諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「コンピューターの時代」が人類に与えた影響は?

http://img.theepochtimes.com/n3/eet-content/uploads/2015/03/07/Wikipe_she_needs_your_help2.png

Wikipediaには、その独特の「反商業主義的スタンス」同様、所々完全に崩壊し尽くしたページがあります。以下などはその典型例。

合理主義 - Wikipedia

合理主義とは感覚・経験ではなく理性・論理(辻褄)・合理性に依拠する態度である。理性主義(Rationalism)。

http://image.slidesharecdn.com/rationalism-report-100607092449-phpapp01/95/rationalism-report-4-728.jpg?cb=1275902774

  • 合理主義哲学(Rationalism、大陸合理論)…17世紀ないし18世紀の近代哲学認識論における一派。特定の原理・原則・基準・理屈に適合するものだけを認識・許容・受容する態度。

    http://www.greenmanhouse.org/Images/EmpiricistsandRationalists.png

  • 慣習・伝統・常識に囚われず、目的達成のために最短・最効率な手段を選択していこうとする態度。効率主義(Utilitarianism)。

    http://3.bp.blogspot.com/_wuSqJG5bIKE/SyqWysNkSbI/AAAAAAAAADg/vi7XWUqUvKQ/s320/Types+of+utilitarianism.png

極端主義・過激主義(Extremism)、原理主義(Fundamentalism)、排他主義(Xenophobia=外国嫌い)の別名でもある

http://twarmagazine.com/wp-content/uploads/2016/04/xenophobiaggg.jpg

 悪意に満ちた編集合戦の痕跡が認められます。おそらく誰もが互いの判断を絶対に合理的と認められない基本的不信感が背景にあるのでしょう。誰もが「これ以上の絶対悪の存続は国際正義と人道主義が許さない!!」と叫び合ってる状況。まさしく「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマそのもの?

本質的に人の集団を科学的に分析、管理することには、一人の人を一単位、いわばものとしてみなす倫理的な問題が潜んでいる。全体の最適化は抑圧される個体を生む。まだ身分制がのこり人権が曖昧な時代に多くの弊害を生む。

コンドルセの統計的な最適化は平均的な人間という理想像を産み出し、平均から外れた人を不良品を見なす方向へ進む。たとえば民族差別を生んだ優生学へ繋がる。あるいはルソーの思想は集団の最適のために管理される個としての全体主義に繋がる。また社会主義の弊害は最近まで続いた。ヒュームはベンサムなどの功利主義に繋がる。最大多数の幸福。これはまさにいまも続く倫理的な問題だ。

いわはこの潮流が世界大戦へ繋がるといってよい。そしていまは昔ほど無頓着ではなくなったが、社会科学の裏面として隠されている。だからその黎明期はいまも多くが語られないのだ。人々はしらーと科学技術を語り、哲学を語り、経済学を語り、社会学を語る。実はそこに昔と変わらず狂気が潜んでいることを見ないふりをしている。

「コンピューターの時代」は、まさにこうした「闇の部分」を抱えたまま幕を開けたのでした。

【データ・エンジニアリング】計算を補助する器具の使用は数千年前まで遡る。その多くは普通に指で数を数えるやりかたの延長線上に現れ「電卓」以上の機能を備える事はなかったのである。

 

サイエンス・フィクションジュール・ヴェルヌ二十世紀のパリ(Paris au XXe Siècle、1863年)」が史上初めて「世の中を動かす巨大な計算機」が差配するディストピアを描く。

http://faculty.georgetown.edu/spielmag/images/parisXX03.jpg

  • 1863年に出版され好評を博した初の長編小説『気球に乗って五週間』に次いで執筆されたヴェルヌ初のSF未来小説。今日で言う「ディストピア」を描き、ヴェルヌが生きていた19世紀における、科学・産業革命を賞賛する風潮とは一線を画した内容となっていたため、出版社はこれを『暗く荒唐無稽な作品』として出版しなかった。

  • 本作はその後ヴェルヌの手元に死蔵され、死後に発表された未発表作品の目録に名前のみ存在し、研究者などからは幻の作品と呼ばれていたが、1991年、曾孫のジャン・ヴェルヌ(Jean Verne)によって偶然発見され、1994年にフランス及びアメリカで、翌年には日本でも出版された。

【データ・エンジニアリング】産業革命黎明期におけるパンチカード・システム開発過程を巡る悲劇。しかし、それ自体は英国産業革命において決定的役割を果たしたばかりかコンピューター誕生期にも重要な役割を果たす事になる。

https://smlycdn.akamaized.net/data/product2/2/d549e05ea2f5c40b6c7e7e64951559b3e84ff574_m.jpg

サイエンス・フィクション「ロボット」という言葉を発明したカレル・チャペック1920年の『R.U.R.』に出てくるロボットは自分で考えるが、金属製ではなく、原形質を化学的合成で似せて作った、人間とは異なる組成の肉体と人間そっくりの外見を持つものでバイオノイドである。ただ、工場で知能あるものが大量に作られるという意味では起源の一つとされる。それが科学の対象となる為には「工業製品」となる必要があり、それと同時に「人間への反乱」というテーマ性も盛り込まれる事に。
社会進化論優生学が発達した時代には「人種の混血による劣化」が重要なテーマとして議論の対象となった。ロボットにはそんな時代「人類と決っして混血しない新種族」として設定されたという側面も存在する。

http://kanzaki.sub.jp/archives/rur06.jpg

  • 機械仕掛けの人間が最初に描かれたのはライマン・フランク・ボームの「オズのオズマ姫(1907年)」に登場した「チクタク(Tik Tok)」だと言われている。
    *それ以前に「オズの魔法使い(1900年)」 に「ブリキの木こり」が登場しているが、こちらはもともと人間だったという設定である。

    https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/564x/96/80/99/968099705fbdefdc3bc0d5ea399862f5.jpg

  • 興味深い事に自動人形(単数形オートマトン(Automaton)、複数形オートマタ(Automata))の普及はドイツ・ロマン主義者ほどSF作家の想像力を刺激しなかった様に見える。その製造目的が「人間の模倣」なる非科学的なもので、製造するのも科学者でなく錬金術師や人形師だったせいかもしれない。フリッツ・ラング監督テア・フォン・ハルボウ脚本の「メトロポリスMetropolis、1926年)」に登場する自動人形(C3POのモデルとなった事で有名)も作中では「Parody(人間の模造品)」と呼ばれる。物語文法的にも「(死霊やドッペルゲンガーの類と同様に)不気味の谷の境界線上を彷徨って人間を不安に陥れるギミック」として登場する事が多く固有の人格など備えていなかった。

    http://2.bp.blogspot.com/-olrSL2mEG00/VAC3PD5_MXI/AAAAAAAAEUk/AI4Ng6mnFBc/s1600/Maria.png

【データ・エンジニアリング】20世紀前半まで人間が想像し得た「データ処理」は原則として「自動演奏機械のレパートリー拡大」にせよ「織物の模様管理」にせよ「国税調査の統計処理」にせよ「弾道計算現場には砲弾の重さと火薬量と砲身の仰角が飛距離に如何なる影響を与えるか記した一覧表のみが配られる)」にせよ、所謂「バッチ処理」に留まった。そして当時のIBMは(後世の人間のイメージと異なり)、自らその枠組を踏み越えて「(逐次記録内容が更新され続けるマスタ(元帳)データを共有するリアルタイム処理」の世界に足を踏み入れ「(世界中に10台もいらない巨大な関数電卓」が支配する世界観を終わらせたリーディング・カンパニーだったのである。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Classic_shot_of_the_ENIAC.jpg

ロバート・A・ハインライン月は無慈悲な夜の女王(The Moon Is a Harsh Mistress 1965年〜1966年)」に登場する人工知能は、このIBMを繁栄に導いたワトソン社長とコナン・ドイルの「名探偵シャーロック・ホームズ」シリーズに登場するシャーロック・ホームズの助手ワトソンの重ね合わせからマイクロフト(Microft、英国政府に雇われたシャーロック・ホームズの兄)と命名される。時代こそ人類が月に移住して何世代も経た2070年代だが、そこに登場するコンピューターは幾つもの建物を占有する巨大装置で政府や民間記号が数台ずつ(概ね国家に数台あれば良い方)保有されているに過ぎない。月世界でも銀行で経理処理に使われていた1台を射出機制御用に徴用したら、銀行員は算盤を使った手計算に戻るしかなかった。

http://i.imgur.com/PulAdnT.jpg

①タビュレーティングマシン(Tabulating machine、パンチカードシステム)を使った1890年における米国国勢調査のデータ処理、すなわち統計調査の自動化は優生学の概念をも飛躍的に進歩させる事になった。この次元におけるコンピューターの発展は社会学Sociology)と二人三脚の関係にあったのである。

  • 19世紀前半にはサン=シモン伯爵と袂を分かったオーギュスト・コントが「予見するために観察する。予知するために予見するVoir pour prevoir, prevoir pour prevenir)」をモットーに実証哲学(Philosophie positive)を提唱し「これからの社会は科学者の観測・計画・予測の結果に従って運営されるべし」とした(科学者独裁構想)。これが社会学の嚆矢となるが、オーギュスト・コントが18世紀の統計学コンドルセから出発しながら「社会学において統計の果たす役割」を故意に軽視したのはむしろ退歩だったといえる。英国人スペンサーの「社会進化論Social Dawinism)」経由でアメリカ大陸に伝わり、むしろこちらで栄えた。

    http://www.civillink.net/sozai/images/pics2563.gif

  • クリミア戦争1953年〜1956年)を契機として軍隊や都市の運営に統計学が導入される。こうした動きが社会学の発展を促したが、それが「反乱の効果的抑制」といった側面も伴っていた為に反体制主義者が反感を募らせる。
    *「社会学(Sociology)VS 社会主義(Socialism)」なる図式の嚆矢。フランスではサン=シモン主義を標榜する皇帝ナポレオン三世が急進的共和主義者に圧勝した王党派を押さえ込む形でこの図式が成立した。

  • 両者の対立は1871年に建国されたドイツ帝国を支えた「プロイセン宰相ビスマルクの鉄血主義とラッサールの国家福祉主義の両輪」、ベルンシュタインの修正主義などを経て一旦は解消に向かう。

  • しかしそうして成立した社会民主主義Social democracy)路線はロシア革命1917年)の成功とソビエト連邦の建国以降、「社会ファシズムSocial facizm)」のレッテルを貼られていく事になる。そして両者の対立の漁夫の利をヒトラーが拾う事になった。

  • その一方、社会主義者マルクス主義者達は19世紀末頃より「産業革命と自由放任主義の放置は破滅への道。コンピューターなどを使い全ての生産と分配をコントロールする無限に賢い政府へ移行すべき」と言い出した。

  • ところで社会民主主義Social democracy)に激しく反対したローザ・ルクセンブルグらが志向したのはある意味「神聖ローマ帝国」すなわち、その中央政権なき「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」に基づく分封状態の復活だった(ただし統治の主体はあくまでロシアにおけるソビエトと同義のレーテ(Räte、Rat)もしくは労兵評議会(Arbeiter- und Soldatenrat)とする)。スタンスとしては奴隷制と家父長制を存続させる為に中央政権の介入を断固拒絶するジェファーソン流民主主義(Jeffersonian democracy、1790年代〜1820年)に極めて近い。そしてこうした傾向は1960年代後半に盛り上がったヒッピー運動にも確実に継承されていく。

    ダグラス・ラミス「ヒッピー論」(「思想の科学」1971年6月号)

    サンフランシスコには、1967年の秋に「ヒッピー」の概念の葬式が行われたという馬鹿話が伝わっている。確かに丁度その頃「ヒッピー」という概念自体がマスコミに絡めとられ、ファッション分野や音楽分野や書籍分野などに解体されて商品市場に組み込まれ始めたのは事実だ。「後に残されたのはプラスチック製のイミテーションだけでした」と、この馬鹿話は容赦なく断定して終わる。それが事実である証拠も、事実でない証拠も現時点では存在してない。

    我々は何に支配されているのか?

    もし我々が自らの解放を願うなら、まず我々自身が何に支配されているか見定めなければならない。その内容は誕生の瞬間から刻々と飽くことなく進化を遂げてきて、今日ではとんでもないレベルまで精緻化が進んでいる。
    *そういえばヒッピー運動全盛期は、フランク・ハーバートデューン/砂の惑星(Dune)シリーズ(1965年〜1985年)」の執筆が始まった時期と重なる。その世界観においては機械文明を発達させたイックス(IX)の「思考機械」が禁じられ、代わりにそれぞれの諸勢力が生身の人間の演算能力を引き上げた「メンタート」や、人間に予知能力を付加する「メランジ(スパイス=香辛料)」の力を借りて独自の精緻な精神世界を構築し、他勢力をその完全コントロール下に置こうと鎬を削り合っている。そしてヒッピーとは(少なくとも自意識的には)自らをこうした「愛なき闘争」の外側に置きたいなる願望の顕現だった様なのである。

    マルクスフロイトは共に、意識及び行動が我々の必ずしも感得していない物理的・心理的諸条件から生じているかについて言及した。現代のテクノロジスト達はそれをさらに発展させ、これら諸条件の巧妙なる操作方法を編み出した訳だ。

    カール・マルクスは「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」において「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗うべし)」とグノーシス主義的(反宇宙的二元論的)人間解放論を展開した人物。皮肉にも(レーニンが米国テイラー主義などを参照して樹立した)科学的マルクス主義は、かかる無政府主義懐疑論からの完全脱却を出発点としている。

    そしてシグムント・フロイトは人間を実際に動かしているのは当人がそう信じたがってる様な「意識的決断の積み重ね」ではなく「無意識からの呼び声」であるとした。

    あるTVコマーシャルが放送されると、数百万の視聴者達は「何と下らないCMだ」と呟きながら何故そうするか分からないまま出掛けていって、その商品を買ってしまう。これが「動機の研究(Motivational Research)」の成果であり、それによって我々の意識を出し抜いて無意識に直接訴えかけ、我々の行動様式を勝手に望むまま規定し続ける事が可能となった。

    1957年9月12日、ニューヨークの某スタジオで市場調査員であるジェームズ・ヴィカリーが記者会見を開いた。その内容は驚くべきものだった。映像内に視聴者が知覚できないほどの一瞬だけ、「コーラを飲め」や「ポップコーンを食べろ」というフレーズを何度も流すことで、コーラとポップコーンの売上をそれぞれ57.7%および18.1%伸ばすことに成功したというのである。これは”サブリミナル広告”と命名された。

    ヴィカリーの思惑では、煩わしいテレビCMに取って代わる可能性のあるこの発見は、アメリカ中からの喝采と賞賛を受けるはずだった。しかし、実際には洗脳に対する恐怖と反感を呼び起こすことになった。

    そして1962年、とうとうヴィカリーは発表できるほど十分な調査は行われておらず、一切を悔いていると白状したのだ。

    それでもサブリミナル広告の威力に対する懸念は収まることがなかった。1957年のパニック以来、イギリスではその使用が禁止されている。

    また科学的管理法を用いれば我々人間をデータとして記録して調査分析し、そこから得られた情報をコンピューターにかける事で、最適なる技法が算出出来る。これが誰もが論じている情報化時代の正体であり、その実体は情報の巧妙な操作及び支配(Control)に基づく人間管理の具現化に他ならないのだ。

    *確かにコンピューターなるもの、演算能力を全く備えていないタピュレーティング・マシン(パンチカード・システム)段階から既に軍事計画や都市計画の策定に不可欠な統計結果を得る為の集計手段として活用されてきた。

    もし我々がそうした経営学的、都市計画的束縛から脱却して解放されたければ、これらの法則を侵犯する突然変異の変種になるしかない。かくしてヒッピーが好んで自らをそう呼ぶ「変わり種(Freaks)」が地上に生を受ける事になる訳だ。

    それでは「経営学的拘束」とは何か。

    資本主義経済の急激な成長は、惜しみなく労働力を供給してくれる一方、その生産物を次々と消費してくれる貴方に依存している。もし貴方が女性ならばさらに、貴方の為に惜しみなく働いてくれ、欲しくなった物を次々と買ってくれる男性しか恋人や結婚相手に選ばない事で、冷徹な督戦係としての役割まで演じさせられる事になる。かくして広告主は望む成果を手に入れ、貴方の家の中にガラクタの山が積み上がるという結末が待っている。
    *こういう考え方は科学的マルクス主義から排除されたマルクス本来の思想への回帰を主張して1960年代を席巻したマルクス主義経済学アルチュセール(Louis Pierre Althusser、1918年〜1990年)の重層的決定論をさらに発展させたドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス(1972年)」辺りに由来する? そして奇しくもその想像力はP.K.ディックの不条理世界概念とも重なってくる。空っぽの人間の心を代わりに満たす商業主義…

    それでは「都市計画的拘束」とは何か。

    公共の場にいる我々は都市工学的誘導に基づいて今どこにいるべきか一々細かく指図され続けている様なものだ。そしてそれに逆らって人々が立ち止まったり「想定外の行動(そもそもこの言葉自体に相手側を罪悪感で身動き出来なくさせようとする悪意が埋め込まれている)」を取り始める事ほど、政治家や官僚や警察を困らせる事はない。最も重要なポイントは流動性を保ち続ける事、すなわち誰もを絶えず忙しく移動し続けなければならない状況に置く事で淀みなき流れを生じさせ、それに逆らおうとする意図を未然に摘み取り続ける点にある、反体制デモでさえ、予め警察に届け出たコース通りに更新してる限りは統制下に置く事が出来るという訳だ。

    こうした抑圧的状況下では市民は無数の部分に分断され、各部分が互いに争い続ける事を強要される。そうした動きに逆らおうとする内的衝動を恐れて自ら抑制する様に教育され、それぞれが完璧な自己搾取マシーンとして機能する事を求められるのだ。

    それでは「完璧な自己搾取マシーン」とは何か。

    「自分は不完全で不的確で魅力も存在に過ぎない」「だからこそ、体制側の交通規制に従って自らの欠陥を補完してくれる商品を購入し続けり事で完全かつ適格な魅力ある存在となる事を目指し続けなければならない」と信じ込まされ、その目標を実現する為に働かされ続ける状態の事を言う。

    丸一日裸で過ごしてごらんなさい。自分が如何に普段「自分達だけで放置されたら耐えがたい醜悪な動物に退化してしまう」という恐怖に突き動かされて暮らしているか否が応でも思い知らされる筈だ。そして、そうした裸の状態こそが、本来の自分も自然で生得的で本質的な核心部分なのだという現実が普通に受け容れられる様になる。こうして個々の人間が「再統合(Reassembled)」され科学的管理技法で「予期不可能(Anomary)」な状態を取り戻す事をこそ、体制側は心の底から恐れているといっても過言ではない。

    *こうした発想から出発したヒッピー文化の反体制思考はそもそも「海賊ラジオ放送者」「電話回線の無断使用者(Phreaks=Phone+Freaks)」「TV説教を通じて仲間を増やす宗教右派を打倒する為の放送ジャック」といったゲリラ戦(体制側のインフラに寄生した非対称戦)を礼賛してきたし、その延長線上にサイバーパンク文学が登場してくるのである。

②米国的優生学と欧州的貴族主義の狭間…元来生物学上における適者生存原理は「強者のみが生き延びる」弱肉強食原理と必ずしも一致しないが(どんなに強くても食糧不足の時代に大食らいの恐竜は滅び「粗食」に耐える鼠大の小型哺乳類が生き延びるのが元来の自然会の摂理)「貧民の急増に既得権益を脅かされる特権階層意識」は決してそうは考えない。この問題は政権奪取の過程でこの問題を背負わされたナチスだけでなく、今日の移民問題にも深い影を落とし続けている。基本的に人種問題にまでは足を踏み入れなかったグラハム・ベルや、むしろ「ドイツ帝国への同情心から第一次世界対戦参戦に反対する非アメリカ人」の政治への影響力排除に専心したセオドア・ルーズベルトの様な「骨のある」米国的優生学支持者は案外少なかったのである。
1920年代の「狂乱のジャズエイジ」を描いた米国人作家F・スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー(The Great Gatsby,1925年)」でも太平洋戦争下のニューヨークを舞台とする米国人作家トルーマン・カポーティの手になる「ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s,1958年)」でも米国的優生学支持者は「白人優位主義やナチスの人種政策を内心では支持している富裕層」として登場するのみである。

  • 「電話の発明者」グラハム・ベルにとって優生学とは「(自らも聴覚障害者を輩出する家系の一員からの)厳格な遺伝情報プロファイリングによる障害者再生産予防の提言」であり、かつ「弱視者にとっての眼鏡、聴覚障害者にとっての補聴器といった)障害補償技術の発展への渇望」を意味した。

  • 共和党進歩主義の権化」セオドア・ルーズベルト優生学とは「米国に愛国心を懐かぬマイノリティの米国政治からの排除への渇望」だけでなく「国家そのものが愛国心の対象であり続けるべく大企業間のトラスト防止や雇用問題への介入、および自然破壊の阻止などに資本主義原理を超越した立場から取り組むスタンス」を意味し、後者はウィルソン大統領やフランクリン・ルーズベルト大統領といった民主党リベラリスト達へも継承されていく。

  • その一方で欧州にはワラキア公ヴラド・ツェペシやフランス国王ルイ13世常備軍の規模拡大によって貧民を吸収しつつ「それでも救えない貧民は皆殺しにするのが手っ取り早い」という政策を実践し「ロマン主義の暗黒面」マルキド・サド侯爵がマルサス人口論に依ってフランス衰退の理由を(栄養たっぷりの馬鈴薯食普及に伴う餓死者や病死視野の激減に伴う)貧困家庭の急増に求め、その対策を「ジャコバン独裁政権やナポレオン皇帝が遂行した)国民皆兵制履行とその結果現出する圧倒的軍事力に頼っての国内外の政敵駆逐」でなく「疫病や毒の頒布による間引き」に求める事を夢想してきた闇の歴史が存在する。

    http://hmpiano.net/riwakino/2013/13.02.16kawashima_yoshiyuki/kansensho_rekishi/Holbein-death.png

 

【データ・エンジニアリング】米国科学技術管理者ヴァニーヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush、1890年〜1974年)が情報検索システム構想「メメックス(memex)」を提唱。

https://66.media.tumblr.com/1677cc276cd64cae5e80b12bda994def/tumblr_nm5l6mX5bY1ro5neno1_1280.jpg

  • 1917年、ハーバード大学マサチューセッツ工科大学から工学博士号を授与される。

  • 第一次世界大戦(1914年〜1918年)中、米国学術研究会議で働き、潜水艦を発見するための技術を開発。

  • 1919年、MITの電気工学科に移籍し1923年から1932年にかけて教授として在職。このとき、18変数の微分方程式が解ける微分解析機を開発。それ自体はアナログコンピュータだったが、その時の教え子クロード・シャノンが後にデジタル回路を生み出す。1932年から1938年にかけてはMIT副学長と工学部学部長を務めた。

  • 第二次世界大戦が始まった1939年にワシントン・カーネギー研究機構の総長職となる。この研究所は権威も評価も高く研究資金も潤沢で、ブッシュは政府の非公式科学顧問としてアメリカ国内の研究の方向性を左右する力を得た。さらにアメリカ航空諮問委員会の議長も務め、その力をもって研究内容の軍事展開を強烈に指導。

  • 1940年、自らその設立を強力に推進したアメリカ国防研究委員会(NDRC)の議長となる。第一次世界大戦の際に科学者と軍の協力関係がうまく機能しなかった事を反省しての措置だった。1940年6月12日に大統領と会談し、部局新設願いを提出したところ、ルーズベルトはそれを10分で許可したという。レーダー科学者アルフレッド・ルーミスは「1940年の夏に、あの男たちが死んでいたら、その後は大変な惨状が待っていただろう。その第一は大統領であり、二番目か三番目にDr.ブッシュが挙げられる」と述べている。NDRCは1941年にはブッシュが局長を務める科学研究開発局の一部となり、同局はマンハッタン計画を含む戦時中の科学研究の調整・制御役を任される事になった。

  • 1950年、戦時中に培われた軍産学の協力関係を維持するために米国科学財団(NSF)を設立し、軍需企業のレイセオン社の設立にも関与した。

  • その過度なまでの技術過信は、後世にヴァネヴァー(vannevar)なる不名誉な人名由来語まで残した。彼は核兵器ICBMのようなミサイルの弾頭に収まるほど小さくなることはあり得ないと断言したことがある。また「電子頭脳」のサイズに関して、エンパイアステートビルディングの大きさで冷却装置がナイアガラ滝ほどにもなると予言したこともあるが、これを比喩と捉えれば、たとえばGoogleの全部のLinuxサーバを集めればその程度のサイズになるかもしれない。

メメックス(memex)

情報検索システムとして、後に登場するパーソナルコンピュータやコンピュータのユーザーインターフェイスWebブラウザなどで広く利用されているハイパーテキストの概念に大きな影響を与えた。

  • その着想の起源は1930年代まで遡る。マイクロフィルムを使用する想定の機器で、自らの蔵書と記録文書を全て内蔵して高速かつ柔軟な検索手段を提供し、通信機能まで備える予定だった。ブッシュが情報工学に疎かったせいもあって、当時の技術では容易に実用化出来るレベルではなかったし、そもそもブッシュは従来のシステムの現状を調査さえしていない。おそらく彼は1938年に Leonard Townsend が提案したマイクロフィルムベースのワークステーションについても、1931年に Emmanuel Goldberg が特許を取得したマイクロフィルムと電子工学を基にしたセレクターについても知らなかったと推測されている。彼は人文科学や社会科学を軽蔑しており、その考えを洗練させる助けをしてくれるかもしれない図書館員と話すこ事さえ忌避していた。

  • 1945年7月には Atlantic Monthly誌に「As We May Think」なる論文を発表。この論文の中でブッシュは「全く新しい形の百科事典が出てくるだろう。項目同士が網の目のように関連付けられていて、memex に入れることによってさらに威力を発揮するだろう」と予言している。数ヵ月後(1945年9月10日)、Life誌は「As We May Think」の要約版を掲載し、そこに memex の予想図も載せた。このバージョンが後にテッド・ネルソンやダグラス・エンゲルバートに読まれ、ハイパーテキストと呼ばれるアイデアを生み出させる触媒として働く事になる。

かくして「原子爆弾の父」は同時に「インターネットの父」となったのだった。ハイパーテキストの発想の延長線上に現れたHTMLの発明なしには、インターネットの普及もまた有り得なかったからである。

 

サイエンス・フィクション科学技術の発展がSF作家の想像力に追いついてきた時代。逆に「安住の地」に踏み込まれたSFオタクは混乱の坩堝に叩き込まれる。

「60年代SF」

1960年代とは、そもそもどういう時代だったのだろうか。

昭和30年代後半から昭和40年代前半。まず第一にそれは〈高度成長〉の時代であり、社会的な変動の時代だった。60年安保から70年安保へと〈学生運動〉が高揚し、新幹線が走り、日本の沿岸に巨大なコンビナートが生まれ、テレビが急速に普及し、通信衛星が世界を結び始めた時代。科学がその〃悪用〃を恐れられつつも基本的には未来を開く善玉であり、核の恐怖が重く基調音を奏でながらも、未来は希望にあふれ、理想が語られた時代。それは『鉄腕アトム』の時代でもあった。
*しかしその「鉄腕アトム」も「精霊流し(1960年)」の回で初めて機動隊と衝突するデモ隊を登場させる。さらにソ連ボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行を成功させ、地球周回軌道を回って帰還したユーリ・ガガーリン少佐が「地球は青かった」という名言を残した1961年には宇宙戦士に改造される犬の悲哀を「ホットドッグ兵団」で描き、1965年の「青騎士」では遂にロボットの人間に対する反逆が描かれるのである。「決して間違いを犯さない人工頭脳」を備えている筈の鉄腕アトムが「人類は一刻も早く全員滅ぶべき」とか言い出す。

世界全体を見ても、それは未来への変動の時代だった。東西の冷戦はしばしば核戦争の危機を呼びつつ世界の枠組みを固定していたが、ベトナム戦争の泥沼化は若者たちの反戦運動を引き起こした。ロックのリズムが、電波にのって、世界共通の同時代の若者意識といったものを作り上げて入った。キューバ危機からベトナム戦争の時代。ケネディからニクソンの時代。公民権運動からベトナム反戦運動文化大革命の時代。フラワー・チルドレンとヒッピーとドラッグと〈性と文化の革命〉の時代。ビートルズローリング・ストーンズ、そしてレッド・ツェッペリン他のハード・ロックボブ・ディランサイモン&ガーファンクル、サイケ、アングラ、おっと、このリストはきりがない。それは〈ロックと若者革命〉の時代でもあった。

そしてもちろん、60年代は〈科学技術の時代〉であり、〈宇宙開発の時代〉でもあった。マイクロチップによるコンピュータ革命はもう少し先だが、コンピュータは大学や企業に浸透し(それでも70年の統計で、日本全国のコンピュータ設置台数は一万台なかったんですよ)、トランジスタやICがあらゆる電化製品を小型化し、テレビが家庭に入り、通信衛星が世界を実時間でつないだ。ガガーリンが地球を回り、ケネディ大統領は「60年代の終わりまでに月へ人間を送る」と宣言し、そしてあれよあれよという間に、われわれは月や火星の近接写真を新聞で眺め、そして月面上の宇宙飛行士からのテレビ中継を茶の間で見るということになったのだ。ぼくら、当時の子供たちにとって、「明日はSF」の時代だった。SFに描かれる未来はもうすぐそこに見えていた。

こういったことからいえるのは、外の世界がSFと相互作用を始めた時代だということである。「核による人類滅亡への警告」「科学技術の発達と未来の人類、そして文明のあり方」「変化する社会、文化に対応できる、新しいものの見方」こういったものが〈宇宙時代の文学〉〈文明批評の文学〉としてのSFに求められるようになったのである。また正統的、伝統的な文学に対するカウンターカルチャーサブカルチャーとしてのSFのあり方にも、むしろ好意的な目が向けられるようになった。もちろん、宇宙に夢中の子供たちにとっては、SFがすべてだった。SFが世界のすべてを包含する必要があった。なぜなら「明日はSF」なのだから。

しかし、ジャンルSFはこういった外からの期待をストレートに受け止めることはできなかった。外と内の出会いはジャンルの中に大きな渦を引き起こし、とまどいと停滞、そして一部での激流を生じた。60年代のSFは、こうした不安定な、外の世界との相互作用によって特徴づけられる。

それまでのSFは、いかにすぐれた作品が書かれていようと、その評価はあくまで狭いSFのジャンル内にとどまっていた。ハインラインブラッドベリの作品が〃スリック雑誌〃に載ったといって高級扱いされた時代である。ブームがあったといっても、まだまだマイナーな存在にすぎなかった。ところが、60年代には外の世界がSFを(ジャンル内の評価とはまた別の基準から)求めるようになり、ハインラインの『異星の客』(1961、創元推理文庫)がカウンターカルチャーの観点から爆発的ベストセラーとなるような事態も生じたのである。アーサー・C・クラークとスタンリー・キュブリックの映画『2001年宇宙の旅』(1968)の成功も、このような内と外との幸運な出会いとしてとらえることができよう。しかし、こういった相互作用を受け止めるためには、60年代のジャンルSFはまず停滞と混乱を経験しなければならなかったのである。

〈十億年の宴〉とも称される〈黄金時代〉の後、60年代初めのSF界は停滞期をむかえていた。すぐれた作家や作品が現れなかったわけではない(だが、その多くは後の再評価という形で振り返って見られるのだ――例えば、フィリップ・K・ディックのように)。けれども、ジャンルは自己満足な宴の後の無気力感に包まれていた。この雰囲気を打ち破ったのが、60年代半ばに起こった、〃新しい波〃〈ニューウェーブ〉運動である。それはイギリスに始まり、アメリカへ移り、若い作家たちやファンたちの間で熱狂と論争を巻き起こし、古いファンたちの反発をかったのである。運動としての〈ニューウェーブ〉は64年、マイクル・ムアコックがイギリスのSF雑誌「ニュー・ワールズ」の編集者となった時をスタートと考えるのが妥当だろう。彼の「ニュー・ワールズ」には、J・G・バラードやブライアン・オールディスといった一流作家の実験的な作品や、もっと無名な作家たちの意欲的な(そしてしばしば自意識過剰の)作品が掲載された。そこには若きトーマス・M・ディッシュ、チャールズ・プラット、ラングドン・ジョーンズ、ジョン・スラデック、パミラ・ゾリーンといった気鋭の作家たちがいた。この運動をアメリカへ伝え、広げたのは作家で編集者のジュディス・メリルだった。彼女は自分の編集する『年刊SF傑作選』やF&SF誌の書評などでこの運動を喧伝し、反発とともに多くの支持者をかち得た。ノーマン・スピンラッド、サミュエル・R・ディレイニーハーラン・エリスンロジャー・ゼラズニイなどの作家も、自分たちの作品に〈ニューウェーブ〉のレッテルが張られるのを容認し、あるいは積極的にそれを支持した。この運動によって再評価された作家や、スタイルを変えて売りだした作家もいた。ロバート・シルヴァーバーグなどが後者の代表だろう。ここにきて運動としての〈ニューウェーブ〉は容認されたジャンルの一分野となり、70年代に入ると存在意義を失って自然消滅していった。

異星の客』や『2001年宇宙の旅』の評価を外からの視点と見るとき、60年代のSF界を揺らした〈ニューウェーブ〉運動は、こうした内と外の相互作用によって引き起こされたジャンル内部の乱流として位置づけることができる。運動の中から生まれた作品自体には(バラードなどいくつかの例外を除き)さほど見るべきものはないのだが、それはジャンルの内部の意識を変革させ、ゆらぎを起こし、ジャンルのポテンシャルを高めた点で、大きな意味があったといえる。アシモフがいった「〃新しい波〃が去った後には、SFの固い大地が現われる」という予言はある意味で当たったが、そのSFの大地には新しい地層が残ったのである。それはテーマの自由度だったり、文体の洗練だったりするが、何よりもSFの大地には外洋からの大波が絶えず打ち寄せるという認識、そしてそれをSFの大地が受け止め、新たな地層を残すことができるということの理解、それが60年代のニューウェーブが残した大きな意義だといえるだろう。

【データ・エンジニアリング】第一次AIブーム(1956年〜1969年)

人工知能の歴史

人工知能(AI=Artificial Intelligence)」という言葉は1956年、アメリカで開催されたダートマス会議においてJ.McCarthyが初めて使った(A.Newell,J.C.Shaw,H.Simonによって,最初のAIプログラム“Logic Theorist”をデモ)。この会議で「人間の知能」をコンピュータ上で再現することが、高々と宣言され、それを真に受けた企業や政府が、大学や研究機関に多額の研究資金をつぎ込む様になる。気をよくした研究者たちは、実現性も実用性も吟味せず、アイデアを次々と形にしていった。

  • 1957 A.Newell,J.C.Shaw,H.SimonがGeneral Problem Solver(GPS)を制作.
  • 1957 J.Backusが最初の高級言語FORTRANを開発.
  • 1952-62 A.Samuelがチェッカーというゲームを行うプログラムを作成し,世界チャンピオンに挑戦するにまでになりました.
  • 1958 J.McCarthyがLISP言語を開発.
  • 1958 J.McCarthyがAdvice Takerを作成.動作中でも新たな公理を受け入れることができるため,新しい問題に対しても再プログラムが不要な,初めての本格的AIシステム.
  • 1958 Friedbergが機械進化(現在の遺伝的アルゴリズム)の実験を行う.
  • 1959 H.GelernterとN.Rochesterが幾何的な定理証明を行うプログラムを作成.
  • 1950末-1960初 M.Mastermanらが機械翻訳に意味ネットワークを用いた.
  • 1960 B.WidrowがHebbのニューラルネットの学習則を拡張.
  • 1961 J.Slagleが最初のsymbol integrationを行うプログラムSAINTを作成.
  • 1962 最初の工業ロボット企業Unimation創設.
  • 1962 F.RosenblattがB.Widrowのニューラルネットパーセプトロンと呼び,その集束定理を示した.
  • 1963 T.EvansがIQテストで行われるのと同様の幾何類比問題を扱うプログラムANALOGYを作成.
  • 1963 I.Sutherlandが対話的なグラフィックの利用をコンピュータに導入したスケッチパットの論文を発表.
  • 1963 E.A.FeigenbaumとJ.Feldmanが最初の人工知能全般についての本“Computers and Thought”を出版.
  • 1964 D.Bobrowが,代数の文章題を解くのに十分な自然言語の理解がコンピュータに可能なことを示した.
  • 1964 B.RaphaelがQ&Aシステムでの知識の論理表現の能力を示したSIRプログラムを発表.
  • 1965 J.A.Robinsonが機械的な証明手続きResolution Methodを発明.形式論理によってプログラムが効率よく実行できるようになる.
  • 1965 J.WeizenbaumがELIZAを開発.英語でいろいろな話題について会話ができるプログラムで,精神科医をまねたバージョンはネットワーク上で人気を集めた.
  • 1965 L.A.Zadehがファジー集合を提唱.
  • 1966 R.Quillianが意味ネットワークのデモを行った.
  • 1966 最初のMachine Intelligenceワークショップの開催.
  • 1966 機械翻訳に対する否定的なピアス勧告がでた.機械翻訳研究に対する財政支援がうち切られ,研究が停滞.
  • 1967 E.Feigenbaum,J.Lederberg,B.Buchanan,G.SutherlandのDENDRALは,生体の化合物の質量スペクトルを解析した.科学解析において成功した最初の知識ベースのプログラム.
  • 1967年、ウルリック・ナイサー(Ulric Neisser 1928年〜2012年)が「認知心理学(Cognitive Psychology)」という題名の本を出版。観察や実証が可能な事しか研究出来ない制約に苦しんでいた行動主義(behaviorism)心理学の関心が人工知能研究に向けられる契機となる。
  • 1967 J.MosesのMacymaは数学において成功した最初の知識ベースのプログラム.
  • 1967 R.Greenblattは知識ベースのチェスプログラムMacHackを制作.クラスCのトーナメントで対戦できた.
  • 1967 S.Amariによるニューラルネットバックプロパゲーションによる学習手法.
  • 1968 M.MinskyとS.PapertがPerceptronsを出版し単層ニューラルネットであるパーセプトロンの限界を指摘.
  • 1968 B.RaphaelのSemantic Information Retrieval(SIR)システム.かなり,制限の強い部分英語による入力を理解できた.
  • 1968 D.C.EngelbartがoN Line System(NLS)のデモを行う.マウスやビットマップディスプレイなど現在のインターフェースの基本的な要素が含まれていました.
  • 1968 N.WirthがPascal言語を開発.
  • 1968 A.C.Clarkeの小説「2001年宇宙の旅」がS.Kubrickによって映画化されました.人工知能を搭載したコンピュータHAL9000が登場します.
  • 1969 軍事用ネットワークのARPA-net稼働
  • 1969 SRIrobotが移動能力,パーセプトロン,問題解決を統合したデモを行う.
  • 1969 R.Shank自然言語理解での概念依存モデルを定義.R.WilenskyとW.Lehnertは話の理解に,J.Kolodnerは記憶の理解に利用.
  • 1969 第1回International Joint Conference on Artificial Intelligence (IJCAI)開催

しかし1969年には最大の難問「フレーム問題探索何度が上がると組み合わせ爆発に直面)」がJ.McCarthyとP.J.Hayesによって指摘され、企業も政府も研究資金を引き揚げてしまう。.

人工知能史

AIの開発手法はその初期から今日に至るまで2つの対立したアプローチがとられている。トップ・ダウン型とボトム・アップ型だ。

  • トップ・ダウン型はマーヴィン・ミンスキーを筆頭に、 脳の生理学構造をひとまず無視して、シンボルやルールで人工知能を作り上げようとするもの。

  • ボトム・アップ型はフランク・ローゼンブラットを筆頭に、神経構造を重視するもの。

これら2派は1960年代まで競い合ったが、神経構造モデルのパーセプトロンの限界が示されボトムアップ型は下火となる。この辺の解説は、ハワード・ガードナー「認知革命」やパラメ・マコーダック「コンピューターは考える」がおもしろい。

それ以降1970年まではトップダウン方式全盛の時代だったが、「背景知識」や「フレーム問題」など根本的な問題を解決することはできなかった。

サイエンス・フィクション1950年代からメインフレーム群の普及が始まると「フランケンシュタイン問題との訣別をはかるべくロボット三原則を樹立したアイザック・アシモフロシア系ユダヤ人として生まれ。ニューヨークで育った)の「我はロボット(I, Robot 1950年)」を嚆矢としてサイエンス・フィクションの世界でも次第にコンピューターが重要な役割を果たす様になっていった。

https://www.scienceweek.net.au/wp-content/uploads/2016/08/IROBOT2.jpg

  • アシモフの画期は人間の脳に当たる部分を陽電子頭脳(Positronic Brain)なる呼称で完全ブラックボックス化した点にあった。ある意味「CPU(Central Processing Unit=中央処理装置)」とか「人間の脳は量子コンピュータQuantum Computer)」といった概念の嚆矢。ちなみに人工知能 (artificial intelligence) という用語はジョン・マッカーシーが1956年に考案し一般化した。

    https://media.giphy.com/media/VSKq69XIRo7U4/giphy.gif

  • 月は無慈悲な夜の女王(The Moon Is a Harsh Mistress 1965年〜1966年)」に登場する人工知能マイクロフトは300万人を超える月世界住人全ての電話を盗聴し、電子投票システムの投票結果を好きな用に操作し、宇宙航行に必要な計算を全て担当する一方で未来を予測する統計計算を繰り返し行う。これが1950年代から1960年代にかけてのアメリカのSF作品に登場する「誤った管理社会を現出させる可能性を秘めた」スーパー・コンピューターの一般的イメージであった。アシモフも「コンピューター自身に殺人を行えない様にプログラミングする事自体は可能だが、統計によって社会の、経理処理によって経済の実状を掌握する立場から、特定集団の生存率を恋に高めたり低めたり、あるいは人間同士殺し合わせる事で目的を達成する様な間引き行為に着手するかもしれない」というビジョンを提示している。
    *1970年代の作品だが「ソイレントグリーン((Soylent Green、1973年)」や「2300年未来への旅(LOGAN'S RUN、1976年)」も当時のカウンター・カルチャーSFの雰囲気を漂わせている。政治運動が挫折してからが文化運動の本番?
    http://pop-verse.com/wp-content/uploads/2015/10/paul-lehr_the-moon-is-a-harsh-mistress-ny-berkley-19681-578x299.jpg
    最低映画館〜2300年未来への旅

  • ちなみに第一次怪獣ブーム(1960年代後半)の頃のオペレータールームはこんな感じ。「怪獣総進撃Destroy All Monsters、1968年)」より。そもそも「コンピューターに処理を任せる」という概念自体がまだ存在していなかった?
    *既に手塚治虫鉄腕アトム(1951年〜1968年)」や横山光輝鉄人28号(1956年〜1966年)」「ジャイアント・ロボ(1967年〜1968年)」といった「人工知能で動く人型ロボット」の概念はすっかり定着していたにも関わらず。

    f:id:ochimusha01:20161118200243g:plain

  • 一方、石ノ森章太郎仮面ライダー(1971年〜1973年)」に登場する悪の組織ショッカーの最終目標はコンピューター(電子頭脳)による国民の背番号管理システムを乗っ取り、テレビを洗脳装置として全国民を奴隷化する事だった。

    http://blog-imgs-62.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/20140212210138ab1.jpg

    http://blog-imgs-62.fc2.com/k/i/m/kimuramasahiko/20140212210139441.jpg

  • 横山光輝バビル2世(1971年〜1973年)」に登場する(バビルの塔を制御する)メインコンピューターも、同じ横山光輝作品の「セカンドマン(1974年〜1975年)」に登場する未来のコンピューター」も、手塚治虫ブラックジャック」の一挿話「U-18は知っていた(1976年)」に登場する「ブレイン(900人の患者の治療を一斉に行う自動医療装置)」も竹宮恵子「地球へ(1977年〜1980年)」のマザー・コンピューターもこんな感じ。それが1960年代末に米国大学のコンピューター間を結ぶARPANETが稼働を開始しインターネットの形成が始まった時代、まだtelnetや電子メールやFTPやニュースフィードといったネットサービスの存在すら知らずにいた70年代日本人の想像力の限界だったという訳である。

    http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-22-56/goo_goo43/folder/1706879/88/66538788/img_0

    http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-7b-b8/samusongo/folder/1525055/33/29737733/img_2?1244853459

    http://www.geocities.co.jp/ruke_n0/reading/blackjack/005_2_01.gif

    https://www.evernote.com/shard/s45/res/a0c95527-5e0c-47cc-9386-3a55f891c8af

  • 松本零士の「キャプテン・ハーロックSpace Pirate Captain Herlock、1977年〜1979年)」「銀河鉄道999(Galaxy Express 999、1977年〜1981年)」に登場する「人工頭脳」もこの系譜。そういえば松本零士のトレードマークたる「計器だらけのコンソール」は極めて1950年代っぽい。ただそれはもはや「絶対悪たる体制側の中枢」ではなかった。

    https://encrypted-tbn3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRjUB6QEs3G-x2EHSSVjfcakyA0lpUfiyvDfoe_7D8rOctSOif5

    http://galaxyrailway.com/ge999/honsha/kanrikyoku/img/iPhone3GS/iPhone3GS-02.jpg

  • リドリー・スコット監督の 「エイリアン (Alien、1979年)」もこんな感じ。

    Sci-fi Gifs : Alien (1979) directed by Ridley Scott

    https://66.media.tumblr.com/77e7b3ca677e9e1d37063e3ee4db6679/tumblr_obidcmOj2j1tu7563o4_540.gif

    https://67.media.tumblr.com/31667f00c4356a88e935cc808f46dd38/tumblr_obidcmOj2j1tu7563o3_540.gif

    https://67.media.tumblr.com/4d976bc71903a54bc1c8cab0e49bb45f/tumblr_obidcmOj2j1tu7563o1_540.gif

    https://66.media.tumblr.com/5ba4f01e6bcdaf71f36ace5db31150fa/tumblr_obidcmOj2j1tu7563o2_540.gif

  • ちなみに「機動戦士ガンダム(1979年)」のコントロール・ルーム。「DOSゲームっぽい」?

    http://66.media.tumblr.com/58dbb34c6486791ab6ec150b37552278/tumblr_ogw6zrfCdI1vymbt8o1_400.gif

    Maximum Thrill — Zeon’s ultimate space gun bridge looks like a DOS...

  • そして以降は「(1950代までは身近に存在していた暗い森に日本人が自然に懐く畏敬の念」の様な概念と混じり合いながら宮崎駿風の谷のナウシカ(1982年〜1994年)」に登場する「(王蟲巨神兵、シュワの墓所といった人間に神へと祭り上げられた被造物」の様な存在へも投影されていく。ある意味それは壮麗かつ威圧的な教会美術が「森の神域を模倣した石造物」という側面を備えたゴシック建築精神の継承であった。ありとあらゆる知識を統合し尽くす事によって、未知の領域が引き起こすパラダイム・シフトを食い止め様としたフランス啓蒙主義の起源が(ゴシック建築精神の延長線上に現れたバロック建築精神の継承であった様に。
    *人によってはここに教皇至上主義(Ultramontanism)やスターリン主義(Stalinism)や毛沢東主義(Maoism)の原風景を見る。スタニスワフ・レムSF小説ソラリスの陽のもとに(Solaris,1961年、映画化1972年、2002年)」ではそれが欧州資本主義社会ではとっくの昔に御役御免となった「神人同形論(Anthropomorphism/アントロポモルフィズム)」と結びつけられ「いつの間にかそんな歴史上の遺物が共産主義イデオロギーの主体となってしまった」と批判し、その対極的存在、すなわち「人間の思惑が一切届かない神秘的存在」として惑星ソラリスを設定した。その発想自体はストルガツキー兄弟の「丘の上のピクニック/願望機(1977年)」における「異星人の足跡が発生させた神域」という設定と重なる。そしてアーシュラ・K・ル=グウィンゲド戦記(Earthsea、1968年〜2001年)」における「太古よりの残留思念」を出発地点としてJ.P.ホーガン「造物主の掟(Code of the Lifemaker、1983年)」「造物主の選択(The Immortality Option、1995年)」やオースン・スコット・カード「死者の代弁者(Speaker for the Dead、1986年)」や宮崎駿監督「もののけ姫(Princess of Mononoke、1997年)」やジェームズ・キャメロン監督映画「アバターAvatar、2009年)」を経て「コンピューターとしての森林」という概念につながっていく。「(人間の手が決して届かない)本物の神に帰依したいという衝動」と「神殺しの機会を狙う復讐心」のアンビヴァレントな共存がこのジャンルの特徴。
  • http://www.maniado.jp/usrimg/194_3976d8d8387c3d0da74bf8f00b42724a

    http://www.maniado.jp/usrimg/194_ec6ed281ba7d3d0bcc28ce2d69ff8f9f

    http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_f9c/as-happy-days/7737689.jpghttp://yumebito.info/swfu/d/DSC00590.jpg

    http://c10.quickcachr.fotos.sapo.pt/i/B4e042bbb/12987682_EbPlb.jpeg

    http://media.dunyabulteni.net/haber/2013/12/26/mao-cin.jpghttp://2.p.mpcdn.net/23585/409712/16.jpg

    http://images.ciatr.jp/2015/07/1_20120627223927.jpghttp://www.daishinsha.co.jp/technology/column/avatar2.png

  • 新世紀エヴァンゲリオンNeon Genesis EVANGELION、TV版1995年、旧劇場版1996年〜1997年)」に登場するスーパー・コンピューターMAGIもこうした系譜の末裔の一つ。「カスパー(Casper)、バルタザール(Barthasar)、メルキオール(Merchior)の三独立ユニットから構成される」なんてハッタリの効いた設定も実にそれっぽい。

    https://67.media.tumblr.com/433978c9c6964af7c832c83c76a00992/tumblr_nak9fjDE1e1qkjf7vo1_500.gif

サイエンス・フィクションところで「月は無慈悲な夜の女王」に登場する人工知能マイクロフトが宿った「2070年代のコンピューター」にはコンソール画面の様なモニターやキーボード経由での経由のマン・マシンインターフェイスが一切備わっていない。受付けるのは原則として「(1954年にIBMのジョン・バッカスが考案したFortranめいた)英語ベースの厳密な数理処理に特化した特殊言語を用いた「会話(キーボードで入力しプリンタで回答を得る)」のみ。ただし人工知能マイクロフトだけは電子化されたあらゆる言語情報にアクセス可能であり、それを駆使して音声を用いた日常会話が可能という設定になっている(ただしあらゆる音声を合成し、立体音響マイクロフィニック技術によって受話器の向こう側の状況を壮絶な制度で把握可能。前者ですらVOCALOID発売が2004年で現在なお完全な自然発声には到ってない事を思えば超技術の部類。後者に到っては呼吸音や心臓の鼓動を診療データベースに照会して人物まで特定)。その一方でマイクロフトは「ディンカム・シンカム公平な本物の思索家)」と呼ばれるが、それは肉体を一切持ち合わせず「言葉だけで構成された存在」だからという。まさしく現代に蘇ったゴーレム(Golem)という次第。
*男性の前では男性人格「マイク」、女性の前では女性人格「ミシェール」として振る舞う両性具有的存在として振る舞うという意味でまさにギルガメッシュ叙事詩に登場する最古のゴーレム「エンキドゥ」的キャラクターの後継といって良い存在であった。

http://4.bp.blogspot.com/_SxiHQWGPDG4/TFY4BsU9vDI/AAAAAAAAADk/mjL5GVogX9g/s1600/el+golem.jpg

  • まぁこれも1960年代まで遡るSF作品に共通する特徴で「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey,1968年)」に登場するHAL9000もそういうコンピューターだったし、「スタートレックStar Trek,1986年〜’)シリーズ」においても過去にタイムスリップしたエンタープライズ号乗組員がマウスをマイクだと思い込んで摑み、口頭でコンピューターに命令を下そうとする。

    http://vignette4.wikia.nocookie.net/2001/images/1/18/Hal9000.jpg/revision/latest?cb=20091004150956http://hitobashirar.com/wp-content/uploads/2009/08/star_trek_4_apple_mac_plus11.jpg

  • 一説に拠ればこうしたスタンスは「完璧な言語体系さえ構築されたなら、あらゆる概念がそれだけで表現可能となる」とした1930年代のサピア・ウォーフ仮説(エドワード・サピアベンジャミン・ウォーフの共同研究)が背景にあるという。「月は無慈悲な夜の女王」の著者ロバート・A・ハインラインも他の同年代のSF作家同様に若い頃はすっかりこれに嵌まっていたというし、ジョージ・オーウェル1984年(1949年)」に登場する「(批判は敵に対してしか、称賛は味方に対してしか行えない様に慎重に設計された)ニュースピーク」もある意味そのバリエーションとも。
    *ちなみにtelnetや電子メールやFTPやニュースフィードといったネットサービスの規格が次々と固められた1970年代初頭「インターネット電話」の規格も一緒に定められたが技術的障壁が高過ぎてその時には実用化に到らなかった。そういえば最初期のネットワーク技術者には音響心理学畑の出身者が多かった。アナログ電話網なら既に実現済みで、これを利用する形でモデムによるネットワークも比較的簡単に構築出来たのだが「音声のネットワーク化」は当時の人間が想像したほど容易なものではなかったのである。ただしその事が明らかとなったのは(インフラが整って本格的着手が可能となった)1970年代に入ってからだった。

    http://www.miyazaki-gijutsu.com/series4/densi0821/fg8_2_53.gif

  • 特筆すべきはデータの持ち方で,300万人の月世界住人の電話を盗聴するのに「10の八乗バイト(すなわち約12.5MB)」を割り当てるだけで済んでいる。確かに全てテキストデータに置換したら大図書館の全蔵書の文字情報でも軽々と収録可能な容量なのであり、この時代の電話は全て送信前にテキスト化され、受信時改めて音声に復号されるのかもしれない(もちろんそれでは音声や立体音響マイクロフィニックの技術が説明出来なくなるが)。当時の人間にはむしろ現在の様にネット回線が太くなり巨大な動画データが飛び交う未来の方が想像出来なかったのである。

  • スワフ・レムのSF小説ソラリスの陽のもとに(Solaris,1961年)」の原作では宇宙ステーション内に設置された図書館が重要な役割を果たすが、電子化されているのはインデックス機能や検索機能のみ。実際のデータはすべて書籍やマイクロフィルムに収録され、それを中央コンピュータが制御する無数のマニュピレーターが要請に応じる形で超高速稼働し人間に実物を引き渡す設定となっていた。

  • そういえばジョージ・オーウェル1984年(1949年)」の世界ではあらゆる場所に双方向テレビジョンと盗聴マイクが設置され、レイ・ブラッドベリ華氏451度(Fahrenheit 451,1953年)」の世界では読書が禁じられる一方で「TV視聴による社会への強調」が強く奨励された。ところが「月は無慈悲な夜の女王」においては電話盗聴網を構築するのはむしろ反体制側で、TV放送は存在せずラジオ放送も簡潔なニュースを客観的に流すばかりである。TV普及以前には新聞やラジオ番組や映画、映画館で映画放映前に流される報道映画が国民へのプロパガンダの道具として駆使されたものだが、そうしたものも一切登場しない。だからこそ革命も比較的スムーズに成功するのだが「全ては自由意思で蜂起した人々によってのみ遂行された」体裁を表面上保ちつつ「盗聴」と「投票操作」によって少数エリートが国家を統制下に置くのはむしろ「1984年」や「華氏451度」における体制側の立場とも。
    *ただし「月は無慈悲な夜の女王」では何故か革命成功後にはテレビジョンを使ったプロパガンダが解禁となる。人工知能マイクロフトも「完全に人間にしか見えない合成画像」をリアル映像を生成しこれに積極的に関与していくが(ビデオ収録という概念が現れるのはまだ先の時代)、自らを「言葉だけの存在」と認識する当人に「仮面」以上の愛着が湧く事は最期までなかった。

【データ・エンジニアリング】1960年代に入ると、それまでアメリカと華々しい宇宙進出競争を繰り広げてきたソ連セクト主義が蔓延。その結果、情報処理分野において完全にアメリカの後塵を仰ぐ立場に零落してしまう。
*そもそも共産圏には「標準規格を意識しつつ互いに研究成果を公開し合うフェアプレー精神に基づく健全な競争」が欠けていた。またIBMにも当初その意識が欠けていたばっかりに「自由な発想のぶつけ合いが急激な変化をさらに加速する」インターネットの時代に出遅れる事となる

http://apocalypsejohn.com/wp-content/uploads/ti-eixe-symbei-den-ebazan-tafoplaka-sobietikoys-ypologistes.jpg

こうした状況の最中にあって「ソラリスの陽のもとに(Solaris,1961年)」の中でスタニスワフ・レムが展開した「共産主義圏の悪癖」論が興味深い。

  • ソラリスの陽のもとに(Solaris,1961年)」では図書館が重要な役割を果たすが、そもそも図書の分類はルネサンス期英国で活躍した自然哲学者フランシス・ベーコン(Francis Bacon,1561年〜1626年)が「学問の進歩(1605年)」が原型を示し、ウィリアム・ハリスが逆順にした「ハリス分類法(1870年、逆ベーコン式分類)」を起源とする。

    http://www2.mmc.atomi.ac.jp/~artnavi1/zu/2zu1.gif

  •  そこで前提となっているのは「1哲学がおこり宗教が生まれ、2歴史、地理、そして3法律や社会の仕組みが出来、4自然や5技術を知り、6様々な産業がおこり、7芸術や余暇が生まれ、8言語、9最後に架空の物語が生まれる。」なる進歩史観。さらにその背後に、欧州の代々の権力者が主知主義を「正しい知識を継承する限り王権の正統性が担保される」便利なツールとして利用してきた状況が見え隠れする。

    http://www.kodomo.go.jp/kids/images/res/cnt_res_use_01-04.jpg

  • 共産主義文化圏はこの精神を継承。「(フランス革命の衣鉢を継いだ)社会主義リアリズム」の名の下に「人類の進化と発展を支えてきたのはその理性の普遍性であり、最終段階として理想の共産主義社会建設が始まった。共産主義が人類を完成させる最終発展段階である以上、これを奉ずる人類の理性も史上最高の完成段階に到達した訳で、その歴史的事実を疑う退廃主義は一切許されない」とする強固な信念を形成するに至る。
    *例えばソ連SFの古典長編の一つアレクセイ・トルストイ「アエリータ(1922年〜1923年)」では火星に到着したソ連技師が「生命は至る所で発生しますが、最終的にその頂点に君臨するのは常に人間に似た何かです。なにしろ人間より完璧な生物を創造する事は不可能なんですから」と豪語する。また戦後ソ連SF小説の第一人者となったエフレーモフの長編「アンドロメダ星雲(1957年)」でも「宇宙のいかなる生物も、進化の到達点は必ず人類同様の理性と審美眼に至る」とする立場から未来の共産主義ユートピアを描く。

    https://66.media.tumblr.com/837a7ef3fc572628eb98deb23478a982/tumblr_na1zbeigpt1sndzdgo1_500.jpg

  • スタニスワフ・レムはこの様な状況を生み出す人間中心主義を「アントロポモルフィズム(Anthropomorphism)」と呼んで弾劾した。その起源は絶対王政時代の欧州に求められるという。ピョートル大帝(在位1682年〜1725年)がロシア帝国に持ち込み、スターリンが復活させたとも。

    http://image.slidesharecdn.com/hobbes-100505233407-phpapp01/95/slide-1-1024.jpg

    *「アントロポモルフィズム(Anthropomorphism)」…「人間形態主義」とか「神人同形論」と翻訳される言葉。SF的には「(極端にデフォルメされたり、特定器官の能力が誇張されたりする事はあっても)宇宙人の姿を究極的には地球人(人間)の似姿として描き、その理性を地球人(人間)のそれと分かり合える同質のものと規定する態度」を指す。

    https://67.media.tumblr.com/64b25a48ec07d83b1538c745e6241ea3/tumblr_o81iolFlOn1qg39ewo1_500.gif

  • ソラリスの海」はそのアンチテーゼとして設定された「絶対他者」だという。かかる存在との邂逅が引き起こした最初の問題は「図書分類の崩壊」。

    https://66.media.tumblr.com/5f3648c1f3947bb794656c8a5a198450/tumblr_np3ki8oKlj1rce5tlo1_1280.jpg

  • 日本文学研究者として安部公房を敬愛し、第五福竜丸事件を題材とする「ビキニの涙」でデビューを飾ったストルガツキー兄弟の「路傍のピクニック( Roadside Picnic,1977年)」に登場する「宇宙人」もまた同種の存在として描かれた。1979年にタルコフスキー監督が「ストーカー(Stalker)」の題名で映画化。

    http://www.screencuisine.net/wp-content/uploads/2012/11/roadside-picnic.jpg

  • K.W.ジーター「ドクター・アダー(Dr. Adder、執筆1974年、刊行1984年)」に登場する「役立たずの宇宙人」も同類。

    https://66.media.tumblr.com/9ae67e2b671363ed8f4c281b12a4506d/tumblr_nq59bvbc3A1snfynjo1_500.jpg

  • ウィリアム・ギブスンも「辺境(Hinterlands,1982年、短編集「クローム襲撃」収録)」と「赤い星、冬の軌道(Red Star、 Winter Orbit,1982年、同じく短編集「クローム襲撃」収録)」でソ連SFに敬意を捧げ、初長編「ニューロマンサー(Neuromancer,1984年)」 では人智を超えた知能を備えてしまったが故に「右脳と左脳を分けて管理されている」超AIの悲劇を描いている。ヒッピー上がりの彼のソ連への思いは深く、サイバーパンク黎明期のマスターピース「クローム襲撃(Burning Chrome,1982年、短編集「クローム襲撃」表題作)」も主人公チームを対ソ連侵攻作戦の生還者とした。

    https://66.media.tumblr.com/4021f2321468f85e3f8f1da547e6fcd7/tumblr_nd07ktFQL11qm36c1o1_500.png

    https://66.media.tumblr.com/d344eab315e96c1115a705700643ec51/tumblr_nd07ktFQL11qm36c1o2_1280.png

  • クライヴ・バーカーは「血の本(Books of Blood,1984年〜1985年)」シリーズにおいて「決して人類と分かり合えない異形の神々」とスプラッタ・ホラーを結びつけた。ラブクラフトの「コズミック・ホラー(Cosmic Horror)」路線のリヴァイヴァルとも。

    https://66.media.tumblr.com/a77f565db71066f8821afae281483705/tumblr_nw4jy9KabC1qcfe6go1_500.jpghttps://67.media.tumblr.com/tumblr_lm826faJXQ1qfpn1do1_400.gif

  • 士郎正宗ソ連の現状を批判したハンガリーユダヤアーサー・ケストラーの影響を色濃く受けて「攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL、1989年〜)」を発表。中でも「人形遣い」の暗躍が目覚ましい。

    https://67.media.tumblr.com/84d53aef598c6c400eef2c2e403a157e/tumblr_o03fsnmA161v1aewco1_500.gif

  • 荒川弘ストルガツキー兄弟の提示した願望充足器のジレンマと錬金術における等価交換の原則を結びつけた「鋼の錬金術師(2001年~2010年)」を発表。

    https://66.media.tumblr.com/96dee759f6a5a107fa1d2645caaab73c/tumblr_od2x24jTdv1v7xat2o1_540.jpg

【データ・エンジニアリング】サイエンス・フィクション第二次世界大戦中に大量の予算が投じられた)射撃制御装置の延長線上で通信理論について論じたノーバート・ウィナーの主著書「サイバネティックス 第2版(Cybernetics, Second edition、1961年)」が発表される。

http://www.moma.org/interactives/exhibitions/2011/AccesstoTools/images/Communications/Cybernetics%20cover.jpg

  • フィクションの世界においてそれは「サイボーグ(cyborg)」の概念として広まったが、実は提唱者たるノーバート・ウィーナーが目指したのはコミュニケーション(通信と制御)オリエンテッドな新たなる社会学だった。ある意味その「Unfinished Business」を回収したのが1980年代におけるサイバーパンク運動だったとも。
    867夜『サイバネティックス』ノーバート・ウィーナー|松岡正剛の千夜千冊

  • 実は共産圏のコンピューター技術が1960年代に入ってから致命的停滞状態に追い込まれたのは(無数の高性能コンピューターを高負荷に耐える回線で結んだネットワークによって構成され、およそ「中心」なる概念を有さないインターネット社会を技術的に基礎付けた)サイバネティック(cybernetics)情報工学を全面否定し「人類を堕落させる退廃主義的似非科学」として激しく弾劾したせいともいわれている。
    *全てを線型代数学(linear algebra)と扱おうとした結果、フィードフォワード(Feed Foward)の対語となるフィードバック(Feed Back)の概念を世に広めた。最近ではカオス理論(英: chaos theory、独: Chaosforschung、仏: Théorie du chaos)や複雑系(complex system)や散逸構造(dissipative structure)やソリトン(soliton)理論や自己組織化(self-organization、self-assembly)理論やリミットサイクル(Limit Cycle)やフラクタル(仏: fractale, 英: fractal)理論やホログラフィック原理 (holographic principle) といった非線形科学(Nonlinear Science)の導入も進んでいる。
    http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2004_14453/slides/05/img/5.png
  • ちなみに1980年代日本を席巻したニューアカ運動にはある意味、射撃制御装置の延長線上で通信理論について論じたノーバート・ウィナーの主著書「サイバネティックス 第2版(Cybernetics, Second edition、1961年)」が純粋に線型代数学に拠ってフィードバック・メカニズムを論じているのに付け込む形で「(非線形科学を援用する形で共産主義の根幹にある)フィード・フォワード理論の復権を果たす」なる目的意識が存在した。そうした試み自体はその衒学性(pedanticly)をソーカル事件(1994年)に突かれる形で挫折を余儀なくされたが、それでは実際に(線型代数学から導出された)フィードバック理論と非線形科学をどう融合させるべきかという課題自体は21世紀に持ち越される形となった。

サイエンス・フィクション共産主義は「フルシチョフスターリン批判(1956年,1961年)」によっても打ちのめされた。そして、それまでスターリンを熱烈支持してきた「保守派」の沈黙に業を煮やし、さらに激烈な革命闘争を志向する新左翼運動が台頭。米国ではベトナム戦争泥沼化を背景に黒人が公民権闘争に邁進し、ヒッピー運動が盛り上がったが両者の接点は思うより少なかったのである。

*「月は無慈悲な夜の女王(1965年)」はフランス五月革命(1968年)に伴う国際的スチューデント・パワーの高揚以前に「互いをロシア語で同志(タワリシチ)と呼び合う少数派エリートが月世界で起こす未来の革命」をシミュレーションしてみせた作品。インスピレーション元として考えられるのは真の意味で新左翼運動の発端と鳴った英国共産党の発行する「New Left Review(1960年〜)」くらい。とはいえハインラインの「異星の客(Stranger in a Strange Land,1961年)」は教科書として熱狂的に受容したヒッピー運動家達もこの作品については揃って違和感を表明している。

ロバート・A・ハインライン月は無慈悲な夜の女王(The Moon Is a Harsh Mistress 1965年~1966年)

「革命なら以前も成功してるわ。レーニンがほんの一握りの仲間と導いたのよ」
レーニンは権力闘争の真空地帯を突いただけだ。革命が成功するのは政府が腐敗して消滅していく時だけと相場が決まってる」
「それは真実じゃない。アメリカ革命を思い出して!!」
「あれは南軍の敗北に終わったろ?」
「それより1世紀前のやつ。私達月世界人同様に植民地の人達もは英国に辛酸を嘗めさせられてた。そして蜂起し、勝ったのよ!!」
「でも当時の英国は面倒な状態にあった筈だよ。フランス、スペイン、スウェーデン、そして多分オランダとも関係をこじらせてた。それに加えてアイルランドでも反乱が起こってたんじゃなかったっけ?」
「貴方は悲観論者だわ」
「現実主義者なだけだ。悲観主義者になった事は1度もない」
「同志を増やすということはそれだけ裏切られやすくなるという事です。革命派大衆を同志にすることでは勝ち取れません。ごく少数の人間がけで遂行するからこそ成功が見込める科学なのです。正しい組織が持てるかどうかは正しく意思の疎通がはかれるかにかかっています。あとは歴史において正しい時間に正しい場所で実行される事。全てが上手く運べば無血革命となりますが、不器用に、あるいは時期尚早だったり遅すぎたりすれば内乱、群集による暴力、追放、恐怖政治を伴います」
「機能が設計形態(デザイン)を決定するのです。組織も必要以上に大きくあってはならない。単に参加したいだけの同志を入れてはいけません。また他の人に自分と同じ見解を持たせる楽しみの為だけに他人を説得しようとしてもいけません」
*まぁこれではフランス五月革命(1968年)に浮かれたヒッピー達がついていけなかったのも無理はない。「決して大衆を信じない」ハインラインの面目躍如。

  • 同時代には早くも電話回線網やTVをガジェットとするサイバーパンク文化の萌芽が始まっている。

  • 英国から上陸した「ニューウェーブSF旋風」が吹き荒れた。
    ムアコックの産み出したアンチ・ヒーロー像は1970年代に入るとマーベルの英雄コナンリヴァイヴァルとウルヴァリン誕生につながっていく。日本でも平井和正の「ウルフガイ」シリーズが人気に。

  • 同時進行でサイバネティック工学発展の影響でアン・マキャフリイ「歌う船シリーズ(THE SHIP WHO SANG 1969年〜1997年)」の頭脳船やジェイムズ・ティプトリー・Jr接続された女(The Girl Who Was Plugged in,1974年)」の美女義体の様なサイボーグ概念も広まっていく。

    https://67.media.tumblr.com/5d7500863ca45c68f1572302bbe67c5a/tumblr_n3fb2gcGSS1r7nbrao1_1280.jpg
    そういえば「接続された女(The Girl Who Was Plugged in,1974年)」の悲劇はへのオマージュらしき場面が「ラーゼフォン(RahXephon、TV版2002年、劇場版2003年)」にあって屈指の名場面とされている。このあたりの系譜は「セカイ系作品群」へも合流していくらしい。

    http://janegilmore.com/wp-content/uploads/2015/03/pluggedin.jpghttps://66.media.tumblr.com/aae3543a1a734f9887eb91747be0fd61/tumblr_mjbiwuBblZ1qzqnxxo1_500.gifhttps://66.media.tumblr.com/17a591553a83a8397c868fe3132a356a/tumblr_mhyjrrDlFS1qeumowo1_500.gif

  • アシモフが「バイセンテニアル・マン(200歳の男,1976年)」において、その生涯を芸術の探求に捧げ、最期は僅か数日しか生きられぬと知りつつ完全人間化手術を受けて死んでいくロボット音楽家を描き「ロボットの人間視」に先鞭を付けた時代でもあった。

    https://www.evernote.com/shard/s45/res/376ccf48-3562-4ce6-aec2-6eddc4c1a67c

    * 実は江戸川乱歩も少年探偵団シリーズの一作「鉄人Q(1958年〜1960年)」で同種の仕掛けを試みているが「チェス無敗の自動人形」とか「フランケンシュタインの怪物」といった既存イメージに引き摺られて支離滅裂な展開になってしまっただけだった。

    http://www.poplar.co.jp/shop/bookimages/978-4-591-11148-2.jpg

    *実は手塚治虫鉄腕アトム(Mighty Atom、1951年〜1968年)」も60年代安保のあった年の「精霊流しの巻(1960年)」辺りから「人間とロボットの共存する未来なんて有り得ないかもしれない」なる悲観テイストが混じり始め「青騎士の巻(1965年)」以降のアトムははっきり「ロボットが生き残るには人間を皆殺しにするしかない」と口にする様になっていく。アトムが最終的に修理不能の状態に陥って朽ちていく原作版のラストはそうやって準備される事になった。その一方で「オロオロするばかりで決断を下せない人間達を差し置いて自己判断によって自爆攻撃を敢行する」アニメ版のラストは横山光輝ジャイアントロボ(1967年〜1968年)」を経て「戦闘を宿命化された美少女(戦闘美少女)と、彼女を見守ることしか出来ない無力な少年」というセカイ系作品の系譜に継承されていく。

    虫ん坊 2010年04月号 オススメデゴンス!::TezukaOsamu.net(JP)

    http://66.media.tumblr.com/tumblr_lo9mpfB4551qihjppo1_1280.jpg

    *要するに1960年代とゼロ年代の違いとは要するに観測者側が「人間として死んでいったのだからアレはアレで本望だったのだ」なんて自己憐憫に無反省に浸れるほど若かったか「全責任を彼女一人に負わせるなんて最近の若者は酷すぎる」なんて義憤に無反省に浸れるほど年老いてしまったかの違いに過ぎないのかもしれない。尾崎紅葉金色夜叉(1897年〜1902年)」の「バットエンド」場面でお宮と赤樫満枝の殺し合いを指一本動かせずただ凝視している事しか出来なかった間貫一が「これぞ人間」と絶賛された明治時代から、日本人は思うより進化を遂げてなかったと言うべきなのかもしれない。

【データ・エンジニアリング】日本では1960年代後半から急速にカラーテレビが普及。時期的には「第一次怪獣ブーム(1966年〜1968年)」や「第二次怪獣ブーム /変身ブーム(1971年〜1974年)」と重なる。

http://www.garbagenews.com/img16/gn-20160518-06.gif

【データ・エンジニアリング】1968年12月9日のコンピュータ会議((Fall Joint Computer Conference)の席上において、米国人発明家ダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart、1925年〜2013年)がそれまでの発明を総合したグラフィカルユーザインタフェースGUI)のデモンストレーションを行う(Mother of all demos=全てのデモの母)。

  • オレゴン州立大学に進学したが、第二次世界大戦末期に徴兵されてアメリカ海軍に入隊。フィリピンでレーダー技師として2年間働く間にヴァネヴァー・ブッシュの論文 "As We May Think" に触れ、強い衝撃を受ける。

  • レーダー技師としての経験から「情報を分析してスクリーンに表示する」対話型コンピュータを思いついたのが最初の発想の飛躍となる。当時の人々は、そもそもコンピュータを単なる「数値を処理する機械」としか認識していなかった。さらに想像の翼を広げ「知的労働者達がディスプレイの前に座り、情報の空間を飛び回り、より強力な方法で重要な問題を解決する」集合的知性システムを発案。これは後世"Network Computing"や"Workstation構想"と呼ばれる構成の先駆けとなる。科学史の専門家 Thierry Bardiniによれば、エンゲルバートベンジャミン・ウォーフの言語的相対論に強い影響を受けていたらしい。ただしウォーフが言語の洗練度が思考の洗練度を左右するとしたのに対し、エンゲルバートは技術のレベルが情報操作能力を左右するとし、技術開発によって人間の能力は向上すると考えた。そしてそれがこうした着眼の出発点になったという。

  • 1957年、SRIインターナショナル(当時はスタンフォード研究所)に雇われる。1962年には長年温めていたビジョンについて Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework(人類の知性の増強: 概念的フレームワーク)と題したレポートをまとめて研究を提案。これにARPAから予算がついてAugmentation Research Center(ARC)がSRI内に新設され、oN-Line System (NLS) の開発と設計を主導。ビットマップ・スクリーン、マウス(特許申請1967年、開発自体は数年前)、ハイパーテキストグループウェア、先駆的なグラフィカルユーザインタフェース (GUI) などを次々と開発。これらを組み合わせる事で伝説のデモンストレーションを成功に導いたのだった。またARPAから研究資金が出ていた事もあり、インターネットの前身たるARPANET開発にも大きく関与した。

  • 様々な災難と誤解もあって1976年頃から全く誰からも見向きもされない状態となる。タイムシェアリングシステムを利用した協調型ネットワークに執着するあまりパーソナルコンピュータの可能性を黙殺したり(彼の下にいた研究者の少なくとも一部は、後にMacintoshの原型となるALTOを発表するパロアルト研究所へと移った)、1970年代前半に不評だった自己啓発セミナー(EST)の取締役会に名を連ねていたせいであった。ただでさえマイケル・マンスフィールドによる研究開発全体への支出制限法案、ベトナム戦争アポロ計画終結などを受けてARCへのARPAやNASAの予算割は激減。やがてARCはBartram Raphael人工知能研究部門の配下となり、Raphael は ARCをTymshare社に譲渡。最終的にエンゲルバートは1986年に独立し、以降は細々と独自研究を続けていく事になる。

サイエンス・フィクションマイケル・クライトンアンドロメダ病原体(The Andromeda Strain、原作1969年、映画化1971年、TVドラマ化2008年)」によって初めてSF作品中でコンピューターがリアルな使われ方をする。惜しむらくは同時期よりインターネットの前身となるARPANETの運用が始まったにも関わらず、それについての言及が一切なかった事だった。物語の舞台の大半が外部と基本的に遮断された隔離施設内なので仕方のない側面も。
*ある意味「SF小説」から「テクノロジー小説」が分離した契機とも。ある意味アーサー・ヘイリー(Arthur Hailey)の「群像小説(1958年〜1997年)」から別れた分野で次第に再融合を果たしていく。

https://c1.staticflickr.com/5/4141/4775746619_ceeae3fae5_b.jpg

【データ・エンジニアリング】第二次AIブーム(1981年〜1993年)

1980年代に入ると人工知能研究者達は分野を絞った「エキスパートシステム」に目を付け始める。たとえば、医者の知識をルール化して、コンピューターに組み込めば、医者にかわって、コンピュータが診断できる(はず)。ルール化の効率を上げるため、「推論コンピューター」も提唱された。

それを加速したのが、日本の「第五世代コンピュータプロジェクト」だった。1981年、通産省が提唱し、ICOT(新世代コンピュータ開発機構)が推進する一大国家プロジェクトである。

目標は「人間脳を超える人工知能」を造ること。それから、10年経った1992年、プロジェクトはひっそりと解散した。使えない並列推論マシンとプログラミング言語だけを遺して。

結局、「第五世代コンピュータプロジェクト」は社会に役立つものを何一つ作れなかった。プロジェクトは完全に失敗したのである。

北極カモメのトルーマン

北極カモメのトルーマンは、巣を必要としていた。トルーマンは、小枝を探した。小枝は見つからなかった。トルーマンは、ツンドラの方へ飛んで行った。トルーマンは、北極グマのホーラスに会った。トルーマンはホーラスに、小枝はどこにあるのか、と質問した。ホーラスは、小枝を隠した。ホーラスはトルーマンに、小枝は氷山の上にあると教えた。トルーマンは、氷山に飛んで行った。小枝は見つからなかった。ホーラスは氷山に泳いで行った。ホーラスは肉を探した。トルーマンは肉だった。ホーラスはトルーマンを食べた。

これは1993年、「小説執筆プログラムTAILOR(人工知能)」が手掛けた「人工知能が最初に書いた小説」。「努力家ではあるのだが」とお情けの評価を下した科学者もいたが、燦々たる失敗であった・

人工知能史

1980年台にはいるとAIというアイディアそのものが不可能であるという意見が他分野から提出される。哲学者サールの中国語の部屋である。これはチューリングテストに対する反論として、著書「心・脳・科学」の中で展開された。


第2の攻撃はロジャー・ペンローズの「皇帝の新しい心」に始まる。これは、ゲーデル不完全性定理がベースになっている。この理論はその後「量子脳理論」となって現在の最新理論の一つに発展した。 

こうして、第二次冬の時代が始まる。

【データ・エンジニアリング】サイエンス・フィクション1980年代に入るとパソコンの普及が始まり、AI研究の話題が盛り上がった。これに連動してフィクションの世界でも様々な動きが起こる。

https://66.media.tumblr.com/84de2e4d92d7a89f7554210e2c9b6a4f/tumblr_n2zouvYKYp1stphs8o1_540.jpg

  • この時期にはマイコンの延長線上でTVゲーム機もまた人間の想像力を刺戟するガジェットとして機能した。かくして日本では原作滝沢解作画森村たつお「スーパー巨人(1978年)」、すがやみつるゲームセンターあらし1978年〜1983年)」といった漫画が人気を博する事に。
    *ちなみに「スーパー巨人」のラスボスは宇宙空間に廃棄された人工衛星を乗っ取った宇宙生命体(巨大な単眼が生えている)。「犬の額にICチップを突き立てて完全制御下に置く」なんてぶっ飛んだアイディアあたりは、もしかしたら塚本晋也監督「鉄男(1989年)」「東京フィスト(1995年)」といった「(体への金属埋め込みや刺青やピアシングといった)自傷行為を通じてしか生きてる実感が得られない」キャラクターに何らかの影響を与えてるかもしれない。
    http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/160/160051/20130726saku010_cs1e1_379x.jpghttp://weekly.ascii.jp/elem/000/000/160/160052/20130726saku011_cs1e1_x286.jpghttp://weekly.ascii.jp/elem/000/000/160/160053/20130726saku012_cs1e1_296x.jpg
  • 「人形系」ジャンルに「人工知能美少女」が加わったのもこの時期。最初に登場したのは「部屋いっぱいのメインフレームを外部脳とする植物人間」だった。

  • ティモシー・リアリーがドラッグと縁を切って「コンピューター操作による脳の再プログラミング」を提唱する様になる一方でウイリアム・ギブスンに示唆を与えサイバーパンク小説を書かせ始めた時期でもあった。

    *こちらの系統の作品においても「(体への金属埋め込みや刺青やピアシングといった)自傷行為を通じてしか生きてる実感が得られない」キャラクターには事欠かない。そこに一つの時代性を見てとる向きもある。

    https://66.media.tumblr.com/bd06cf835d69b907d9e2eda3fef4b2b2/tumblr_nhvt188oqa1tslewgo1_500.gif

    *同時期のクローネンバーグ監督映画「スキャナーズ(Scanners、1981年)」では秘密組織に所属する超能力者が電話回線経由でコンピューターに侵入してメモリの中身を読み取ったり、CPUを暴走させて爆発させたりしている。またその秘密組織のボスはトレパネーション(Trepanation、穿頭)手術によって能力を強化している。

    https://66.media.tumblr.com/a78ef3b5c7d45c7c0456ef0780cd0e51/tumblr_ncfns3JAO51s8iz6oo7_r2_250.gif

    https://67.media.tumblr.com/ba172cf68bc67664a6af4b7c74d9cab8/tumblr_o1mf19uGBL1u8c3rfo5_250.gif
    *「青い珊瑚礁(The Blue Lagoon、1980年)」「E.T.E.T. The Extra-Terrestrial、1982年)」といった「大人を絶対に信用してはならない」と教育する映画が量産されたのもこの時期の特徴だったが、そういう薫陶を受けて育った子供達はまず自分達を信用しなくなると気付いて次第に制作が自粛される様になっていく。かくして1980年代中より欧米のヒッピー世代の保守化が始まる。「暗い未来を描くサイバーパンクから明るい過去を描くスチームパンクへの推移」もその影響とも。

  • 日本においては「左翼運動の断絶」が生じた時期ともされている。順当に「中年危機」を迎えた米国のヒッピー世代と異なり、日本の元学生運動家達は若者の若さに嫉妬しながら依存する吸血鬼の様な存在として存続する道を選択したのだった。
    *一方「分断された若者達」はブルーハーツの時代からオウム真理教サリン事件(1994年〜1995年)にかけてを一気に駆け抜ける。

サイエンス・フィクション1990年代に入ると技術の進化についていけず脱落者が続出。それに加えてさらにそれまでファンタジーやTV系サイバーパンク文学を牽引してきたヒッピー世代が中年危機に陥る。

【データ・エンジニアリング】第三次AIブーム(1997年〜)
1997年5月、IBMのスーパー・コンピュータ「ディープ・ブルー(Deep Blue、1989年〜1997年)」がガルリ・カスパロフ(露)とのチェス対戦で初めて世界チャンピオンに勝利し開発目標を達成。

https://www-03.ibm.com/ibm/history/exhibits/vintage/images/overlay/4506VV1001.jpg

http://s1.ibtimes.com/sites/www.ibtimes.com/files/2015/02/26/deep-blue.jpg

1980年代に端を発する「人工知能ブーム」の一つの到達点。ただしディープ・ブルーは人間の様に思考する機械ではない。盤面と指し手を数値化し、スコアの高い手を選んでいるだけでチェスをしているという認識も、勝った事もわかってない。

  • いわく「人間は鳥を真似て飛行機を発明したわけではなく、新たな飛行原理を発見したのである」。いわく「人間を真似て思考マシンを作る必要はない。新たな思考原理を見つければいい」。この事実の発見こそが次世代以降の人工知能の画期となったのであり、これ以降しばらくの間IBMの「コグニティブ・コンピューティング(認知計算)」が快進撃を続ける事となる。
  • 2011年2月には、同じくIBMの開発した人工知能「ワトソン」が、アメリカのクイズ番組「ジェバディ!」で人間のチャンピオンを破る。

  • 2012年6月、Googleが「猫を認識する人工知能」を発表。

第三次人工知能ブーム

ワトソンの本質とは自然言語で書かれた文章を読んで、知識を抽出する。問題の意図を理解し、最適の回答を選び出す。これが、クイズで終わらないことは確かだ。事実、ワトソン型コグニティブ・コンピュータは、すでに社会に進出を開始した。

  • 2000年から10年間で110万人の秘書が失職した。さらに、カスタマーサポートの電話オペレータが64%、タイプ入力の63%、旅行エージェントの46%、簿記係の26%が失職している。さらに、会計士、税理士などの需要がこの数年で8万人も減っている。そのすべてが、最新のコグニティブ・コンピュータによって奪われたわけではないが旧タイプのITも加担している。

  • 新薬を商品化するには、10~15年の歳月と1000億円の開発費がかかる。現在、コグニティブ・コンピュータは、この新薬開発に参加している。何千もの記事や論文を読み、そこに隠されたパターンを見いだし、開発のヒントを科学者に提案しているのだ。人間には「見落とし」があるが、マシンにはない。これで、開発の効率は劇的に向上するだろう。

  • 2015年3月20日、ワトソンが三井住友銀行から「内定」をうけ、話題になった。史上初のコンピュータ銀行マンである。ただし、当面の仕事はコールセンターの支援に限られる。オペレータが、電話で顧客の質問をうけ、ワトソンに問い合わせると、模範回答を表示してくれる。オペレータはそれを読み上げるだけ。しかも、今後、ワトソンに音声認識機能と音声出力機能が付加されるので、いずれ、オペレータはいらなくなる。

この現実は、新しい世界を示唆している。コグニティブ・コンピュータが人間の仕事を奪う世界だ。

  • 企業買収(M&A)では、膨大なデータを分析し、推論し、最適の買収先を提案する。人間が気づかない相関関係も見逃さないので、精度の高さは人間の比でない。経営陣は、コグニティブ・コンピュータが推薦した会社を買収するか否か、決定するだけでいいのだ。

  • どの大学に進学するべきか? コグニティブなら、偏差値のみならず、自分の好み、性格、得手不得手、すべて考慮して、選択してくれる。

人間には認知バイアスという思い込みがあり、判断を誤りやすいがコグニティブは人間の職を奪う反面、人間の良きアドバイザーにもなる。ただし、最終的に決めるのはあなた。コンピュータは人生の責任までとれないので。つまり、コグニティブ・コンピュータは、会社、個人をとわず、意志決定を支援するシステム、人間でいえば、最良の相談相手なのである。

猫認識人工知能

これまでも画像認識システムは存在したのに「猫を認識する人工知能」の何が画期的なのか? 認識能力をコンピュータが自ら獲得した事である。

  • Googleが開発したのは、ニューラルネットワークという脳の構造を真似たシステムだが、「ディープラーニング(深層学習)」という最新テクノロジーを用いている。このシステムに、1週間、YouTubeを見せたところ、猫を認識するようになったという。

  • 一枚一枚画像を見せて、これは猫、これは猫じゃない、と人間が教えたわけではない。YouTubeの1000万枚の画像を見せただけで、誰に教わることなく、猫の概念を獲得したというのだ。あとは、この概念に、「猫(単語)」をヒモ付けすれば、画像を見せるだけで、「それは猫です!」と答えられる。猫が認識できれば、家具、船、自動車など形のはっきりした物は造作もないだろう。

  • Googleの画像認識人工知能は、画像を見せるだけで自学自習し、オブジェクトを認識する。それに単語をヒモ付けすれば、画像に写っているオブジェクトを言い当てることができる。これまでの機械学習では、こんなことは不可能だった。人間が教育する必要があったのだ。

  • さらに、ディープラーニングのおかげで、コンピュータのパターン認識率が劇的に向上したという。すでに、人間の認識率を超えたというから驚きだ。じつは、これまで、コンピュータが人間のパターン認識率を超えることはないと言われていた。

街中に監視カメラを設置し、人工知能に監視させれば、指名手配中の犯人は一網打尽。それも、遠い未来の話ではない。すでに確立された技術なのだ。

「汎用人工知能(AGI=Artificial General Intelligence)」

コンピュータのハードウェアはハイパー進歩を遂げたが、ソフトウェアの根本は何も変わっていない。古典的なプログラミング言語で、シコシコ作っているのだから。にもかかわらず、人工知能のようなブレイクスルーが起こったのは、なぜか? 理由は4つある。

  • コンピュータの処理能力が劇的に向上したこと(70年間で100兆倍)。
  • 人間の思考にとらわれない思考原理「統計学的確率」が実用化されたこと。
  • ウェブ上のビッグデータのおかげで、機械学習の餌(エサ)に困らなくなったこと。
  • ディープラーニング(深層学習)で、機械学習の精度が劇的に向上したこと。

つまり、マシンパワーと機械学習の進化だけで、人間の知能を超えることができたのだ。もちろん、超えたといっても一部の分野に限られている。パターン認識や相関関係を見つけるのは得意だが、全く新しい発見や発見はムリ。たとえば 現在の人工知能は、ディープラーニングを使うことはできるが、ディープラーニングを発見・発明することはできない。その発明・発見が可能な人工知能について名前だけはすでに決まっている … 「汎用人工知能(AGI=Artificial General Intelligence)」。

人工知能史

1997年チェスプログラムがカスパロフを負かしたニュースが世界を駆けめぐった。しかしこれは単なるゲームで、知能ではない。しかしカスパロフは「指し手に異星人の知性を感じた」と述べているのが、非常に興味深い。十分に発達したプログラムに一種の人間を感じたようだ。しかし、ディープ・ブルーの延長線上に創造性を期待することはできない。

【データ・エンジニアリング】1990年代後半からコンピューターの普及が加速。

http://www.garbagenews.com/img16/gn-20160518-10.gif

【インフラ面】人類に影響をあたえる主体が個々のコンピューター(ゲーム機含む)からインターネットそのものに推移していく時代。

http://images.slideplayer.com/15/4582525/slides/slide_2.jpg

  • 1990年代に入るとHTMLフォーマットの浸透とインターネットの普及が始まった。1998年にはもうHTTPプロトコルがインターネット上の通信の75%を占めるまでになっていた。

  • 1999年、iモード運用開始。携帯電話のネットワークとしては国際的にそれなりに最先端の動きだったが、インターネット規格非互換が後々じわじわと累積ダメージの様に効いてくる。

  • 2001年に「関心空間」がサービス開始。また2004年にMixiサイバーエージェントアメーバブログAmeba Blog、略称:アメブロ)が稼働を開始し「先行者メリット」でYahoo Japanのネット広告独占状態に風穴を開ける。

  • 2005年頃よりロードバランサーなどの処理能力が劇的に向上しサイトのリッチ・コンテンツ化(静止画・GIF・音声データ・動画の多用)が始まる。その波に乗るかの様に、2007年頃より国米IT企業の躍進が始まる。

  • 同じく2007年頃よりFacebookを皮切りにソーシャルゲームの躍進が始まる。日本でも(SNSで出遅れた)Greeや(それまでネットオークションなどを生業としてきたDeNAが運営する)Mobageiモード・サイトの侵食を開始。

  • 2010年頃より米国でデータエンジニアの金融業界流出が始まる。

  • 2012年頃より急激に「スマートフォンのFirst Screen化(何かあると真っ先に確認する媒体化)」と「SNSで回覧される内容のリッチ・コンテンツ化」が加速。

【ユーザー動向】マスメディアがプロパガンダによって一方的に大衆を動員する時代から、SNS上における回覧投稿が重要な意味を持つ時代への変遷。

http://www.scotthoward.me/wp-content/uploads/2016/03/q.jpg

  • 1980年代後半〜1990年代前半…「あちら側(マスメディアのプロパガンダによって動かされている一般人の生活場所)」を拒絶する若者達がブルーハーツ登場からオウム真理教サリン散布事件(1994年〜199年)までを一気に駆け抜けた。実は「あちら側とこちら側の境界線」自体はソ連崩壊(1991年12月)、バブル崩壊(1991年3月〜1993年10月)、角川春樹逮捕(1993年8月29日)による角川商法終焉などを経て次第に消失。

  • 1990年代後半…若者に憎みながら依存する大人達の暴走が始まり、若者達が五感で感じられる官能しか信じられなくなった時代。

  • 1990年代末〜2000年代前半…若者デスゲームを通じてしか生きてる実感を回復出来なくなった時代。自主制作アニメや同人ソフトやWeb小説などで「個人と個人の繋がり」を軸にエンターテイメント業界の再建が始まった時代。

  • 2000年代後半…「異類婚や彼岸と此岸の交流は悲劇しか生まない」なる物語文法の崩壊が進んだ時代。2000年代前半の反動か「日常系ほのぼの展開」が主流に。

  • 2010年代…「風景オリエンテッドな展開の選好」や「納得のいく痛みの選択」といった主題が登場。2012年以降は「スマートフォンのFirst Screen化」と「SNSで回覧される内容のリッチ・コンテンツ化」を背景に言語圏を超えた相互影響が顕著となる。

 全体像を俯瞰して思った事…

http://pbs.twimg.com/media/CGbN7UvUgAEqwBW.png

  • 商業主義の立場からすれば、個々のトピックに対する関心が高まるのは「実用の可能性が生じてからコモディティ(日常品)化が完了するまで」の短い期間。その影響はエンターテイメント業界も受ける。
    *色々と新技術の恩恵を受けてきた怪奇映画の歴史を見ても「1950年代における立体映画の一時的流行」みたいに大した足跡は残せず終わったケースが存在する。すべての技術革新がコンテンツ展開に役立つとは限らない。

  • エンターテイメント業界の立場からすれば「それまでの時代から継承したトピックの多くが失われてしまった」様に見えるかもしれない。しかし新しいトピックもどんどん追加されているので総量としてはそんなに変わってない様に見える。果てさて正解はどっちだ?
    *少なくとも、そうした変遷に敏感にならないと生き残れない。というか成功してる人達は確実にこういう変遷を何らかの手段でチエックしている様に見える。

  • どうしてWikipediaの「合理主義」の項目が崩壊してしまったか、この年表の範囲だけ見ても明らか。おそらく「どんな時代でも絶対に定義が揺らがない合理主義」は科学実証主義くらいなのである。かくして20世紀後半には社会を線形代数とフィードバック理論で割り切ろうとするサイバネティック社会学と、それを否定するポストモダン社会学が衝突したが、結果は限りなく「対消滅」?
    オーギュスト・コントからやり直せという事かも。という事は、デュルケームの方法論的集団主義と、タルド模倣犯罪学の再衝突?
    オーギュスト・コントと社会学の誕生

    社会学(la sociologie)」という言葉は,コントが「実証哲学講義」ではじめて使った言葉である。かれは,《socius》という“社会(より正確には仲間,同盟)”を意味するラテン語と《logos》という“論理,学問”を意味するギリシャ語とを合成し,sociologie (つまり,社会学) という言葉をつくった。コントが「実証哲学講義」を講義したのは1820年代後半だから,この時期にすでにコントはこの言葉を使っていたはずだが,私たちがこの言葉を印刷された活字でみるのは『実証哲学講義』第1巻(1830年)が最初である。

    そして1857年にコントが死去すると、1890年代にデュルケームウェーバーなどが取り組むまでは,今日の社会学の研究にまで影響を与える様な重要な研究はあらわれなかった。

さて、それではこれからどうなる?