなくとも、今の私たちにおいて、取り巻く環境は同じである。

菊池寛は、有島のような《思いをさまよわせずにはいられない》という控えめな言い方ではなく、積極的に第二種の芸術家、否「第二種の芸術」を取り上げた。その「芸術と実生活」のうち「実生活」の価値を大いに認めようとするものが、この『文芸作品の内容的価値』である。忘れないうちに今の段階で述べておくが、これはプロレタリア小説にも従軍小説にも、そして戦後の小説にもつながる内容である。

《ある作品を読んで、うまいうまいと思いながら、心を打たれない。他の作品を読んで、まずいまずいと思いながら、心を打たれる。》

この理由について、菊池寛は2つ例示している。

《或る人は、後者には貴い実感が書いているからと云うかも知れない。》

《他の人は、後者には得難い体験が書いてあるからだというかも知れない。》

これらの見解につき、菊池寛自身は追及していないが、後者には前者にない何らかの価値があるとして、本論が始まる。そこから、やや争う態勢がとられている。

《ある人達は、作品には芸術的価値以外のものは、存在しないと云うかも知れない。私は、そう思えない。ある作品の中には、芸術的などと云うものとは別に、ある価値が存在し得るものだと思うのである。(略)。時事新報の短編小説を募集したとき、尾崎士郎君の「獄中より」とか何とか云う小品が、当選した。そのとき、選者の里見氏は、「小説として秀れて居るかどうかは分らないが」と云うようなことを云われたと記憶するが、あの手紙は表現などと云うことをはなれて、我々の心を打つ力を持っていた。》

他に、芥川氏の『蜜柑』は、題材を口頭で聴いたとき既にある感動に打たれたこと、『恩讐の彼方に』の筋書きである邪馬渓案内記、はそれだけ読んでもある感動に打たれること、等々を列挙している。

《文芸作品の題材の中には、作家がその芸術的表現の魔杖を触れない裡から、燦として輝く人生の宝石が沢山あると思う。》

《私はこうした意味から、文芸の作品には芸術的価値以外の価値が厳存する価値を信ずるのである。その価値の性質は、何であるか、我々を感動させる力、それにはいろいろあるだろうが、私はそれを仮に内容的価値と云って置きたいと思う。(これは便宜的な言葉である。われわれの生活そのものに、ひびいて来る力として、生活的価値と云ってもよいと思うし、それを仔細に分って、道徳的価値、思想的価値と云うように別けてもいいと思う)》

菊池氏はさらに、もう一歩進める。《この内容的価値が、文芸の作品に於ては、可なり重要であると。》そして「芸術至上主義者」(註−「主義者」は流行語)に対する防御の布陣を張る。

《芸術は、芸術的価値さえあれば立派な芸術だ。よく描けていさえすれば、立派な芸術だ。私は、それに反対しようとは思わない。芸術の能事は、表現に尽きる。(略)さて立派な芸術品なら、それでいいじゃないかと云うと、私はそれでよくないと云うのである。私は、芸術品も、芸術的価値以外に、所謂内容的価値を持っていなければならないと云うのである。》

次の引用は、有島の「第二種の芸術」(家)を思い浮かべながら読むと効果的である。

《文芸作品に接するとき、(略)われわれの下す評価は何かと云うと、決して芸術的評価丈けではない。われわれは、芸術的評価を下すと共に、道徳的価値を下し、思想的評価を下しているのである。「これは、芸術の作品である。ただ芸術的評価を下せ。」と云ったところで、其處に人生の一角が書かれている以上、これに対して道徳的評価を下さずにはいられないのである。其處に、無反省な蕩皃の生活が描かれている以上、それを非難せずにはいられないのである。(略)何等かの思想が描かれている以上、それに対して思想的な批判を下さずにはいられないのである。戯曲の主人公などが、つまらない思想を懐抱している以上、その性格描写がどんなにうまくっても、その舞台技巧がどんなに巧みでも、軽蔑せずにはいられないのである。》

《文芸の作品に対して、道徳的評価(一寸ことわって置くが、道徳的と云っても、コンベンショナルな意味で云っているのではない)や、思想的評価を下してはならないと云うのは、芸術家の逃口上である。文芸が、人間の大いなるいとなみの一である以上、道徳的評価や思想的評価を避くる訳には行かないのである。》

次の引用は、プロレタリヤ運動などを思い浮かべながら読むと効果的である。

《芸術的価値を作る丈けで満足している人、その人を芸術家としては尊敬する。が、そんな人は、自ら好んで象牙の塔に立てこもる人である。芸術的価値、芸術的感銘、それも人生に必要がないとは云えない。(略)が、それを作る丈けでは、あまりにも頼りない。武者小路氏が、当代の青年を動かした力は何であろうか。それは、氏の作品の芸術的価値ではない。氏の作品の、道徳的思想的価値ではなかろうか。》

《私は、芸術家を二分したいと思う。{註−またしても分類!}ただ芸術的表現を念とする作家と、それ丈けでは満足し得ない作家との二種類である。むろん、その間に多くの階段があるが。当代の読者階級{註−「階級」は流行語}が作品に求めているのは、実に生活的価値である。道徳的価値である。倉田百三氏の作品、賀川豊彦氏の作品などの行われることを見ても、思い半ばに過ぎるだろう。が、それを邪道とし、芸術至上主義を振りかざして、安閑として居てもいいのかしら。(略)芸術、それ丈けで、人生に対してそれほど、大切なものかしら。{註−「かしら」は今では女性言葉だが、江戸川乱歩も使用しているところからみると、それほど違和感のないものだったものか。今回の使われ方は揶揄的なニュアンスが多少籠められている模様。}》

そして最も重要視すべき箇所、結論部で締めくくられる。

《私は、芸術はもっと、実人生と密接に交渉すべきだと思う。絵画彫刻などは、純芸術であるから交渉の仕方も限られている。(それ丈け、人生に対する価値が少ないと思う)幸にして、文芸は題材として、人生を直接取扱い得るから、どんなにでも人生と交渉し得ると思う。それが、画家などに比して文芸の士の特権である。》

《ロシアの飢饉に於て、人は生きんがために、宗教を忘れてしまった。況んや、芸術をや。生活に奉仕することに於て、芸術はその職責をはたすのである。》

《芸術は経国の大事、私はそんな風に考えたい。生活第一、芸術第二。》

「人生に交渉」といえば、北村透谷山路愛山とで行われた『人生相渉論争』がある。(詳しくないので違っているかも知れないが)かつて読んだ印象として、いかにも明治の文章らしく、きらびやかな装飾の多い文章は"芸術的"ともみたが、内容は功利主義の論争であった。理念(ロマン)を重視するか、現実(リアリズム)を重視するかといった微妙なところが論点であったように押さえている。さて、菊池寛がここに展開した功利的な論理は貴重なものである。「生活に奉仕することに於て、芸術はその職責をはたすのである」という箇所は、その後多くのインテリ作家を規定していくものである。ところでもうひとつ、題材だけで感動するという箇所は、功利的に利用されなくなる時代において、「作家・作品不要論」を招来するものである。

冒頭の設問に戻りますが、欧米でも左翼系インテリゲンチャは、しばしば「インストールされたプログラムに従って喋るだけのロボット」扱いされてきました。それを考えるとなんら不思議はないというのがとりあえずの結論となりそうです。

坂口安吾 インテリの感傷

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  • 理不尽で強引なアップグレードが繰り返されたせいで少なからぬ箇所がクラッシュして支離滅裂となった。例えば歴史観一つとっても、そもそも共産主義国においては権力者が交代したり都合が変わる都度、その内容がどんどん書き換えられいく。自らのアイデンティティを持つ余裕など決っして与えられない。

  • ソ連崩壊によって「公式アップグレード・サービス」が打ち切りになると、世界中に時代遅れのポンコツの山が積み上がった。苦し紛れに、近隣の共産主義国家に入れ込んでみたり、目に付くパッチを片っ端から当てて余計支離滅裂になったりする個体もいないではない。

    POLITICO — Cubans spill into streets of Miami to celebrate...

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    Fight for America

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    *一番多いのは「絶えず外敵を攻撃し続ける事で自らの存在意義を保つ」道を選んだタイプ。当人はブギーポップ気取りだが、その実態はむしろ彼に倒される「世界の敵」側に近いとも。

ところで日本で最近一番流行しているパッチは「とりあえず相手を歴史修正主義者と罵倒する」みたいです。とりあえず相手を修正主義者と罵倒する」なら科学的マルクス主義者の基本スタンスですが、当人は自分を一体何様だと思ってるんでしょうか?

まさかアメリカのリベラル層って、本当に以下の循環のどこがアメリカの病巣なのか気付いてないの?

  • Reddit4chanや8chaに潜む)オルタナ右翼(Alt-Right)が扇動する。
  • 釣られたFacebook上の馬鹿が実際の事件を起こす。
  • これに対抗して(Tumblrなどに隠れ潜む)オルタナ左翼(Alt-Left)が扇動する。
  • 釣られたFacebook上の馬鹿が実際の事件を起こす。
  • これに対抗して‥(1.に戻って繰り返し)。

マスコミがスポンサーに逆らえないのは仕方ないとしても…これもマルクスいうところの「お前が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」の世界?

 本当にこういう景色そのもの…おそらくいかなる思想であれ、完全崩壊を起こすと最後に「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマのみが残るんじゃないかな?

武満徹×大江健三郎対談「オペラをつくる(1990年)」

大江健三郎:実は僕も自分がずっとアナーキストじゃないかと考えていたし、またアナーキストになりたいと考えていました。しかし実は以前、僕の所に批評家志望の青年が強迫的な手紙を執拗に贈り続けてきた事がありました。僕の本の広告が出る毎に、どれだけの人間が沈黙を強いられる事になるのか判らないのかというのです。でも他の人の意見を圧殺する様な小説家になりたかった訳じゃない。
https://www.evernote.com/shard/s45/sh/8d6fef07-186b-4c03-b255-9b0afab8a1a7/8ac3107eafec398f582557116a66b4bf/res/51ae2335-190e-48eb-81f7-0b6de0afb814/o0480028812899071807.jpg?resizeSmall&width=832https://www.evernote.com/shard/s45/sh/8d6fef07-186b-4c03-b255-9b0afab8a1a7/8ac3107eafec398f582557116a66b4bf/res/5948a9e3-9682-4f90-89d8-27e4ae3e0ffa/o0480028812899071806.jpg?resizeSmall&width=832https://www.evernote.com/shard/s45/sh/8d6fef07-186b-4c03-b255-9b0afab8a1a7/8ac3107eafec398f582557116a66b4bf/res/133c04c5-58cd-465a-adde-65b8c2cb9847/o0480028812899071809.jpg?resizeSmall&width=832

まさにこの景色…