諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ブギーポップ】【オルタナ左翼】「始まりは実に微妙な時期(A bigining is very cericate time)」?

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啓示空間(別館), 「口笛吹」/「rano」のイラスト [pixiv]

とりあえず18世紀以降の「世界の終わり」は3回。それでは「世界の始まり」は何回あったのか? まさしく「始まりは実に微妙な時期(A bigining is very cericate time)」。「上り坂の数と下り坂の数は同じ」みたいな単純な話ではないんですね。

 1970年代における「マルクス主義からの脱却」が生んだ「環境左翼」「反戦左翼」「人権左翼」など。そして、こうした勢力による「正義の独占状態」が生んだ閉塞状態の産物とも見て取れる上遠野浩平ブギーポップ・シリーズ(1998年〜)」。

以前使った例えを再援用するなら、テキサス・ホールデムの様なもの。両者ともほとんど同じ場札で役を組み立てながら、組み合わせた手札の違いから、最終的に成立した役は全く別物となってしまってしまいました。ただしあくまで「表裏一体」とも。

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  • マルクス主義」なる普遍的イデオロギーを放棄した「環境左翼」反戦左翼」「人権左翼」。自らのアイデンティティ保持の為に常に「攻撃対象」を必要とする一方、最低規模を維持する為に反ユダヤ主義者、白人男性至上主義者、身障者や黒人を差別する優生主義者や女性差別主義者、さらには浮浪者や不法移民やギャング団にまで門戸を開き続けてきた。その為に最近では彼らがナチスの如き絶対悪」と認定する攻撃対象との区別が不可能となりつつある。しかしまぁ「主義者」たるもの「主義」を捨てた程度で成仏する筈もない。終始「自分達だけは絶対正義」なる確信だけは決っして揺らぐ事はないのだった。あたかもナチスがそうだった様に。
    *アメリカでは既に「何かと言うとデモを起こし、しかもそのデモがしばしば暴動と近所の商店街における略奪に発展する無政府主義者」が「オルタナ右翼Alt-Right)」の対語たる「オルタナ左翼(Alt-Left)」と呼ばれている。リベラル派を自認するマスコミがただひたすら盲目的に庇い続けてきた結果がこれ。幸いにして日本はここまでの段階には至ってないが、すでに「見習うべき手本」という意見もあるし時間の問題とも。

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    *どうしてそういう事になったのか? そもそもナチスの成立過程だってそんな感じだったのである。「そもそも最初にソ連コミンテルンから「絶対倒すべきファシスト」認定されたのは当時与党だったヴァイマル政権で、こうした(国家経営も国民も置き去りにしての)左翼間の内ゲバの最中において、ナチス共産主義勢力側にとってむしろ毒にも薬にもならない瑣末な捨て駒程度にしか認識されていた」という辺りが当時の状況を読み解く鍵。

  • その一方で「ブギーポップだけは本物」という立場に立つ上遠野浩平ブギーポップ・シリーズ(1998年〜)」においては「本物であるとはどういう事か?」なる自問自答が延々と繰り返される。「青臭い」といわれればそれまでなのかもしれないが、その青臭さ」から卒業してしまえば、前者との区別が不可能になってしまう。このギリギリの駆け引きが面白がれる人間にはたまらない。しかし「読者を選ぶ」事実もまた揺らがない。

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この「読者を選ぶ」感じこそが、究極的には「とどのつまり人間の幸福というのは時代精神Zeitgeist)ないしは民族意志(Volksgeist)と呼ばれる全体意志との完全合一を果たし、相応の役割分担を与えられる形でしか得られない」としたヘーゲル哲学が全面否定を目指したカント的不可知論そのもの。

上遠野浩平ブギーポップ・シリーズ」も、次第にこうした構造に無自覚ではいらればくなりつつある様に見受けられます。

上遠野浩平ブギーポップ・ウィズイン さびまみれのバビロン(2013年)」

「あなたは何か信じているものがある?」

もちろんあなたのことを信じている、と応えると、彼女はどういう訳か少し顔を曇らせて「それがあなたの限界よ。何かを信じるということは、そこに線を引いてしまうことなのだから。信じてしまっ た時点で、そのことについて考えることをやめてしまうのがのが人間というもの ─ ─そもそも信じるというのは防衛 本能に由来するものなのだから、仕方がないのだけど」と、 かなり難解なことを、ブルースでも口ずさむような 優美な声で言う。

信じるのが防衛、というのはどういう意味か、と訊いてみると、彼女は不思議そうな目 を向けてきて「あなたは、何かを信じないときに、それに対してどのような姿勢を取る かしら?  拒絶? それとも無視? いずれにせよ、人は信じられないものとは距離 を置こうとする。それはそうよね、信じられないというのは、それが自分に対して牙を 剝くかも知れ ないということでもあるのだから。信じられるものだけを身近に置いて おきたいと誰もが願っている ─ ─でもね」

 彼女 は、彼女にだけ許さ れている よう な、何に立脚しているのかまるでわからない 根拠不明の微笑みを浮かべる。

「この世に信じるに足るものなんて、ひとつも存在しない ─ ─ どんな宗教も、神は天上におわすという。それはつまり、この地上の人間世界の何処にも神という絶対的信仰 の対象はいないということでもある ─ ─ あらゆるものは常に疑いの対象であり、同時に頼らなけれ ばならない拠り所でもある。その困難を受け入れてこそ、初めて人は己 の意思というものを持つことができる のよ。でも……」

 彼女の眼はいつも、今目の前にあるものではなく、遙かに遠いものを見ているようで ある。

「でもそれは苦しい道でもある。だから人は、どこかで適当に手を打つ ─ ─苦しみに 耐えられなくなって、判断停止に陥る。自己防衛本能が、目先の苦痛からとにかく逃れようとするのよ。これもまた、人が人である以上、避けられない事ではあるんでしょうね…」

 ところが人間の心とは不思議なもの。こういう状況下で「(理論上は有り得ない)第三の道」なんぞを生み出してしまう訳です。

実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」という立場に立つ新アリストテレス主義は不可知論の一種で、知識不足から地上の人間の誰も魂の不滅や死後の世界の存在といった神学的問題について正解に到達し得ない、あるいは例え正解に到達していたとしても、それを検証する手段がないとする。

そして19世紀スイスの文化史学者ブルクハルトは「イタリア・ルネサンスの文化(Die Kultur der Renaissance in Italien, ein Versuch、1860年)」結語)」の中で、むしろこうした考え方の登場は当時の信仰深い人々を「理神論(deisms/ディスムス)」や「人格神論(theisms/ティスムス)」に走らせたとした。これが西ヨーロッパにおけるルネサンスの出発地点になったのだという。 

合理主義が浸透して理神論(deisms/ディスムス)が広まる一方、(絵画技術の急発展もあって)何かと神を擬人化したがる人格神論(theisms/ティスムス)が流行… この流れが英国では妖精譚の大流行を生んだ原因とも目されている様です。

妖精が特に文学作品で多く登場するようになった画期は十六世紀から十七世紀、エリザベス女王時代の後期からジェイムズ一世にかけての時代で、それまでも民間伝承の形で語り継がれてはいたが、この頃から一気にウィリアム・シェイクスピアの登場もあって頻出するようになった。

妖精研究の第一人者として知られた故キャサリン・ブリッグスは著書「妖精の時代」で、十六世紀から十七世紀にかけての英国社会の変化が妖精の登場と密接に関係があることを論じている。

彼女によると、中世の宇宙観は天動説に基づいて神の摂理が行き渡る厳格な階級制で、生き物の長としての人間の下に動物の長であるライオン、鳥の長であるワシなどが配置され、階級が最下層まで及ぶとされるものだった。このようなキリスト教的世界観では妖精などは異教として排斥される。事実、妖精を語ることは長くタブーであったという。

一方で、人々は知的な人々も含めて生活の中で異教やそれに基づいた俗信を信じてもいた。中世の世界観を当然のものとしつつも、それからはずれる異教の信仰もまた信じており、この二つの流れは人々の日々の生活の中で融合して成長していた。

  • 「素朴な人たちはキリスト教を信じつつ、異教の信仰をも抱いていた。教養ある人たちにしても、俗信も迷信も抱いていた。彼らの俗信や迷信は、神の摂理と、きっちり組みたてられた宇宙観への信仰に根差している。一六世紀の思想家たちは神学をもとに人間の理屈で宇宙のイメージを作り上げており、個々の事実を調べてそのイメージが正しいかどうかを確かめようとはせず、それを当然のことと考えていた、すでに一六世紀には、事実という新しい知識が、この理路整然とした宇宙論に軌道修正を迫っていた。そして一七世紀には、その表面があらゆる角度から疑われるようになり、疑いは深部にまで及んだが、プトレマイオスの宇宙観は根強く生き続けた。(ブリッグス「妖精の時代」P7)」

一六世紀半ばからピューリタン革命にかけての時期に教育が広く普及すると、階級間の知識差が小さくなり、富裕なものから貧しいものまで知的好奇心が芽生え、一五世紀頃から台頭しつつあった新興の独立自営農民であるヨーマン階級が社会の主流となっていく中で、旧い世界観は次第に否定されていくことになる。そして彼らヨーマン階級の子弟たちが執筆活動を開始する。彼らは幼いころから妖精の話を耳にし、あるいは妖精の存在と触れ合っていたから、文学や詩など自身の作品に次々と妖精を描き始める。

古い価値観が急速に後退し、妖精を語ることがタブーでなくなる風潮が生まれたとき、それまで身近に親しんでいた妖精が文学作品で大流行しはじめる。ウィリアム・シェイクスピアの登場は大きい。シェイクスピアが「夏の夜の夢」から「テンペスト」に至るまで様々な戯曲で妖精を描き、彼のフォロワーたちがそれを模倣して妖精の作品を次々と生み出していく。小さな妖精の流行は一七世紀、シェイクスピア作品に魅せられた詩人たちのグループからであったという。

一八世紀に始まる啓蒙の世紀の前段階、旧い価値観が急速に崩壊し、かといってまだ新たな世界観を生み出すに至らない好奇心の時代の象徴的な出来事として妖精の流行があった、ということなのだろう。中世の終わりが妖精を表舞台に引き出し、禁忌を超克していく原動力の一つとなったという点で非常に近代の始まりを象徴しているとも思える。

ここでまさかの「妖精さん」乱入。 フィレンツェでは古代ギリシャ・ローマの神々を祀る異教秘儀が、錬金術師の間では精霊信仰が復権を遂げましたが、英国では「妖精さん」が蘇ってきたという次第。

当時の貴族階層はローマ教会から精神的距離を置く為、あえてキリスト教学から離れ古代ギリシャ・ローマ時代の古典に親しみました。そこで行動規範として尊ばれたのがジュリアス・シーザーローマ皇帝マルクス・アウレリウスセネカ。そして残りの部分をオウィディウス「変身物語(Metamorphoses )」やアプレイウス「黄金の驢馬」、そして錬金術氏の精霊信仰や妖精伝承などが埋めたという展開だった様です。そういえば天使やシビュラの巫女の様な存在の見直しが始まるのもこの時期。

まさしく「始まりは実に微妙な時期(A bigining is very cericate time)」という次第。

 ところで「暗黒の1990年代」にも思わぬ「世界の始まり」の種が撒かれていたりします。同時にそれは「世界の終わり」を予告する内容でもあった訳ですが。

J.P.ホーガン「仮想空間計画(Realtime Interrupt、1995年3月、邦訳1999年)」

コリガンは時々、ヨーロッパ人はピューリタニズムと労働倫理を両方ともアメリカに輸出することで追いだし、自分たちは生活を楽しむことにもどったのさ、と言っていた。

ストア派哲学者エピクテトス(Επίκτητος、50年頃〜135年頃)の言葉。
ギリシア出身の解放奴隷。その主著「語録」と「提要」の内容は、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの思想にも継承され、あらゆるストア哲学のテキストの中で最も広く読まれ多大な影響を後世に残したとされる。

「他人が支配しているものを通じて幸福を求めるな」シプリィは答えた。「さもないと 結局は支配しているやつ らの 奴隷になる」

そう言われてもコリガンにわかる範囲ではたいして意味をなさないように見えた。

「じゃあ、他に何を望めというんだい」

「きみ自身の価値基準と信念にしたがって生きることさ。誰も奪うことのできないもの にしたがうことだ」

シプリィは答えた。

「そうすれ ば誰もきみを所有できない」

「そりゃずいぶんと中身のない逃げ口上に聞こえるね、ぼくに言わせれば」

論評する。

「失うのが怖いと言うんではじめから何も求めようとしない人間の考え方だよ。そんな 人生のどこに挑戦と満足があるんだい」

「自由に生きることさ、ジョー。なにものも恐れる必要はない。何とも道化じみたこと をしている連中がいるのを毎日眼にしているだろう。自分は自由だといえる人間があの 中に何人いるかね」

河原礫「ソードアート・オンライン(Web掲載2001年〜)」でも見覚えがある「(唐突に挿入される)長いハネムーン場面」 の一幕。当時「中年危機に差し掛かったヒッピー世代作家」の多くは自らの心境の投影で陰鬱な物語を綴っていただけですが、アイルランド系アメリカ人のSF作家J.P.ホーガンは、それとは別の方角を見据えていた様です。

1998年、4月にイギリスとアイルランド共和国の間でベルファスト合意(Belfast Agreement)が締結され、その後アイルランド国民投票により北アイルランド6州の領有権主張を公式に放棄。この流れに抗議する形で8月15日、IRA暫定派の分派「真のIRA」が北アイルランド・ティロン州の州都オマーのショッピング街で自動車自爆テロを敢行し一般市民29人を殺害し約220人を負傷させる(「オマー爆弾テロ事件(Omagh bombing)」)。過去30年間の北アイルランド紛争における最大級の大惨事のひとつ(単一の爆弾で引き起こされた事件としては犠牲者数最大)となってIRA穏便派はおろかアイルランド全国民を心情的に敵に回してしまい3週間後の9月8日、自ら休戦宣言(2000年再開)。

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 「仮想空間計画」が発表された1995年当時のアイルランドでは既に「ケルトの虎」と世界中から絶賛された高度成長期が始まっていましたが、次々と乗り込んでくる外資への反発から過激派の活動も着実に活発化しつつありました。その危うさはJ.P.ホーガンの目にもとまっていたらしく「商業主義加熱がもたらす人間性の荒廃」と「いかにも人間らしいアイルランド人の伝統的生活」を対比的に描くと同時に、迂闊に前者に巻き込まれ後者を放棄しようとするなら(無差別テロ多発の様な)とんでもない反動を引き起こす事に警鐘を鳴らしていたんですね。しかし結局アイルランド人は調子に乗りすぎてしまい、2000年代中旬にバブルがはじけた時点でいかにも人間らしいアイルランド人の伝統的生活」が跡形も残っていないという現実に直面する事になります。

この状況に危機感を抱いて「アイルランド伝承再構築計画」をスタートさせたのが「ブレンダンとケルズの秘密(The Secret of Kells、2009年)」や「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(Song of the Sea、2014年)」で知られるトム・ムーア監督。

さてこの年表範囲における「世界の始まり」をまとめると…

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  • 16世紀のパドヴァ大学ボローニャ大学に端を発する「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」なる立場の新アリストテレス主義 。科学実証主義の原型だが、イングランドの経験主義哲学者フランシス・ベーコン(Francis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albans、1561年〜1626年)経由で啓蒙哲学の源流ともなった。

  • 16世紀〜17世紀頃。人間の想像力が天動説的絶対秩序から解放されて様々な異教秘儀の再評価が始まる。錬金術師の精霊信仰、英国の妖精譚、ペロー童話集「寓意のある昔話、またはコント集~がちょうおばさんの話(Histoires ou contes du temps passé, avec des moralités : Contes de ma mère l'Oye、1697年)」などが次第に発展して定着。

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  • 16世紀〜18世紀。プロテスタント分離やローマ略奪(Sacco di Roma、1527年5月)によって権威を失墜したローマ教会の維新回復、絶対王政台頭などを背景とする勇壮なバロック芸術や華美なロココ芸術の台頭。「国王の贅沢と戦争遂行を支える」フランスのコルベール主義や官房学(独 Kameralwissenschaft、17世紀〜18世紀)と表裏一体の関係にあった。
    絶対王政/絶対主義
    コルベール

  • 18世紀〜19世紀。ポンペイ発掘を契機にフランスで新古典主義が台頭。古代ギリシャ・ローマ時代の質実剛健さへの回帰を主張。

  • 18世紀。英国で中央銀行を柱とする近代会計に基づく国家経営が始まる。ジェントルマン階層を国王の藩屏とする体制の整備も同時進行で進み責任内閣制や議会民主制の礎となる。フランスがこれに追いついてくるのは皇帝ナポレオンの時代以降。

  • 1755年。リスボン地震(11月1日)を契機に神懐疑論が広まる。認識対象たる「物(独Ding、英thing)」と人間の認識領域を超越している可能性を秘める「物自体(独Ding an sich、英thing-in-itself)」を峻別するカント哲学もその産物の一つ。

  • 19世紀前半。フランスにおける政治的浪漫主義運動。「内なる声にのみ従い既存の善悪の彼岸を超越する」と豪語し「教会と国王の権威への絶対抵抗」を誓ったが、2月/3月革命(1848年)に国王追放に成功して以降、あたかも対消滅したかの如く自壊。
    *エンタメ的には以降むしろ「悪役(ロマン主義的英雄)心理」として消費されてきた感あり。

  • フランス第二帝政(1852年〜1870年)。「馬上のサン=シモン」こと皇帝ナポレオン三世と彼の招いたサン=シモン主義者達が「上からの産業革命導入」に世界で初めて成功。ドイツ帝国、アメリカ、大日本帝国などがこぞって模倣する。
    *逆を言えば英国やスイスやベルギーの自然発生的産業革命は模倣が困難だったのである。普仏戦争(1970年〜1971年)にプロイセン王国勝利してドイツ帝国が建国されると、模倣対象はドイツ帝国に推移。

  • 1859年。ジョン・スチュアート・ミルが「自由論(On Liberty、1859年)」において「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。ただし他人に実害を与える場合は除く」とする古典的自由主義の原理原則を打ち出し、ダーウィンが「種の起源(On the Origin of Species、1859年)」で系統進化の概念を公表し、マルクスが(パトロンたるラッサールの出資で出版した)「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」において「我々が自由意思や個性と信じているものは、社会の同調圧力によって型抜きされた既製品にすぎない」なる社会学を基礎付ける考え方を発表。またマルキ・ド・サドエドガー・アラン・ポーを研究した「近代詩の父」ヴォードレールが「人間を感動させるのは言葉とその体系が想起させるイメージ」とする象徴主義の基礎を築いたのも同時期。以降、統計学や電磁波研究や細菌学や(人間の無意識を扱う)精神分析学などが発展し19世紀末までに「人間の認識対象とされる不可視領域」が急拡大を遂げ続ける。こうした展開がオカルト分野への関心増大を生み出した時期でもあった。

  • 1896年〜1914年。ベルエポック期。東禍(ロシア帝国や東欧諸国の飢餓輸出)や米禍(産業革命進展に伴う南北アメリカからの安価で高品質な農畜産物の大量流入)に端を発する大不況時代(1873年-1896年)を経て消費の主体が王侯貴族や教会からブルジョワ階層や庶民に推移した。第一次世界大戦(1914年〜1918年)前後のギャップからアヴァンゲール(仏avant-guerre=戦前派)とアプレゲール(仏après-guerre=戦後派)という表現が生まれる。
    *日本では戦国時代に寺社が所領を大名に接収されて檀家の御布施に頼る体制に推移。江戸時代に消費の主体が庶民に推移している。英国も(ジェントルマン階層を庶民と数えれば)ほぼ同じペース。

  • 1917年〜1991年。ロシア革命成功から崩壊までソビエト連邦が存続し共産圏の盟主として君臨し続ける。
  • フルシチョフスターリン批判(1956年、1961年)に始まる新左翼運動。そして1970年代以降、自由主義圏ではマルクス主義を放棄した「環境左翼」反戦左翼」「人権左翼」などが台頭する。
    スターリン批判
    新左翼運動の総括

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  • 2012年以降、SNSを流れる投稿のリッチ・コンテンツ化とスマートフォンのFirst Screen化が進行。ビッグデータの利用が容易となって第三世代AIの進化が加速。
    *様々な事件が重なって「大人達」が自信を失って沈黙した1990年代。「子供達」の試行錯誤が積み重ねられた2000年代。その停滞感を吹き飛ばすまでの力はないとする立場もある。まだこれだけでは「新たな世界が始まる」条件が満たされてない?

全体としては「(ヘーゲル哲学も含む)神中心主義」と「(その反動としての)無神論」の対峙状況を背景に「第三極」が育っていく過程と要約出来そうです。