ここで扱った英国歴史学者ホブズボームはマルクス主義者でもあって「歴史は革命の繰り返しで動く」という前提から歴史観を組み立てている為、ちゃんと対比させるには相応の時間軸を用意しないといけません。これまでサイトで扱ってきた出来事を並べなおすと…
欧州王制時代末期(18世紀〜1848年)
*ホブズボーム区分の革命の時代(1789年 - 1848年)に該当
実は英国や日本の様にそれ以前の歴史において体制転覆の可能性が除去され「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」が商業利用の可能性を除いて完全に形骸化した国には存在しなかった歴史段階とも。ただ当時のスイスの例の様に「なまじ過去に方便によって誤魔化す事に成功した事案が後世、思わぬ形で爆発する」ケースもあるので要注意。
- オランダ絶対王政の樹立を狙うオランダ総督オラニエ=ナッサウ家の野望…良い意味でも悪い意味でも名誉革命(1688年〜1689年)によってオラニエ公ウィレム3世が一代限りとはいえグレートブリテン連合(イングランド、スコットランド)王も兼ねる同君連合が成立した事が最初の節目となった。従来オラニエ公は、連邦の7州の中心たるホラント州の他4~5の州の総督を兼ねるだけだったが、ウィレム4世以降は全州の総督を兼ね、その地位の世襲を公式に認められたのである(より正確には、オーストリア継承戦争(1740年〜1748年)に巻き込まれフランス軍の侵攻を受けた1747年になし崩し的に就任)。しかしウィレム5世は優柔不断な性格で従来の総督派(王党派)と都市門閥派(ブルジョワ貴族連合)の対立に加えパトリオッテン派(フランス啓蒙主義に傾倒して共和主義者となった愛国集団)が台頭し1785年に蜂起。それ自体は内政干渉の機会を手ぐすね引いて待っていたプロイセン軍が鎮圧・掃討。翌1788年、ウィレム5世はイギリスやプロイセンと同盟を結んで総督としての地位を安堵してもらう形でかろうじて復権を遂げたが、この一連の政変が「国王恐るに足らず」という感情をフランス人の間に広め、その事がフランス革命勃発の遠因の一つになったとされる事もある。革命軍は対外戦争の最初の標的にオランダを選び1795年より侵攻開始。ウィレム五世がイギリスに亡命すると入れ替わりに愛国派が帰国してフランスの力を借りバタヴィア共和国を建国した。ナポレオン戦争後のオランダはウィレム五世の息子ウィレム1世を国王として推戴する形で再出発。ベルギーも所領に加えられたがオランダへの経済的従属下では衰退する一方で(皮肉にも「低開発状態を強いられた周辺から中核への搾取」の実例)、フランス7月革命に連動したベルギー革命(1830年)に連動する形で独立達成。
都市から国家に(欧州の経済的中心の歴史的推移) - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - フランス王統ブルボン家との王統交代を狙うオルレアン公の野望…スペイン継承戦争(1701年〜1714年)と外交革命(1756年)を経て16世紀よりの宿敵ハプスブルグ家と折り合いを付けつつも、次々とイングランドに海外植民地を奪われたフランス絶対王制。その水面下で「フランス最大の素封家」オルレアン家のブルボン王室への政権交代に向けての試みが始まる。バスティーユ襲撃(1789年)と同年の十月行進はどちらも彼が革命家を匿っていたパレ・ロワイヤルから進発した。宮廷金融家(日本でいう「大名貸し」)を巻き込んだ7月革命(1930年)によって王統交代そのものには成功したが、2月革命(1848年)で追放されフランス王制の歴史そのものが終焉。結局このゴタゴタはフランス第三共和政(Troisième République)初期まで続く。
「上からの自由主義」がフランスにもたらしたもの - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
「フランスの御三家」オルレアン家の陰謀と三銃士の世界 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
一時期どこにでも居た「ドイツ人」 - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - スイスの分離同盟戦争(1847年)…次第に自由化や民主化が進んできた結果、新教系カントンとカトリック系カントトンの対立が激化し武力衝突にまで発展。その影響がフランスやオーストリアにまで及んで二月/三月革命(1848年〜1849年)が勃発。ウィーン体制が完全に崩壊して盟主メテルリッヒが英国に亡命する事態となった。
スイス「武装中立」の裏側で - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - 惰眠を貪っていただけのドイツ語圏…この地域でだけは領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統が揺るぎ無く存在し続け、それが滅んだ後も余計な心配事は全て軍隊や官僚に任せ、彼らに従順に従う享楽的小市民が残っただけだった。無論インテリ層の中にはそういう状況に危惧感を持つ者もいたが、議論があるだけで具体的行動は伴わなかった。教育分野を中心にドイツ国民創出運動も起こったが、連邦国家の分立状態の継続を望む王権とドイツ・ブルジョワ階層に叩き潰されてしまった。
政治的浪漫主義者としてのマルクス - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
政治的浪漫主義と体操とボディビル - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
このサイトでは革命そのものより西欧中心部で進行した「(産業革命受容の妨げとなる)国王と教会の権威に担保された農本主義的伝統の放棄過程」に注目。その後、時代の変遷についていけない革命家が次々と自滅していく渦中において、運動家から理論家に転身したマルクスが「ブルジョワ階層と労働者の対立」に軸を推移させた新たな革命理論を発表したのが重要と考える。そしてその流れにドイツ語圏は完全に乗り遅れてしまったのだった。
産業革命展開期(1848年〜1914年)
*ホブズボーム区分の資本の時代(1848年 - 1875年)、帝国の時代(1875年 - 1914年)に該当。
- フランスにおける「白旗組」と「赤旗組」の自滅…フランスでは「国王や教会の権威を笠に着た領主が領土と領民を全人格的に代表する時代」が終焉しても大ブルジョワ(王侯貴族や教会有力者、およびそうした人物と縁戚関係にある素封家)による富の独占状態が続いた。その事への反感が赤旗組(急進派共和主義や共産主義者)を勢いづかせたが、皮肉にも彼ら同様に白旗組(王党派やカソリック勢力)もまた自打球の連続によって滅んでいく。
- 各国におけるブルジョワ階層の台頭…大陸の産業革命は事実上、復古王政時代(ウィーン体制)がもたらした停滞を尻目にスイスやベルギーといったその影響下にない「僻地」で始まった。それに追いつかんとしてフランスでは「馬上のサン=シモン」ルイ・ボナパルト大統領/皇帝ナポレオンが産業革命導入に成功して所謂「ブルジョワ二百家」による寡占化が始まる。
また英国では(巻き添えでスタグフレーション状態に苦しめられたフランスで二月/三月革命が勃発した遠因の一つに数えられる)穀物法(1815年〜1846年)撤廃を契機としてジェントルマン階層が「単に地主でありあるばかりではリスクヘッジが十分でない」と考える様になり、金融業界に進出。
ドイツでも1871年のドイツ帝国成立以降、プロイセン王国への将校と官僚の供給階層として発展してきたユンカーがドイツ帝国全体への将校と官僚の供給階層へと躍進を遂げる。
*「領主が領土や領民を全人格的に代表する農本主義的体制」からの脱却が不十分なまま資本主義的発展が始まると、王侯貴族や聖職者といったランティエ(rentier=不労所得階層)が大ブルジョワ階層に、軍人や官僚や法律家などが中小ブルジョワ階層にシフトする事が多い気がする。ただ後者については、同様の傾向が「ジェントルマン資本主義」の英国や「薩長土肥閥+旧幕臣」中心に編成された明治政府にも見て取れし、前者についても「あけっぴろげに傲慢に振舞うか、こそこそ裏で賢く立ち回るかの違いに過ぎない」なんて辛辣な意見も存在する。
チーズと時計とチョコレートの産業革命 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
ベルギーワッフルは何故あの形? - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
「尊敬されたい」マッドチェスターの雨 - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - 大不況 (1873年〜1896年) と米国金鍍金時代と欧州ベル・エポック時代…しかし産業革命の各国への波及は商品の供給量過多を引き起こす。さらにアメリカン・ペリル(American peril、輸送網整備と冷蔵技術の進化によって南北アメリカから輸入される様になった安価な農畜産物の欧州大襲来)が重なった為に各国が競い合う様に関税障壁を高合ったので1873年から1896年にかけて大不況状態が続く事になった。しかしやがて「大量生産には(庶民の消費者化といった方策によって)大量消費が伴わねばならない」なる処方箋が広まって未曾有の大量消費時代が到来。
産業革命を加速させた冷蔵技術 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
フランスにおける産業革命の受容過程 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
「角砂糖の発祥地」チェコの産業革命 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
通俗小説は原作者から愛されない? - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - ドイツにおけるマルクス主義の変容と帝国主義の台頭…建国時にプロイセン宰相ビスマルクと労働運動主導者ラッサールが手を組んだドイツでは国家福祉主義が台頭。暴力革命論が完全に影を潜める一方で英国やフランスの植民地拡大を羨む声が広がっていく。
- 取り残される欧州東部とオスマン帝国…農奴制解体以降もオーストリア=ハンガリー二重帝国や東欧諸国やロシア帝国やオスマン帝国の農本主義的分権体系は簡単には払拭出来なかった。結局それが達成されるのは第一次世界大戦(1914年〜1918年)以降となる。
大不況 (1873年〜1896年) を間に挟み、前半は産業革命導入に伴うブルジョワ経済の発展期、後半は大衆消費社会の到来期と目される。その一方で大不況 (1873年〜1896年) から列強間における植民地獲得戦争が激化したと指摘する向きもある。最終的に総決算的に第一次世界大戦(1914年〜1928円)が勃発してしまう。
欧州低迷期(1914年〜1970年代)
*ホブズボーム区分の破局の時代(1914年 - 1945年)、黄金の時代(1945年 - 1973年)に該当。
- 「資本主義未発達地域」に共産主義が浸透…日本や英国などと異なり「領主が領土や領民を全人格的に代表する農本主義的体制」からの脱却が不十分なまま資本主義的発展が始まると王侯貴族や聖職者といったランティエ(rentier=不労所得階層)がそのまま大ブルジョワ階層にシフトして貧富格差が致命的段階に到達しても放置される地獄絵図が現出する。こうした地域では(資本主義受容インフラが整うまで)共産主義体制を必要とするという理論が、旧共産主義国家の間では広まっているという(共産主義瘡蓋(かさぶた)論?)。
*地獄絵図…まぁまさにフランス自然主義文学とかロシア近代文学が活写した世界。「武士は食わねど高楊枝」の真逆の世界。
- 「総力戦」から「最終戦争」へ…第一次世界大戦が参加国全てに総力の投入を要求する過酷な展開となった余波。「最終決戦」を恐れながら待ち望むこの時期特有の緊張感を背景に共産主義や全体主義が台頭。
覇権(hegemony)とは何か? - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
「総力戦の時代」が生んだ「魔術的リアリズム芸術」 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
「夢の王国」としてのナチス・ドイツ - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
「ヒトラー再来」の正しい恐れ方 - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - いわゆる「冷戦」の時代…第二次世界大戦からの復興期や高度成長期は原則として「総力戦から最終戦争にかけての時代」における思想統制の余波という色合いが濃かった。
21世紀とそれ以前の狭間 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
「フランダースの犬」は厨二病代表格? - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
フランス人の理神崇拝と日本人の折衷主義 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
騎士修道会と「武人の覚悟」の奇妙な変遷 - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - 共産主義全盛期…ロシア革命(1917年)によるマルクス=レーニン主義成立からスターリン主義への移行、そしてフルシチョフのスターリン批判(1956年、1961年)と1960年代における新左翼運動の興亡を経てカンボジア・ベトナム戦争(1975年〜1977年)や中越戦争(1979年)といった共産主義国間戦争の時代に突入。ソ連崩壊(1991年12月)に向けての解体プロセスが静かに始まった。
- 開発独裁とアラブ社会主義の時代…第一次世界大戦に連動する形で大英帝国とオスマン帝国がアラビア半島の支配権を巡って争った。まさしく映画「アラビアとロレンス(1962年)」の世界。当時大英帝国は預言者ムハマンドの末裔たるハシーム家と「ワッハブ派におけるイマーム」サウド家の双方を支援しており、十字軍運動リベンジでシリアを欲しがったフランス(「暗殺教団末裔」アラウィー派を味方に引き入れアレッポ国とダマスカス国を建設)とドサクサに紛れてリビアを喰い取ったイタリアを尻目にサウド家がメッカとメディナの二大聖地を勝ち取りサウジアラビアを建国。バランスを取る為にハシーム家の王族達はそれぞれイラクとヨルダンの国王に据えられた。第二次世界大戦後、アジアではアメリカ後援下の反共独裁国家が工業化を志向し(開発独裁)、中東では1950年代から1960年代にかけてエジプト大統領ナセルが主導する「第三の道」路線が全盛期を迎える(アラブ社会主義)。ただし前者の多くが次第に破綻し、後者も第三次中東戦争におけるイスラエルへの大敗(1967年とナセル死去(1970年)で行き詰まり穏便な親欧米派に主導力が移った。
【雑想】移民問題が浮かび上がらせる14世紀欧州地図? - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
欧州がベル・エポック時代の水準まで復興するのは1970年代に入ってから。戦後復興もマーシャル・プランに基づく米国資本投下の産物に過ぎなかった。そういう意味で相対的に「米国一強」が定まっていった時代でもある。
フロンティア消失期(1970年代〜2000年代)
*ホブズボーム区分の危機の時代(1973年 - 1991年)及びそれ以降に該当。
- 高度成長期の終焉…先進諸国では1973年から変動相場制が導入されたが、その数ヵ月後、第4次中東戦争勃発を契機に原油価格が高騰。オイル・ショック(Oil Crisis、第1次1973年、第2次1979年、ピーク1980年)を経てOPEC諸国の国際収支高向上(1973年の10億ドルが1974年には約700億ドルに急増)や発展途上国向け民間銀行貸し付け額上昇(1970年の30億ドルが1980年の250億ドルに跳ね上がる)が見られる展開となったが、その一方でそれまで好調だった世界経済は地すべり的に停滞へと向かい、日本の高度成長期も終わりを告げた。
1度目は悲劇、2度目は喜劇…ならば5度目は? - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
「赤いチョッキ伝説」と日本の学生運動の盛衰 - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - イスラム過激派の台頭…イラン革命(1979年)。およびそれに触発される形で同年サウジアラビアのスンニ派イスラーム主義者達がイスラム聖地で蜂起した「アル=ハラム・モスク占拠事件 (Grand Mosque Seizure)」。そして同年末のソ連軍によるアフガニスタン侵攻。1981年にエジプトでサダト大統領を暗殺したサラフィー・ジハード派もアフガン紛争(1978年〜1989年、ソ連介入1979年〜1989年)に合流。アメリカの後援下「国際的スンニ派テロリスト集団の国際的ネットワーク」が築造された。
イスラム過激派の原風景 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
歴史好きの考え事: シリアの歴史
夢の王国(Magic Kingdom)としてのサウジアラビアの終焉? - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - 日本のバブル経済…1980年代に「実態なき好景気」が続き、エンターテイメント業界も「このままこの状態が続く筈がない」と警鐘を鳴らす作品、不条理物、ナンセンス物、実話怪談などが増えた。バブル崩壊は1991年3月から1993年にかけて進行。1980年代を風靡した名プロデューサー角川春樹の逮捕(1993年8月29日)もこの時期の出来事だった。
*実は19世紀末のオーストリア=ハンガリー二重帝国首都を飾った最後の徒花「ウィーン世紀末芸術」にも同様の傾向が見られた。
日本人の不条理に対する耐性の変遷について。 - 諸概念の迷宮(Things got frantic) - 米国金融バブルの興亡…1990年代から米国主導の形で金融商品のグローバル化が推進され、レバレッジ形式による第三国からの資金吸い上げが行われる様になってある種のバブル状態が現出したが、サブプライム住宅ローン危機(2007年)やリーマン・ショック(2008年)によって鎮静化した。
2010年頃からアメリカで始まった何か - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
- 理不尽なヘイトクライムの蔓延など…人間間を隔てる境界線が曖昧になるほど、それに耐えきれない人々の暴走も激しくなる?
「銃による抑止力」とは何か熟知してるはずの日本人 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
「無慈悲なスペイン貴族」が登場 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
ソ連崩壊(1991年12月)を契機とする共産主義経済圏崩壊のあったこの時期、資本主義経済圏もまた成長限界点に到達して苦しめられたのである。
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マルクス主義者でもあった英国歴史家エリック・ホブズボーム(Eric John Ernest Hobsbawm, 1917年〜2012年)は1789年におけるフランス革命勃発から1914年までを「長い19世紀(The Long 19th Century)」、1914年から1991年のソ連崩壊までを「短い20世紀(The Short Twentieth Century)」と呼ぶ。
①革命の時代(1789年 - 1848年)…1789年7月14日、バスティーユ牢獄の襲撃を発端とするフランス革命が起き、その影響はヨーロッパ各国へ波及した。その後、ナポレオン・ボナパルトの登場、ウィーン体制を経て、1848年革命へと到る。結果、西ヨーロッパでは国民国家が成立し、主権は国王や皇帝のものであるという観念が崩れることとなった。東ヨーロッパの国々も西に追随する形で改革を急ぐこととなる。
②資本の時代(1848年 - 1875年)…フランス第二共和政の成立、またドイツ三月革命の勃発をきっかけに、ヨーロッパは再編されていく。イギリスはパクス・ブリタニカを謳歌し、ドイツとイタリアは国内を統一、ロシアはアレクサンドル2世のもと改革を進めていく。また産業革命の結果、鉄道網の建設やスエズ運河の開通などインフラが整備され、ブルジョワジー階級がヨーロッパ世界を動かすようになる。
③帝国の時代(1875年 - 1914年)…ベルリン会議以降、ビスマルク体制によって平和がもたらされた。ブルジョワジー階級が推し進めた資本主義は、その膨大に蓄積された余剰資本の投下先としてアジア・アフリカの植民地を求めた。これが世界の分割を進める帝国主義となり、世界各地でのヨーロッパ列強の対立を招き、第一次世界大戦へ突入していく要因となる。
④破局の時代(1914年 - 1945年)…1914年のサラエボ事件をきっかけとしてヨーロッパを主戦場とした第一次世界大戦が勃発した。大戦は1000万人以上の犠牲者を出し1918年には終戦を迎えたが、その後も火種は残り続け、1939年にはドイツ軍のポーランド侵攻をきっかけとして枢軸国側と連合国側による第二次世界大戦の開戦に至った。戦場は全世界的規模へと拡大しておよそ2500万人の犠牲者を出し、更に1945年には枢軸国側で最後まで残っていた日本に対して人類史上初の原子力爆弾が投下され、ようやく終戦を迎えた。
⑤黄金の時代(1945年 - 1973年)…先の大戦で超大国となったアメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営とソビエト連邦(ソ連)を盟主とする共産主義・社会主義陣営によって世界は二分され、東西冷戦時代へと突入した。この対立構造によって経済発展競争や科学技術競争、宇宙開発競争などが起き、1969年7月20日にはアメリカのアポロ11号によって人類初の月面着陸が達成された。様々な変化をもたらしたこの黄金時代は、1973年のオイルショックによって終焉を迎えた。
⑤危機の時代(1973年 - 1991年)…1973年には先進諸国で変動相場制が導入されたが、数ヵ月後には第4次中東戦争の勃発をきっかけとして原油価格の高騰などからオイルショックに陥り、これまでエネルギー源を中東の石油に依存してきた先進諸国の経済に打撃を与えた。それまで好調だった世界経済は地すべり的に停滞へと向かい、経済を含めた社会情勢などが不確実さを増したことから、当時代区分は「地すべりの時代」「不確実と危機の新しい時代」とも呼ばれる。1989年には東欧革命が起き、アメリカ・ソ連両国の首脳により半世紀近く続いた冷戦の終焉宣言も出された。またこの年に起きたベルリンの壁崩壊により、翌年には東西ドイツが再統一された。共産主義・社会主義陣営の敗北によって、最終的には1991年のソ連崩壊へと結実している。「短い20世紀」の概念では、この出来事を以ってサイクルの終了と考えられている。「長い19世紀」は啓蒙と進歩の時代であり、理性を正しく用いれば過去から現在、現在から未来へと人間は無限に進化していけると率直に信じられていた時代に該当する。当時は科学や産業が発展し、物質的にも豊かになっていったヨーロッパでは自分達こそ最も文化的に進歩した地域だという自負が生じ、近代化を遂げてない異文化の国々を「未開」や「野蛮」ととらえ、ヨーロッパが指導して発展させねばならないとする「ヨーロッパ中心主義」が植民地支配を正当化していったという訳である。
しかし人類を待ち受けていたのは無限の進歩どころか二つの世界大戦であった。その意味で第一次世界大戦の開始は進歩の時代の終わりを告げるものであり、ホブズホームは第一次世界大戦と第二次世界大戦をまとめて「21世紀の31年戦争」と呼んでいる。欧米の自由主義と民主主義が深刻な危機を迎えた時代であり、第一次世界大戦中にロシア革命が起こり、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦が結成される。戦間期にはドイツでナチズム政権が生まれ、イタリア・日本もファシズム国家として自由主義陣営と対立。
エリック・ホブズボーム「20世紀の歴史(1994年)」
世界全体としては1920年にはおそらく35ヶ国かそれ以上の立件主義的な、選挙によって選ばれた政府(ラテンアメリカの共和国をどう分類するかによって国数は変わる)が存在したが、1944年には総計64ヶ国のうち12ヶ国がかろうじて存在しているに過ぎなかった。
戦後には次第に東西冷戦の状況が形成されていったが、1991年のソ連崩壊によって共産主義・社会主義陣営の敗北が明らかとなり、ホブズボームはここに「短い20世紀」の終わりを見る。アメリカの政治学者フランシス・フクヤマも「歴史の終わり(1992年)」の中で民主主義と自由経済主義の最終的勝利を高らかに宣言している。しかし実は1914年に始まった「戦争の時代」は今なお続いているのかもしれない。少なくともフランシス・フクヤマが預言した「世界中が民主主義国家となって穏やかで平和な時代の到来」は夢物語となってしまった。
で、話はいよいよ21世紀に…